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黒角のディエイラ  作者: 若槻風亜
第2話
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第2話-2


 夜半、自室で本を読んでいたクラウドはノックの音で顔を上げる。軽い音に相手を予測しながら入室を許可すると、ひょこりとディエイラが顔を出した。ランプのオレンジが黒い角に鈍く輝かせる。


「クラウド、入るぞ」


 ディエイラが断り室内に入ると、クラウドは壁際の本棚の前に踏み台を寄せた。軽く礼を述べてそれを使うと、ディエイラは厚みのある本を取り出す。


「昨日の続きか?」


 覗きこみながらクラウドが尋ねる先では、ディエイラがページを流すようにめくっていた。


「ああ。クラウドの家にある本は面白いな。此の里にはない本ばかりだ」


 しおりが挟まれた目的のページに辿り着くと、ディエイラは先ほどまでクラウドが腰かけていた広めのソファに座る。しっかり開けられているスペースはクラウドのためのものだ。示された位置にクラウドは座りなおした。


「毎晩本を読みにくるのも資料本にばかり目を通しているのも慣れたが、たまには物語にも目を通してみたらどうだ? 私が子供の頃に読んでいた本も書庫にあるぞ?」


 勧めてみるが、本に目を落としたままのディエイラは言葉なく首を緩く振る。退屈なのだろうか、と思っていると、ディエイラ自身の口からその予想は否定された。


「物語も興味はある。ただ、まだ読む気にはなれないんだ。……物語には家族がいるし、仲間や、見ず知らずの人を救える姿は、眩しい」


 だから、まだ。呟いてディエイラは力ない笑みを浮かべる。クラウドの位置からでは彼女の頭しか見えないが、その雰囲気は察した。


「――そうか。まあ、自分のペースで読めばいい。時間はいくらでもある」


 下手に慰めない方がいいだろう。クラウドは自身の本に再び視線を落とす。その横顔を見上げたディエイラは、少しの間じっと彼を見つめ続け、ふっと先とは違う笑みを浮かべた。


「そうだな。その内、きっと――」


 それきりディエイラは口を閉ざす。それ以降、ふたりはこれといった会話もないままお互いの手元の本を読み耽った。彼らが集中を途切れさせたのはミッツアがディエイラを呼びに来た時だ。


「もうそんな時間か。夜は時が過ぎるのが早いな」


 名残惜しそうに文字を追い続けるディエイラは、読みながら本棚に近付く。台に上ってからも少しの間止まらなかったが、ミッツアに呼びかけられてようやくしおりをページに挟んだ。昨日読み始めた六百ページ越えの本はすでに終わりが近付いている。


「邪魔したなクラウド、また明日来させてもらう。おやすみ」

「ああ、おやすみ。良い夢を、ディエイラ」


 軽く手を振り合いまずディエイラが、続いてミッツアが丁寧な礼をして部屋を出て行った。


「そうだクラウド、頼みがあるのだが」


 消えたばかりの扉からディエイラがひょこりと顔を出す。どうしたのか問いかけてやると、彼女は真面目な表情でここに来てはじめて聞く言葉を口にした。


「試したいことがあるのだ。もしよければ、明日森に一緒に行ってもらえないだろうか? 出来れば夜が好ましいんだが――」

「別に構わないが――試したいこととは?」


 軽い疑問で問い返すと、ディエイラは少し視線を落として「ある術を」とだけぽつりと答える。その表情は、彼女が何かに思いを馳せている時に浮かべる辛そうなものだった。クラウドは目蓋を閉じると、一拍置き、再び視界に不安そうに答えを待つディエイラを捉える。


「分かった。明日の夕飯の後に森に出るとしよう」


 クラウドが微笑むと、ディエイラは安堵したように頬を緩めた。


「ありがとうクラウド、何をしたかったかは終わった後に必ず説明しよう」


 再度就寝の挨拶をし、ディエイラは廊下に戻る。扉が完全に閉まりきり音が遠ざかると、クラウドも本を閉じてサイドテーブルに置いた。


「……ディエイラが頼みごととは珍しい」


 何をしたいのかは分からないが、あの様子だと相当大事なことなのだろう。とはいえ、読書の約束も取り付けているので、そうそう長くかかる用事ではないと予測する。ちらりと視線を向ける先にはディエイラが片付けた本があった。その横数冊はすでに彼女が読破した別の本だ。


 こんな風にディエイラがクラウドの部屋を訪ねてくるようになったのは、確か引き取って一週間としない頃のこと。その日の昼に顔を合わせた彼女が青い顔をしており、理由を訊いたら眠れなかったと答えた。眠れぬ子供に何をしていいのか分からなかったクラウドは彼女が好きだと言った読書を勧めたのだ。結果、彼女は毎夜クラウドの部屋で読書をしてから寝る習慣がついた。ちなみにミッツアが迎えに来るようになったのは通い始め二日目からだ。初日に一晩中読んでいたことがばれて「体に良くない」と時間を決めた。


 その甲斐あってか、最近はディエイラの目にくまがあるのはこっそり本を読んで夜更かしした時だけになっている。そういう時は朝からミッツアに怒られているらしい。


 ソファから立ち上がり、クラウドはテラスに続く窓を開けて外に出た。夜のひんやりした空気が温まっていた体に心地よい。見上げた天には半月より少し太った月が浮かび、星が輝いている。


「少し散歩に行って来るか」


 純血の同族よりも日差しに強いとはいえ、やはり吸血鬼は吸血鬼。身に魔を宿す一族にはやはり夜の方が合っていた。さっと手を振ると、クラウドの周囲に蝙蝠が大量に出現する。一箇所に固まって飛ぶそれらに足を乗せると、クラウドの体はふわりと宙に浮いた。そのまま彼は屋敷から飛び出し、夜の中に消えて行く。


 その時の彼は気付いていなかった。森の中で息を潜め、その姿を見ている者がいたことに。


「あれが噂の吸血鬼か。面倒な奴の所に拾われたもんだぜ」


 しゃがれた声の中年の男が心底面倒そうに呟く。


「どうする? 今行くか?」


 若い声の男が勇んだ様子を見せるも、隣にいる壮年だがまだ若い女が「馬鹿ね」と留めた。


「トリスト、あんた屋敷中に張り巡らされてる結界が見えないの? 魔術だけじゃなくて、魔法とか他の系統の防御も張られてる。今行ったってこっちが捕まるだけだよ」


 こんなことも分からないなんて、とため息をつく女に、若い男――トリストは「そっか」と素直に納得してみせる。


「まあ、もう少し様子を見てみるとするか。おいアビゲイル、鬼族の封印具はちゃんと買えてんだろうな?」


 しゃがれの男が女に問いかけると、女――アビゲイルは頷いて答えた。


「なら吸血鬼用のも買って来ておけ。あっちも捕まえられたら金になりそうだ」


 命じられ、アビゲイルは「分かった」と答えた言下にその場から去っていく。


「俺は一旦アジトに帰る。トリスト、お前はもう少し見張ってな」

「分かったよ父ちゃん。……あいつら捕まえたらさ、そしたら俺たちさ――」


 何か言いかけたトリストだが、父に拳骨を落とされ口をつぐんだ。


「そういうのは言うんじゃねぇって言っただろうが。ちゃんと見張れよ」


 肩を怒らせ去って行く父に、トリストは伸びた返事をする。横に広めで自分より少し低い父の背が闇に消えると、トリストは吊りズボンの紐をいじりながら再びクラウド邸を見張りだした。



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