ラウンド2:「孤独と創造/行動」- 孤独は力になるか?
(ラウンド1の緊張感を残しつつ、スタジオの照明が少し変化し、モニターにはラウンドタイトル『ラウンド2:孤独と創造/行動-孤独は力になるか?』が映し出される。あすかは、先ほどのナイチンゲールの発言を受け、深く頷きながら口を開いた。)
あすか:「『選び取る孤独』と『強いられる孤独』…そして、そのどちらにも単純には分類できない孤独もある…。ラウンド1では、皆さまの孤独の源泉とその多様な形が浮き彫りになりましたね。では、次のラウンドでは、その孤独が皆さまの人生における『創造』や『行動』に、具体的にどのような影響を与えたのか、そして、それは果たして『力』になったのかどうか、という点を掘り下げていきたいと思います。」
(あすかは、まず最も力強く孤独の価値を主張したニーチェに視線を送る。)
あすか:「ニーチェ先生。先ほど『孤独なくして偉大な創造はない』と断言されました。先生ご自身の哲学は、まさにその孤独の中で育まれたものだと思いますが、孤独が『力』となり、創造へと結びついた具体的な経験について、もう少し詳しくお聞かせいただけますか?」
ニーチェ:(待っていましたとばかりに、口元に自信に満ちた笑みを浮かべ)「フッ、当然だ!私の思想の核心部分は、すべて孤独な散策と思索の中から生まれてきたと言っても過言ではない!特に、スイス・アルプスのシルス・マリア!あのエンガディン地方の澄み切った空気、峻厳な山々、静寂に包まれた湖…あのような環境に身を置かずして、どうして『永劫回帰』のような深遠な思想に到達できようか!」
(彼は目を閉じ、当時の情景を思い浮かべるように語る。)
ニーチェ:「街の喧騒、くだらぬ人間関係、世俗的な評判…そういったものから完全に解放され、ただ一人、自然と対峙し、自らの内なる声に耳を傾ける。するとどうだ?言葉が、思想が、まるで天啓のように降りてくるのだ!『ツァラトゥストラ』の着想を得たのも、ある日の散歩中、シルヴァプラーナ湖畔の巨大なピラミッド型の岩のそばだった。あの瞬間、私の頭脳を稲妻が貫いたのだ!『すべては繰り返し、この生の一瞬一瞬が永遠に回帰するのだ!それでも汝はこの生を肯定できるか?』と!」
あすか:「孤独な環境が、先生の思索を深め、インスピレーションをもたらした、と。」
ニーチェ:「そうだ!群衆の中にいては、他人の意見や既存の価値観に惑わされ、矮小な思考しかできん!孤独とは、いわば精神の濾過装置なのだよ。不純物を取り除き、魂を研ぎ澄ます。そして、その研ぎ澄まされた魂だけが、真理に触れ、新たな価値を生み出すことができる!ルサンチマンに満ちた弱者の道徳を打ち破り、『超人』という新たな人間像を提示できたのも、私が群れから離れ、孤独の山頂に立ったからに他ならん!孤独は苦痛ではない!創造のための最高の媚薬であり、力そのものなのだ!」
(ニーチェが熱弁を終えると、隣のルートヴィッヒが深く頷き、静かに口を開いた。)
ルートヴィッヒ:「…ニーチェ先生の言葉、よく分かる。私も、孤独の中でこそ、真の美を創造できると信じている。」
あすか:「陛下も、孤独が『力』になったとお感じですか?」
ルートヴィッヒ:「もちろんだ。私の城を見れば分かるだろう。あれらは、決して臣下どもとの会議や、世間の評判を気にして生まれたものではない。ノイシュヴァンシュタイン城の設計…あれは、ワーグナーのオペラ『ローエングリン』や『タンホイザー』の世界を、この地上に具現化しようとした、私一人の夢想の産物だ。誰に相談したわけでもない。ただ、私の頭の中に鳴り響く音楽と、目に浮かぶ騎士や妖精たちの姿を、建築家たちに伝えただけだ。」
(彼はうっとりとした表情になる。)
ルートヴィッヒ:「あの城の塔から見るアルプスの山々、湖に映る白鳥の姿…俗世から隔絶されたあの場所で、私はようやく真の王であれた。リンダーホーフ宮殿の『ヴィーナスの洞窟』!あれもそうだ。タンホイザーが官能の喜びに溺れた異教の神々の世界を、私は自分のためだけに再現したのだ。青い照明に照らされた人口の鍾乳洞、金色の貝殻の小舟…そこで一人、ワーグナーの音楽に耳を傾ける時、私は時間も現実も忘れ、至福の境地に浸ることができた。」
