第5話-3
生じさせた光球を前後左右に動かし、ディエイラは近付いてきた、もしくは自分から近付いた先のザナベザたちを次々に打ち倒して行く。もう少し広さがあるか味方が少なければ元々覚えている大掛かりな方の魔術を使っていたが、細かな調整が必要となる現状だとこちらの方が使いやすかった。倒した数が五を越えた辺りから、ディエイラはむしろ自分の意思で操作するこの魔術が楽しくなってくる。魔獣と聞いて少し警戒はしたが、どの爪も牙もディエイラには届かない。時々吐きかけてくる毒液も生じさせた不可視の障壁で防げていた。危険な状況だと分かりつつも、ディエイラは心のどこかでゲームのような感覚を抱き始める。
しかし、ディエイラは忘れていた。かつてクラウドが釘を差した言葉を。自分が、ただ魔力が強く要領がいいだけの、戦いのことなど何も知らない子供だ、ということを。
背後に動く気配を感じたディエイラは咄嗟に振り返り光球から光を放つ。突然のことで少し力が入ってしまったが、どうせ魔獣――と思ったその赤い双眸に映ったのは誘拐の実行犯の息子・トリストだった。人間を殺してしまう、と反射的に体が跳ね生じた光球が歪む。それとほぼ同時にディエイラはまた別のことに気が付いた。トリストの前で、放った魔力の光が停滞し渦巻いている。にやりとトリストが笑うと同時に、停滞していた光が跳ね返ってきた。防御を、と考える間も無く光が迫る。
不意にそれが遮られたのはその次の瞬間。目はつぶっていないが、突然横から吹いた強風と共にやって来た何かが、ディエイラに覆い被さったのだ。光線はその「何か」にぶつかったらしく、痛みより先にディエイラに襲い掛かってきたのは衝突の衝撃だ。その衝撃は凄まじく、「何か」はディエイラごと吹き飛ばされた。衝撃ゆえか、それとも「何か」が意図的に行ったのか、ディエイラたちは空中で回転する。その結果、「何か」は今度は壁に激突する。ディエイラの短い悲鳴に被さったのは聞き慣れた声の、聞き慣れぬ呻き声。同時に鼻がようやく認識したのは、鉄の臭いの奥にある、嗅ぎ慣れた匂い。
ざわりと全身に鳥肌を立てたディエイラは、反射のように自分と「何か」を包むように障壁を展開させる。それと同時に背後で障壁と鋭いものがぶつかる音がするが、今はそんなことに構ってはいられない。ディエイラはすぐに「何か」の腕の中から身を起こした。その動作すら痛みを与えてしまうのか、「何か」は――ぐったりとしたクラウドは声を漏らす。
「クラ……ウド……ッ」
言葉が続かない。見上げたクラウドは内臓が傷付いたのか口から血を吐いており、どの段階でそうなったのかは分からないが肩付近の骨が鋭角に割れ肉を突き破っている。ヴェーチルから渡されたという風の大剣が横に転がり、握っていたはずの手は力が入らないのかぴくりともしない。見れば、足もあらぬ方向に曲がっていた。ぽたりぽたりと降ってくる血がディエイラの灰色の髪を染めていく。
「だい……じょ……か……?」
このような状況だというのに、クラウドの口から出たのはディエイラの安否を問う言葉。
「此は大丈夫だ! そんなことよりクラウドが……! 何故、何故回復が間に合って――」
何故回復が間に合わないのか、取り乱して叫ぶように言いかけたディエイラの頭は急速に冷えた。冷静を通り越し、震えまで起こるほどに。彼女は自問する。彼はここにくるまでに、どれほどの無茶をした、と。
朝は食事の途中だった。その後、ここまで追ってきてくれた。土人形を陽動用に使ったと聞いた。何人も敵を倒している。この――この、真昼の太陽の下で。
ディエイラは両手を握り締めた。それはどれほどの無茶なのだ。風の精霊の半身のおかげで純血の者より耐性があるとはいえ、本来夜の住人である彼にとって雲が僅かに浮かぶ程度の晴天の日差しは毒にしかなりえないはずだ。
顔を上げたディエイラは自分が来たはずの方向に目を向ける。回復が使える者はどこにいる? ファラムンドは? 視線を巡らせてファラムンドの姿を見つけるが、それはすぐに、何故か先ほどよりも凶暴性を増しているザナベザたちに遮られてしまった。
誰かに助けを求めるように視線をさらに動かすが、誰も彼もが激しく暴れるザナベザたちに苦戦してこちらに気を向けられないでいる。動悸が徐々に激しくなっていく。呼吸が段々と荒くなっていく。ディエイラの一番誇るべき点である冷静さはその度になりを潜めていった。
「……此のせいだ、此の……」
