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終話


 ディエイラの自由が確定してから二週間が経過した。残っていたナリステアたちは帰るべき場所に帰り、クラウドの予想よりは若干長かったが、二日ほど前にリンダとヴェーチルもまた家を離れている。一気に静かになったクラウド邸の居間ではクラウドが騎士団から送られてきた報告書を朗読していた。


「――である。……以上だ」


 全てを読み終わってからクラウドは目の前にある足の短い机の上に報告書を置く。それを手に取ると、隣の椅子に座っていたディエイラは少し不満げな顔をしながらページをめくった。


「たった三年、五年の刑期で元の世界に戻される、か」

「釈然としないよねー」


 口にしなかった思いを代弁する言葉にディエイラは素直に頷く。その傍らのクラウドは苦笑を浮かべた。


「仕方ない。そなたたちにしてみたら面白くないだろうし、これは言い方も悪いが、あれらが行っていたのは〝誘拐だけ〟だ。娘の方はザナベザを操っていた痕跡が見つかったので長くはなっているが、それでも結果として殺したのは奴隷商人たちだけ。公にはしないが、国も手を焼いていた一団だ。褒賞の意味も兼ねてこの刑期なのだろう。それに、迷い人が騙されて悪事に手を染めたとあれば、情状酌量が入るのはある意味当然のことだろうな」


 騎士団に引き取られたドーロ一家曰く、彼らは元の世界で何の前触れもなく現れた「穴」に引き込まれてこの世界に来たらしい。これはこの世界だけの現象ではないのだが、他世界とつながる性質を持つ世界は別の世界との境界線が時にあやふやになる。そしてあやふやになった境界線に開く穴は「時空の穴」や「時空のひずみ」と呼ばれ、そこから迷い込むものは「迷い人」あるいは「迷いもの」と呼ばれる。


 エスピリトゥ・ムンドは他世界と非常につながりやすい性質を持つため、昔から迷い込むものが多かった。その対応をするべく国の公的機関に彼ら専用の施設がある。そこに相談さえすれば、おそらくドーロ一家はこちらに迷い込んで一週間としない内に帰れたはずだ。


 だが、ドーロ一家が最初に出会ったのはあの奴隷商人たち。この周辺の奴隷商人の元締めだったという老人に協力することを、他の方法を知らなかったとはいえ、選んでしまった。胸に抱いてしまった後ろ暗さが、彼らが公的機関から離れて活動していた理由だったかもしれない。


「……まあ、どうしても帰りたいという思いは、分かるがな」


 報告書を軽く投げ捨てるように机に置き、ディエイラは俯いた目に複雑な色を湛える。


「何? やっぱりおうち帰りたくなっちゃった?」


 からかいの色を大いに含む問いかけはあまりに心外だったらしい。顔を上げたディエイラは即座に否定した。


「それはない! 此が自らここに残ることを選んだのだ。此の家はここ以外ない」


 きっぱりと言い切る少女を見下ろし、クラウドは思わずといった様子で笑みをこぼして彼女の頭を撫でる。ディエイラも満更ではなさそうに目を細めた。周囲は注ぐ視線に微笑ましさやからかいを混ぜてそれを見守る。


 フリッツにより届けられた国からの書状を、クラウドは落ち着いてからしっかり読んだ。そこには成熟した戦士たちと少女一人を天秤にかけ、国は戦士たちを取ったことがそのまま記されていた。そして、クラウドたちに課せられた条件も。


 曰く、クラウドにはディエイラの監督義務を、ムーンスティア本家にはクラウドの監督義務を与える。ディエイラが悪事に力を使うことがあればクラウドが、クラウドが悪事にディエイラの力を使うことがあればムーンスティア本家が、それぞれディエイラとクラウドを始末するように、と。そのようなことはあるまいと、ディエイラもクラウドも、素直にその契約を受け入れている。


「ところで、ずっと気になっていたのだが」


 クラウドの手が頭からどかされるのと同時に、ディエイラは先ほどから会話を続けている正面の相手に改めて視線を向けた。


「ファラムンド殿は何故まだいるのだ?」


 視線の先にいるのは出された茶を啜っている爬虫人の青年。ファラムンドはへらりと軽く笑う。


「俺捕まる前からふらふら歩き回ってたから急いで帰る必要ないし? 旦那も許してくれたから、どうせならいい暮らし味わってこうかな~と思って。あとミッちゃんともっと一緒にいたいし?」

「きゃあっ!」


 茶を入れ直すために近くに来たミッツアの腰に手を回し、ファラムンドは彼女を自分の元まで引き寄せた。腹に顔を埋められる形となったミッツアは顔を真っ赤にさせ、ぷるぷると身を震わせる。


「~~っ、いきなり抱きつかないでください! ティーポットも持ってるのに危ないでしょう! お茶かけますよ!?」


 片手でファラムンドの肩口を押して必死に逃れようとするが、面白がっているファラムンドの手は緩まない。使用人の意地で取り落とさずに片手で保持しているティーポットをぶちまけないのは彼女の最後の良心だ。しかしその良心が崩れかけてきているのを見て取って、クラウドとディエイラはほとんど同時に声をかける。


