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黒角のディエイラ  作者: 若槻風亜
第7話
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第7話-2


「後日、自警団に……騎士団かもしれんが、とにかくあれらの事情を聞きに行くつもりだ。もしかしたら処分に関しては不満が残るかもしれないが――」


 許してやれ、とは言えない。言うつもりもないのだが、続ける言葉が見つけられない自分にクラウドは内心でため息をつく。あれほど憎らしいと思っていたはずの誘拐の実行犯たち。しかし、彼らを取り巻いたのであろう状況を思うと、憎しみがどこかからさらさらと崩れて行く気がした。息子を庇って負傷したのだというゴルヴァ、家族の負傷に怒りを爆発させたのであろうアビゲイル、自分のために負傷した父を思って涙を流し、助けてくれた相手に礼を言ったトリスト。彼らが行ったことは悪行だが、彼らは普通の家族で、普通の人間だ。彼らがこの世界に来た時に出会ったのがあの奴隷商人たちでなければ、きっと彼らの今もクラウドたちの今もまた違ったのだろう。それが良いか悪いかの判断はクラウドには未だに出来ていない。


「……ああ」


 沈黙に落としたクラウドの迷いを拾い上げたのかそれとも別の意味で捉えたのか、ディエイラは短く返事をする。再び沈黙が落ちると、ディエイラは顔を上げてクラウドを見上げてきた。その顔に貼り付けられた笑顔にクラウドは僅かに訝しみを抱く。


「ご両親と仲直り出来たのだな。此が出て行った後に喧嘩になったと聞いたからびっくりしたのだぞ。これからは一緒にいられるのだろう?」

「本人たちはいる気になっているが、期待はしていない。どうせ一週間もしたらいなくなっているだろうよ」


 肩を竦めて溜め息を吐き出した。これは反発ではなく純粋な確信だ。思い出してみれば彼らの放浪癖は昔からである。家にいようと思っても恐らく外に出たい気持ちは抑えられないだろう。だが、責める気はもうない。はじめて自分だけで風の精霊の『本質』を使った時、クラウドですら「留まりたくない」、「次の場所へ」と異常なほどの欲求が湧き上がってきた。あれが生来であるならば、父はこの場には留まれない。むしろ、幼い頃よくあれだけ長いこと家にいられたのだと逆に感心する。母は留まることを本能で嫌う風の精霊が望んで得た楔なだけあって、性質がそれに似ているのだろう。彼女も一所に留まることは無理のはずだ。


「好きに飛び回り、好きに帰ってくればいいさ」


 不思議なほどすんなりとその言葉は出てきた。父を、そして母を多少なりとも理解出来たためだろう。


「そうか。……うん、その言葉はきっとご両親も喜ばれるだろう」


 数度小さく頷くと、ディエイラはまた黙り込む。次の言葉は思いのほか早く口にされたが、そのどれもが特別意味を持つものではなかった。今日は大変だった、料理が美味しかった、皆が楽しそうで良かった。そんなことを途切れ途切れに話しかけてきては、クラウドが返事をする。その繰り返しが何度か続いた後、ついに話すことが無くなったのか、ディエイラは次の話題を探すように視線を動かして意味のない言葉を繰り返した。クラウドはその彼女の顔を覗き込む。


「ディエイラ、無理に話そうとしなくていい。無言が耐え難いのなら本を読んでいてもいいし、何か話して欲しいなら話す。何か言いたいなら遠慮しないでいい。動物と触れ合いたいなら狼たちを庭に呼ぶ。暴れるのはまずいが、叫びたいぐらいなら空に連れて行くぞ?」


 先の契約時にはお互いの干渉力が強まったせいか言わずとも心が知れた。だが、今は通常状態に落ち着いている。残念極まりないが、今のクラウドには彼女の望みが分からないのだ。いくつかの方向から気遣いを見せると、ディエイラは貼り付けていた笑みを剥がして立ち上がった。その動きを目で追っていると、彼女はクラウドの目の前で立ち止まる。赤い眼差しは床に向いているため、座っていても水色の視線と相対することはない。


 少しの沈黙の後、ディエイラは控えめに両手をクラウドに差し出してきた。


「………………抱っこ」


 ぼそりと呟かれた要求は年相応、もしくはそれよりも幼い子供のよう。しかし、あからさまに不慣れな調子な上に、甘える顔でなければ照れたそれでもない。まるで悪夢を見た後に誰かのぬくもりを求めるような表情だ。


 クラウドは微笑み、ねだるディエイラの脇の下に手を差し入れる。そのまま抱き上げると、自身の膝の上に彼女を置いた。途端に、少女はクラウドの胸に顔を埋めて強く抱き締めてくる。少々力加減を間違っているが、魔力が上がり耐久値も上がったクラウドには普通の子供の強めな抱擁程度だった。