芥川:(小声で)「…それは、現実逃避なのでは…?」
ルートヴィッヒ:(芥川の声が聞こえたのか、少し眉をひそめ)「現実逃避?そうかもしれん。だが、その『逃避』の中でしか生まれない美があるのだよ、芥川君。美の創造のためならば、孤独など安い代償だ。むしろ、孤独であればあるほど、私の感性は研ぎ澄まされ、より純粋な美の世界に近づくことができた。孤独は、美を生み出すための絶対条件であり、私にとっては紛れもない『力』だったのだ。」
(ルートヴィッヒは、自らの耽美的な世界に満足するように、静かに目を閉じた。あすかは、その言葉を受け、今度は芥川に問いかける。)
あすか:「孤独が創造の力になる、というニーチェ先生と陛下のお話でした。芥川先生、先ほど『孤独は劇薬にもなりうる』とおっしゃいましたが、先生ご自身の創作活動において、孤独はどのように作用したのでしょうか?やはり、力になった部分もあったのでしょうか?」
芥川:(苦々しい表情で、ゆっくりと言葉を探しながら)「…力に、なった部分が全くなかったとは、言いません。確かに、一人静かに書斎に籠り、物語の世界に没頭している時…言葉が、イメージが、どこからか湧き出てくるような感覚はありました。『蜘蛛の糸』や『杜子春』のような作品は、ある種の…そう、孤独な瞑想の中から生まれたのかもしれません。」
(しかし、すぐに彼の表情は曇る。)
芥川:「ですが…それは、ごく稀な、幸運な瞬間に過ぎません。多くの場合、孤独は…私にとって、耐え難い重圧でした。一行も書けない。頭の中は空っぽなのに、締め切りだけが迫ってくる。焦り、自己嫌悪…そして、例の『ぼんやりとした不安』が、霧のように心を覆ってくるのです。」
あすか:「書けない苦しみ、ですか。」
芥川:「ええ。そして、無理に書こうとすると…神経が、おかしくなってくる。不眠が続き、幻覚を見るようになる。壁の染みが人の顔に見えたり、誰かが自分の悪口を言っている声が聞こえたり…。『歯車』という作品には、その頃の私の状態を…いくらか書き留めていますが…。」
(彼は疲れたように目をこする。)
芥川:「孤独の中で生まれたインスピレーションが、素晴らしい作品を生むこともあるでしょう。しかし、それは同時に、作者の精神を蝕み、破滅へと導く危険も孕んでいる。まるで、劇薬です。使い方を間違えれば、あるいは、量が多すぎれば、命取りになる。陛下やニーチェ先生のように、孤独を『力』として完全に飼い慣らすことなど、私のような弱い人間には…到底、できませんでした。孤独は、力である以上に、私にとっては恐ろしい『敵』でもあったのです。」
(芥川の痛切な告白に、スタジオは再び静まり返る。ニーチェは相変わらず批判的な表情だが、ルートヴィッヒは少し同情的な視線を送っているようにも見える。あすかは、静かにナイチンゲールに視線を移した。)
あすか:「芥川先生、ありがとうございました。孤独が持つ、創造の光と影…その両面を生々しく語っていただきました。ナイチンゲールさん、先生のお話を聞かれて、いかがですか?孤独が『敵』にもなりうる、という点について。」
ナイチンゲール:(冷静な表情を崩さず、しかし芥川に理解を示すように頷く)「ええ、芥川先生のおっしゃることは、よく理解できます。孤独という状況は、確かに精神的な負担を強いるものです。特に、目標が見えず、出口が見えないような状況では、なおさらでしょう。」
あすか:「ナイチンゲールさんご自身は、孤独を『力』に変えられた、というお話でしたが、それは常にそうだったのでしょうか?孤独が『敵』だと感じられたことは?」
