第8話-2
騎士に連れられ応接室に入ると、やけに多い騎士たちに迎えられる。しかし相対すべきは正面に座るフリッツだけのようだ。クラウドは室内に入ると同時に勧められた席に着いた。
「お待たせして申し訳ないクラウド殿」
「いや、人数が多かったからな。フリッツ殿もお疲れだろう」
「大丈夫です、仕事ですので」
ふっと笑ってフリッツが首を振る。そうか、とクラウドが軽く笑い返してから本題は始まった。
「では改めて。お名前と種族を」
「クラウド・B・ムーンスティア。風の精霊と混血の吸血鬼だ」
「それは珍しい……あなたの精霊術で帰ってきたとの話があったのでおかしいと思っていたのですが、それなら納得です」
魔力特化の生き物は人間でもウォルテンスでも精霊術は使用出来ない。自身の中の魔力を還元する魔術と精霊の力を借り受ける精霊術では、系統も考え方も扱い方も違いすぎるため、使用しようにも出来ないのだ。もちろんクラウドも本来の意味での精霊術は使えない。風の大剣の召喚などを彼が使えるのは、言ってしまえば「父や知り合いが手を貸す」という縁故による荒業であり、正式には術とは呼べない類のものである。事実、ヴェーチルと交流のない風の精霊は彼に力を貸さない。そのため、魔力の塊である吸血鬼のクラウドが風の精霊の本質を引き継げたことは奇跡に近かった。
「では続きを。あなたは何故あの建物に行ったのですか?」
「攫われたディエイラを助けに」
「我らや自警団などに応援を頼まなかった理由は?」
「時間がなかった。消えかけた痕跡を追わなければならなかったので、焦っていたのだ」
「あの場で何をしていましたか?」
「最初は侵入を。ちょうどディエイラたちも脱出していたので地下室に入ってすぐに合流した。その後は外に出たのだが、敵が放ったザナベザたちに襲われたので交戦になった。その後何とか退け、帰還した」
「ディエイラ殿と契約をしているようだが、その内容と時期は?」
フリッツの目の色が変わる。どうやらディエイラを見て本題がこちらに逸れてしまったらしい。仕方ないことだ、と内心で納得を示しながら、クラウドはしっかりフリッツの目を見返した。
「内容は私がディエイラに隷属するものとディエイラが私の眷属となるものだ。ザナベザ戦の際、ドーロ一家が使用した何らかのアイテムのせいでディエイラの術が反射され、それをまともに受けて死にかけた。その時、ディエイラが私に血を飲ませたのだ」
隷属化と眷属化の仕組みについては割愛したが、フリッツは難しい顔で頷いている。唸るように「そうですか」と返された。気の弱い者が聞いたら地雷を踏んだかと怯えさせるに十分な対応だ。
「使用人の方に聞くと、ディエイラ殿はふた月ほど前からこの屋敷にいるとのことですが、何故我々に報告が来なかったのでしょう? 調べたところ、あなたはこれまで、それこそ私が生まれる前から近辺に危険なことがあったら必ず騎士団に一報入れていてくださっているのに」
遺憾極まりないといった様子で、咎めるような視線を向けられる。だがクラウドは即座に首を振った。
「それについては申し訳ない。そなたらにディエイラのことを黙っているよう命じたのは間違いなく私の意思だ。そなたらに報告すれば間違いなく連れて行かれるのは分かっていたのでな。……だが、狭い部屋で本と向き合うことしか出来なかった娘がようやく手に入れた自由なのだ。守ってやりたいと思った。使用人たちとも仲良くしているし、笑顔でいられる場所に居させてやりたかった」
思い出される彼女と過ごした日々。日の光の下で明るく笑い駆け回り、夜は見たこともない本に目を輝かせていた彼女の幸福な日々は、クラウドにとって守って然るべきものなのである。
「しかし」
「それと」
言い募ろうとするフリッツをクラウドは少し大きな声で留めた。目には抑えきれない不快が映っている。
「私は『危険なこと』は確かにそなたらに伝えさせているが、何故それとディエイラが関係ある? 彼女の何が危険だと仰るか?」
険しい眼差しを向けられても、フリッツは目を逸らさないし言葉を誤魔化しもしなかった。
「クラウド殿、分かっているはずだ。いや、魔力の結晶たる吸血鬼であるあなたは分かっていなくてはいけないはずだ。黒角を持つ者は余すことなく危険な存在だと。彼らの持つ魔力とそれによって放たれる術は並みの騎士団なら一瞬で壊滅出来るほどのもの。そんなものを放置しておくべきではない。里による保護がないのであれば、国の然るべき保護を受け、悪しき者から遠ざけるべきなのだ。クラウド殿、あなたは今回の件で身をもって知ったのではないですか? あなたではあの黒角の娘は守れない。あの娘は、いや黒角の一族は、自由になればなるほど悪人を引き寄せ民を危険に巻き込む。そんな危険な存在を――」
