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黒角のディエイラ  作者: 若槻風亜
第2話
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第2話-1


 ディエイラを引き取ってから早くも一ヶ月以上が経過する。昼夜が逆転した生活をしていたクラウドは彼女に合わせ日中に行動し夜に眠るようになっていた。昼夜交代で仕事をしていた使用人たちも今は主の生活に合わせて昼のみの仕事となっている。昼に行動するクラウドにディエイラは疑問を抱いていたが、混血という事実は彼女を説得するのに実に役に立ってくれた。完全には信用していないかもしれないが、使用人たちにも言わないようにと命じてあるため彼女が真実を知ることはないはずだ。


 そんな彼女は好奇心こそ強いが同年代と比較すると圧倒的に落ち着きを持っているため、子供がやりそうな騒ぎを起こすことはなかった。しかし、ひとつだけ例外がある。それは――。


「クラウド様ぁぁ」


 足音高く薄暗いクラウドの書斎に駆け込んできたのはミッツアだ。半泣きの彼女が両手で守るように抱え込んでいるのは洗濯籠。洗濯済みのようでしっとりとしているのが見て分かった。またか、とクラウドは隣の執事――クーガルと顔を見合わせる。真実の目と呼ばれる人工物が埋め込まれた右目は無機質な反応だが、緑の左目はクラウドと同じ呆れと微笑ましさと複雑に混ぜていた。


「ディエイラ様を止めてください! いくらお止めしても聞いてくださらなくて……!」

「見つけたぞミッツア殿。さぁ、大人しく此にそれを渡すのだ」


 同じく駆け込んできたディエイラは意気揚々と両手をミッツアに差し出す。言葉だけ聞くとまるで追いはぎだが、このひと月の経験から察するに――。


「また手伝いをしているのか、ディエイラ?」


 問いかけると、ディエイラは牙を見せて頷いた。吸血時のクラウドほどではないがそれなりに長い彼女の牙のような犬歯は、口角が上がると簡単にその姿を表に出す。その表情にはすっかり年相応の明るさが定着していた。


 出会った時は痩せ細っていた彼女だが、満足な食事を取り駆け回る日々はその回復と成長を十分に助けているようだ。今のディエイラはふっくらと子供らしい体型になっている。


「うむ。しかしミッツア殿は頑なでな。他の使用人殿たちは手伝わせてくれるのだが、彼女だけは中々手伝わせてくれない」


 困ったものだ、という風にため息をつくディエイラ。察したミッツアは半泣きで「困ってるのはこっちですからね!」と叫んだ。何だかんだで仲の良い様子を見せる少女たちに、クラウドは軽く肩を揺らし、クーガルはふぉっふぉっと髭を揺らし笑う。


 この屋敷にいる使用人はクーガルとミッツアを含めた五人。その内四人がすでに彼女の唯一子供らしい我侭を――「手伝いたい」という欲求をそのままに受け入れていた。現在必死に抵抗しているのはミッツアだけである。もちろん、他の者も最初は主人であるクラウドが同等として迎えた彼女に手伝わせるのを避けていた。しかし、ある時彼女が不意にこぼした過去を聞いてからは「とんでもない」「申し訳ない」という感情を封印している。


『此は一族でも魔力は中の中。だが物覚えは良かったのでな。里の歴史の語り手として育てられていたのだ。だから、ほとんど外に出たことはないし、生活と里の運営に必要な動作と勉強以外したことがない』


 本人としては特に気にしていることではないらしく、そう言っていた時もあっけらかんとしていた。ただの昔話、というように。その後クラウドが彼女の我侭を聞け、と使用人たちに命令したことはない。彼らは自分の意思で彼女がようやく得た自由を尊重したのだ。


 ではミッツアがそうではないのか、というと、それは話が違う。使用人の中でディエイラを一番気にかけ遊んでいるのは彼女だし、ディエイラも彼女に懐いてよく近くにいた。ただ、まだ年若い上素直すぎる額の目のせいで前の職場を追い出されたミッツアには、自分の仕事を素直に明け渡すことが出来ないのだ。聡いディエイラはそれも分かっているだろう。お互いがお互いの事情を分かった上でのやり取り。であるなら、クラウドたちが止めるのも無粋だ。


「さて若様、先ほどの続きですが――」


 クーガルが会話を再開させたためクラウドもそちらに向き直る。扉の近くではミッツアがショックを受けたようにこちらを呼んでいた。その隙をつかれ、飛び上がったディエイラが洗濯籠を奪取する。すっかり体力が戻った今のディエイラの身体能力は、鬼族としての素質も助け十分高い。


「これは此が貰ったぞ!」

「ああっ、ディエイラ様ひどいです!」


 大声を出し合いながら少女たちは部屋から退散して行った。まるで嵐だ、とクラウドは笑いをこぼした。その様を見やるクーガルはにこにこと嬉しそうにしている。


「……何だ?」

「いえ? ただ最近若様に笑顔が増えたと思いまして。喜ばしいことです」


 言葉通り心底嬉しそうにするクーガルにクラウドは照れて口元を隠した。色々と体をいじっているが、人間であるこの執事はクラウドよりもずっと年下だ。にも関わらず、精神的には見た目通りの年齢差があるようである。寿命が違えば精神の成長具合も違う。いつか言われた言葉はまさにその通りだと思った。


