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ZS  作者: 芦丸なぎさ
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第三話 + 戦闘

「おまえ、逃げないのか?」


 暫しの沈黙の後、ベガが口を開いた。

「今、私達は戦争をしているのだ。おまえも、早くここから離れた方がいい。死にたくないならな」

「あ、でも……」

「何を迷う事がある? おまえは武装者ではない。敵に見つかったとしても、難なく逃げられるはずだ」

 ツカサが心配してるのはそういう事ではなくて、

「君は?」

嘉耶そっくりな顔をした、この少女のこと。

「私は大将軍だ。神に仕えているからには、中途半端な事は出来ない。幾千、幾万の兵士の命を預かる者として、常に最善を尽くす。出る戦には勝つ。どれだけ血を流そうと、絶対に逃げるわけにはいかない」

 首だけを回して少し後ろを振り返り、集まっている兵士達を見る。

「彼らは私の決断一つに己の人生全てを賭けているのだ。彼らを生かすためなら、私は死をも厭わない」

 濃い決意の色が青い双眸に宿る。

 こんな少女がこれだけの覚悟をして、重い使命と責任を背負い、今この瞬間を生きているかと思うと、ツカサは何だか泣きたくなった。

 無意識に、唇を噛み締める。

「その様子だと、ツカサ、おまえは戦のないセカイから来たようだな」

 ツカサは俯いたまま、小さく頷いた。

「自分の身すら守れないのか?」

 頷く。

「それならそうと早く言え」

「……は?」

 ツカサは顔を上げた。

「取り敢えず安全な所まで、私がおまえを連れていく。私が、おまえを守ろう」

「え」

「その代わり、ツカサ、おまえのセカイのこと、私に教えてくれ」

 優しく、微笑んだ。

 刹那、


「───何か、来る」


「へ?」

 胡座の体勢から一瞬で抜き身の剣を体の左側に添え、姿勢を低くする。

 敵が現れれば、直ぐ様斬りつけられるように、全神経を研ぎ澄ます。

「気を付けろ。多いぞ───此方の倍以上いる」

 ベガのその一言で、集まっていた兵士達がパッと身構えた。

 草の茂った辺りは静かで、何者の気配もない。

「ツカサ、私の傍から離れるな」

「わかった」

 場の緊張が一気に高まる。

 呼吸をする、人間の生命活動の音と、時折誰かが足場を確かめるように地を踏む音しか聞こえない。


 静寂。


 そしてその静寂を破ったのは、敵と思われる複数の人間の声。

「いたぞ!! 敵軍師ベガ・アンドロメダを発見!」「皆の者、出合え出合え!」

 鬨の声と共に、木や草の間から数十人の男達が兵士達に斬りかかる。

「狙うは大将の首のみ!!」

 士気を鼓舞する掛け声がかかる。

「引くな引くな! 閣下をお守りしろ!」

 負けじと、兵士達も叫ぶ。

 一人、また一人と敵が倒れていく。

「有り得ないな、この弱さ───」

 ベガは独り言のように呟いた。

「装備も軽すぎる」 剣を鞘に戻し、そのまま木剣のようにして相手の頭を殴って昏倒される。数が半分以下になった時、どこからともなく複数の乾いた銃声がした。

「なっ───」

 無差別に“人”を狙っているらしいソレは、ベガの足元で意識を失っていた敵兵に当たり、さらに複数の弾丸が撃ち込まれる。

 一瞬びくんと身体を震わせ、血を流して動かなくなっていく。

「ひ、」

 ツカサは小さく悲鳴をあげた。撃たれた敵兵が死に至る直前に、苦し紛れにツカサの足を掴んでいた。

「チッ」

 ベガはあからさまに舌打ちをすると、剣を鞘から抜いた。


「皆聞けェ! 場に留まるな! 動け! 止まっていると標的(マト)になるぞ!!」


ベガの叫ぶ声と共に、乱発音は増す。

標的に当たらなかった弾は木の幹を抉り、土を弾き、辺りに散乱する。

「走れ!」

ベガはツカサの手を引きながら走り出す。

「奴らの目的は私の首だ。ここから離れるぞ」

走り出すと同時、銃声が止んだ。

「逃げたぞ!追え!!」と、森の中から怒号があがった。

それらを気にも止めず、ベガは走る。


「うわ、あっ」


ベガの足の速さについていけず、右脚と左脚が交差して縺れそうになる。そんなツカサの手を、ベガは力強く引いた。



木々の間を縫うようにして走る。

一体どんな視力と運動神経をしているのか、決して木にぶつかることはない。平坦な道も乱立する樹木の間も、同じスピードで走っている。角を大きく曲がるときにツカサが遠心力で多少振り回されるものの、構わずにベガはどんどんスピードをあげていく。


