第5話-1
クラウドがこの地に辿り着いたのは数分前のことだ。彼が痕跡を辿り辿り着いたのは森の中だった。彼が住まう森よりも鬱蒼としており、人が行き来する痕跡はあるものの密やかな印象がある。
クラウドはずれていたフードを被り直し、不可視の術を自身にかけると慎重に辺りを見回した。探るべく探索術で意識を広げると、少し行った先にやけに気配が固まっていることに気付く。そちらに向かって行けば、この森の中にあるには違和感がある木材造りの建物が出てきた。入り口の前に置かれた机には談笑する客が数人いるが、どこかぴりぴりした空気が伝わる。恐らく見張りなのだろう。
クラウドは一度下がり、自らの手に噛み付いた。溢れる血を地面に二箇所滴らせる。それに術を注ぐと、地面がぼこぼこと盛り上がり、あっという間に土塊は仮面を被りフード付きのマントを羽織った人型になった。血の量を制限したため大人の男と見るには一回りは小さい作りだが、問題はないだろう。
「派手に暴れて来い」
命じると、土人形二体は自ら地面から両手剣を作り出し、それを握って飛び立つ。二体が表と裏に分かれて突撃をかけると、建物からはけたたましい音が聞こえてきた。頼んだぞ、と一言呟き、クラウドも裏手に向かって動き出す。
人間、ウォルテンス、機械、それ以外。建物からは土人形の対処をしようと多くの者が出てきた。その者たちが開けたままにした扉から堂々と入り込むと、クラウドは早足で建物の通路を歩く。幸い、大量の人間が慌しく行き来しているためクラウドの足音に気付く者はいない。
騒がしすぎではないか、と少々疑問に思いながら幅のある通路を歩いていくと、扉のない部屋に差し掛かる。壁際にはいくつか大きな箱が積まれていた。荷置き場か、と思ったクラウドは、しかし覚えのある魔力が近付いている事に気付きその部屋に足を踏み入れる。
「……地下か」
ありがたい。内心でそうひとりごち、クラウドは部屋を見回した。結果、三箇所に似たような魔力の受け皿を見つける。同時にそれに魔力を注ぐと、床が低く響く音を立てて開いた。流石にその音には気付かれ、何人かが部屋に駆け入ってくる。その内のひとりである人のシルエットを持つ猫頭のウォルテンスは魔力がそれなりにあるらしく、姿を消しているクラウドに気付いた。彼が武器を構えようとした直前クラウドは魔力を打ち出し彼を気絶させ、戸惑っている隙に残りも同様に気絶させる。彼らは普通の人間だったようだ。
その隙に床下に現れた傾斜の緩い階段を下がっていったクラウドは、階下に弓を構える者たちと、その彼らに狙われている一団を見つけた。一瞬どちらが敵か味方か判別がつかなかったが、その疑問はすぐに解消される。一番下にいる一団に、ディエイラとミッツアの姿を見つけたから。
「行け!」
放たれるまで間もない、と慌てたクラウドは少し大きな声で命じた。応じてクラウドから生じるように現れたのは大量の蝙蝠。彼らは敵たちの周りを邪魔するように飛び回る。その隙に、クラウドは不可視の術を解いた。
「待たせた。無事か、ディエイラ、ミッツア」
見つけた安堵と心身ともに傷付いていないだろうかという心配を込めて問いかけると、ディエイラとミッツアは揃って微笑んでくれる。ほっとして、クラウドも安堵の笑みを浮かべた。
「詳しく話したいが、まずはこいつらをどうにかしてからだ」
蝙蝠たちが徐々に払われて来たことに気付き、クラウドは自身の周りの光球を浮かび上がらせる。そして瞬く間もなく、その光球からは光の筋が放たれまず近場にいた数人を打ち倒した。
「おおっ、ビーム! ウォルテンスでも使えるんだね」
「ジルヴェスターさぁ、ちょっと状況考えなよ」
階下からやけにはしゃいだものと呆れたもの二種類の男の声が聞こえてくる。
「……こうか」
今度聞こえたのはディエイラの声。彼女に視線を向けると、その周囲にはクラウドが出しているものよりも大きな光球が浮かんでいた。探知は苦手なようだが、攻撃系は逆らしい。黒角の一族の才能たるや、と感心している間に、残りの敵はディエイラの光球で打ち倒される。
「おおっ、凄いねディエイラちゃん! 後でもう少し詳しく見せて」
「今覚えたのかい? たいしたもんだね」
「へぇ、やるじゃんちびっ子。でもそんなあっさり出来るんだったらもっと早く覚えておけってのー」
口々に見慣れぬ者たちがディエイラを褒め称える中、僅かとはいえ時間が出来たので、クラウドは階下に飛び降りた。受け止めるように足元に来た蝙蝠たちに乗ってディエイラたちの元へ向かい、床に着地する直前に蝙蝠を自分の中に戻す。
「無事で安心したディエイラ、ミッツア。……しかし、随分大所帯だな。他に捕まっていた者たちか?」
質問を肯定し、ディエイラは同じ牢にいたメンバーのみにクラウドを、また彼らのみをクラウドに紹介した。
