ラノベは不自由である
なろうでライト向け(ファンタジーを好む小説を読むのに頭を余り使わない人達)に小説を書こうと言う人に知っておいてほしいものがある。ベースとなる漫画みたいな話は過去から何も変わってない。変わったのは枝葉の部分になる。だがこの枝葉こそが漫画物語にとっては価値となる。本当に同じ物を見てずっと刺激を受ける人なんて居ない。見せ方の問題。それは誤魔化しなのか?なら違う。分かりやすい話だと、漫画でそれなりにあるスポーツを題材に扱ったものなら野球と卓球じゃ全然楽しむ部分が違う。そここそが見せるもので、その奥にある。努力、友情、勝利自体は変えなくて良い。ジャンプかよって言えばそうなる。おそらく文学作品で最も重視してクリエイトする部分は変化しなくて良い。
漫画みたいな物語は自由じゃない。小説における自由さは選択の幅を広げる。これが逆に邪魔になる。目的の作品にたどり着く時間を減らしたい。ライト読者のすべての希望は目的の作品に当たるまでの探索の時間を減らす事になる。これがなろうのすべての根源にある。ランキングの正体は評価の結果を見て選択してるわけじゃない。目的の作品に出会える近道として利用されてる。
ライト読者はならスコッパーと言われる典型的な人達とは対極に居るのか?ならそうなる。そういった作業に掛かるすべての負担をなくして楽しみたいんだわ。他人=スコッパーが探した作品をお勧めどおりに見て悪くないって事でそれ以上の探索をやめる。ガイドを雇った?そうなる。大体そうでしょ?世の中詳しい人に任せるでしょ。これは分業と言える。ただし対価は払われない。ならランキング一極集中は当たり前では?無料で楽に探せる悪くない指標なのだから。
なろうは検索がしっかりしてる。利用する人も多い。だがそれはランキングほどじゃない。ランキングと検索には大きな差がある。こんなの検索で見つけられるのでは?とランキングの機能提案をしたら多分突っ込まれる。この人はライトユーザーの気持ちが分かってない。検索をしないわけじゃない。出来たら楽に適当に自分にとって面白い作品を探したいんだ。検索とランキングには大きな壁がある。今検索で実装されてるからと無視してるものをランキングに組み入れる事は重要。ランキングが複雑化しないか?そこで捨拾が必要になる。肥大化してしまうランキングを簡素化するために特定ジャンルの作品を目立たなくする様にすれば良い。
機能改善はこの程度にして、変化してるけど変化し無い。この矛盾は解き明かされた。特定の作品をずっと読むのに変化に敏感。なろう読者の多数派の特徴。本当に目的とする作品以外全く見ない。なのにすぐに飽きて次々と新しいと感じる作品を求める。この我侭自分勝手な読者に対応するために、変える部分は何か?こそが漫画アニメラノベの創る事の正体となる。
それは目先を変えてるだけじゃないのか?違う読めば分かる。過程が全く違う。結論だけ似てくるんだ。カタルシスの部分なのかもしれない。そこは常に変わらない。そこはワンパターンで良い。毎度毎度似た感情を喚起すれば良い。大事なのはその過程をクリエイトする事になる。やってる事は何十年同じじゃないか。ならそうなる。
最強主人公?こうやって書くから分からない。これはヒーロー者の系譜でもう何千年も変わってないクソベタ王道だ。じゃ何故これが奇妙に見えるのか?ご都合主義とリアリズムの揺れ動きにある。近代小説がさらされたリアリズムの波によって主人公をいじめるタイプの作品が主流になってしまったから。それ以前はヒーロータイプの作品も当たり前に共存していた。ただしリアリズムが主人公いじめ型の作品を生んだわけじゃない。ギリシャ悲劇など過去からそういったタイプの作品が面白さになってるのは普通にある。
山アリ谷ありの波乱万丈の人生を見る楽しみ。なろうにいると分からなくなるが、何故主人公をいじめるタイプがここまで流行ったか?ならここがポイント物語に起伏を創りやすいから。上げて落とすのが一番精神的に効くから。漫画アニメの歴史も子供向けヒーロー者から始まって、カウンター的に主人公いじめ型の作品が登場して大人も読書にも耐えうる作品とされる。
本当にそうか?私は疑ってるんだ。当時常識だった近代小説のフォーマットに沿ったから大人向けとされただけじゃないか?本質的にこんなものに大人向けも子供向けも無い。ご都合主義は物語の旨味だ。リアリズムはそれに対して全体を整える味そのものでしかない。うまみが無い料理などとなる。私達はずっとこの2つの間をぐりぐりと動かされてるだけだ。ほら何も変わってない。何故か?頭を使わない読者向けは自然とバリエーションが少なくなるのでパターン化されるからだ。主人公気持ち良い、苦しいを時代によって繰り返してるだけだ。やる事は何も過去から変わってない。