「ベガ、右!」

「わかってる!!」


二人の右側、10メートルほど離れたところを三人の男が走っている。

前方、50メートルほど先には、木の無い、障害物の無い荒涼とした荒れ野が広がっていた。

「ベガ、木がないと危ないよ!」

「わかってる!でももう引き返せない。次の樹林まで一気に駆ける」

少女は止まらない。

それどころか、更に加速する。


森を抜けたところで、右側の男達────腕に目印の黒い紐を巻いた敵兵は立ち止まった。

そして肩に担いでいたものを地に下ろし、自らもしゃがんでそれを前方へ構える。


「目標物捕捉、敵軍師ベガ・アンドロメダ。合図で撃て」


円筒形のスコープを覗く。障害物の無い、ただっ広い荒地を2つの影が走る。


その2つのうちの片方に、三人が照準を合わせる。

二人は振り返らない。自分が狙われているとも知らずに、ただ目の前の森を目指して走る。


「撃て!」


三発の銃声が乾いた空気を伝い、沈黙していた森に響いた。

円筒形のスコープを覗く。障害物のない、ただっ広い荒地で、2つの影が倒れた。


「ぐっ────」

「ベガ!!」


小柄な方の人間が、剣を地に刺してうずくまる。


それを見届けた兵士達はライフルを背負い、ゆっくりと歩き出す。


「くそ……銃かっ………」


咳き込んだ瞬間、赤い血が口の端から滴った。



「大丈夫!?」

「心配ない。肋を折っただけだ」


その強気な言葉とは裏腹に、眉間に深い皺を寄せ、苦しそうにアーマーを掴み、再び咳き込んで血の塊を吐く。

「背中、何発だ?」

ツカサの顔を見上げて問う。

見ると、背中左側に鉄が抉られた銃創が三ヶ所あった。


いくら鎧を着ているとはいえ、銃で撃たれたのだからその衝撃は凄まじいものがあっただろう────肋骨を折るほどの。


「3つ……3つだよ」

「そうか、すまない」

ベガは荒い呼吸を繰り返しながら、静かに口の端を流れる血を拭った。

「ベガ────」

「ツカサ、よく聞け」

ゆっくりと、鞘の装飾を外す。そこから、小さな黒い丸薬を取り出した。

「敵が来ても、何もするな。抵抗したところで、おまえに出来る事などたかが知れている。黙って、相手の言う通りにしろ」

「うん」


ツカサは小さく頷いた。死にかけている少女を前にして、手が震えている。


「私はこの薬の副作用で三分間動けなくなる。恐らく呼吸も停止するだろうが、生きているから心配するな。三分だけ、何とか自力で生き延びろ。そのあとは、全て私が始末してやる。敵は────腕に黒紐を巻いている」


そう言い残し、ベガは黒色の丸薬を口に含んだ。ガリリと噛み砕く音がして、ベガは倒れた。そして、本当に動かなくなった。


「………」


ツカサは着ていた制服の上着を丸めてベガの頭部の下に敷いた。


荒涼とした大地は、時折風が低い唸り声を発しながら黄土色の砂埃を巻き上げながら通り過ぎていくだけで、敵が来る気配もない。

少し安心して、ツカサはベガの顔を見つめた。


まるで眠っているような、安らかな顔。



「嘉耶────」


幼なじみそっくりの顔に、頬に触れた。

「────え?」

ツカサは頬に触れたまま静止した。

「ベガ………?」

あまりの冷たさに、ツカサは狼狽えた。

「ちゃんと……生きてるんだよね」

自分自身に言い聞かせるように確認して、小さく安堵の溜め息を吐いた。


空を仰ごうと顔を上げた瞬間、先刻自分達が抜けてきた雑木林から十数人の人間が現れた。

「あ────」


味方の兵士かもしれない、という期待を胸にその方を凝視すると、腕に巻かれた黒い紐が目に入った。


三人の男が銃を構え、立派な口髭を蓄えたリーダー格の男がサーベルを腰に提げた兵卒を従えて警戒しながら近付いてくる。



────敵が来ても、何もするな。三分だけ、何とか自力で生き延びろ。



ベガの言葉を心の中で復唱する。


────わかってる。わかってるよ、ベガ。


たった三分も自力で生きられないようでは、一生元の居場所になんて戻れないだろう?

