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黒角のディエイラ  作者: 若槻風亜
第6話
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第6話-4


 意識の浮上を感じたクラウドは、同時に自分の身の内に起こりつつある変化に気付いた。過去三〇〇年一度も感じたことのないほど強かった痛みは少しずつ引いて行く。理由を探る思考が動き出したところで、視線が真正面に座り込むディエイラの濡れた双眸とぶつかった。ずっと正面にいたらしい彼女を、クラウドはこの時ようやく認識する。


 口の中でその名を紡ごうとしたクラウドは、自身が彼女の腕に噛み付いていることに気付き慌てて顎の力を緩めた。回復を求める今のクラウドには甘美過ぎる魔力に、一瞬意志と反して体が吸血を止めることを拒んだ。それでも何とか牙を引くと、痛みがあるだろうディエイラは悲鳴も上げず腕を引き俯いてしまう。


 正気を失う直前よりもはっきりと、しかしまだ掠れた声でディエイラの名を呼んだ。しかし返ってきたのは、しゃくり上げながら何度も告げられる謝罪の言葉。


「……大丈夫だ、大丈夫だから、泣くな、ディエイラ……」


 クラウドは力が抜けるに任せて首を前に傾けた。いつも後ろでひとつにまとめていた紫がかった黒い髪の先がディエイラの頬にかかる。それに導かれたように、ディエイラは顔を上げた。宝石のようだと思っていた双眸は、涙に濡れさらに輝きを増したように思える。そうと口に出来ないのは、彼女が自責の念で今にも壊れそうだから。そして、回復を感じつつも未だにそれほどの余裕がクラウド自身にないから。


「すまない、許してくれクラウド。誇り高き吸血鬼の魂を穢す此の蛮行を、どうか許してくれ――っ」


 ぼろぼろと大粒の涙と共にディエイラは許しを請い続ける。自身に何ひとつ責任のない追放すら冷静に受け入れた少女が、今はじめて自分を取り巻く状況に抵抗を示した。それを嬉しいと思ってしまうクラウドの感情を、彼女は知らない。


「……泣くな、ディエイラ……」


 もう一度呟き、クラウドは目を瞑る。自身に訪れた〝その時〟は、思ったよりも気分の悪いものではなかった。


 ふたつの事象が並行して訪れる。ひとつはクラウドの真下、彼を中心に回転するように現れた光る魔法陣。もうひとつはクラウドの胸から出現しディエイラの胸へと伸びた何本もの鎖。クラウドとディエイラは、お互いの魂と存在が二種の契約で結ばれたことを自覚した。


 魔法陣は、ディエイラの血に含まれる魔力の強さに負けたクラウドの隷属化の契約。鎖は、クラウドの吸血により縛られたディエイラの眷属化の契約だ。互いの信頼関係がなければ即座に破綻するはずの隷属化はクラウドたちの間で途切れるはずがなく、魔力が上であれば抗えるはずの眷属化はディエイラが望んでいるために果たされた。


 クラウドの中で魔力が膨れ上がる。爆発するように身の内から溢れたそれは一瞬で壊れた肉体を魔力に還元し再構築した。服も含めて完全に再生が終了すると、その煽りで魔力が圧となり強風を巻き起こす。


 吹き荒れる風の中、いつの間にか立ち上がっていたクラウドが目を開けた。見上げた先にあるのは青い空。フードがないが、魔力が彼の周りに渦巻き自然と結界を張っているため苦しさはない。


 不意に服を引かれる。同時に引かれたように視線を落とすと、ディエイラがまだ涙に濡れている目で見上げてきていた。何か言いたげに口を動かしているが言葉にはならない。だが二重の契約で結ばれたせいか、彼女の言いたいことが不思議なほど察せる。クラウドは微笑み、その頬を優しく撫でてやる。


「大丈夫だ、ディエイラ。残りを片付けて私たちの家に帰ろう? 話はそこでゆっくりすればいい。時間は十分あるのだから」


 クラウドにディエイラの戸惑いと自責と心苦しさが伝わるように、クラウドの慈しみと安堵もディエイラに伝わったようだ。ぎゅっと唇を引き伸ばすと、ディエイラは浮かんでいた涙を乱暴に拳で拭い、強い視線で頷いた。


「分かった」


 少し震えた声で、しかしディエイラははっきりと言い切る。クラウドの血で汚れてしまっている頭を軽く撫で、クラウドは脱出者たちに向かうザナベザたちに向き直った。腕を払うと、目の前に何匹もの蝙蝠が出現する。