カチカチとぶつかり合う歯の隙間から漏れるのは自責の言葉。青ざめていく顔には絶望が静かに浮かび始める。大人たちに手放しで褒められ続け、捨て切れなかった黒角を持つ者の自尊心がすっかりディエイラを調子に乗らせていたのだ。ディエイラが飛び出さなければ、クラウドはこんなことにはならなかった。自覚したためにディエイラは一層自分を責める。せめて彼を救う術を持っているならば良かったが、ディエイラは回復の術を覚えていない。
元々黒角の鬼族は力を求めてくる無法者を退けるために七つの頃から戦う術を教え込まれて行く。本来は回復や強化、防御の後方支援を覚え、それから戦術と共に攻撃を覚えていく。しかし、ディエイラが六歳の頃一族の里への強襲が続き、ひとりでも兵が欲しいという理由から彼女はすぐに攻撃を、次いで防御や強化・劣化を覚えさせられ前線で戦っていた。これが以前ディエイラがクラウドたちに語った「里の運営に必要な動作」であり、ディエイラの歳にそぐわぬ冷静さがもたらした弊害だ。
その後里は無事に平穏を取り戻した。ディエイラは前線での戦闘を経験したことを理由に同年代と同じ術を習うことはなく、また元の通り歴史の語り手としての勉強に追われることになった。一族の大人たちはもちろん気付いていたが、ディエイラの要領の良さと物覚えの早さを目の当たりにしたため思ってしまったのだ。「必要な時に教えればいいだろう」と。その結果、ディエイラは回復の術を覚えず今に至ってしまっている。
そのことでディエイラが許せないとしたら、それは里の大人たちではなくディエイラ自身だ。何故、自らの意思で覚えたいと言わなかったのか。そう言えばきっと教えてくれた。不要なことを聞けば怒られたが、一族のためになることを聞く時はいつもちゃんと教えてくれたのだから。
ディエイラは歯を噛み締め再びクラウドの青ざめた顔を見上げる。血の気がどんどんと引いていた。このままでは――。
不吉な想像をしてしまったディエイラは、それを追い出すように激しく頭を振る。そして、改めてどうしたらいいかを考えた。クラウドはこの世界に古くから存在する方の吸血鬼種であるため、肉体の損傷を回復させること自体は本来難しいことではない。魔力が自動的に足らない部分を作り出し再生させるからだ。今は、朝から無理をし通していたため魔力が足らない状態にある。自分の魔力を送れないものかと手にそっと触れて魔力を流してみるが、入れるそばから流れ出てしまう。怪我のせいで魔力の流れがどこかで分断されてしまったのか、多少の魔力では再度結ぶのは難しいだろう。しかもディエイラは元々魔力の受け渡しが得意なわけではない。
何か手はないのか、と更に考えたその時、頭に浮かんだ案にディエイラははっとした。ひとつ、まず間違いなく上手く行く方法がある。それを行えば彼は確実に回復するはずだ。だがその方法には同時に問題もあった。実行すれば、彼の命を助けるのと同時に彼の誇りを穢すことになる。
行っていいのか、と、ディエイラは俯き考えた。やるか、やらぬか。頭の中で二択がぐるぐると回る。その時、どこからか悲鳴が聞こえた。ミッツアの声だ。慌ててそちらに視線を向けると、雷が閃いたような光の真横でファラムンドが胸を切り裂かれた瞬間が目に入る。即座に回復し逆に犯人であるザナベザを尻尾で打ち倒したが、彼の顔もすっかり青ざめていた。以前聞いた話を思い出す。彼らの種族は、回復こそ早いが何の補給もなしに血が戻るわけではない、と。
見渡せば、恐らく先ほどの雷のような光の主であるジルヴェスターも腕を切られており片手が上がっていない。最前線で戦っているナリステアは鎧のおかげで怪我はなさそうだが、周囲の者たちを守って戦いづらそうにしている。
迷っている暇は、もうない。決意したディエイラは、それでも泣きそうな顔ですっかり意識の混濁したクラウドを見上げた。
「……すまない、クラウド……。だが此も――上手くいくかは分からぬが、其に捧げる覚悟はある」
言下、ディエイラは自身の左腕を切り裂き、血に溢れる部分をクラウドの口元に寄せる。途端に、反射のようにクラウドの牙が伸び、ディエイラの腕に噛み付いた。本来吸血時には魔力を浸透させ痛みを感じさせないというが、今は生きるために無意識に起こした行動のためかディエイラは鋭い痛みを感じる。それでも、悲鳴は一切噛み殺した。これは、ディエイラが負うべき痛みだから。
「……本当に、すまない、クラウド――」
もう一度謝るディエイラの目には、痛みではなく申し訳なさで涙が浮かんだ。