「黙られよ、フリッツ殿」
徐々に熱を込もっていく弁をふるっていたフリッツは凍りつくような声と殺気に反射のように口を閉ざす。その反対に燃え滾るような怒りを灯す目は、経験を積んだ歴戦の騎士たるフリッツの本能が逃げ出すことを訴えるほど凄絶さを醸していた。だが、本能に勝るプライドが、彼を奮い立たせる。
「黙りません。私には義務がある。民を守るという義務が。何の確証もなく守るべき民の安全を妨げる種を見過ごすことは、私が剣を置くことと同義だ」
負けじと意思を群青の瞳に燃やすフリッツと相対し、しばし沈黙を返したクラウドは短い溜め息と共に自身の眉根を揉んだ。
「……失礼。気が立ちすぎた。そなたの言いたいことは分かる。守るべき相手のために奮闘するそなたの姿勢は感服に値する。だが、私にとってそれはディエイラだ。そう物や魔獣のように扱われると非常に不快だ」
クラウドが努めて冷静であろうとしているため、殺気が消えた隙に息を整えたフリッツは同じく冷静を努めて頭を下げる。
「こちらこそ失礼しました。一個人ということを失念していたのは私の失態です。どうぞご容赦を。――しかし、彼女に十分な守りがないと危険なのは申し上げた通りだ。そのことについてはどうか理解していただきたい。たとえ国の保護になっても閉じ込めることはしないし、あなた方も可能な限り会いに来られるよう最大限打診いたします」
真摯に注がれる視線を正面から受け止め、クラウドは考えるように視界の向きを上に変えた。室内を灯す照明用の魔法具の輝きをしばし見つめてから、改めてフリッツと目を合わせる。
「断る」
きっぱりと告げられた一言にフリッツは理解出来ないものを見るような目をクラウドに向けてきた。だがクラウドは彼がそうした理由がよく分かるので何も不快には思わなかった。もしも逆の立場なら、実際理解出来ない。これだけ現実に起こり得る危険を語られ、それを理解していながら断るなど、正気の沙汰ではないと思うはずだ。
しかし彼にとって残念なことに、クラウドは全くの正気である。
「ディエイラが望まないのであれば私は彼女を保護し続ける。私が弱いというのならば強くなればいい。彼女にも護衛をつけよう。他にも必要であればそれを行う。私は、あの娘の不幸は望まない」
言い切るとクラウドは口を閉ざした。何か反論があれば聞き、その上でこちらも反論するつもりでいる。理屈の通らない感情論で説得出来るとは思っていないが、彼女をむざむざ手放すつもりはなかった。
しかし、待てどもフリッツは次の言葉を発さない。何故、とクラウドが思考を巡らせ始めてから、彼は深い深い溜め息をついて目元を手で覆う。
「……ディエイラ殿にも言いましたが、これ以上は平行線のようだ。今日はこの辺りにしましょう。この件は国に報告しておきます。後の処遇はまた後日。どうぞ、皆様の元へ」
聞き分けのない子供を相手にしている気分なのだろうか、フリッツの声はすっかり疲れ切っている。最悪はこの世界を出る必要すらあるなと思考を巡らせながらクラウドは退室を告げ扉に向かった。
「クラウド殿」
背後から呼びかけられる。騎士の一人が開けてくれた扉から出ようとしたクラウドは半身を外に出した状態で振り返った。フリッツの視線はやはり真っ直ぐに向かってきている。
「最後にお伺いしたい。あなたにとってディエイラ殿は何ですか?」
短いながらも重大な質問。クラウドはふっと微笑んだ。その途端に胸から鎖が現れ、胸の奥に魔法陣が輝く。
「我が愛し子。我が妹。我が主。我が眷族。我が魂に最も結ばれた存在。……私が、最も幸せに生きることを望む者だ」
言下クラウドは部屋から出て行く。残されたフリッツは組んだ手に頭を押し付け沈黙し、同室に残る騎士たちは物言えぬ空気に耐えその場で直立を貫いた。
クラウドが二階の広間に入ると、すぐにディエイラが抱きついてくる。彼女の不安が契約を通して伝わってきたので、クラウドは彼女を抱き締め返してやった。引き離される可能性のあるクラウドとディエイラを見て、ミッツアをはじめとした室内の者たちは同情や哀れみ、騎士への怒りなど様々な感情を抱く。
そんな彼らを取り巻く事態が僅か一週間後に一気に変わることになるなど、この時誰が予想出来ただろうか。




