古城
次に、私が足を止めたのは。
古城の入口へと続く、門の前だった。
蔦の絡まる錆び付いた門。
この門の奥に、魔女がいる。
静けさ漂う中、風がザワザワと木々を揺らして、不気味な鳥の鳴き声が響いた。
この中には、今までより遥かに恐ろしい獣や魔女の手先がいるのかもしれない……
ゴクリっと唾を飲み込む。
「行こっか。ドーラ」
「うん。気をつけて行こう」
私たちは、軋む門に手をかけ、力を込めて、それを押した。
手入れのされてない雑草だらけの庭を、足早に突き進む。
予想外に全く妨害にあわないまま、古城の入口までたどり着いた。
大きな腐りかけの扉を押し開けると、中は真っ暗で、足を踏み入れることが躊躇われる。
怖い。
怖い。
怖い。
でも……
さっきのカンガルーの涙が思い出されて。
さっきの光の消えたアユムの瞳が思い出されて。
目の前で消え去っていった大好きな手が思い出されて。
私は意を決して、一歩目を踏み込んだ。
「ユメカ。明かりをつけられないかな?」
ドーラに言われて、はっと気づく。
そうだよ。
暗ければ、明かりをつければいい。
そんな単純なことさえ見えなくなってたことに気づかされる。
私は信じる。
そして、強い意志を持つ。
願うのは、暗闇を照らす温かな光。
瞳を閉じて、城の中を照らすたくさんの明かりをイメージすれば、次々と壁に蝋燭が現れ、明かりがともっていく。
「毎度、ありがとね。ドーラ。
もっと落ち着いていかなきゃ。ね」
自分に言い聞かせるように、胸に手を置いて、ドーラに言った。
明るくなった城内を見渡す。
色あせた壁に埃を被ったカーペット。至る所に蜘蛛の巣が張り巡らされてる。
なんの気配もない、静まり返った空間。
だけど。
中央から延びる階段の先に。
確かに禍々しい何かを感じる。
魔女は、あそこにいる。
心臓のバクバクが、ドーラじゃなくても、聞かれちゃいそうなくらいデカイ。
不安が、恐怖が、ないわけじゃない。
でも、私は進むんだ。
どうしても。
またも恐怖を打ち消すように、足早に階段に向かう。
落ち着いて。
判断は、一瞬。
1秒が命とりになるかもしれないから。
「ボクもいるからね」
不意に隣から声がして、一瞬ドーラと目が合った。
うん。
私は一人じゃない。
大丈夫。
そう思いながら、階段の中腹まできた時だった。
グラリ。
足元が揺れる。
「うそっ!」
思わず、声が漏れる。
グニャリと階段が歪んで、足元に感覚がなくなる。
急な展開に何も出来ずに、階段から転げ落ちる。
ヤダっ!
落ち行く瞬間、周りの景色がスローモーションみたいに流れてく。
驚いた表情のドーラが視界に入った瞬間、強く願った。
私も、宙に浮ける!!
床に叩き付けられる数センチ前。
エレベーターに乗ってる時みたいな気持ち悪い浮遊感を感じて。
間もなく、ドスンっという音と共に私の体は埃だらけのカーペットの上に投げ出された。
「いったぁ~~い!!」
そう叫んだ私の元に、ドーラも急いで飛んで来てくれる。
「大丈夫かいっ!?」
心配そうに覗き込むドーラに、小さく頷きながら、歪みが直った階段に目を向ける。
「さっきの、何……?」
呟いた私に「ボクにもわからないよ」と顔を強張らせたまま、ドーラが答えてくれる。
なぜ突然階段が歪んだのか。
その理由は、すぐにわかった。
ただの階段……のハズなかったんだよね。
見つめる先の階段に。
はっきりと現れたのは。
二つの大きな瞳と、私なんて一飲みできそうなくらいの、さらに大きな口。
「デカイ……顔」
思わず、声に出してしまった。
階段に現れたのは、年召いた老婆の顔。
「バカっ。始めから怒らせるようなコト言わないでよ」
すかさずドーラに小声で注意される。
でも、そんなドーラの言葉が耳に入らないくらい、私は呆然としてた。
だって。
このサイズは想定外だよっ!!
ありえないでしょっ!?
こんなの、どう立ち向かえばいいのよっ!!