 歩くように蝙蝠たちに乗ると、蝙蝠の足場はクラウドを空へと舞い上げた。その頃には風がやみ、ナリステアたちの視線が全て空のクラウドに向けられている。希望を込めて注がれる幾対もの眼差しの中、クラウドは片手を大地のザナベザたちに向けた。手の平の前に並ぶように現れたのは複数の黒い剣。伸ばした手を払えば、それを合図に生じた全ての剣がザナベザたちに降り注ぐ。一匹に少なくとも三本、多いと六本の剣が突き刺さり、残っていた魔獣たちはその一瞬で全てが沈黙した。


 流れた沈黙。破ったのは、助かったことを遅れて理解した地上の者たちだ。これ以上ないほど大きく歓声を上げる彼らを、クラウドは穏やかな視線で見つめる。


 喜びが溢れる中、背後で瓦礫を打ち付けたような音がした。即座に振り向くと、不機嫌そうなファラムンドが前に回した尻尾を壁に叩きつけている。庇われるように背後に立っているのはディエイラで、尻尾が当たるすれすれにいるのはナイフを持ったアビゲイルだ。


「はーいストップ。それ以上やるなら美人でも容赦しないけど?」


 軽口だが苛立ちが隠しきれない調子でファラムンドはアビゲイルを脅しかける。実はディエイラ同様、ファラムンドも彼女たちドーロ一家に騙され捕らえられたのだ。何度も何度も切り刻まれた怒りは抑えられるものではなかった。


 脅されたアビゲイルは、しかし怯むどころか挑むようにファラムンドを睨みつける。


「この化け物共っ、どうせこのまま帰れないなら一人でも多く殺して死んでやるっ!」


 叫ぶや否や、アビゲイルはナイフを振り回し、腰のポーチから取り出した小瓶を投げ付けた。それらはディエイラが出した障壁に阻まれ、彼女はあっさりとファラムンドに襟首を掴まれ地面に引き倒される。それでもなお暴れるアビゲイルに、ファラムンドは苛つきを募らせた。


「……もういいから殺しちゃおうか、何かマジで腹立ってきた」


 底冷えする声に本気を感じてナリステアが止めようと踏み出すが、それより先に下りてきたクラウドが彼を制する。有能な執事の情報は、やはり間違っていなかったようだ。


「少し待ってくれ。――そうか、そなたたちは迷い人か」


 迷い人、とは、名前の通り別世界から自分の意思に関わらず迷い込んできてしまった者たちの総称だ。だったら何だ、と睨みつけ噛み付いてくるアビゲイルから視線を外し、更に巡らせる。見れば、ゴルヴァが倒れこみぴくりともせず、その彼に縋っているトリストは小刻みに体を震わせていた。クラウドはそちらに歩み寄っていく。


「あたしの家族に近付くなっ!!」


 アビゲイルが一層暴れるが、ファラムンドが強く抑えるため動けない。その間にクラウドはゴルヴァとトリストのそばにやって来た。その横で膝を折ると、トリストが顔を上げる。その表情には最早戦意も敵意もない。子供のように情けなく泣き腫らした真っ赤な目を見てから、クラウドは倒れているゴルヴァに視線を向けた。聞こえてくるかすかな呼吸から、生と死の瀬戸際にあることが窺える。


「――この者たちも連れて行く」


 クラウドの宣言に全員が驚いたり不満を見せたりとそれぞれの反応をした。集まる視線をクラウドはぐるりと見返す。


「他の者が皆死に絶えたのだ、情報を持つ者を逃がすわけにも行くまい。とにかく帰るぞ。風使いの娘、準備を」


 指をくいと上げるとゆっくりとゴルヴァの体が浮き上がった。トリストが戸惑いながらそれに続く。ファラムンドが不満たらたらながらもどいたので、アビゲイルも一目散に駆けて来た。


「……礼は言わないよ」


 警戒するようにアビゲイルが言うと、クラウドは「望んでない」と短く返す。


 全員がひとつの場所に集まると、まず精霊術士の少女が周囲のマナを霊力に変換し始めた。その間にクラウドは魔力を多く注いで半人の姿にした蝙蝠を作り出し、それにこの惨状の報告を任せて飛び立たせる。じきに騎士団がやってくるだろう。クラウド邸の場所も一緒に言付けたので、そちらにも。面倒だが仕方がないだろう。流石にこの案件まで放置は出来ない。これだけ派手に魔力を散らしたので放っておいてもじきに見つかる。そうなった時に余計な悶着を避けるためにも、名乗っておく必要はあった。


 ややあって、少女が霊力の変換を終わらせ、それをクラウドに供給した。クラウドは自身の容量限界まで満ちた霊力を使用し、自らの屋敷へと舞い戻る。後に残ったのは多くの死体と血の臭い、そして吹き抜ける風に揺られる木々のささめきだけだった。



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