反転鏡面 5.
東京都心の地下深く。地図には存在しない、闇風の最新鋭電子防護区画。無機質なセラミックタイルの廊下に、一人の青年の震える足音だけが反響していた。
「……ひ、っ、ひう……」
拓馬は、自分の奥歯が鳴る音を聞いていた。
数日前まで、彼は自分が「選ばれたエリート」だと信じていた。組織の育成枠に抜擢され、S級戦闘員として歴戦の諸先輩方の背中を追う、前途ある若手だったはずだ。
だが、今の彼は違う。ただの『壊れかけの人形』に過ぎない。
重厚な自動ドアが音もなくスライドし、円形の会議室が現れる。
中央のホログラムディスプレイが青白く発光し、その周囲を影のような男たちが囲んでいた。
「報告を始めろ。拓馬」
正面に座る男の、氷点下の声。
組織の幹部――『執行官』。その男の視線だけで、今の拓馬の精神はひび割れそうになる。
「……か、壊滅、しました……」
「知っている。GPSもバイタルも、あの瞬間に全て消失した。我々が知りたいのは『何が起きたか』だ」
幹部の指先が、コツ、コツ、とデスクを叩く。その単調なリズムが、拓馬の脳内で「美しき魔怪」が指を鳴らしたあの音と重なった。
「ひいっ! あ、朱い、瞳が……! 笑って、指を、鳴らしただけで、隊長たちがっ!!」
拓馬は床に崩れ落ち、自身の髪を掻きむしった。
会議室の大型モニターに、現場の衛星画像が映し出される。そこには、巨大な爆撃を受けたかのように、円形状に抉り取られた更地があった。
「……デコピンですよ。デコピン一つで、空列斬(真空斬撃)が霧散した。……あれは、化け物です。人間に、どうこうできる相手じゃない……!!」
拓馬の絶叫が会議室に吸い込まれていく。
闇風特製のバトルスーツ、マッスルアシスト、さらには薬理・バイオ技術によるリミッター解除。それら全てを動員し、党首の証「金剛羅刹」の模造品すら振るったエリート部隊が、手も足も出なかった。
それは、アリが巨象に挑むことすら許されなかった蹂躙劇。
だが、幹部たちの顔に「驚愕」はない。あるのは、冷徹な「計算」の光だけだ。
「……やはり、現れたか。我々が追い続けていた『真なる夜』の具現体。……そして、それを引き寄せたのは、やはり『彼』だったか」
ホログラムが切り替わる。映し出されたのは、駅前の公園で眼鏡の位置を直し、情けなく溜め息をつく狭間信也の隠し撮り写真だ。
「この個体……被験体0号(狭間信也)から摘出した『角』。その解析はどこまで進んでいる?」
執行官――鈴宮亮志が問いかける。 白衣を着た老齢の研究員が、あわててモニターを操作した。
「順調ですよ。彼の角は、人と鬼のハイブリッドゆえに『加工』が容易だ。既にその呪力的因子を抽出し、鬼甲兵装への転用試験にも入っています……しかし鈴宮様。この17年間、傷つける事すら出来なかったモノが、突然、目覚めたように輝き始めたのは何故です?」
老齢の研究員の質問に鈴宮は眉をひそめて言った。
「……だが、『角』へのアクセスが可能になったのも事実だ」
鈴宮の脳裏に、忌々しい17年前の記憶が甦る。燃え盛る「旧闇風本部」。組織を裏切り、赤子を抱いて消えた男。そして、その逃亡を手引きし、命を散らした女――安西玲香。あの事件で、闇風の、そして鈴宮家の信用は地に落ちた。
鈴宮亮志。現闇風党首の嫡子にして、自身もS級の力を擁する退魔の剣士。だが彼は今、次期党首として「政」を学ぶため、あえて執行官の席に座っている。四十を越えたその瞳の奥には、未だ癒えぬ渇望が渦巻いていた。古来より受け継がれてきた党首の証――「金剛羅刹」への執着である。
「貴重なサンプルだ。二本と無いオリジナルの『角』だ。あまり、玩具に費やすような事は控えて貰いたいがな」
画面に、グロテスクな実験映像が流れる。鋼鉄の義足に、脈打つ生肉のようなパーツが絡みつき、融合している。その醜悪な脚が、一蹴りで厚さ十センチの装甲板を紙屑のように引き裂いた。
サイバリンクシステム。かつて闇に葬られた、人体と機械の融合を図る禁忌。だが、これはさらにその先を行く悪夢だ。
「名付けて、『人造鬼兵』。オリジナルの『角』から抽出したデータをフィードバックした、金剛羅刹の廉価版。姿形は刃の「羅刹」とは異なりますが、その戦闘力は従来のS級を遥かに凌駕します。何しろ抽出した鬼気を人工的な血流として全身を駆け巡らせておりますゆえ、戦闘力は計り知れません」
老齢の研究員は愉悦の笑みを浮かべながら言った。
「……本来の目的を忘れるな。我々が目指すのは、22年前に失われた『金剛羅刹』の復元……いや、我らの手による『新生』なのだからな」
拓馬は、その光景を虚ろな目で見上げていた。自分たちが信じ、命を懸けてきた「力」が、あんな醜い技術に置き換えられようとしている。だが、彼は知ってしまった。「真の夜」という「本物」が放っていた、あの神々しいまでの、恐ろしい「美」を。
「……無理です……勝てっこない……」
拓馬の乾いた呟きを、鈴宮たちは鼻で笑った。
「拓馬よ。氷室家再興を掲げている者の言葉ではないぞ」
その言葉に氷室拓馬は言葉を飲み込み、じっと床を見つめるしかなかった。
暗闇の中で、不気味で醜悪な技術の歯車が回り始める。信也の知らないところで、彼の出生にまつわる「過去」が、再び牙を剥こうとしていた。
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