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狭魔の鬼 ~俺の意識を乗っ取る絶壁美少女は、世界最強の呪物で無双する~  作者: MASAO
第3話

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境界侵蝕 5.


 夜の河川敷は、昼間ののどかな風景が嘘のように、重く冷たい静寂に支配されていた。


 水面は街灯の光すら吸い込むように黒く淀み、初夏だというのに、肌にまとわりつくような湿った冷気が漂っている。


 駅前から五十分くらいは歩いただろうか?


 夜中の住宅地を抜け、街灯が少なくなってきた先に一級河川が現れた。ここは水質も良く、この辺の子供たちが夏には川遊びに来る有名スポットだ。


 僕も、この川には施設のみんなとバーベキューによく来た経験がある。活発な美咲ちゃんに引っ張り回された記憶が甦ってくる。


 正直、こんな夜中の川原になんて、普段なら来たいとは絶対に思わないのが本音である。だけど、僕は何とかしなきゃいけない気がするし、何とかできる予感がした。


 暗い土手を、心細い街灯を頼りに純子さんと暫く歩いた。


 気のせいか、僕の目は仄暗い闇の向こうまでもが、はっきりと見える……マヤの影響だろうか?


 僕は時折メガネを上げては、それを確認してみた。

 むしろメガネが無いほうが、よく見える様な気がするのは気のせいではないのかもしれない……。


 程なくして、純子さんは立ち止まった。


「ここ……。十年前に、海斗が流された場所……」


 純子さんが震える声で呟いた。


 その視線の先、川辺のぬかるんだ土の上に、ずぶ濡れの海斗君の姿があった。彼はうつむいたまま、足元にまとわりつく黒い泥に引かれるように、ゆっくりと川の中へ歩を進めようとしている。


「海斗……ダメ、行かないで……っ!」


 純子さんが悲鳴のような声を上げ、弟へ手を伸ばした。


――その刹那。


ボコッ、ボコボコボコッ!


 突如として、川面が不自然に大きく泡立った。


 まるで川底で巨大なガス管が破裂したかのように黒い水柱が上がり、生臭い泥の臭いが一気に周囲に充満する。


「な、なんだあれ……っ!?」


 僕の目に飛び込んできたのは、川底の泥と水が意志を持ったかのように隆起し、巨大な人の形を成していく異様な光景だった。


 大きさは三メートル近くあるだろうか。無数の苦悶に歪む顔が表面に浮かび上がり、何十本もの腕が蠢いている。


 何十年分もの人間の『後悔』を喰って丸々と太った、巨大な水傀すいかいの本体(主)。


『アァァァ……コッチヘ、コイ……』


 地の底から響くような怨嗟えんさの声とともに、巨大な水傀から何本もの黒い触手が伸び、純子さんの足首に絡みついた。


「……きゃあっ!?」


「純子さん!」


 僕は咄嗟に純子さんの腕を掴み、力任せに引き寄せようとした。


 しかし、相手の力は圧倒的だった。ズリッ、ズリッと、純子さんの体が川の方へ引きずられていく。


「いやっ……! 海斗……海斗ぉっ!」


 純子さんは抵抗するよりも、川面に取り残された弟の姿を見て泣き叫んでいる。彼女の『罪悪感』こそが、この化け物の最大の餌なのだ。


(――ふん。泥臭い下等な怨霊の分際で、わたくしの前に、その無様な図体を現すとは。身の程知らずにも程がありますわね)


 脳内で、マヤの冷徹で傲慢な声が響いた。


 次の瞬間、僕の意識は、深く暗い海の底へと沈んでいくような感覚に襲われた。


 体の主導権が、完全に『マヤ』へと切り替わった瞬間だった。




   ♢   ♢   ♢




 少し離れた土手の上。


 闇に溶け込むように身を潜めていた氷室拓馬は、右目の『麒麟眼』が弾き出す異常な数値に、息を呑んだ。


『――ピピピッ! 警告。霊子濃度、限界突破。観測不能』


 ゴーグルのレンズが、激しい赤色に染まる。

 彼の視線の先で、純子を庇うように立つ少年の体から、夜の闇を切り裂くような『蒼い覇気』が爆発的に噴き上がった。 


 拓馬の口角が、歓喜に吊り上がった。


 少年の纏う空気は、先ほどまでの怯えた人間のものではない。何百年、何千年も血の海を渡り歩いてきた、絶対的な『捕食者』の威圧感だ。


 拓馬が握る対魔刀『影断』が、主の意思とは無関係に、恐怖と共鳴でカタカタと微かに震えていた。

「これが……あの少年の内に潜むモノの真の力。巨大な水傀の本体を前にしても、あの余裕……さあ、見せてみろ、お前の力を」




   ♢   ♢   ♢



 深く暗い海の底へと沈んでいく意識の中で、僕は『僕自身の体』をまるで映画のスクリーンのように見上げていた。




「……下らぬ。その程度の怨嗟えんさで、このわたくしの糧になろうなどと」




 朱い瞳の信也が、実に物憂げに言った。




信也マヤ』は、純子の足首に絡みつく黒い触手を、ただ冷たい目で見下ろした。


 そして、無造作にその触手の一つを素手で掴んだ。


『ギ……ギャァァァァッ!?』


 水傀が、信じられないものでも見たかのように絶叫を上げた。


 『信也マヤ』の手が触れた部分から、黒い泥がジュワジュワと蒸発していく。ただの物理的な力ではない。存在そのものの格が違いすぎるのだ。


「ただの泥水の分際で、わたくしの食卓に上がる許可を出した覚えはありませんわよ」


 『信也マヤ』は、空いている右手で虚空をスッと薙いだ。


 その指先から放たれた蒼い斬撃のオーラが、一閃。

 巨大な水傀の体を、袈裟懸け(けさがけ)に両断した。


『ア……ガァ……』


パァンッ!!


