友達の家にあがってすぐ「足を洗え」と言われた
たしか大学のころの話だった気がする。
友達の家に遊びにいった。
私ひとりじゃなかった。
仲いい友達複数人でAくんの家に泊まらせてもらうことになった。
Aくんは実家暮らしだ。
しかも、少しいやらしい言い方をしてしまえば都内の豪邸住まいだ。
ぼんぼんだ。
田舎の一軒家で育った私には想像できない世界だった。
その日は昼から夜まで遊び、それからAくんの家に泊めてもらい、
夜通し遊ぶつもりだった。
やれ買い物だ、やれスポッ〇ャだと、大学生らしく遊び、
みんなでAくんの家に向かった。
部屋の数に見合わない大きさの玄関を開けてもらい、
「おじゃまします」
と靴を脱ぎ家にあがろうとする私たち。
靴を脱ぎ終わり立ち上がろうとしたその瞬間、
A君から鋭い一言が飛び出した。
「待って。足を洗って。」
私は驚いた。
俗にいう、ハトが豆鉄砲を食ったような顔をしていただろう。
さらに驚いたことに、私以外の友達は特に気にしていなかったのだ。
「そうそう、Aの家はそうなんだよ」
と、ほかの友達が軽く声をかけてくれた。
「そっか、そういうものなのか」
と、ひとまず自分を納得させる。
しかし、次の疑問が出てくる。
--ならば、風呂場まではどうやって行くんだ?--
私たちは人間だ。
成長に伴い、機動力を向上させるため"通常は"二足歩行で移動する。
しかし、その足が汚れているという前提なら話は別だ。
歩き回るほどにその汚れを家中に広めてしまう。
また考え、一つの答えが頭に浮かぶ。
ならば足を床につけなければいい。
そう、ハイハイだ。
私たちはみな知っている。
二足歩行ができないながらも手探りで編み出した、
確実に位置を移動させるための移動方法を。
昔の人は言った。
「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」
と。
その通りだ。
「歩いちゃだめならハイハイすればいいじゃない」
美しい。実に美しい。
こんな断片的な情報で答えまでたどり着くことができる自分を誇らしく思う。
そう、まさに1を知り10を知るというやつだ。
真実はいつもひとつなのだから。
そんな感傷に浸りながらも次の一歩を進めなければならない。
靴を脱ぐための座り姿勢から反転、
ハイハイするための四つん這い姿勢へと身体を動かす。
いつぶりかな、人前でハイハイするなんて。
忘れていた、この高揚感。
あの頃のことは思い出せないけれど、
なぜだか存在しないはずの記憶がよみがえる。
誰よりも速かったあの時代。
歩行器いらずといわれた機動力。
(魅せてやる、おれの速さを・・・!!)
「準備はできているか?おれはできている」
とも言いかねない自信に満ちた顔で友達のほうをチラ見し、
その両手を床につけようとしたその刹那
A君が言う
「タオル敷くからちょっと待ってて」
・・・タオル?
というか、敷く?
そう聞くや否やAくんの母は大量のタオルを持ってきて
その場に
ぶちまけた。
理解が追い付かない頭で考える。
だがしかし与えられた情報からの解はみつからない。
さらにAくんが言う。
「それじゃ、風呂場までタオルつなげてって」
あー、なるほどね、完全に理解した。
それなら汚れた足で床を汚さずに済む。
なんか違う方法もありそうだけど今はそんなことを考えている場合じゃない。
Aくんの言葉を皮切りに、
みんなで玄関から風呂場への線路をつなげてゆく。
ルールは単純。
風呂場までたどり着け。
ただしタオル以外踏んではならないものとする。
そのあとはみんなで力を合わせ、
無事にゴールまでの線路を敷設することができ、
汚い足も無事きれいになった。




