ラウンド3:「孤独と他者/社会」- 分かってほしい、でも…
(ラウンド2の濃密な議論の余韻が残るスタジオ。モニターにはラウンドタイトル『ラウンド3:孤独と他者/社会-分かってほしい、でも…』が表示される。あすかは、ペンを片手に少し考え込むような仕草を見せた後、静かに口を開いた。)
あすか:「孤独が創造や行動の力にも、あるいは毒にもなりうる…。その両義性が明らかになったラウンド2でした。それは、もしかしたら『孤独』そのものの性質というより、その孤独の中で、私たちが『他者』や『社会』とどう関わろうとするか、あるいは、どう関わってしまうのか、ということと深く結びついているのかもしれませんね。」
(あすかは、そっと芥川龍之介に視線を向ける。彼の表情は依然として晴れない。)
あすか:「そこで、このラウンド3では、『孤独と他者/社会』との関係性について掘り下げたいと思います。皆さまは、ご自身の考えや感情、あるいは生み出したものを、他者に理解されたい、分かってほしい、と思われたことはありましたか?それとも、むしろ社会から距離を置き、孤立することを望まれたのでしょうか?…芥川先生、ラウンド1で人間関係の煩わしさや、理解されないことへの不安について触れられていましたが、もう少し詳しくお聞かせいただけますか?」
芥川:(ため息とともに、自嘲気味に口を開く)「…理解、ですか。ええ、それはもう…喉から手が出るほど、欲しかったのかもしれませんね、若い頃は。自分の書いたものが、誰かの心に響くこと、自分の苦悩が、誰かに共感されること…。そういう淡い期待を抱いていた時期も、確かにありました。」
(彼は神経質そうに指を組む。)
芥川:「しかし…現実は、そう甘くはありませんでした。文壇という場所は…才能ある若者が集まる華やかな世界のようでいて、その実、嫉妬と中傷、足の引っ張り合いが渦巻いている。少しでも目立てば、根も葉もない噂を立てられ、些細な言動をあげつらわれ、人格まで否定される。信じていた先輩に裏切られたことも…まあ、具体的な話はよしましょう。とにかく、そういう経験を繰り返すうちに…次第に、人を信じることが怖くなっていったのです。」
あすか:「人間不信に陥ってしまった、と…。」
芥川:「ええ。期待するから、傷つく。ならば、最初から期待しなければいい。そう思うようになりました。妻や子供たちに対しても…心の底では愛しているつもりなのですが、どこかで壁を作ってしまう。彼らが私の本当の苦しみ…この『ぼんやりとした不安』を理解してくれるとは、どうしても思えない。むしろ、理解されたくない、という気持ちすら芽生えてくる始末です。こんな醜い内面を知られたら、軽蔑されるのではないか、と…。」
(彼の声は、自嘲と諦念に満ちている。)
芥川:「結局、私は…他者を求めながら、他者を恐れている。理解されたいと願いながら、理解されることを拒絶している。この矛盾した感情の中で、ただ一人、出口のない暗闇を彷徨っているような…そんな状態なのです。孤独は、私にとっては、他者との間に横たわる、決して埋めることのできない深い溝、なのかもしれませんな…。」
(芥川が痛切な胸の内を吐露すると、スタジオには再び重い沈黙が流れる。その沈黙を破ったのは、意外にもルートヴィッヒだった。)
ルートヴィッヒ:(芥川に同情するでもなく、しかし少しだけ関心を示すように)「…ふむ。溝、か。君の言うことも、分からなくはない。俗世の人間どもは、理解しようともせずに、ただ好奇の目でこちらを覗き込み、勝手な評価を下すだけだ。そんな輩に、私の魂の内側を覗かせるなど、考えるだけでも反吐が出る。」
あすか:「では、陛下はやはり、他者からの理解など全く不要だと?」
ルートヴィッヒ:「そうだとも!大衆など、どうでもよい!私の世界は、私と、私が認めた美だけで完結しているのだからな。…ただ…」
(彼は一瞬言葉を切り、わずかに表情を和らげる。)
