第3話
「遅いね」
明日佳の言葉は短いけど、それでもその声はどんな喧騒の中にあっても耳に入ってくる。
それは彼の声の特性なのか、それとも私が彼のことが好きだからなのか。
「そうね。あ、凪沢くんは欠席だわ」
泉帆がクスクス笑いながら言った。
「どうした?」
「ううん。今朝、私のところにわざわざ補習があるからって言いに来たの」
その時のことを思い出し、更にクスクスと笑い声を立てた。
「泣きそうな顔しちゃって。なんかかわいくって」
ストローに口を当て、笑いをかみ殺す。
凪沢智哉は今年入ったばかりの1年生部員だ。
1学年4クラス。
彼は海音と匠と同じクラスだった。
(そういやあいつ、英語の補習受けてたっけ)
「ふーん・・・」と誰にも聞こえない声で泉帆の言葉に頷いたのは匠。
凪沢智哉。
身長172センチ。体重64キロ。
海音・匠のクラスメート。
人懐っこい性格は、匠に通じるものがある。
成績はいまいちだが、スポーツは万能。
特にサッカー部からは直々に勧誘されたほどだ。
そんな智哉も演劇部の部員の一人。
英語の補習で今日の部会は欠席ということだが。
演劇部員達の会話を盗み聞きしているのは、海音だけではなかった。
海音が仕事をしている間、匠もしっかり彼らの会話を聞いていた。
もちろん、そんな素振りは少しも見せず知らん顔しながら。
「おまちどうさまです」
海音ができたてのホットケーキと紅茶を明日佳の前に並べる。
泉帆と奈於の飲み物は、既に運んであった。
「ありがとう。ここに来ると食べたくなるんだよね」
ホットケーキにバターを塗り、更にシロップに手を伸ばす。
どうやら、彼も匠に負けず劣らない甘党らしい。
「あんまりかけると太るんじゃないの?」
奈於がからかうように言うと、明日佳はぷぅと頬を膨らませた。
そのしぐさに海音が思わず吹き出す。
「あ、笑ったね」
頬は膨らませたままだが目は笑っている明日佳が抗議する。
こういう表情・仕草がその整った容貌に合わず、それが明日佳の人気の所以にもなっている。
「ごめんなさい。ごゆっくり」
海音が微笑を残して去ると、泉帆は大きく息を吐いた。
なぜか海音を前にすると微妙に緊張する。
なぜか気を引き締めなくてはと思う。
なぜだろう。
ただのバイト、同じ高校の後輩に過ぎないのに。
それでも泉帆の第六感はピリピリとするのだ。
気を抜くな、警戒しろ、と。
気を抜くと心の中を見透かされそうで。
演劇部員全員が揃ったのはそれから30分もしてからだった。
もちろん、補習で欠席の智哉はいないが。
それぞれが飲み物や食べ物を注文し、それが運ばれしばし雑談があり、それからようやく部会らしい話題に入る。
そうは言っても文化祭までは特に発表の舞台もなく、部会と言う名のただの集りに過ぎない。
海音に言わせれば演劇部員達は、放課後ここに通ってくる匠とたいして変わらないただの暇人の集まりだ。
「新入生歓迎会の時のはなかなか評判良かったよね」
匠が小声で海音に話しかける。
海音は「ああ」と短く頷いた。
あの劇は確かに結構おもしろかった。
演出もうまかったし、何より脚本がよくできていたと思う。
(あの脚本、誰が書いたんだろ?)
