決意
戦いたくなんかない。
傷付けられるのもイヤだけど、傷付けるのもヤだ。
でも……
私はココで諦めるわけにはいかないから。
もし向かってくるなら。
次は剣を願おう。
使い方なんて知らない。
生き物を殺す道具なんて願いたくない。
でも。
ココで立ち止まってしまうわけには……いかない!!
私は再び赤い瞳と真っ正面から向き合った。
カンガルーもどきの赤い瞳をじっと見つめる。
……あ。
れ?
なんか、おかしい。
見つめる先の瞳は、少しずつ暗さを増して。
間もなく宝石みたいに綺麗な漆黒の瞳へと変化した。
鋭い牙はそのままだけど、どこか可愛らしい風貌となったカンガルーに対する恐怖感は一気に和らいでいった。
不可解な現象に戸惑いながらも、そのまま警戒を緩めることなく、睨み付けていると。
その美しい瞳に涙が溢れてきてるのがわかった。
泣い……てる?
どういうコト?
視線を外さないまま、ココロの中でドーラに問いかける。
聞こえてんでしょ?
どういうことよ?
あまりの痛さに泣いてるってわけでも、怒りに任せて泣いてるって感じでもないわよね?
同じく隣でカンガルーもどきに目を向けたままのドーラが戸惑いがちに答えてくれる。
「よくわからないけど……彼女のココロは悲しみに溢れてるみたい」
彼女っ!? 女なわけっ!?
てか、悲しみ……?
なにそれ?
「ボクだってわかんないよ」
何?
ココロが読めるわけじゃないの?
「はっきりした想いじゃなきゃわかんないよ……」
どーせボクは役立たずさっとでも言いたげなニュアンスを漂わせてドーラが言う。
「でも……さっきみたいな激しい殺意は消えてるよ? 今は悲しみだけが溢れてる」
うん。なんかそれは感じた。
今のカンガルーもどきは、怖くない。
向き合ったまま、沈黙が続く。
このままじゃ埒があかない。
かといって、泣いてるカンガルーを無視って進む気にもなれない。
あ~もぉっ!!
わかんないなら聞くしかないじゃない。
アザラシが喋れるんだから、カンガルーだって喋れるかもしれないしっ。
そう意気込んで、口を開こうとした瞬間。
またもドーラからの鋭い目線とともに「またアザラシって言ったな!?」という指摘が飛んできた。
ったく。
プライドが高いんだか低いんだか……
ともかく「ごめんね」とあしらうように謝罪の言葉を投げ付けて、カンガルーに踏み寄る。
「あなた、言葉は通じる?
襲い掛かろうとしてみたり、突然泣き出したり、全然意味わかんないんだけど。
どうしたっていうの?」
突然話し掛けられたカンガルーもどきは驚いたような表情を浮かべた後、さらに涙を溢れさせて、詰まりながらも話し始めた。
「優しい娘だね……
さっきは、悪かったよ。理性を失ってた……」
いやぁ、理性があったコトにびっくりだよ。
……てか優しくなんかないし。
急に謝られると、私のほうが申し訳ない気分になる。
「私こそ、跳ね飛ばしちゃって。ごめんなさい」
謝った私にさらに驚いたらしいカンガルーは、まだ涙の残った顔のまま、フッと笑った。
「謝る必要なんかないわよ。ああしてくれなかったら、私はあなたを引き裂いて、牙を突き立ててた」
その言葉に背筋がぞっとして、私は言葉を失ってしまった。
「……夢を見れなくなってしまったの。どれだけ眠っても。真っ暗なだけ」
そう話し始めたカンガルーの瞳からは、また雫が零れ出す。
カンガルーはそのまま私に近付くと、短い前足を伸ばして私の肩を優しく撫でた。
「私にも、娘がいたのよ。可愛くて可愛くて、愛おしい娘が。
でも。娘は二度と会えない世界に行ってしまったわ……
流行り病だったの。仕方ないことだと何回言われても、自分を責めることしか出来ない日々が続いてた。
でもね。夢の中では、あの子笑ってくれるのよ?
一日なんとか生きて。夜眠ってる間にあの子と会える時間だけが幸せだった。
だった、のに……」
肩にかかるカンガルーの温かい手が震えてる。
「夢が……見れないの」
ココロをちぎり出すように吐き出された言葉は、私の心臓まで揺らしてきた。
「魔女だね……」
後ろから、ドーラの声がする。
沸々と怒りが沸き立ってくるのが、自分でもわかった。
「魔女って……? あの人のことかしら?」
ドーラの言葉に反応してカンガルーが呟いた。
「魔女に会ったのっ!?」
驚いて聞き返した私に、カンガルーは魔女らしき人物と出会った話をしてくれた。
悲しみにくれるカンガルーに、「楽になれるよ」と優しく囁いて赤紫の液体が入った小瓶を手渡した女。
真っ暗なフード付きのマントで顔を隠した……
それを飲んでからのカンガルーの記憶は曖昧になってるらしい。
魔女だ……
会ったことは一度もないのに、私はそう確信した。
「私は……騙されてたのね?」
カンガルーの瞳から流れる涙は止まってたけど、代わりにその漆黒の瞳には深い絶望と悲しみが宿ってた。
「あの子の元に行けるのかと思ってたのに。
私から夢を奪った者にいいように使われちゃっただけだったのね……」
何か。気の利いた台詞を言いたかったのに。
私の頭じゃ何も言えないままで。
横に浮かぶドーラも、私と同じ顔してた。
「あなたを殺めなくて、本当によかったわ」
無理矢理作った笑顔が余計に痛々しくて。
「夢は私が取り返してくるからっ! 私が夢を守るからっ!
だからっ……だから、あなたは生きていて!」
気付いたら、そう口走ってた。
淋しさに負けちゃダメだ。
そんな逃げ方しちゃダメだ。
「生きててよ。
生きて、そのコのコト覚えててあげなよ。
あなたが生きて、しっかり覚えててあげるコトが、そのコの生きた証にもなるでしょ……?」
なんで、そんなコト言っちゃったのかは、わかんない。
キョトンとしたカンガルーの顔が、徐々に和らいで。また涙目になりながら、にっこりと頷いてくれる。
「ドーラ。早く行こう」
拳を握りしめて呼びかけた私に、ドーラも深く頷いて。
「またねっ」とカンガルーに手を振った後、私たちは再び走り始めた。
待ってなさいよっ!
絶対、止めてやるからっ!
いまいちココが私の夢の中だって実感はない。
どうしてこんな夢を見てるのか、わかんない。
夢の中で、こんな頑張る必要なんてないようにも思う。
わけがわかんないのに。
ただ。
今、私が望むコトは、魔女を止めるコト。
それから、奪われた夢を取り返しすコト。
今、私に出来るコトがあるとすれば、少しでも魔女に近付くコト。
一秒でも早く、ヤツの元まで走り抜くコト。
ドーラに頼まれたからじゃない。
カンガルーのためでもない。
私が、自分で、そうしたいと思った。