男達は円を画くようにして二人を囲んだ。


リーダー格の男が、死んだように眠っているベガを見て、みるみるうちに表情を変えた。

「おい、銃士隊!“殺せ”と命じた覚えはないぞ!」

兵卒の後ろに控えている三人の男に怒鳴る。

「お言葉ですが、この女がそう簡単に死ぬと思いますか?絶対、まだ生きています」


冷静に、そう断言する。

リーダー格の男が、確かめようとベガの顔を覗き込んだ瞬間、


「その通りだ」


ベガの拳が、男の鼻っ面に直撃した。


「ベガ!」

「兵長!!」


感動と、驚愕の声が入り交じる。


「このッ────!!」


敵兵の一人が少女に拳を振り上げた。

「危なッ─────!!」

間に入ったツカサの横っ面に拳は命中し、勢いで五メートルほど吹き飛んだ。

「ツカサ!!」


少女は剣を支えに懸命に立ち上がろうとするが、バランスを崩して受身を取る間もなく倒れた。咳き込んで、血を吐く。


「や、やはり生きておったか!」



顔を殴られた兵長が、鼻を擦りながら少女の前に立ち塞がる。


「この様子では、肋ニ、三本は折れていましょう。この女は、動けなくしなければ危ないのです」


銃士は抑揚の無い声で淡々とそう言うと、踞っているツカサに銃の筒先を向けた。


「君は邪魔だ。死んでもらおう」


カチリ、とシリンダーが回る音がして、弾が装填される。

自分が狙われているとわかっていても、ツカサは動けなかった。体に力が入らない。それは恐怖ゆえか?



「────ナメるな」

地に突き刺した剣を勢いよく引き抜いた。


「肋の二本や三本折っただけで、私が動けなくなると思うな!!」


「何ッ───」

がぎ、と銃士の持っていたライフルを真っ二つに切り落とす。


重傷を負ったはずの少女が、剣を構え、敵の中を駆ける。


「死ねッ」

「貴様が死ね!」


袈裟へ一閃、向かってきた者を、悉く返り討ちにする。

その姿はまるで、人皮を纏いし鬼神。


ギン、と刃と刃が互いを断ち斬ろうとぶつかり合う。兵長とベガが、互角の力で押し合う。両者にらみ合い、剣ごと押そうとするが、重なった刃は鈍い光を放ったまま微動だにしない。


「我らは、おまえを生きたまま捕らえなければならんのだ」

「その前に、私が殺す」

「どうかな」


組み合った二人の、ベガの背後から銃剣を構えた兵卒が躍り出た。


「大将軍、覚悟!」


その声と同時、ベガは自分の剣の刃を兵長のそれに滑らせ、腰を落とした。気付いた兵長が姿勢を起こそうとする一瞬の間にベガは銃剣を振り向き様に紙一重で交わす。


完全に振り返った時には、剣で兵長の腹部を貫いていた。


兵長に剣を刺したまま、腕の金属装具の中に隠した仕込み刀を引き抜き、一気に兵卒の首筋へ走らせる。

切り口から勢いよく鮮血が吹き出し、ベガの鎧を朱く染める。


「撃てェ!!」

三挺のライフルが一斉に火を噴く。

「だぁっ!!」

弾丸を、弾く。


銃ですら、彼女の前では意味を成さない。

撃ち出された弾は、全てその剣太刀によって粉砕された。


「こいつの命が惜しければ、素直に従え、ベガ・アンドロメダ!!」



その声に、少女は振り回していた剣を止めた。

そしてその双眸に映ったのは、首筋に剣先を当てられ、人質となったツカサの姿だった。


「その子は関係無い!放せ!」


驚愕の表情を浮かべ、叫んだ。しかしその声も敵兵には届かず、時間だけが刻々と過ぎていく。ベガと彼女を囲む兵との距離が縮まる。


「ベガ、ごめん………」


ツカサが己の死を覚悟したとき、すぐ後ろで断末魔の叫びが聞こえた。


「ぎゃあぁぁあアぁあァ!!」


思わず耳を塞ぎたくなるような、人のものとは思えない獣の様な声。

そしてすぐに、生暖かいものが首筋に触れる。

ぬるりとしたそれは、


「血………!?」


ベガを囲んでいた男達が悲鳴をあげる。


「狐……か……!?」


ツカサは、自分の後ろに現れたものを、直感で狐だと思った。

それも、とてつもなく大型の────人間など一呑みにしてしまいそうなくらい巨大な、二つの尾を持つ、一匹の白狐。


そいつが、ツカサを人質にしていた敵兵の首へ噛み付いたのだ。

その兵は、既に動かなくなっていた。そして、もう動くことも無いだろう。


「ファック!おいで!!」


双尾の白狐を呼んだのは、他でもない、大将軍閣下と呼ばれる少女だった。


 少女は白狐に跨がり、敵を蹴散らした。自らも剣を立て、白狐はその巨体からは想像もつかない軽快なフットワークで敵兵の間を縫うようにして進む。その間に、立ち往生していたツカサを拾うことも忘れない。

