赤い糸
とある猫がたどり着いたのは、赤い糸が見える世界。小指に結ばれた糸は、運命の相手を指す。愛の象徴であり、時には呪いでもある。猫の瞳が、ひとりの少女と少年を捉えた。少女は時雨坂さつき、少年は柴又翔。二人の小指を結ぶ赤い糸は、鮮やかで、しかしどこか儚げだった。
猫は路地裏の影に身を潜め、彼らの物語を見始めた。
指切りの約束
さつきは16歳、明るく優しい高校生だった。彼女の笑顔は周囲を照らし、大人びた瞳には強い意志が宿る。彼女の小指には赤い糸が結ばれ、その先には2歳年下の柴又翔がいた。
翔は華奢で気弱な少年だった。大きな瞳と純粋な笑顔が、さつきには愛おしく、守りたい存在だった。二人の出会いは8年前、翔が7歳のとき。路地裏で野良犬に追い詰められた翔を、9歳のさつきが救った。
「大丈夫! 私が助けるから!」
さつきは石を投げ、犬を追い払った。震える翔の手を握り、彼女は笑った。
「これくらい、何度でも助けるよ。ほら、約束。」
彼女は小指を差し出し、翔も小さな指を絡めた。
「指切り、げんまん、嘘ついたら針千本飲ます!」
二人の声が重なり、笑顔が路地を満たした。猫は電柱の上から見ていた。赤い糸が、二人の小指を強く結んでいた。
それから二人は互いに欠かせない存在になった。さつきは翔を支え、翔はさつきに心を預けた。だが、猫の蒼い瞳は、赤い糸が次第に重い色に変わるのを見逃さなかった。
糸の重さ
翔が中学に入ると、いじめが始まった。気弱な性格が標的となり、クラスメイトの嘲笑が彼を追い詰めた。さつきはいつもそばにいた。いじめっ子に立ち向かい、翔を励まし、時には一緒に涙を流した。
「翔、大丈夫。私がいるからね。」
だが、翔の心はすり減っていった。さつきの優しさは彼の光だったが、同時に重圧でもあった。「僕のせいで、さつきに負担が…」と、彼は自分を責めた。赤い糸は愛の象徴であると同時に、翔を縛る鎖のように感じられた。
ある夜、猫は翔の家の屋根にいた。翔は部屋で鏡を見つめ、赤い糸を握りしめていた。まるでその糸が首を締め付けるかのように。
「さつきは僕を幸せにしてくれる。でも、僕はきっとさつきを幸せにできない…。」
彼は決断した。翌朝、さつきは翔の部屋で彼を見つけた。赤い糸が首に巻きついたまま、翔は息絶えていた。そばには手紙が置いてあった。
> さつきへ
> 僕は君を幸せにする自信がない。これからも君に負担をかけるだけだ。それなら、僕がいなくなれば、君はもっと素敵な人を見つけて幸せになれると思ったんだ。
> 言葉で伝えても、君は絶対に受け入れないだろう。だからこうするしかなかった。どうか許してほしい。
さつきは手紙を握り潰し、泣き叫んだ。猫は窓辺からその光景を眺めた。蒼い瞳には何も映らない。ただ、さつきの絶望が空気を震わせ、赤い糸が不気味に揺れていた。
時間の狭間
さつきの目は虚ろになり、笑顔は消えた。毎晩、翔のことを思い出し、赤い糸を睨んだ。「なんで、私じゃダメだったの?」
ある夜、さつきは夢を見た。銀色の尾を持つ白猫が現れ、蒼い瞳で彼女を見つめた。無言のまま、猫はさつきを導いた。
「君は…私をどこへ?」
白猫は答えず、ただ歩き出した。さつきがたどり着いたのは時間の狭間。無数の光の糸が交錯し、過去と未来が交差する場所だった。
白猫は銀色の尾を一振りし、さつきを過去へと送った。瞳は無表情だったが、どこか深い光をたたえていた。
再びの約束
さつきが目を覚ますと、8年前の路地裏だった。野良犬に追い詰められた幼い翔がいた。
「翔!」
さつきは駆け寄り、犬を追い払った。翔は驚いた顔で彼女を見上げた。
「お姉ちゃん…誰?」
「...約束する。何度でも君を助けるから。」
二人は再び指切りをした。だが、さつきは気づいた。赤い糸が、以前より重く、冷たく感じられることを。白猫は遠くの塀の上から見ていた。蒼い瞳には、さつきの決意と糸の不穏な揺れが映っていた。
さつきは翔を変えようと努めた。だが、翔の心は脆かった。さつきの優しさは愛であると同時に、依存の鎖でもあった。
「さつき、君がいないと僕は何もできない…。」
「大丈夫、私がいるから。」
だが、さつきの心も軋んだ。赤い糸が、彼女の首をも締め付けるようだった。
繰り返す悲劇
運命の日は再び訪れた。さつきは必死に翔を守ったが、彼はまた部屋でひとり、赤い糸を握りしめていた。さつきが駆けつけたとき、翔は再び糸を首に巻きつけていた。
「やめて、翔! お願い!」
さつきは彼を抱きしめ、糸を引きちぎろうとした。だが、翔は弱々しく笑った。
「さつき、ごめん...。君を幸せにできそうにないや…。」
さつきは泣き叫び、翔の手を握った。「翔がいればいい! 私には翔が必要なの!」
だが、翔の目は閉じ、息が止まった。白猫は窓辺に立ち、静かに見つめていた。銀色の尾が、わずかに震えた。
糸を断つ
「…この糸が翔を苦しめるなら、そんな糸はいらない!」
さつきは小指の赤い糸を掴み、力任せに引きちぎった。糸は霧となり、消えた。彼女は叫んだ。
「翔。何度でも君を助けるって。重荷になるなら、こんな糸いらない!」
白猫の蒼い瞳が、初めて揺れた。さつきは過去へ戻った。今度は赤い糸のない世界で、翔と再会する。
「翔、君は君のままでいい。私にはそれで十分なの。」
翔は小さく頷き、さつきの手にすがった。彼女は彼を強く抱きしめた。
生まれ変わる愛
さつきと翔は新たな時間を歩み始めた。赤い糸はもうなかった。だが、さつきの心には、翔への愛が確かに宿っていた。彼女は翔に笑いかけた。
翔は初めて、自分の力で立ち上がろうとした。
「君が笑っててくれるなら、それでいい。生まれ変わっても、何度でも君を愛すよ。」
二人の手は、糸ではなく互いの温もりで繋がれていた。