英雄の凱旋
死のまにまに置き去りにされた少年を一人。
死を恐れ、怖れ、畏れる少年を一人。
死にたくないと泣き叫び、助けてくれと声を枯らし、負傷した部下を無情にも助けること無く逃げ去る上官の背中に無力な掌を伸ばす少年を一人。
泣きじゃくり、失禁し、鮮血を垂れ流す少年を一人。
私は見ていた。
私は私が殺すべき少年を見ていた。
私の私兵を以てしても殺せなかった少年を。
私の死兵を以てしても命を奪えなかった少年を。
私は見下ろしていた。
私は見下していた。
私は蔑んでいた。
小銃の弾を切らし、手榴弾の残量も無くなり、最新鋭にして絶対無比の不可視の鎧を無くし。
左腕を付け根から吹き飛ばされ。
戦意を木端微塵に砕かれて。
幼子のように泣きながら叫ぶ少年を。
ただ死にたくないとだけ叫び続ける少年を。
私はただ見ているだけだった。
剣を振り下ろせば、それで済む話だ。
少年を生ある者足らしめるその心臓を。今尚脈動を続ける心臓へ。鋼で鍛えられた銀色の刀身を突き立てれば、それで終わりにすることが出来る筈だ。
しかし、それをすることがどうしても私には出来なかった。
トドメを刺すことが、私が少年へしてやれる唯一の慈悲である筈なのに。
この闘争の連鎖から解き放ってやることこそが、恐らくは私が少年へすべき事柄である筈なのに。
私には出来ない。
いや、それは正しくないのかも知れない。
私には出来ないのではなく、したくないのかも知れない。
この、虫けらのように地面を這いつくばる少年が。
無力で哀れな少年が。
そして何より、死を頑なに拒む少年が。
絶対的な死地にありながら尚、自らの死を望まぬ少年が。
何よりも生きたいと願う少年が、如何にその答えを導きだすのか。
それが知りたいが故に、私は殺せないのだ。殺さないのだ。殺したくないのだ。
「死にたくない……僕は、死にたくないよ……」
「ならばどうする? 人間の子供よ?」
私は問い掛ける。
その声は、恐慌状態に陥った少年の耳には届いていないだろう。
それでも問い掛ける。
『どうするつもりだ?』と。
「死にたくない……死にたくない……死にたくない……死にたくない……死にたくない……死にたくない……死にたくない……」
まるで蛆虫。
まるで虫けら。
雑魚も極まればこうなるのか。
私は地面を這いつくばる少年の後を、一歩、また一歩と追い掛ける。
その先に辿り着くであろう答えを見届ける為に。
「死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない……」
右腕のみで匍匐前進を続ける少年。
遮二無二何処かへ向かう少年。
一体、何処へ向かうと言うのか。その先に何があると言うのか。
「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない……」
最早、絶対的な恐怖の前に理性は掻き消えたか。
否。
少年は死の恐怖に駆られながらも、尚、理性を保っていた。
幸運にも。そして不幸にも。
だから少年は、自らが行く先に在る希望をその紅い瞳に捉えていたのだ。
嗚呼、何故、私は気付かなかったのか。
少年が向かう先。
その先に在る、唯一の救いを。
きっと私の視線と意識が少年にのみに向いていたからだろう。
だから気付かなかった。
隻腕となった掌が掴み取った、唯一にして無二の救済を。
「僕は……死にたくないんだァァァァァァァ――――!」
叫声は強固な力と成りて、剣を握る私の腕を斬り落とした。
傷口から鮮血が噴水の如く飛び散る。
哄笑が怒濤の如く押し寄せる。
「そうか、それでこそだ! 人間!」
私は笑い、そして讃える。
弾かれたかのように起き上がった少年を。
唯一残った右手に、一振りの刀を握り締めた少年を。
中腹で刀身が折れて先の無くなった刀を手にした少年を。
死のまにまに在りながら、必死に見出だした唯一無二の希望を掴み取った少年を。
他の誰がバカにしようとも。
この私が、他でもないこの私が讃えようぞ!
「闘争こそが人間の本質! 故に死にたくないと願うならば、戦い奪い取るまでか! 成る程、成る程、単純にして明快な答えだぞ、少年!」
私は笑う。
可笑しくて、嬉しくて、愉しくて。
笑う。笑う。
大いに笑う。
喉が枯れる程に笑う。
「そうだとも! 貴様は人間だ! 生命在る人間だ! ならば戦え! 我と戦え! 化物と戦え! 生きるために戦って見せよ!」
私は私兵の全てを呼び出し。
私は戦場を死兵で埋め尽くす。
これこそが絶対の死であると、少年へ諭すかのように。
「さぁ、来い! 殺しに来い! 我を殺して見せろ! 儚き英雄よ!」
私は笑う。
私は急かす。
私は待ちわびる。
斬られた腕を再生させながら、私は私を殺し得るであろう彼の英雄の凱旋を、今か今かと。
時は満ちた。
舞台は整った。
役者は揃った。
絶望的なまでの戦力差を諸ともせず、圧倒的な実力差さえ覆すであろう主役も舞台入りを果たした。
ならば演じよ。
ならば魅せよ。
ならば楽しませよ。
如何にしてこの状況を打開するか、私に、この私に見せ付けてみよ!
「さぁ、さぁ、さぁ、来い! 敵はここぞ! 死はここぞ! 生を手にするために、見事、殺して見せよ!」
少年は大地に立つ。
しっかりと両足を地面に着け。
しっかりと刀を握り締め。
「死んでたまるかァァァァァァァ――――!」
咆哮する。
死の万軍の呻き声に負けぬよう。
生ある者の魂を、声にして叫び。
そして疾駆する。
戦場を馳せる。
満身創痍の体を圧して。
不遜な武器を片手にして。
ただ生きたいが為に駆け巡る。
嗚呼、私はようやく出会えたのだろう。
数千年の時を経て。
幾千、幾万の戦争に勝利して。
私は私を殺せるであろう英雄と呼ばれる存在に、ようやく出会えたのだ。
何か、とある漫画のドラキュラっぽくなっちゃった。イメージがそれだからかな?
因みに“私”は女です。
やっぱりラスボスって女の方が良い気がするし。