「ひ、退くな退くな! 大将の首のみを狙え!」

 そう言いながら、言葉とは裏腹に、一歩一歩後ずさる。

 ただでさえ巨大な白狐が吼えるから、何人かの兵は恐怖のあまり逃げ出した。

 勇気を振り絞って向かってきた数人も、全員ベガの剣捌きを前に返り討ちに遭った。逃げ出した者も、同じ末路を辿った。

「皆殺しか……後味悪いな」

 剣の血を拭い、鞘に戻す。

「怪我は無いか? ツカサ」

「うん……僕は大丈夫だけど、ベガこそ大丈夫なの? 肋二,三本って……」

「四本だ。あと、内臓もあちこち損傷しているな」

 指で腹部を圧して確認する。

「そんなに心配するな。(うち)の医療チームが開発した痛み止が効いている。もう少しは無茶出来るだろう」

「でも……」

「それより、置いてきた仲間が気掛かりだ。ファック、急いで」

『ギィィイ』

 白狐はスピードを上げて疾走した。

「ツカサ、しっかり私に掴まっていろ! 振り落とされるぞ!」

 ベガは笑った。

「皆、頑張れ! もうすぐ閣下が戻って来られる!」

 ベガが残してきた兵士達は、敵の銃士隊によって壊滅的な被害を被っていた。

 直接的な攻撃の剣術を主流とする国王軍兵士にとって、遠距離からの攻撃に長ける銃などの飛び道具は最悪に相性が悪い。

 次々と兵が倒れ、痛みに悲鳴をあげ、地に伏す。生きて動ける者は、既に半数以下になっていた。


「畜生ッ、これ以上撃たせてたまるかぁ!」

 若い兵士が、長銃を持った敵兵に斬りかかった。

「あっ!」

 その場に居た誰もが、彼の死を覚悟した。

 銃先から散弾が飛び出し、彼に向かって一直線に飛ぶ。

 しかし、突如現れた業火によって、その全てが燃え尽くされた。


「ベガ様!」

「君、怪我は無いか?」

「は、はいっ」

「無事なら、それでいい」

 ベガは白狐から飛び降りると、巨大な白狐の出現に唖然としていた銃士の元へ歩み寄った。

「そちらの大将は誰だ?」

 不意に叫んだベガの声にハッとして、銃士は一斉に少女へ銃口を向けた。しかし、ベガの様子に気付き、銃口を下ろす。


 ベガは、剣を鞘ごと地に刺していた。

 それは、この国では大将同士の決闘の申し込みを意味する。

 やがて、茂みの奥から壮年の男が現れた。

「お前が大将か」

「如何にも」

 他の黒紐の兵士と違うのは帽子を被っている所のみだったが、それでも男を見る兵士達の目を見れば、その言葉に虚偽は無いと判る。

「応じたということは、覚悟が出来ているのだろうな?」

「それはこちらのセリフだ、大将軍閣下」

「逃げても構わんぞ」

 ベガは地に刺した剣を鞘から抜き、刃こぼれしていないか確認しながら言う。

「追って殺すがな」

 すらりと、剣を鞘に戻す。

「ベガ・アンドロメダ大将軍閣下───私の命と引き換えに、今残っている兵士の助命を乞う」

 静かに、男はそう言った。

 瞬きひとつせず、ただ少女だけを見つめて。

「私は立派な反乱軍の一兵士だが、こいつらは違う。反逆者に煽られただけの農民だ。こいつらを殺してしまうのは、国のためにはなるまい?」

「闘う前に、死後の話をするのか」

「閣下は、俺を殺した後、こいつらまで皆殺しにしかねんからな」

「お前が勝ったらどうしたい?」

「そうだな……まず、現国王殿下を亡き者にし、姫殿下をご即位させていただきたい」

「───やはり、私はお前を殺すしか無いようだ」

 あからさまな不快感を顔面に塗り固め、ベガは剣の柄に手をかけた。

「ファック、その子を安全なところへ連れていけ」

 ベガの言葉に白狐は唸ると、軽く首を振り、ぶぁっと炎を吐いた。

 兵長に対する威嚇だったのか主人に対する返事だったのか、一瞬にして殺気を消滅させ、半ば無理やりツカサを背に乗せた。

「ベガ、きみは……」

「ファック、行け!」

『ギィィイ!』

 白狐は低い唸り声と共に、地を蹴った。

