第8話-3
事情聴取が終わったため、その日の内に捕らわれていた者たちの帰還許可が出された。時間も時間であったため、その翌日からクラウド邸に留まっていた者たちは順次帰り始める。誰もがクラウドに感謝を、ディエイラに激励を伝えていた。皆ふたりが心配であったのだが、彼らも誘拐された身。早く帰り無事を知らせたい者たちがいる。クラウドたちもそれを分かっているので笑顔で彼らを見送った。なお、送迎は騎士団が名乗り出たので彼らに任せている。唯一の例外は風使いの少女だろう。彼女はたっての希望でヴェーチルに送ってもらっていた。本来なら断っていただろうが、家にいると決めてから雑用で出かけることを唯一の楽しみとしているヴェーチルにはありがたい話だったようだ。……母が嫉妬で二日も黙り込んでしまった弊害つきだが。
そして事情聴取の日から一週間目の朝を迎えたこの日、未だにクラウド邸にいるのはナリステア、ファラムンド、ジルヴェスターの三人だった。ナリステアとファラムンドは急がないからと、ジルヴェスターは帰りたいけど気になるからと、クラウドたちの結末を見届けるべく滞在を続けている。
「今日で一週間かー。意外に国でも揉めてるのかな?」
「どうやって拘束するか考えてるんじゃないの?」
カレンダー機能も備えているという懐中時計を見やってジルヴェスターが口に出すと、ミッツアに茶を注いでもらったついでにちょっかいをかけていたファラムンドがさらりと返した。その内容が内容のためミッツアに怒られるが、へらへらと笑って受け流す。
「旦那。いざって時はあたしを雇いな。ディエイラの護衛くらいいくらでもやるからね」
そういう彼女の膝の上には当のディエイラがいる。尻尾をモフるため自ら乗ってきたのだ。最近不安なのかこうしてナリステアの尻尾にうずまりに来ることが増えた。
「ありがとうナリステア殿。その際は報酬を弾もう」
昼食後の談話室とは思えないほどその空気はどこか重苦しい。かといって、誰も空気を明るくしようという試みはしない。する気になれない、と言った方が正しいだろうか。
いつも通りミッツアが入れる茶を飲み特に何をするでもない時間が刻々と過ぎていく。事態が変わったのは時計の針が緩く過ぎる時間の終わりを告げようとした直前だ。知らせを持って来たのは寄り添いあったヴェーチルとリンダ。
「クラウド~、この間の騎士隊長?さん、家の近くまで来てるわよ~」
「今日は少人数だね。五人ぐらいで、随分馬を飛ばして来てるね~」
進展がないと言った直後の進展。一瞬で室内に緊張が走る中、相変わらず我関せずな夫婦は「伝えたからね~」とその場から離れてしまう。クラウドはソファから立ち上がった。
「皆はここに。ミッツア、クーガルに騎士たちが来たことを伝えて来てくれ。私は玄関で出迎える。応接室に通すので準備を」
言うが早いかクラウドはすぐさま部屋から出て行く。遅れてミッツアも部屋から出ると、残された面々は顔を見合わせ、すぐさま応接室の隣の部屋に向かった。
そんなことも露知らずクラウドは玄関を開け放つ。この日の日差しは強烈で、日よけと魔力のガードがあっても厳しい。仕方なくクラウドはひさしの下で足を止めた。それから少しもしないうちに馬の早駆けの音が聞こえてくる。更に少し待つと、両親の情報通りフリッツが四騎の部下を引き連れやって来た。門を入ってくると、フリッツは玄関先で馬を乗り捨てる。馬の手綱は後ろの部下がすぐに取った。あまりの焦りぶりにクラウドは眉をひそめる。
「フリッツ殿、そんなに急いでどうし――」
「何をしたのですか?」
勢い込んで尋ねられるが、心当たりがまるでないクラウドは返答に窮した。その様を見て冷静になったのか、深い呼吸をしたフリッツは軽く頭を振る。
「……いえ、失礼しました。結論が出ましたのでお話させていただきます。申し訳ないが以前と同じ土の厩を作っていただけますか?」
よく分からないが、すぐに分かるはずだとクラウドは抱いた疑問を脇に置いた。承知した、と返答すると同時に以前作ったものより小振りで屋根の幅が広い檻を作る。馬を留め終わった騎士たちを、クラウドは応接室に通した。そのタイミングでミッツアが冷たい茶を出しに来たので、彼女が退室するのを待ってフリッツは話を始める。
「まずは結論から」
言いながら、フリッツは腰の袋から質の良い作りの筒を取り出した。クラウドがそれに視線を向けていると、中から書状が取り出され、フリッツがそれを上下に開く。長く文字が書かれているため即座に内容を把握することは出来なかったが、書状の頭にある紋章は月桂樹の葉をモチーフにしたもの。――この国の王のみが使用することを許された王の紋章だ。心臓がばくばくと鳴り始める。読み進めたいのに落ち着かなくて文字が頭に入ってこなかった。しかしその内容はフリッツによって口にされる。
「『黒角の娘ディエイラは、クラウド・B・ムーンスティアの養子となることを前提に、その自由を認めることとする』」