ルートヴィッヒ:「…ただ、魂が真に響き合う相手というものが、もし存在するならば…話は別かもしれん。例えば、従姉のエリザベト。彼女もまた、宮廷の堅苦しさを嫌い、自由を求めて彷徨う魂だった。彼女と交わす手紙の中では、私も少しだけ、心の鎧を脱ぐことができたように思う。あるいは、ワーグナーだ。彼の音楽は、私の魂そのものだった。彼が私の傍にいて、私のために楽劇を創ってくれていた時期は…確かに、孤独ではなかったのかもしれんな…。」
あすか:(すかさず)「おや陛下?理解など不要とおっしゃりながら、やはり特別な方には分かってほしかった、ということでしょうか?」
ルートヴィッヒ:(少し狼狽し、咳払いをする)「…なっ、何を言うか!あれは、あくまで魂の共鳴だ!俗な意味での理解とは違う!君のような凡俗には分かるまい!」
ニーチェ:(ルートヴィッヒの反応を見て、面白そうに口角を上げる)「フッ、陛下も人が悪い。その『魂の共鳴』とやらが、結局は『理解されたい』という弱さの変奏に過ぎんことを、ご自身が一番よく分かっているのではないかね?」
ルートヴィッヒ:(むっとして)「黙れ、哲学者崩れが!君に私の高尚な精神が理解できるものか!」
ニーチェ:(余裕の表情で)「おっと、これは失敬。だが、陛下。真に孤高の精神を持つ者は、たとえ魂が響き合おうとも、他者に依存したりはせんものだ。ワーグナーへの傾倒も、結局は君自身の弱さ…現実から目を背けたいという願望の現れだったのではないかね?」
ルートヴィッヒ:「貴様…!」
あすか:「まあまあ、お二人とも!少しヒートアップしすぎですよ!ニーチェ先生、では先生ご自身は、他者からの理解というものを、どうお考えなのですか?『群衆は愚か』『大衆に媚びるな』と常々おっしゃっていますが…」
ニーチェ:(再び自信を取り戻し、断定的に)「当然、不要だ!いや、むしろ有害ですらある!大衆の理解や共感などというものは、常に凡庸さへの堕落を意味する!彼ら『末人』どもは、安楽と平等を求め、突出した個性を恐れ、足を引っ張ることしか考えん!そんな連中に私の思想が理解できるはずもないし、理解される必要もない!」
(彼はスタジオ全体を見渡し、挑むような視線を送る。)
ニーチェ:「『ツァラトゥストラ』が山を下りて人々に語りかけたのは、決して彼らの理解や同情を得るためではない!あれは、眠れる獅子たち…すなわち、旧来の価値観に囚われず、自らの力で人生を切り拓く可能性を秘めた者たちへの『呼びかけ』であり、『挑戦』なのだ!『聞け!古き神は死んだ!新たな価値を創造せよ!超人たれ!』と!」
あすか:「理解ではなく、呼びかけであり、挑戦…ですか。」
ニーチェ:「そうだ!私の言葉は、安易な慰めや共感を求める弱者のためのものではない!それは、自らの意志で高みを目指し、孤独な道を歩む覚悟のある者だけが受け止められる、雷鳴のようなものだ!理解者?不要だ!必要なのは、私の後に続き、あるいは私をも超えていく、『同胞』であり『後継者』なのだ!…まあ、そのような人間が、この時代にどれほどいるかは疑問だがね。」
芥川:(苦々しげに呟く)「…結局、先生も、誰かに届いてほしいと願っているのではないですか…?それが『同胞』であれ『後継者』であれ…。」
ニーチェ:(芥川を鋭く睨み)「黙りたまえ、芥川君!君の言うような感傷的な『願い』とは違う!これは、人類を高みへと導くための、必然的な呼びかけなのだ!君のように、他人の顔色を窺い、理解されないことに怯えているような精神には、到底理解できんだろうがな!」
芥川:(唇を噛み、反論しようとするが、言葉にならない)「……先生には…先生には、この苦しみは…分かるまい…!」
(芥川はそれだけ言うと、再び俯いてしまった。その痛切な様子に、さすがのニーチェも一瞬言葉を失う。そこに、冷静な声が響いた。)