「皆、こちらは吸血鬼のクラウド。此が世話になっている御仁だ。クラウド、こちらが獣人のナリステア殿。こちらが爬虫人のファラムンド殿。こちらが人間のジルヴェスター殿。彼らは此らと同じ牢にいた者たちで、ここまで逃げるのに協力してくれた」
ディエイラの紹介に合わせてクラウドたちは順に頭を下げたり手を挙げたりと相手に挨拶する。
「そうか。我が屋の者たちが大変世話になった。ここまで連れてきてくれたこと感謝する」
「そうだクラウド」
クラウドが丁寧に頭を下げた言下、ディエイラは思い出したようにファラムンドの腕を引っ張った。
「彼が、此が以前捕らわれていた時唯一気を遣ってくれた御仁だ。再会出来た」
嬉しそうにディエイラが言うと、ファラムンドは「やめろっての」とまたディエイラの頭をぱしりと叩く。ミッツアは怒るが、クラウドはかつての、そして今日のファラムンドの行動を思い自然と笑みを浮かべて彼に手を差し出した。
「ディエイラが助けたいと言っていたのはそなたのことか。ファラムンド殿、過日ディエイラを気遣ってくれたこと心より感謝する。そして今日は、彼らと共にディエイラとミッツアを無事に守ってくれたことに」
握手を求めて差し出されたクラウドの手をファラムンドは軽く目を見開いて見つめる。続けて彼が視線を向けたのは自分の腕を掴んだままのディエイラ。視線が合ったディエイラは目を輝かせて笑みを浮かべた。かつてこの地で見た諦念に塗れ前を向くことさえしなかった少女と同一人物とは思えないほど明るく希望に満ちた表情。ファラムンドは僅かな間を空け、くしゃりと表情を崩す。
「どーも」
短い返事と共にファラムンドはクラウドの手を握り返した。隣のディエイラは満足げに笑い、ミッツアとナリステアはその様を見て微笑を浮かべる。少しの間手を握り合ってから、どちらともなく手を離し、クラウドはすぐに話を現実に戻した。出来れば浸りたいところだが、状況はそれを許さない。
「今土人形を暴れさせているから敵は少々ながら分散されているが、恐らくこの建物にいる敵は多いだろう。全滅させるよりは逃げる方が現実的だが――」
ぐるりと周囲を見回し、クラウドは難しい顔をする。
「この人数を移動させられるほど霊力は残っていないな……」
ざっと数えたところで二十人は越えていた。クラウドには元々精霊術などを使用する時に必要な霊力が魔力の半分もない。術ではなくただの移動とはいえ、「本物」ではないクラウドは霊力を必要とする。そしてクラウドの霊力はせいぜい少数を往復で運ぶ程度のことしか出来ない。だが一時的とはいえ置いて行くには心苦しい。
クラウドの言葉が聞こえていた者たちが難しい顔をする中、ひとりの少女が手を上げながら人の間を縫ってくる。彼女は先の分かれ道でこちらの道を勧めた少女だ。
「あのっ、霊力で移動ってことは風の精霊術ですよね? それなら、私風の精霊術士です! 術はまだ上手くないですけど、マナの変換は得意ですから供給なら出来ます!」
マナ、というのは世界中に満ちる、霊力の源と言われるものの名称である。通常、霊力は周囲に溢れるマナを受動的に取り込み徐々に回復するものだ。その常識を外れるのが術士。彼らはマナを能動的に取り込み変換し、即時霊力にすることが可能なのだ。
「そうか。ならそなたがいればこの人数も運べそうだな」
正確に言うと術ではないのだが、マナが必要なのには変わりないので訂正は入れないでおく。
「話まとまったー? 昇降機改造してみたから怪我人全員ここに乗せて。元気な人は階段ダッシュだよ」
状況にそぐわぬほど明るい声音がする。声の主は昇降機の隣で手を振りながら立っていた。少しマントの下のシルエットが細くなったジルヴェスターだ。彼の言葉に従い見れば、昇降機を動かす大きなハンドルに見慣れぬ物体が接続されている。白に近い銀色で、所々に継ぎ目が浮かんでいた。大小の歯車がいくつか重なっており、かちりかちりと音を立てている。動かせば一気に巻き上げられるよ、と拳を握り力説する彼の足元には恐らく本来その役目をしていたであろう寸胴な魔法人形が転がっていた。邪魔だと判断され取り外されたのであろう。哀れな魔法人形と動かす瞬間を今か今かと待っているジルヴェスターを見比べていたクラウドの肩を、諦めて、とファラムンドが叩いた。
気を取り直し、走れる者は階段をのぼり、怪我人と体力の無い者は昇降機に乗り込む。一階へ辿り着くと、一同は集まってくる敵を払いのけながら外へと飛び出した。久しぶりに見る日の光に目が眩んだのか立ちすくむ者が続出する。クラウドもまたフードを被り直した。
少し深い呼吸を二度ほどしてから、もう一度深く息を吸う。その息を吐き出すように先を促そうとした言葉は、しかしその直前霧散した。木で出来た建物の壁を破壊して現れた異形たちと、それに対して上がった敵味方問わぬ悲鳴によって。