第4話-4
青い顔を跳ね上げたミッツアがふらつく足でディエイラに近付く。驚いているディエイラの前にしゃがみ込むと、彼女はディエイラの口元に残った血を自分のハンカチで拭い始めた。少し怒ったような全ての目は潤んでいるが真っ直ぐにディエイラを映している。
「ちょっと驚いただけです! ちょっとだけ! 謝る必要なんてないんです、近くにいるのが嫌なんて絶対絶対ありませんから!!」
言うが早いかミッツアの腕はディエイラを抱き締めた。本当に怖がっていない、気を遣っているわけでもないその様子に、ディエイラは目を細めて微笑み、ミッツアを抱き締め返した。
「……ありがとう、ミッツア殿」
「どういたしまして、ディエイラ様」
体を離し微笑み合うと、ディエイラは気付いたようにミッツアの手のハンカチを取る。一言謝ってから、不思議そうな顔をするミッツアの頬をそれで拭った。
「い――あれ、痛くない? あれ?」
一瞬痛みが走ったはずの頬をミッツアは手でさする。確かそこにはアビゲイルにつけられた傷があったはずなのに、今は指先に傷の感触はなくなっていた。手につくのは乾いた血だけだ。
「血を塗るんでも効果はあるよ~」
補足するようにファラムンドがピースサインを作って笑いかけてくる。なるほど、とミッツアはディエイラとファラムンドに頭を下げて礼を伝えた。
それに頷き返してから、ディエイラは気を取り直すように全員を見回す。
「お待たせして申し訳ない。さぁ、ここから脱出しよう」
「お前が仕切んなっての」
ぺしりとファラムンドがディエイラの頭を平手で叩いた。ミッツアが怒って噛み付く中、気にしないディエイラとナリステア、ジルヴェスターは次の行動を話し合い始める。
「とりあえず、まずは装備を回収しよう。話はそれからだ。戦わないで脱出が一番だろうけど、備えはしておくべきだろう」
「うんうん、僕の大事な機械たちが取られたままなんだ! 回収しないと」
「内部の情報など分からないからな、しらみつぶしに行くしかあるまい」
目下の目標を取り上げられた物の回収に設定し、一同はひとまず牢を出ることにした。
「ではここは此が」
張り切って魔力を放出しようとしたディエイラをナリステアが留める。
「他にも必要になる時があるだろうから温存しときな。黒角の一族の魔力は切り札になりえるんだから。それより、強化の術は使える? 弱くていいんだけど」
それもそうか、と頷き、ディエイラは返事代わりに肉体強化の魔術をナリステアにかけた。詳しく言うまでもなく自身の考えを察したその理解力にナリステアは「たいしたもんだ」と相好を崩す。
魔術の効果を噛み締めるように両手を開閉させたナリステアは改めて格子の前に立った。そして、目の前の並んだ二本を掴むと力を込めて左右に開く。途端に、まるで粘土で出来ているように鉄の格子がぐにゃりと変形し、横の格子は勢いよくぶつかった拍子に拳型に変形した。後ろで見ていたミッツアは言葉を無くし、ジルヴェスターは顔を輝かせ、ファラムンドはひゅうと口笛を吹く。
「驚いた。これが黒角の鬼族の魔力なんだね。もう少し力入れなくても余裕だったねこれは」
感心したようにナリステアは自身の両手を見下ろしていた。
「此は一族でも中の中程度しか魔力を持たぬ。もっと凄い者は山のようにいるぞ」
ディエイラのさらっとした補足にナリステアは苦笑して肩を竦める。
「さ。さっさと脱出しよう。姐さん匂いで辿れる?」
いの一番に檻の外に出ると、ファラムンドは左右を確認するように見回した。すると、突然跳躍して姿を消してしまう。
「ファラムンドさん!?」
驚いてミッツアが悲鳴のように呼びかけ、ナリステアが飛び出した。しかし、彼女はすぐに立ち止まる。
「見回りか。殺したの?」
恐ろしい確認にミッツアがディエイラに抱きついた。ディエイラはそれを慰めるようにぽんぽんと背中を叩いてやる。
「いんやー? どうせ犯罪者だし殺してもいいけど、ちびっ子とミッちゃんいるから気絶にしといた」
俺って優しー。軽口を叩くファラムンドに同じく廊下に出たジルヴェスターがそれを眺めながら自身を指差した。
「僕は気遣ってくれないの?」
尋ねられたファラムンドは笑顔を彼に向ける。
「自分を嬉々として改造する奴はいいんじゃないかな」
もっともな答えだ。ジルヴェスターは不満げだが、口に出さない女性陣はそう内心で頷いた。
ミッツアとディエイラも順に廊下に出ると、何やら左右の牢が騒がしい。ディエイラは左右を見回し、この場所が通路を挟んで片側に牢が六つ並び、もう片側は壁になっていることに気付く。今更だが、以前捕らわれていた場所とは少し違うらしい。以前の場所は丸い広場の壁際に牢が並んでいる仕組みだった。
「何事だ?」
ディエイラが右側の牢の前にいるナリステアに問いかける。ちなみにこちらは奥にもうひとつ牢があるだけで後は行き止まりだ。
「他の捕らえられている奴らだよ。自分たちも出せってさ」
「そこまで時間ないんだから俺は放置でいいと思うけどねー」
「でもそれは流石に可哀想じゃない? 僕らだって運良く牢から出られただけだし」
年長者三人が相談する中、ディエイラは牢の中にいる者たちと真正面に向き合う。牢には老若の男性が捕らわれているようで、先のディエイラたち同様首輪でつながれていた。入り口近くにいた犬の耳を持つ青髪の青年と鳥の頭と羽を持つ――恐らく壮年の――男性と目が合う。彼らはディエイラを見て一瞬「こんな小さな子供まで」という表情を浮かべ、次いで黒角を見つけたのか目を見開いた。直後、ディエイラは助けを求めるべき相手と判じたのか再び懇願を始める。
「頼む、ここから出してくれ!」
「僕たちも必ず役に立つ。それに、逃げる者が多い方が成功率は上がるはずだ」
「もう家に帰りたいんだよぉ。お願いだから出して」
「何でもする! 何でもするから俺たちも逃がしてくれ」
手前のふたりが声を上げると奥のふたりも合わせて頼み込んできた。一度瞑目したディエイラは、瞳に強い光を輝かせる。
「全員逃がそう。強化の術をかけるから、ファラムンド殿も手伝ってくれ。劣化の術も得意ではないが使えるから、金属も比較的すぐに外れるはずだ。中には道具がなくてもいける者もいるだろう」
決めるが早いかディエイラはファラムンドに術をかけ、ナリステアは頷くと同時に牢の格子を次々に開き始める。萎えた様子のファラムンドとジルヴェスターを引きつれ、ディエイラは右端の牢から順番に劣化の術をかけていった。無事に効果は出たようで、ふたりは「確かにさっきより切りやすい」と揃って口にする。
解放された者たちは、自分だけ逃げ出そうとする者はナリステアに睨まれ留められ、協力的な者は解放を手伝ったりやってくる見張りの撃退を行った。そして、数分後には全ての牢から捕らわれた者たちが解放される。
一同は同時に進み、ナリステアをはじめとした獣人たちの鼻を頼りに自分たちの荷物が置かれている倉庫まで向かった。途中何人か敵と遭遇するが、多人数のおかげで応援を呼ばれる前に全員を無事に撃退できている。中には怪我をした者も出たが、回復の術を使える者がいたため動けなくなる者は出なかった。