 少女の青い双眸には、白狐の上で何か此方に向かって叫んでいる少年の姿が映ったが、しばらくして消えた。

「狐が火を吹くとは……とんだ茶番だな」

 兵長が苦々しく吐き捨てる。

「……妖魔か」

「ファックは私の仲間だ。妖魔(バケモノ)じゃない」

 一瞬だけ、兵長を睨む。

 ぱちん、と固定していた金具を外し、腰に差していた剣をとる。それを逆手に握り、胸の前で構える。

「───さあ、始めようじゃないか」

 少女の問い掛けに応えるように、兵長は傍らにあった剣を抜く。

 黒紐の敵兵もベガの味方の兵も、固唾を飲んで二人を見守っていた。


───気配を、


 殺気を、神経を研ぎ澄ます。


─── 一撃デ肉塊ニシテヤル


 痛みを感じる間もなく、自分が負けたことすら悟れないくらい疾く、逝かせてやろう。

「はァっ」

 短い気合と共に、対峙していた両者が僅かな距離を(はし)った。


 数回の鍔迫り合いの音のあと、

 森のなかに絶叫だけが響いた。







   □ ■ □ ■ □







「ねぇ降ろして。降ろしてってば!」

『ギィィイ』

「僕の言ってること理解できる?」

『ギィィイ』

「あの娘───君のご主人様がピンチなんだよ!?」

『ギィィイ』

「ねぇ本当にわかってる?」

 ツカサは意味もなく白狐を説得しようとしていた。たとえ仮にベガのところまで戻れたとしても、それで彼女が勝てるとは限らないのに。 白狐は行く宛があるのか、真っ直ぐ走り続ける。ツカサの願いを聞き入れる気など、微塵もない。

 それでもめげずに喚いていたら、『煩いな』と低い声がした。

 その声が白狐のものであると理解するのに、ツカサはたっぷり15秒ほどの時間を要した。

「……ファック?」

 恐る恐る、眼下へ視点を移す。

『俺以外に誰がいる?』

「いないけど……」 今度ははっきりと、声が白狐から発せられたものだとわかった。

「あの、さあ」

『何だ?』

「ベガ……大丈夫かなぁ」

 ぽつりと呟く。

『“大丈夫かなぁ?”じゃない。誰の所為でこうなったと思う?』

 白狐は流暢な人語を操りながら、少しだけ速度を落とした。

『お前があの場にいなければ、我らは今頃凱旋中だ』

 怒気を帯びた声色。

『イザラの作戦は完璧だった』

「イザラ?」

『我が主、ベガ・アンドロメダの腹心。参謀を務めるイザラ・スーディガン』

「その人が、どうかしたの?」

『イザラは戦略家だ。あらゆるパターンの出来事を想定して、数十から数百に及ぶ行動計画を練っている』

「それで?」

『わからんか? お前が“現れた”ことによって、それら全てが台無しになってしまったのだぞ』

「……どういうこと?」

 目の前で目撃したベガならともかく、ほんの数十分前、初めて対峙したばかりのファックに、“現れた”という、異次元からの越境を見透かされたような気がした。

「ファック、君は何か知ってるの?」

 白狐はツカサの言葉を聞いているのか聞いていないのか、一度だけ『ギィィイ』と唸った。



 しばらく走り続けた白狐はゆっくりと立ち止まった。

『見えるか?』

 丘の、少しなだらかになったところの向こうに、小さな黒い点がいくつか見えている。

『あれが、我らの本拠地だ』

 呟き、再び神速で地を駆ける。

 ベガに手を引かれて森の中を走ったときと同じように、文字通り、木々の間を縫うようにして疾走する。

 有り難いことに、白狐に乗っているツカサには遠心力は然程働かず、振り回されるようなことはなかった。

『もうすぐだ』

 白狐が告げる。

 ツカサは興奮と心配とが入り交じった複雑な表情で頷いた。

 森の外れの、少し拓けた所に、簡易テントがいくつも張られていて、人間と思しき影がいくつもいくつも、あちこち忙しそうに動き回っている。

 ベガ達の、西の国 国王軍の本拠地である。


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