反射のようにクラウドの両目が見開かれた。隣の部屋で何か動く気配がしたので騎士たちが気にした様子を見せるが、誰も見に行こうとはしない。恐らく誰がいるのか分かっているのだろう。
「……認め……る? 国が、ディエイラの自由を……?」
自らの耳で聞いた事が理解出来ないでいるクラウドに、フリッツは丸めて筒に戻した書状を渡した。クラウドは反射のようにそれを受け取り信じられない様子で見下ろす。フリッツは咳払いをひとつし、内容の補足を行う。
「書状に書かれているが、陛下はとある取引をされてディエイラ殿の自由を認められた。私個人としてはやはり認めがたいが、国が決めた以上は従うし、可能な限り協力しよう」
諦めたように、しかし友好的にフリッツは微笑んだ。それに有り難さも感じるが、クラウドは別のことが気になった。
「その、陛下がした取引とは?」
恐らくその内容も書状に書かれているが、とても今の状態では書状の中身を理解出来る気がしない。フリッツもクラウドが戸惑っていることに気付いているようで、嫌な顔もせずに問いに答える。そしてその内容に、クラウドと隣の部屋で聞いていたディエイラは驚愕し、同時にクラウドは何故フリッツが来た時「何をしたのか」と訊いてきた理由を理解した。
「黒角の一族が、国最大の有事の際は協力すると申し出てきました。その代わり、ディエイラ殿を自由にするように、と」
黒角の一族が――。クラウドは言葉を失う。ディエイラ曰く彼らは里が無事なら外部のことなど気にしないという考えらしい。その黒角の鬼族が彼らにとっては「外部」の扱いである国に限定的とはいえ協力すると宣言した。
頭がようやく情報に追いつき処理を終わらせる。途端に、クラウドは全身の力を抜いて椅子にもたれかかった。
「……そうか――そうか――!」
心底安堵したような笑みをこぼすクラウドに、フリッツも肩を竦めながら苦笑する。
「それでは我々はこれで。何かあれば必ず頼ってください。あなた方のためにも、民のためにも」
立ち上がったフリッツが机の上から手を差し出してきた。同じく立ち上がったクラウドはその手を握り返す。
「ああ、ありがとうフリッツ殿。恩に着る」
少しの間お互いの手を握り合ってから、どちらからともなく力を緩める。完全に離れると、フリッツは手で合図を送り部下たちを外に出し、自分も外に出た。
クラウドの案内で一同は玄関に向かい、順に檻に入って自分の馬を引き連れて出てくる。全員が出ると同時に土の檻は役目を終えて元の土に還った。ひさしの下でクラウドとフリッツが改めて相対する。
「それではこれにてお暇させていただきます。ああ、ドーロ一家についての報告書をまた後日提出させていただきます。失礼」
挨拶を返しながらクラウドは更なる手間に謝罪と謝意を伝えた。フリッツは馬上から笑って頷くと部下に号令をかけ転身する。
「フリッツ殿!」
門に向かって駒を進めるフリッツに突然二階から声がかけられた。馬を止めて見上げれば、窓からディエイラが身を乗り出している。
「先日は失礼した。それと今日は報せをありがとう!」
今でもあの日の彼の発言を思いだすと正直腹が立った。けれど、それとこれとは話が別だとディエイラは判断している。素直に伝えたディエイラに、フリッツは笑みを浮かべて手を振り返した。再び進みだす一同を、今度は誰も止めずに見送る。
騎士たちの姿が完全に見えなくなってからクラウドは建物内に入った。すると、二階からディエイラが駆け下りてくる。その後ろからは安堵した様子のナリステアたちがゆっくり降りてきた。
ディエイラはクラウドに近付くと力いっぱい飛びつく。それをしっかり抱きとめると、腕の中でディエイラが強張った表情をしてすがり付いてきた。
「クラウド……書状を見せて貰えるか?」
書状を持つ手に小さな手が近付いて来たので、すぐにそれを渡してやる。ディエイラは筒から紙を取り出すとすぐにそれに目を通した。何度か目を行き来させたディエイラが不意に止まる。
「……父上……」
ぼそりと呟かれた言葉は寄り添われたままのクラウドにも追いついたナリステアたちの耳にも届いた。
「ちびっ子の親父さんがどうしたの?」
ファラムンドが手紙を覗き込みながら尋ねる。問われたディエイラが指差すのは文章の半ばにある人の名前。
「先の条件の申し出主は、此の実の父だったらしい。……今更、何だというのだろう。今更、こんな……」
震える手が今にも手紙を握り潰しそうなのでファラムンドがさっとそれを引き取り自分で読み始めた。ジルヴェスターも隣からそれを覗き込む。ナリステアは少々呆れた顔で彼らを見ていた。
「ディエイラ」
小刻みに震えているディエイラをクラウドは腕で包み込んだ。
「そなたが実の親に愛されていたのだと知って安心したよ。これは、掟のため見送るしか出来なかった父君から送られた餞別と受け取るべきだ。……堪えるな。素直に喜ぶといい」
ぽん、と優しく肩を叩くと、ディエイラの双眸にはじわりと涙が浮かび、次第に表情は崩れていく。溢れてきた嗚咽は、ほんの少しの間で泣き声へと変わった。声を払って泣く彼女を、クラウドは慈しみを持って抱き締め続ける。