何も言えず。何も出来ず。
尻餅をついたままの状態の私と、口が開いたままのドーラ。
そんな私たちを。
まるで眼中に入らないといった様子で。
階段おばばは、おぅおぅと城中を震わせて泣き始めた。
はぁっ!?
また……どんな展開なのよ!?
しばらく、ぽかぁ~んて階段おばばの泣き声を聞いてた私たちだったけど、おばばが大きく揺れる度に天井から埃だか砂だかよくわからない粉は降ってくるし、いつまでもこんなトコで足止めくらってる場合じゃないと思い直した私たちは、一先ず階段おばばに話し掛けてみるコトにした。
「ねぇ。どうして泣いてるんですか?」
本当なら、「震えないで! ソコ通して!」って、それだけ言いたかったんだけど。
トラブりたくもなかったし。急がば回れってコトで。
もちろん、慎重派のドーラの案だけど。
驚いたように私に目を向けた階段おばばは、さらに大きな声をあげて泣き始めた。
もちろん、古城自体が大揺れになるわけで。
「ちょっと! ちょっと、落ち着いて! 落ち着いて話そうっ!」
必死に訴えてみる。
階段おばばは鳴咽を繰り返しながらも、少し揺れも和らだ頃、しゃがれた低い声で話し始めた。
「親切なお嬢さんや。私の姿をどう思うさ?
これでも昔はとても綺麗に着飾られた美しい城だったんじゃよ……
今の私の姿といえば……
情けないねぇ。あぁ悲しい」
階段おばばは再び泣き始める。
「おかしいと思うかい?
こんな年寄りが美しさに憧れを持つなんて」
確かに。
お世辞にも美しいとは言えない城よね……
うん……これだけ古い城が残ってるだけでも正直奇跡的だもの。
そんな私の心を読むかのように、階段おばばの目が私に突き刺さる。
「そうだろうねぇ……
こんなに古くて暗い城だ。お嬢さんがそんな顔をするのも無理はない。
それでも。
それでも。
昔は明るい笑い声の響く、美しい城だったんじゃよ……」
本当に切ない切ない声で。
本当に痛々しくなるような表情で。
今も夢に見るんだ、と。
今も色鮮やかに覚えてるんだ、と。
おばばは語ってくれた。
どんどん階段の中腹から水が染み出して。
床を濡らしていく。
「ごめん……
おかしくなんかないよっ!?
あなたにとって大切なコトだったんだよね?」
その人にとって、何が大切なのかは、それぞれだもの。
「いくつになったって。おばあちゃんになったって。憧れをもって、夢を抱くコトは素敵なコトだよ!」
おかしくなんてない。
こんな世界で。
どんどん夢が失われていく世界で。
夢や憧れを抱けてるおばばは、スゴク素敵じゃない。
階段おばばは、目を大きく見開いて私を見る。
そんなおばばの視線を、私は正面から見つめ返す。
「ありがとう」
おばばはくしゃくしゃに目を細めて笑ってくれた。
「さっきお嬢さんが入って来た時。突然明かりが灯ったじゃろう?
久々に明かりを感じられて、嬉しかったよ……」
ただ、その光のおかげで、改めて自分の今の姿を確認することができて、あまりの醜さに、どうしようたもなく悲しくなったんだと、おばばは教えてくれた。
あぁ。おばばを泣かせたのは、私のせいだったんだ……
「ごめんなさい」と謝る私に、おばばは優しく笑ってくれた。
「何を謝ることがあるんだい? お嬢さんのおかげであの幸せな時を思いだせたというのに」
おばばの言葉が優しい明かりになって、私のココロの中を温めてくれる。
「ねぇ。私、あなたみたいに夢を抱くコトって素敵だと思うの。
だから。
私、夢を守りに行かなくちゃ」
そう。忘れてちゃいけない。
私、行かなくちゃ。
「ごめんなさい。そこを通してもらっていい?」
そう尋ねると、おばばは「もちろんさ。気をつけていっておいで」と答えてくれた。
「私、必ず戻ってくるから。そしたら、一緒に掃除から始めよう!?」
階段に明るくて優しい笑顔が浮かぶ。
「お嬢さんのおかげで、夢をもっていられそうじゃなぁ」
そんなおばばの声を遮るように。
「いつまでも! うるさいわ!」
鋭くて冷たい声が、古城に響いた。
声のした先は。
私の目指す、階段の先。