第1話-2
白髪白髭の執事から少女が目覚めたことを知らされたのは家についてから三時間ほど経った頃だった。少女の一族の文献について本家に問い合わせていたクラウドは、相手に別れの挨拶をしてから通信水晶への魔力供給を止める。
さして広くない建物のため、一八〇センチを超える身長に合ったコンパスのクラウドが大股で歩くと、すぐに目的の部屋に辿り着けた。ノックをして扉の前で待つと、中で待機していた使用人の女性――少女の境目ほどの年頃だ――が扉を開け中に招いてくれる。薄茶色の長い前髪と後ろ髪とリボンでひとつにまとめている三つ目の女性は、感情がよく出る額の瞳がきょろきょろとしていた。彼女にかの少女を預けた時から変わらないが、先ほどよりは落ち着いているようだ。忙しなさが減っている。女性に軽く片手を挙げて労いながら、クラウドは室内に入った。
そうして、目が合ったのは赤い双眸。痩せた体にも哀れを誘う身につけた物にも似合わない、真っ直ぐに注がれる強い眼差しには気高さすら感じる。いつか一族の本家の女性が身に着けていた宝石がふと頭をよぎった。
「其がクラウド殿か?」
少女が口を開く。紡がれた言葉は存外に落ち着いており、見た目と年齢が合っていないのではないかとクラウドは思考の端で考えた。
「ああ。気分はどうだ?」
少し遠い位置で立ち止まったクラウドの問いかけに、少女は「問題ない」と答え、言下にベッドから起き出す。まだ起きるなと止める間も無く、少女は床に両膝をつき、何かを捧げるように両手を挙げて頭を下げた。彼女の一族の礼の姿勢なのかもしれない。
「此をお救いいただき感謝いたす。此の名はディエイラ。家名は里に置いてきましたゆえご容赦召されよ」
喋るたびに見た目との差異に苦しんでしまう。クラウドは「気にするな」と返し、彼女に近付くと挨拶もそこそこに両脇から持ち上げベッドに戻した。冷静だった少女――ディエイラは目をぱちくりとさせている。今の対応はそれほど心外だったのだろうか、とクラウドは首を傾げた。
「失礼、ディエイラ殿はおいくつだ? 見たところ十にも満たぬように見えるが……」
「間違っておりませぬ。此は齢八だ」
見た目と年は合っているようだ。――そう考えると、一層中身への違和感が強くなるわけだが。
「クラウド殿?」
今度はディエイラが首を傾げる。彼女にとってはおかしいものではないのだろう。クラウドは違和感を何とか頭の端に追いやり、ベッドに腰かけた。真正面に水色の双眸と赤い双眸が相対する。
「失礼、何でもない。……ではディエイラ殿、いくつか訊きたいのだが――」
少し低くなった声音にディエイラの背筋が自然と伸びた。どこか緊張感を帯びた表情は、それでも怯えを映さない。ここでクラウドははじめてこの年と駆け離れた落ち着きが会話を成立させやすいことに気付いた。逆にありがたかったな、と思いながら、クラウドは指で彼女の腕を差す。
「まず、その両手足の枷と首輪は外してしまっていいかね? それと風呂と着替え、食事を提供しても? 一応カロの花の蜜を飲ませたが、鬼族は大体どの種族も食事で魔力を回復すると記憶している」
カロの花は蜜に魔力を貯める花で、魔食虫たちの主食だ。他の生き物も飲めば魔力の回復に役に立つ。だが、魔食虫に食い荒らされた魔力はそれだけで回復はしないだろう。まして、鬼族はほとんどが主に肉を食して血肉に変えると同時に魔力に還元している。花の蜜では間食程度にしか役に立たない。
それ以外の内容は単にクラウドの自己満足なのだが、問われたディエイラは呆気に取られた様子で固まっていた。
「駄目か?」
問い直すと、正気を取り戻したディエイラは「とんでもない」と首を振る。
「お申し出ありがたく受けさせていただく。特に、この枷と首輪は此には毒だ」
ディエイラが自分で見るために持ち上げた手を、クラウドはすかさず取った。そして彼女が何をと問うより早く、伸ばした爪に魔力を帯びさせて切り落とす。裏側に刻まれているのは対鬼の封魔の刻印だ。〝彼女の一族〟でも、基本的には封じ方は同じらしい。
クラウドは同じ要領で残りの三肢の枷を落とし、首輪も同じように落とした。途端に、目の前の少女から徐々に溢れていた魔力が波となって叩きつけられる。抑えていたものが溢れたのだろう。無意識だったようで、瞬時にディエイラの顔は青ざめ小さな体がふらついた。
その身を支え、クラウドは使用人の女性を振り返る。魔力に当てられたのか転んでいた使用人は慌てて立ち上がり、置いていたカロの花の蜜を主に差し出した。クラウドはそれを受け取るとディエイラにそっと飲ませる。
何度か喉を鳴らしてから、ディエイラは器から口を離し、申し訳なさそうに眉を寄せた。
「……何度も申し訳ない」
「気にするな。少し休んだら風呂に行って来るといい。服と食事はその間に用意させておく」
ベッドから立ち上がると、クラウドはまた後でと残して部屋から出て行く。その背を見送りながら、ディエイラが自身の額にある小さな黒い角を触ったことに彼は気付かない。