 そういえば、と思考が巡る。ひと月以上共に過ごしたが、クラウドがこんな風に彼女を抱き上げたのはこれがはじめてだ。もう少し言うと、彼女に触れるのは彼女と出会った日以来だった。これは特に意識していたわけではない。長年ひとりで過ごしていたため、クラウドの人と触れ合うという感覚が欠如していることが原因だ。まして彼にとって関わりある子供とは一族の子供たちであり、自分から構うことを要求してくる存在。クラウドから何かしてやる必要がなかった。


 子供とはこうも違うものか。そう思いながらも、クラウドはディエイラを抱き締め返して背中を軽く叩いてやる。これは一族の子供たちをあやす時に覚えてものだ。喧嘩をして癇癪を起こし暴れていた子供たちを宥めるのに借り出されたのは今となってはいい思い出だろう。


 記憶に浸っていると、腕の中の現実に嗚咽が混じり始めた。


「……すまない、すまないクラウド、すまない……っ。此は、そなたを救いたかっただけなのだ。そなたの魂を縛り付けるようなこと、本当はしたくなかったのだ……っ。全ては黒角であることを驕りつけ上がった此が悪い。だから、責めは受ける。咎は負おう。だが、どうか……どうか此を、嫌わないでくれ――っ!」


 何度も何度も声を絞り出すように謝るディエイラ。彼女の涙で胸元が濡れて行く。苦笑すると、クラウドは赤子にするように体を揺すった。


「そう謝るなディエイラ、そこまで大したことではない。それに、私とてそなたを眷属化してしまっている。謝るのなら私こそだろう。――すまないな」


 言葉と共に、クラウドとディエイラの間につながれた鎖がぼんやりと浮かび上がる。


 口にすると心に重くのしかかる事実。黒角の鬼族も寿命は長いはずだが、確実に長く生きるのはクラウドだ。そうすると、長くてもクラウドの彼女への隷属は彼女の生がある間となる。一方、ディエイラはそれこそクラウドの寿命が短いかそれを迎えるまでに不幸がなければ一生クラウドの眷属だ。眷属化は契約前であれば拒めるが、契約が成った以上魔力の多少は関わりない。結果として見ると、損をしているのはどちらかと言えばディエイラの方だろう。


「そんなことはない! 元々此が悪いのだ! クラウドが謝ることなど何もない!!」


 涙に濡れたままの顔を勢いよく跳ね上げ、ディエイラはクラウドの服の胸の辺りを両手で握り締めた。少々驚いたクラウドだが、必死な眼差しを注ぐディエイラに優しく微笑みかけると、彼女の頬を軽く撫でる。同時に身の内の奥、物体では表せない場所が熱くなった。心の片隅に浮かんだのは隷属の魔法陣。


「そう泣くな、我が愛し子。頼れる眷属と敬愛すべき主を同時に得ただけだ。その上に魔力は上がり、捨てかけた命もこの手に留まっている。いいこと尽くめではないか。そなたを嫌う理由がまるでない」


 心から思っていることを口にすれば、視線の先のディエイラは軽く目を見開き呆けた様子を見せた。心に不意にわきあがった驚きと、追って湧いた喜びがクラウドではなく彼女のものであるなら、恐らく彼女にもクラウドの思いが通じていることだろう。


「……其は、此の父か?」

「そのつもりでいた」


 妻もいない身で、とクーガル辺りに聞かれたら呆れられそうな気もするが、そう思っていたのは事実である。


 ディエイラは今度は顔を横に向けた状態でクラウドの胸に頭を寄せた。


「――どちらかというと、穏やかでおおらかだが少し間の抜けた兄のように感じていた」

「はは、私もそなたをしっかりしているが頑固者の妹のように思うことが多々あるな」


 くすりと微笑むと、ディエイラは頭を押し付ける力を少し強くする。


「……此の父はこうも優しくなかった。教えられたのは里に関することだけで、撫でてくれたことも抱きしめてくれたこともない。褒めてもらったのも、里が襲撃を受けた時敵を撃退した時くらいだ」


 なんと辛いことを。クラウドは眉を寄せてディエイラを見下ろす。すると、急にディエイラが顔を上げた。そこにあるのは、過日の日常の中で彼女が見せていたものと同じ――いや、それ以上に幸せそうな笑み。


「優しい父と頼れる従者と敬える主か。此も良いこと尽くめだ」


 鎖と魔法陣がささやかだが柔らかで温かな光を放って沁み込むように消えて行く。お互いに向けられた優しい感情に、クラウドとディエイラは自然と笑い合った。その笑みのまま、ディエイラは再度クラウドにもたれかかる。クラウドは何も言わず、ただ先ほどと同じように彼女の背中をぽんぽんと優しく叩いた。


 ほどなくして、腕の中でディエイラが寝息を立て始め、その傍らでクラウドも船を漕ぎ出す。彼がクーガルに小声で起こされたのはそれから時間が経った深夜。寝ているディエイラを彼女の部屋に送り届け、クラウドも自室に戻った。夜を生きる身とはいえ、さすがに疲れがたまっている。この日は翌日の夕方まで一度も目を覚ますことなく眠りについた。



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