序
「はあ……ウンザリしますわね」
わたくしは、あんな下賤な輩の相手をするのは御免被りたくてよ。 今日で何度目の邂逅かしら? あの手この手と品を変え、わたくしを失望させるだけの連中。暗闇に潜むドブネズミのような気配に、わたくしは再び溜息をついた。
今夜はこんなにも素晴らしい夜だというのに。新月の闇に溶け込む山々の形を眺めながら、わたくしは爪の先のゴミをふっ、と優雅に吹き飛ばした。
どうして、わたくしをつけ回すのかしら? 気配は四つ……あら、今日のお客様は五人ね。一つ、やけに怯えた小さな気配が混ざっているわ。 どちらでもいいわ、本当にいい迷惑。 理由はなんとなく察せられるけれど……せっかく新しいお洋服を纏ったのですもの。飛んだり跳ねたりして、またボロボロにするのは嫌だわ。
まあいいわ……さっさと終わらせて、また綺麗なお洋服に着替えれば済む話ね。
「ねえ。貴方達、いつまでそうして隠れん坊をしているおつもり?」
呼びかけるけれど、返事はない。 眼下に広がる暗い草原。その先には、宝石箱をひっくり返したような街の明かりが煌めいている。 なんて無粋なのかしら。せっかくこのわたくしが、夜闇の散歩を楽しんでいるというのに。
「……不快だわ」
微かに、風が動いた。
「そう……そちらがそのつもりなら、こちらにもやりようは幾らでもありましてよ?」
言うが早いか、わたくしは闇へと視線を投げた。 肩にかかる長い黒髪を払いのけるように、右手を優雅に掲げ――パチン、と指を鳴らす。
ヒュッ!
「ぐはあああっ!!」
指を鳴らしただけの衝撃波。それだけで、暗闇の中から断末魔が上がった。
「はーい。まずは一人目ですわ」
ザザアッ!
わたくしの声に反応するように、左奥の闇から刃が走った。
「空列斬!」
男が叫びと共に放ったのは、真空の斬撃。わたくしの身体など容易く両断するであろう鋭い風が迫る。
「つまらない手品ね……ふぁあ」
あくびを噛み殺しながら、わたくしは迫りくる斬撃へデコピンをするように指を弾いた。 パァン! 乾いた音が響き、真空の刃が霧散する。 ついでに、その延長線上にいた男へ向けて、もう一度優雅に指を鳴らして差し上げた。
「ぐぎゃあああッ!?」
蛙を踏み潰したような、なんとも下品な悲鳴。美しくありませんわね。
「おのれ!」
「やるぞ! ユキマサ! タクマ!」
今度は背後と右側。白銀の刃を上段に構えた二人の男が、同時に飛びかかってくる。逃げ場のない挟撃。
「きゃあああ……」
なんて、言ってみただけ。 刃がわたくしの柔肌を捉えた――そう錯覚した瞬間、そこにあるのは黒い残像だけ。わたくしは既に、男達の背後へ優雅に移動を終えている。
「……ちょっと、貴方達。こんなか弱い乙女を大の男が二人掛かりで、しかも刀で切りつけるだなんて。マナーがなっていませんこと?」
「なっ……!?」
目の前の獲物が消え、男達がギョッとして振り返る。その隙だらけの首筋。
ああ、なんて誘っているのかしら。
「この化け物が!」
一人の男が、恐怖に顔を歪ませながら刃を振り回す。わたくしはそれを新体操の選手のように、しなやかな伸身宙返りでかわして微笑んだ。
「ふふふっ、わたくし、スレンダーですの。今度は見えましたか?」
「おちょくりやがって!」
シュッ! 男が苦し紛れにクナイを投げてくる。眉間めがけて飛来する凶器。けれど、そんなものは止まって見えるわ。わたくしは白く細い二本の指で、その切っ先を摘まむように受け止めた。
「爆散っ!」
「嫌ね……」
男の叫びと共に、指先のクナイが強烈な光を放つ。爆発系の術式か。 ドォォン!! 耳をつんざく破裂音と閃光が、夜の草原を白く染め上げた。
……数秒後。黒い煙の中から、わたくしは不機嫌に歩み出る。
「はあ……せっかくのお洋服が煤けてしまったじゃない。どうしてくれますの?」
わたくしの瞳が、朱く妖しく見開かれる。同時に、わたくしの体から溢れ出したどす黒い殺気が、新月の闇すら塗りつぶすように辺りを包み込んだ。
「な、何だコリャ!?」
「くっ! か、体が動かん!」
男達が悲鳴を上げる。可哀想に。わたくしの『圧』に当てられて、金縛りにあったのね。
「お洋服を汚した罪……万死に値しますわ」
じわり、と視線だけで締め上げる。
「バカな! こんな魔怪が……がぁ!」
「我らS級がこれ程簡単に手玉に取られるだ……と、ぐはっ」
ボキリ……ボキリ。枯れ木を折るような音と共に、二人の首があらぬ方向へねじ曲がり、どうと地に伏した。
「わたくし、思うんですの」
動かなくなった肉塊には目もくれず、わたくしはゆっくりと振り返る。 そこには、最後の一人――ガタガタと震える刃を構えた青年が立っていた。
「どうするの、貴方は? わたくしとダンスを踊るには、少々力不足ではなくって?」
小首をかしげ、あざとくポーズを決めてみせる。風が、わたくしの長い黒髪をさらさらと撫でていく。
「どうするの? 僕」
「ひっ! た、隊長……ユキマサさん!」
青年は半泣きで叫んだ。そんな僕ちゃんに、わたくしは先ほどねじ切った男の首を二つ、ボールのように放り投げて見せた。
「あら、この方は隊長さんだったの? こっちがユキマサ? 残念だったわね。なら貴方がタクマね」
にっこりと、聖母のように微笑んであげる。
「い、いつの間に隊長達の首を……」
「ちょっとした手品のようなものよ。うふふ」
だって本当にそうですもの。種も仕掛けもない、ただの暴力ですわ。
「化け物が……」
ふう、二言目にはみんな同じ事を言うのね。
「今日はもう興が削がれましたわ。わたくし、そろそろ帰ろうかと思いますの」
「逃がすと思うのか!」
タクマは恐怖を怒りで誤魔化そうと叫ぶ。けれど、その足元はガタガタと震えている。
「わたくし、お鼻が良く利きますのよ?」
わたくしは彼の股間あたりをじっと見つめて言った。
「!? くっ!」
視線の先の意味――そこから漂うアンモニア臭を指摘されたタクマは、顔を真っ赤にしてその場に崩れ落ちた。
「お小水を漏らしてしまうほど怖かったのね。もう、およしなさいな」
わたくしはクスクスと笑いながら背を向け、ゆっくりと歩きだした。
「くそおおおおおおっ!」
背後で負け犬の遠吠えが聞こえるけれど、もう興味はないわ。東の空が、白み始めている。
「闇の風……夜闇に紛れて忍び寄る風が如く? ……時代の裂け目?……とか、でしたっけ?」
ふと、どこかで聞いたような言葉が脳裏をよぎる。まあ、大した問題ではないわね。
さあ、帰りましょう。わたくしはタッと地面を蹴ると、重力など存在しないかのように空高く跳躍した。
足下を過ぎ去る黒い山々。眼下に広がる街の灯りが、まるで流れる川のように美しい。
「ふふっ、アハハハハ!」
高揚感に任せて、わたくしはもっと速く、もっと高く。夜明け前の空へと溶けるように、街の灯りの中へと舞い降りていった。
……時代の片隅で変容が始まった。
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