「「ファラムンド殿、無理やりは良くない」」


 さらりとした注意だがファラムンドも「へーい」と軽く返してミッツアを放した。解放されたミッツアは悪びれない青年を睨みつけてから、クラウドとディエイラに頭を下げて部屋の隅に戻る。ファラムンドは空の器を脇に寄せてそんな彼女にひらひらと手を振った。赤い顔のままおとがいをそらすミッツアをちらりと見てから、クラウドとディエイラは視線だけを合わせる。


 ファラムンドがミッツアに興味を持っている、というのはクラウドたちだけでなくすでにいないナリステアたちも分かっていたことだった。待機期間中から彼はことあるごとにミッツアに声をかけており、今もそれは続いている。使用人を全員大切にしているクラウドは、ミッツアが迷惑しているようならば彼を追い出すのに抵抗はなかった。しかしファラムンドは未だにここにいる。それは、口や態度では彼を拒否しているが、ミッツアの正直すぎる額の目が彼を追いかけているから。ファラムンドがこうも積極的なのも彼の性格だけではなく彼女の視線に後押しされているためだろう。度が過ぎれば注意もするが、それ以上に野暮なことをするつもりは今の所クラウドにもディエイラにもクーガルたちにもない。


「ま、でも確かにそろそろまた旅に出るのもいいかもね~」


 大きく伸びをしたファラムンドが軽く言うと、ミッツアが思わずといった様子で「え」と声を漏らす。すぐに口を塞ぐが、時すでに遅し。一番聞かれたくない相手はご機嫌な様子で彼女に視線を向けた。


「ミッちゃんも一緒に行く?」

「行きません! わ、私はクラウド様たちのお世話があるんですから。遊ぶ暇なんかないんです」

「前から言っているが、休みなら自由に取ってくれて構わないぞ?」


 ミッツアは複眼族であり括りはウォルテンスだが、その寿命は普通の人間と変わらない。短い人生なのだからこの家に捉われず自由にすべきだとクラウドは考えている。クーガルをはじめとした使用人たちには同じことを何度も伝えているし、実際クーガルとミッツア以外は必要な時休んでいた。クーガルは休みを与えても結局屋敷にいてしまうし、無理やり外に出しても仕事に関することをして帰ってくるので最早諦めている。残すはミッツアだけなのだが、彼女も前の職場のトラウマか仕事から離れようとしない。冗談でないのならば、ファラムンドの誘いかけはありがたいものだ。


 ショックを受けたように名を呼んでくるミッツアを宥めるべく向けた手を動かしていると、ファラムンドが不意に「あ」と声をこぼした。見やればそこにはいいことを思いついたと言いたげな笑みがひとつ。


「旦那とちびっ子も一緒に行けばいいんじゃん? 旦那の力使えばどこでもひとっ飛びだし、ちびっ子も色んな所見られて楽しいんじゃないの? 折角いい力あるんだから引きこもってるだけじゃ勿体無いよ」


 どう? とファラムンドが首を傾げて問いかける。クラウドは視線を彼から隣の少女に向けた。ディエイラの視線はファラムンドに注がれていたが、興奮気味の彼女が見ているのは恐らくもっと先。痛い思いをしたというのに、外の世界への好奇心は衰えないらしい。それだけ本気だからだろう。


 クラウドはふっと相好を崩した。ファラムンドともう一度目を合わせると、まるで答えが分かっているかのように肩を竦められる。読まれやすい自身の単純さに少し気恥ずかしさを覚えながら、クラウドも彼に向かって肩を竦めた。


「それもいいな。私も三〇〇余年見知った場所にしかいかなかったから、楽しそうだ」


 選んで敢えて口にしたはずの言葉。それなのに、それはクラウド自身の胸に不思議なほどすんなり沁み込んだ。いつぶりか胸に灯る好奇心の火が少しくすぐったい気もしたが、悪い気はしない。


 軽く胸を押さえると、その腕をディエイラが両手で掴んできた。ぐいと近付く赤の双眸には抑え切れない喜びが輝いている。


「本当かクラウド!? 本当に外に行くのか? 一緒に?」


 弾んだ声が紡がれるたび彼女の期待と希望がクラウドに注がれた。クラウドはその胸躍る感覚に耐え切れず頬を緩めて笑みをこぼす。


「ああ。ナリステア殿やジルヴェスター殿にも会えるといいのだが……もちろん、行くのだろう?」

「行く!」


 問いかけなど無意味。そう伝わるようなほどはっきりとした返答は最早心地よさすらあった。更に笑みを深くして、クラウドははしゃぐディエイラの頭をくしゃりと撫でる。




 その後、各地では風の精霊の力を使う吸血鬼と黒角の少女のふたり組が度々目撃されるようになった。時に他の者たちを連れていることもあるが、旅先の揉め事を解決したり、逆に騒動を起こしたりする姿の多くはふたりで語られている。


 彼らに今度は何があったのか。この世界に溢れる物語のひとつを問いかける人々に最も多く答えたのは、何故か風の精霊たちだったことも、人々には良い語り草であった。



当方の作品群でよく使う世界観「エスピリトゥ・ムンド」を舞台としたお話でした。

本当はもう少し短いはずだったのですが、気が付いたらあれこれと長くなっておりました。全てはドーロ一家を喋らせたことから始まる……。


これで一旦この二人のお話はおしまいです。

続きはあるとしたら短編でちょろっと~ぐらいを考えてます。


それでは、最後までお付き合いいただきました皆様、

誠にありがとうございました。



2016/08/17 


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