「そ、それより先ほどの話だろう。……ディエイラを攫ったのが〝別世界〟の者の可能性が高いというのは間違いないのか?」


 少し低くなったクラウドの声音に混じるのは怒り。クーガルも笑みを抑えて神妙な顔で頷く。


「はい。最近この地域で人攫いが増えたらしく、警邏に捕らえられた者の話だと別世界の者が主犯だと」


 寿命相応の年の功と社交的な性格から、クーガルの人脈はクラウドの比ではない。その彼が得てきた情報が間違いであることは少ない。クラウドは思案顔で視線を落とした。


 クラウドたちが住まうこの世界は、創霊という高位の存在によって作られた「エスピリトゥ・ムンド」といい、唯一ある大陸は「エスピリトゥ・テレノ」という。世界と世界の間にたゆたう世界であるため、他の世界との往来も可能である。出て行く者も入って来る者も、正邪で拒まれることはないため、他世界との移動手段を持つ者が商品欲しさに踏み入ってくる可能性は十分にあった。


「……黒角の鬼族の里とこの地までは距離があるはずだが、ディエイラが森で倒れていたということはこの付近に来ていたのだろうな。まだいるかは分からないが、騎士団に連絡を入れておいてくれ。ひとまずディエイラのことは言わなくていい。誘拐された娘を保護すると乗り込んでこられても面倒だ」


 承知しました、と一礼し、クーガルは書斎から出て行く。ひとり残されたクラウドは本棚の横にある椅子に腰をかけた。深いため息が漏れ出る。領主でなければ騎士でもなく、まして警邏でも自警団でもない。クラウドに出来ることは今のところ情報を渡すだけだった。今までも問題があればそれで済ませてきている。――それが歯がゆいと思ったのははじめてだ。


 彼らが再びディエイラを狙うのなら容赦するつもりはない。平然としているが、今でもディエイラは茂みが揺れると怯えて近くにいる誰かの服を無意識に掴んでいる。時折ひとりになると何か置いてきたものを気にかけるように辛そうな顔をする。その様を見て心に怒りが湧かないほどムーンスティアの情は浅くない。


 しかしそう思いながら、クラウドはもうひとつ矛盾する思考に捕らわれていた。


「そやつらがいなければ、ディエイラは追い出されずに済んだ。だが、そやつらがいなければ、私たちが彼女に出会うことも、彼女が日差しの下で笑うこともなかった――」


 誘拐犯たちは許せない。それは間違いない感情である。だが、現状の楽しさを認めるが故、完全にその所業を憤慨することが出来ない自分がひどく情けなかった。


「誘拐犯の話を伝えられる者の存在を隠している時点で、褒められたものではないか……」


 クラウドは頭が回らないわけではない。彼は近隣の平和のためにディエイラの存在を騎士団に伝え、その知りうる情報を明け渡す必要があるのを十分に理解している。子供とはいえディエイラであれば自身が置かれた状況をしっかりと把握していたはずだ。そう考えると、彼女の持つ情報は大変重要だろう。しかし、それを行うつもりになれなかった。自身が嫌だ、という思いももちろんある。だがそれ以上に、そうすることで、ディエイラを二重に苦しめる可能性があるから。


 ディエイラがただの天涯孤独の少女であれば騎士団も考慮してくれただろう。だが、彼女は黒角の鬼族。ひとりいれば戦況が覆るとも言われる存在は、里に固まっているから見逃されてきた。それが外に出て、誰か個人の手元にいる。恐らく国は看過しない。ディエイラは十中八九国に引き取られることになるはずだ。


 そうなったら、国はまず誘拐犯たちのことを彼女に問うだろう。ディエイラはきっと拒まず、いつも通り平静に問われたことに答える。本当は内心怖くて仕方ないはずなのに、彼女は訪れることを受け入れるのだ。誘拐犯たちから逃げ出したのだって、クラウドが認識する彼女の性格からすれば奇跡に近い。


 そしてもうひとつは――これはただの自惚れかも知れないが、素直な笑顔で過ごせるこの屋敷から強制的に出され、またひとりになってしまえば彼女は再び寂しさに襲われる。もしかしたら今度こそ笑えなくなってしまうかもしれない。そんな未来は彼女に相応しくないはずだ。


 クラウドは衣装かけにかけていたマントを羽織り、フードをつけて廊下に出た。少し歩いた先にある窓際に立って外を眺める。視界の先にあるのは中庭で、そこではディエイラと、観念したのかミッツアが一緒に洗濯物を干していた。物干し竿に向けて顔を上げたディエイラはその先にいるクラウドに気付き笑顔で手を振ってくる。クラウドは微笑み、それに手を振り返した。


 そう、暗い未来は相応しくないはずだ。あんなにも、太陽の光が似合う娘なのだから。



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