 凄まじい破裂音と共に、何十年も川底に巣食っていた巨大な澱みが、一瞬にしてただの水しぶきへと還り、夜の川面に降り注いだ。


 圧倒的な、そして残酷なまでの美しさを持った暴力。


 『信也マヤ』は、空中に散った濃密な瘴気の残滓を、ふうっと小さく息を吸い込むようにして手を差し伸べ、体内に取り込んだ。


「……うぇ。とても不味いですわね。所詮は下等な雑魚。口の中が泥臭くなりましたわ……口直しが必要ですわね」


 不満げに吐き捨てると、マヤの気配はスッと波が引くように消え去り、再び僕(信也)の意識が浮上してきた。


「ハァッ……ハァッ……」


 膝から崩れ落ちそうになる体を必死に支える。


 ふと前を見ると、水傀の消滅に伴って、海斗君の足元に絡みついていた黒い泥も完全に消え去っていた。


 今までキツネにつままれたような顔をしていた純子さんが、ハッと我に返ったように海斗君を見た。


 ずぶ濡れだった彼の姿は、今は淡い光に包まれ、乾いた元の可愛らしい少年の姿に戻っている。


「海斗……!」

 

 純子さんが、這うようにして海斗君に近づき、その小さな体を抱きしめようとした。だが、彼女の腕は透き通った海斗君の体をすり抜けてしまう。


 それでも、海斗君は嬉しそうに微笑んだ。


『お姉ちゃん。泣かないで』


「海斗……ごめんね、ごめんね……私、ずっと……!」


『ううん。僕ね、お姉ちゃんがずっと泣いてるから、心配で帰れなかったんだよ。あの黒いドロドロが、お姉ちゃんをいじめようとしてたから……僕、ここで通せんぼしてたの』


 海斗君の言葉に、純子さんの目から大粒の涙が溢れ出した。


 彼は純子さんを恨んでなどいなかった。ずっと、あの川の底の化け物から、大好きな姉を守るために留まっていたのだ。


「そうだったの……。ありがとう……ありがとう、海斗……っ」


『もう大丈夫だね。あのお兄ちゃんがやっつけてくれたもん』


 海斗君が僕を見て、ニコッと笑った。


 そして、その小さな体は光の粒子となって、夜空へとゆっくりと昇っていった。


「ああぁ……海斗。もう……自分を責めない。ちゃんと……前を向いて生きるから……もう、大丈夫だよ……海斗……」


 純子さんは、空へ向かって静かに手を合わせた。


 その横顔は、涙で濡れながらも、憑き物が落ちたように清々しく、そして美しかった。




   ♢   ♢   ♢




「……終わったか……」


 遠巻きにその一部始終を観察(記録)していた拓馬は、ゴーグルのスイッチを切り、静かに息を吐いた。

 圧倒的な力で水傀を『滅殺』した少年。


「一瞬でアレを消し飛ばしたかと思えば、今はあの間抜け面だ。……まったく、規格外にも程がある」


 拓馬は、泣き崩れる純子にオロオロと肩を貸している信也の姿を見て、小さく鼻で笑った。


 だが、その瞳には明確な『興味』が灯っていた。


「被験体0号……狭間信也。今は監視対象で手は出せないが、あの力……お前の正体は、必ず俺が暴いてやる」


 拓馬は闇に紛れるように、足音もなくその場を立ち去った。




   ♢   ♢   ♢




「信也君……今日は、本当にありがとう」


 帰り道。泣き疲れて少し目の赤い純子さんが、僕に向かって深々と頭を下げた。


「いえ、僕は何も……。純子さんが、ちゃんと海斗君とお別れできて良かったです」


「ううん。信也君がいなかったら、私、どうなっていたか……。ねえ、信也君って……もしかして、その……『そういうの』を専門で解決する……心霊探偵、みたいな人なの?」


「ええっ!? いや、ち、違いますよ! 僕はただの高校生で、ラーメン屋のバイトで……!」


 は? 心霊探偵だって!?


 そんなことオカルト好きの美咲ちゃんに知られたら、大変な事になってしまう!


 目を輝かせてトンデモない勘違いをしている純子さんに、僕は必死で手を振って否定した。このままでは、変な依頼を持ち込まれかねない。


「ふふっ、冗談よ。……でも、私のヒーローになってくれたのは本当」


 そう言って、純子さんは悪戯っぽく微笑み、僕の腕にギュッと抱きついてきた。


 柔らかな感触と、シャンプーのいい香りがダイレクトに伝わってくる。


「ひゃっ!? じゅ、純子さん!?」


「これからも、頼りにしてるね、信也君」


 顔を真っ赤にしてフリーズする僕の脳内に、またしてもあの傲慢な声が響き渡った。


(――まったく、世話の焼ける下僕ですこと。口の中の泥臭さが取れませんわ。……約束通り、高いプリンを『3個』、要求しますわよ!)


『ええっ!? さっきは2個って――』


(今宵の働きなら3個が妥当ですわ! 顕現マテリアライズしないで、わたくしが気を使って差し上げたんですからね。さあ、そうと分かれば、急ぎなさい下僕!)


 腕には憧れの先輩。頭の中には食い意地の張った美しき魔怪。


 僕の日常は、もう完全に後戻りできない場所まで来てしまったようだ。



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