進化発展を楽しむ場所はそこには無い。これらを土台として描かれる他の発展こそが刺激となる部分になる。漫画物語は不自由によって選択の自由が持つわずらわしさを取り除く目的がある。この目的を無視して自由な作品を楽しみたいって読者の要望に安易にこたえてはならない。彼らはライト読者にとって敵だと思った方が良い。権利を奪い取る敵。彼らがささやく物語を楽しむ自由は自分の心地良い物語体験を減らす苦痛でしか無い。
じゃ文学を排除しろが目的なのか?なら住み分けろが目的となる。関わり合いたくない。良薬は口苦しだと本気で思ってるおためごかしのゴミの様な説教にはもううんざりだ。彼らをなろうから排除してはならない。住む場所を分けよう。だからライトノベルタグの創設を望んでいる。または逆にその他の小説としてそっちをタグで除外しても良い。一緒に住むべきだ。
その理由は自由な作品が影響与えるから?無い。漫画物語の進化はその他の小説には重要な部分じゃないから。例えばシリーズ物の探偵物も多分根本的にはライトノベルと変わらない。私がラノベ以外の大衆娯楽小説は根本的には文学よりラノベに近いと書いたのはこれになる。毎回根本は同じなんだわ。違いは舞台やヒロイン事件の内容など。言えば言うほどラノベやなろうファンタジーにそっくりじゃないか?だから漫画はアニメだけじゃなくて実写とも相性が良い作品に溢れている。進化発展する部分が違うんだわ。だから互いに交わる事は無い。
じゃ何故?完全に分離できるものじゃないから。分離される軸は読者が探すの面倒って目的のためが大きいから。作者側からするとそれにあわせて付加価値として探すためのタイプわけの作業が入る。これが負担なんだわ。だから作者側のために残さないといけないんだわ。描き分けるのではなくて、最後に読者のためにオマケをつけるようなものだと思う。本来編集がやる作業を作者がやる。読者のニーズに合わせた仕分け作業。だから最初から完全にサイトから排除しようというのは問題がある。
変化するものは具体的に何か?と言われると困る。感覚的に何も変わって無いと思わせるものが深い部分であると言うのがライト作品の特徴になる。これは詐欺ではない。なんだこれ装丁だけで内容同じじゃないか。それぐらい酷いものではない。読者がきちんと満足する変化を与える、だけど変わらない部分もある。この矛盾を満たすための苦肉の策なので、明確に言えるわけが無い。ただ構造としてはそういったものになってるのを知っていると同じ創る事を目的としたものでも全く違うと分かる。
何故娯楽作品は読者の視点に立てと言われるか?で自由さが最初から無いから。読者は基本想定外だ大好き。なら想定外とするには、読者がイメージする外で作るのが一番早い。頭を使う読者はこれを楽しんでくれる。頭を使わない読者はそんなもの求めてない。変化して欲しい部分と変化して欲しくない部分がしっかりしてる。深い部分ほど単純で王道で良いんだ。だからせいぜい主人公の描き方は2パターンになって、これを飽きて繰り返すだけの事でしか無いと書いてる。過去に何度もヒロイックファンタジーが流行した歴史を知らないのか?となる。最強主人公が新しい?漫画物語の短い歴史じゃ子供向けとは違うので洗練されてる。だが根本的には小説の歴史では前もあった事。流行の繰り返しに過ぎない。
読者に与える変化発展する部分で重要なものは何か?これを具体的に語るのは無理。比喩として野球と卓球じゃ全く描く過程が違うと書いた。これだけ違えば別の作品だ。そこにはスポコンものとしての一定のパターンがあったとしてもだ。漫画物語は枝葉が進化発展するってのがこれで少しは分かってもらえたのかもしれない。敢えてなろうにあわせて言うと異能を利用した物語の筋を発明する事がなろうの進化だといえなくも無い。何故なろうファンタジーが詐欺じゃないか?と言うときちんと創られたチート物は、異能が物語の筋にきちんと強く絡むから。それが下手だとそれは詐欺だと思って良い。目先変えただけのタイトル詐欺、あらすじ詐欺だ。
結論を述べると、漫画物語はシンプルなレッドオーシャンの戦いから絶対に逃れられない。漫画物語はブルーオーシャンに答えが無い。漫画物語は過当競争によってしか発展し無い。うんざりするような馬鹿な戦いから逃れようとするものは漫画物語の作者に相応しくない。限られたパターンの中でしか発展しないのだから。漫画物語でブルーオーシャンによって勝利するなら、その犠牲として読者が全く期待し無い膨大なゴミを生み出した結果に他ならない。
漫画だけ物語は不自由な創作である。