ナイチンゲール:「もちろん、ありました。クリミアでの経験をお話ししましたが、あのような極限状況では、孤独感は常にありました。周囲の無理解、妨害、そして何より、自分の力の限界を痛感させられる日々…。次々と亡くなっていく兵士たちを前に、自分一人の力ではどうしようもないという無力感に苛まれることもありました。」
(彼女は、しかし、すぐに前を向く。)
ナイチンゲール:「ですが、私はそこで感傷に浸ることを自分に許しませんでした。孤独や無力感に打ちのめされている暇があるなら、一つでも具体的な行動を起こすべきだと考えたのです。そのために、孤独という状況を、むしろ『利用』した、と言えるかもしれません。」
あすか:「孤独を、利用する?」
ナイチンゲール:「はい。例えば、周囲の雑音や抵抗から距離を置き、一人で冷静に状況を分析する時間を持つこと。膨大なデータを整理し、問題の核心を見抜き、具体的な改善策を計画すること。そのためには、孤独な環境はむしろ『集中力』を高める上で有効でした。また、周りに頼れる人がいないという状況が、かえって『自分でやらねばならない』という強い意志、責任感を生み出した側面もあります。」
ニーチェ:「ほう、それはつまり、君も孤独を『力』として活用したということではないかね?」
ナイチンゲール:(ニーチェに向き直り)「ええ、結果的に『力』として作用した部分はあります。しかし、それはあくまで『目的達成のための手段』として、意識的に管理しようとした結果です。あなたのように、孤独そのものを賛美したり、絶対的な価値を置いたりするのとは異なります。私にとって孤独は、克服し、管理し、最終的には不要になるべき『障壁』であり続けました。」
(彼女は手元の資料を指し示す。)
ナイチンゲール:「重要なのは、孤独の中で感情に流されるのではなく、理性とデータに基づいて行動することです。私は、病院の死亡率がいかに高いか、その原因がどこにあるのかを徹底的に調査し、統計データとしてまとめ上げました。そして、その客観的な事実を武器に、本国の政府や世論に衛生改善の必要性を訴えたのです。孤独な状況だからこそ、感情論ではなく、客観的な根拠に基づいた計画と行動が不可欠でした。」
芥川:「…理性とデータ、ですか。私のような人間には、なかなか難しいことですな…。」
ナイチンゲール:(芥川に穏やかな視線を向け)「感情や感性が重要なお仕事もあるでしょう。ですが、こと社会を変え、多くの人の命を救うという目的においては、感傷や主観は極力排し、冷静な分析と計画、そして粘り強い実行力が求められるのです。孤独は、そのための精神力を鍛える場にはなりましたが、それ自体が良いものだとは、私は決して思いません。」
(ナイチンゲールの言葉は、孤独に対する新たな視点を提示し、スタジオに深い思索を促す空気をもたらした。あすかは、これまでの議論をまとめるように話し始める。)
あすか:「孤独は創造の源泉であり、力である、と語るニーチェ先生とルートヴィッヒ陛下。一方で、孤独は精神を蝕む劇薬であり、恐るべき敵にもなりうると語る芥川先生。そして、孤独は克服・管理すべき障壁だが、集中力や意志力を生む手段としても利用できる、と語るナイチンゲールさん…。いやはや、『孤独は力になるか?』という問いに対して、これほどまでに見解が分かれるとは…。」
あすか:「どうやら、孤独が持つ影響は、単純に『力になる』『ならない』の二元論では語れないようですね。それは、その人の気質や状況、そして孤独とどう向き合うかによって、創造の泉にもなれば、破滅の淵にもなりうる…非常に両義的なものなのかもしれません。」
あすか:「となると、次に問題になってくるのは、その『孤独』と、他者や社会との関係性ではないでしょうか?孤独の中で生まれた創造物や行動は、他者に理解される必要があるのか?それとも、理解されなくても良いのか?次のラウンドでは、そのあたりを深く掘り下げていきたいと思います!」
(あすかが力強く宣言し、ラウンド2が終了。対談者たちの間には、互いの主張を反芻するような、あるいは次のラウンドへの闘志を秘めたような、複雑な空気が流れている。)