「次の舞台は文化祭?」
柏木立夏がオレンジジュースの氷を噛み砕きながら、誰にともなく聞いた。
柏木立夏。
身長165センチ。体重48キロ。
彼女はまさに今時の女子高生だ。
短くしたスカート。
ルーズソックス。
校則がゆるい高校だから許されているが、化粧もバッチリしているし、ゆるくパーマもかけている。
グラスを傾けるその指先には、綺麗にマニキュアが塗られている。
「その前に夏休み恒例、他校とのがあるだろう」
尚村静季が答える。
「ああ。あったね、そういえば」
「面倒だけど、やらないわけにもいかないだろうし」
尚村静季はその名の通り、物静かな性格だ。
明日佳のような明るさはない。
決して前面に出ることはないが、彼がいないとなんとなく寂しい、そんな気持ちにさせる。
そして、なかなかの聞き上手。
彼に相談事を持ちかける同級生は少なくない。
身長165センチ。体重50キロ。
かなり華奢な体格だ。
立夏と静季のやり取りを聞いていた、1年生部員の高瀬未香子が隣の席の北園司に聞く。
「夏休み恒例の他校とのってなんですか?」
司は視線を文庫本から未香子に向けるとメガネをちょっと上げた。
北園司。
身長180センチ。体重70キロ。
演劇部の中では一番背が高い。
彼はマメな性格で、演劇部では書記のような仕事をしている。
手先もかなり器用。
外見はメガネをかけたインテリ風。
柔らかそうな茶色がかったくせっ毛。
根っからの演技派なのか、高校生のくせにやたら気障ったらしい態度をとる。
が、そこがなぜか女子生徒には人気だ。
高瀬未香子。
身長158センチ。体重52キロ。
彼女も智哉と同じく海音や匠のクラスメートだ。
クラスでも控えめでおとなしい彼女は決して目立つ存在ではない。
が、芯の強さを感じさせるその目は人の印象に強く残った。
染めていない漆黒の髪は入学式は肩の辺りまで伸びていたが、5月の連休明けにはばっさり切られてショートカットになっていた。
「ああ、未香子は初めてだもんな」
「ええ」
「夏休みに、親交のある他校と合宿して1本劇を見せ合うんだ」
「へぇ・・・。文化系の部活で合宿って珍しいですね」
「かもな」
司は視線を文庫本に落とし栞を挟んだ。
それからまた改めて未香子に戻す。
「でも、出会いの場になってるんだぜ」
「出会いの場?」
「そ。その合宿がきっかけで、付き合い始めるカップルが結構いるって話」
「そうなんですか?」
「ああ。ホントか嘘かは知らないけど」
いたずらっ子のような笑みを浮かべる司に、未香子は一瞬ドキッとした。
メガネのせいか、いつも大人びた雰囲気を纏っている司が、こんな表情を浮かべるなんて知らなかった、と。
「へぇ・・・意外」
未香子が思わず呟く。
「そう?でも、そうでもないと中々出会いの場ってないじゃん」
司は未香子の呟きの意味を勘違いしてたらしい。
「あ。ええ・・・」
未香子も敢えて訂正はしなかった。
「未香子もいい奴と出会えるかもよ」
口元にちょっと意地悪そうな笑みを浮かべる司。
この人、こんな表情するんだ・・・。
未香子は妙に落ち着かない気分になり、なんの気なしにカウンターの方に視線をやった。
すると、やはりこちらに視線を向けていた匠と目が合った。
屈託のない笑顔でこちらにヒラヒラ手を振ってくる。
未香子も笑顔で手を振り返した。
匠と未香子は、そしてもちろん海音と智哉もだが、クラスメートだ。
しかも匠とは席が前後ということもあり、比較的話をすることも多い。
そんな未香子をクラスの女子達はみな一様に羨ましがった。
「いいなぁ、みかは」
「タクミくんと仲良くできるなんて羨ましい!」
匠は女子に優しい。
彼の場合女子に限らず、だが。
明るい性格で、入学当初からクラスのムードメーカーだ。
顔だって童顔だけど、カワイイし。
(でも)未香子はカウンターの中のいる海音に視線を移した。
(私はどちらかと言ったら勝浦くん派だな)
海音は匠とは逆のタイプだ。
冷ややかな態度と突き放したような物言い。
勉強もできる優等生だが、スポーツもそれなりにこなし、でも女子と仲良くしている姿を見たことはない。
いつも匠や男子とつるんでいて、女子の入る隙はない。
それでも、自分に向けられることはないが、彼が友達に向ける笑顔は屈託なく、その笑顔が密かに未香子は好きだった。
(恋愛感情じゃあないけどね・・・)
「どうした?」
「へっ?」
自分の世界に飛んでいた未香子を、司が心配そうに見ている。
「あ、すみません。ちょっと考え事しちゃって」
えへへ・・・と照れ笑いを浮かべ、すっかり水っぽくなってしまったアイスティーを口に含んだ。