第6話-1
牢屋の近くまで向かったゴルヴァは、目的地の方面の騒がしさに十字路になっている場所で足を止めた。後ろについていた子供たちもそれに倣う。十字路の壁に取り付きながら、ゴルヴァはそっとそちらを覗きこんだ。そして、あまりにも面倒な状況を見て思わず舌打ちし身を翻す。
「と、父ちゃん? どうしたの?」
自分の脇を何も言わずに通り過ぎる父をトリストは慌てて追いかけた。彼の問いかけにゴルヴァは答えない。自身も目的地を覗き込んだアビゲイルは、整った顔を歪ませながら追いかけてきてその答えを代わりに口にする。
「最悪だね。捕まえた奴ら全員逃げ出してるよ」
「ええっ! ……とと」
驚きに声を張り上げかけたトリストは何とか自分で自分の口を押さえた。後ろをちらちらと見やる彼をアビゲイルは殴りつける。
「ちゃっちゃと歩きな。あたしらが捕まえた奴らばっかりなんだ。もし見つかったら殺されかねないよ」
苛ついた様子でアビゲイルが口にした内容を思い浮かべてしまったのか、トリストはさっと青ざめた。
「父さん、どうするのさ」
アビゲイルが黙々と前を歩くゴルヴァに声をかける。最初は無言だったゴルヴァだが、先ほど牢に向かう時曲がった角を逆に曲がった所でようやく口を開いた。
「数人だったらまた捕まえられたが、あの人数じゃあ無理だ。別の手で行く」
それだけ言うとゴルヴァは再び無言に戻ってしまう。トリストはまだ不安そうな顔をするが、姉に急かすように背中を押されたので素直にその後を追いかけた。途中何人かとすれ違うが、その誰もが警報の対象となった外や逃げ出した商品たちの対処で慌しくしており、ドーロ一家を見咎める者はいない。
「ここ……」
ゴルヴァが歩みを止めた部屋の扉を見上げてトリストは言葉を失う。ここは、この建物にやって来たその日に「近付くな」と言われた場所だ。ここには、人とは違う商品が囲われているから、と。
「父ちゃんここ入っていいのかよ――父ちゃん、姉ちゃん」
不安がるトリストなどお構いなしに、ゴルヴァとアビゲイルは重たげな扉を開いた。とは言っても、重たげではなく実際に重いようで姉の方は随分苦戦している。仕方なく、トリストは姉の後ろに立ち彼女の代わりに扉を押し開いた。
中は薄暗く、地下ということを抜きにしても湿った空気をしている。どことなく生臭さが混じっている気がするのは気のせいだろうか。トリストは目を細めじっと奥を観察した。次第に闇に慣れ始めた双眸は、奥に鉄格子があることに気付き、さらにその向こう側で何かが動いていることに気が付く。何か、と更に目を凝らした時、ぎょろりと何かが動き、目が合った。
「うわっ」
思わず飛びのいてトリストは憚ることなく悲鳴を上げる。人を呼びかねない大きな声にゴルヴァとアビゲイルは揃って彼を睨みつけた。しかし今は家族の怒りよりも部屋の奥にいる得体の知れない何かの方がトリストには恐ろしい。
「な、何がいるのあれ……?」
震える声でトリストが尋ねると、ゴルヴァはいつも通りの声音で答える。
「ザナベザ」
聞き慣れぬ単語。それは間違いない。しかし、名を聞いた瞬間トリストはぞわりと全身を粟立たせた。どうしようもない寒気と恐怖が歯をかき鳴らしてくる。思考がまとまらなくなってきたその時、強引に首を下げられ頭を姉に抱えられた。半身を微妙に曲げた姿勢でトリストは正気に戻る。
「……まったく、あんたは何で魔法は使えないし見えないのに悪影響だけはしっかり受けるんだかね」
「……いまのなに……」
姉を抱き締め返しトリストは泣きそうな声で問いかけた。彼は今のような感覚に覚えがないわけではない。アビゲイルの言う通り、トリストは魔法の才能がまるでないのに何故か「怖い」をはじめとした負の影響だけはよく受ける。恐らく今回もその類なのだろう。
「名前にはどんなものでも力がある。元々存在を固定する強力なものな上に、固定した瞬間存在が持つ力をそのまま引き継ぐからね。今あんたはザナベザって魔獣の名前が持つ禍々しさに当てられたんだよ」
魔獣という存在はこの世界に来てから聞いたことがある。そんなものを捕らえておくなんて、とトリストは深い呼吸を繰り返し息を整えてから姉を放した。泣きそうなほど心が荒ぶっているが、堪えられないほどではない。
「――ごめん、大丈夫。それで? 何すればいい?」
「ここのどこかにある支配の腕輪ってのを探すんだ。それがあればあの化け物共も操れる」
そんなこと出来るの? 驚きそう問うと、アビゲイルは奥の方を指差す。先ほどよりも暗闇に慣れた目は奥の魔獣の姿を少しずつ明確にしていった。
「腕輪だの足輪だのが付いてるの分かるね? そいつは服従の腕輪ってやつで、対になる支配の腕輪を使って命令すると必ず応じるようになるんだ」
目を凝らせば確かにザナベザ――たちは四肢のいずこかに輪っかをつけている。あれが「服従の腕輪」らしい。ゴルヴァが堂々とした足取りで暗い室内に入り、アビゲイルがトリストの背中を叩いて父の後を追いかけた。トリストは少々逡巡した後それに続く。
室内に入りきると入り口よりも生臭さが強くなった。先ほどは勘違いかとも思ったが、今はそうでもないことを理解している。これは、ザナベザたちの匂いだ。当の魔獣たちは獲物を観測するようにじっと鉄格子の向こうからぎょろりとした双眸を向けてきていた。それから無理やり目を逸らし、トリストは壁際の机を探り出す。
「あったぞ」
背後から低い父の声。振り向くと、父の手には片方に蓋の開いた小箱が、もう片方には腕輪が握られていた。ほっとした反面、トリストは今度は別のことが不安になる。
「と、父ちゃん、今更なんだけどさ、商品勝手に触って怒らんねぇかな?」
トリストが恐々と檻の中を見ながら父の服を引っ張る。ゴルヴァはそれを振り払って支配の腕輪をアビゲイルに渡した。
「いいんだよ、騙まし討ちして捕まえられたようなのが逃げ出してんだ。ここの連中だけじゃ捕まえられねぇだろ」
実際、ここに来るまでに何人も倒されたという報告が行き交っているのを聞いている。
「こいつらは発生しやすいタイプの魔獣らしいから、そう高くねぇだろう。その交渉は後でするから今は考えんじゃねぇ。おい、アビゲイル」
腕輪をはめ終わったアビゲイルが頷き、広い檻の前に立った。
「お前ら聞きな。今から檻から出す。あたしたち三人以外を黙らせな。いいね」
支配の腕輪が光り、応じて全ての服従の腕輪が光る。暗い中にぎゅうぎゅうに押し込められた魔獣たちが一体何匹いるのかゴルヴァ達には分からなかった。だが、檻を開けた瞬間一斉に飛び出した全てのザナベザを見て、自分たちの安全を知りつつも恐怖を覚えてしまったのは仕方ないことだろう。