ナイチンゲール:「ニーチェ先生。あなたのその強靭な精神と孤高の姿勢には、ある種の敬意を表します。ですが、あなたの言う『同胞』や『後継者』もまた、結局は『他者』ではありませんか?そして、社会から完全に隔絶したところで、あなたの思想がどのようにして『人類を高みへ導く』というのでしょう?」
ニーチェ:(ナイチンゲールに向き直り)「ほう、看護婦殿は、また実践的な観点から異議を唱えるかね?」
ナイチンゲール:「ええ。私は、社会の中で具体的な『変化』を起こすことを目指してきました。そのためには、たとえそれが困難であっても、他者と関わり、社会と向き合うことが不可欠でした。協力者を見つけ、彼らと連携すること。そして、改革に抵抗する人々…官僚や軍の上層部、あるいは旧態依然とした考えを持つ人々を、説得し、時には闘うこと。その両方が必要でした。」
あすか:「社会との関わりの中で、孤独を感じることはなかったのですか?」
ナイチンゲール:「もちろん、常に感じていました。特に、改革の初期段階では、私の考えを理解し、支持してくれる人はごく少数でした。多くの人は無関心か、あるいは敵意さえ持っていました。会議の場で、たった一人で居並ぶ男性官僚たちと渡り合うことも度々ありました。それは確かに『孤独』な戦いでした。しかし、それは決して社会からの『孤立(isolation)』を意味するものではありません。」
あすか:「孤独と孤立は違う、と?」
ナイチンゲール:「そうです。私は、目的を共有する看護師たちや、私のデータと思想に賛同してくれた政治家、知識人たちと『連帯』していました。たとえ物理的に離れていても、書簡を交わし、情報を共有し、互いを励まし合っていました。そして、社会全体という大きな対象に対して、共に働きかけていたのです。これを私は『連帯の中の孤独(solitudeinsolidarity)』とでも呼びたいと思います。完全に社会から切り離され、自己の内面だけに沈潜するあなた方(ニーチェ、ルートヴィッヒ、芥川を指す)の孤独とは、種類が違うのではないでしょうか。」
ニーチェ:「フン、群れることで孤独をごまかしているに過ぎんだろう。」
ナイチンゲール:(冷静に)「そうは思いません。目的達成のためには、個人の力だけでは限界があります。他者の知識や力を借り、組織として動くことが不可欠です。もちろん、その中で意見の対立や軋轢も生じますし、最終的な決断はリーダーが孤独に下さなければならない場面もあります。しかし、それは社会との繋がりを保った上での孤独であり、生産的な孤独だと考えます。社会から完全に背を向け、他者からの理解を頭から拒絶するあなたの孤独は、果たして本当に『人類を高みへ導く』力を持つのでしょうか?」
(ナイチンゲールの鋭い指摘に、ニーチェはぐっと言葉に詰まる。ルートヴィッヒは退屈そうにあくびをし、芥川はナイチンゲールの言葉に何かを感じたように顔を上げている。)
あすか:(この議論の核心に触れるように、ゆっくりと問いかける)「理解されたい、でも怖い。理解など不要だ、でも魂の響き合う相手は…。理解ではなく呼びかけだ、でも同胞は…。連帯の中の孤独…。皆さま、お話を聞いていると、結局のところ、『他者』や『社会』との距離の取り方に、それぞれ深く悩まれ、葛藤してこられたように感じます。」
あすか:「人は一人では生きられない、と言われます。完全に他者から切り離されて、真の意味で幸福になれるのでしょうか?かといって、他者に依存しすぎたり、理解を求めすぎたりすれば、傷つき、自分を見失ってしまう危険もある…。このジレンマこそが、もしかしたら『孤独』という問題の本質なのかもしれませんね。」
あすか:「理解を求める心と、孤立を選ぶ意志。社会との繋がりと、個人の尊厳。この非常に悩ましいバランスについて、最終ラウンドでは、皆さまが考える『理想の孤独』、あるいは『孤独との最終的な向き合い方』について、お話を伺っていきたいと思います!」
(あすかの言葉が、白熱した議論の中に、次なる問いを投げかける。対談者たちは、それぞれの思いを胸に、静かに次のラウンドを待つ。)