ラウンド1: 「私の孤独」- その源泉と形
(オープニングの宣言を受け、スタジオの空気が引き締まる。モニターにはラウンドタイトル『ラウンド1:私の孤独-その源泉と形』が表示されている。あすかは穏やかな表情で、まずルートヴィッヒ2世に視線を向けた。)
あすか:「さあ、最初のラウンド、『私の孤独』。皆さまがその生涯で感じられた『孤独』は、一体どこから来て、どのような色や形をしていたのでしょうか。まずは、ルートヴィッヒ陛下。先ほど『聖なる静寂』と表現されましたが、王という、いわば人々の上に立つお立場でありながら、なぜ、どのようにしてその『静寂』、すなわち孤独に至られたのか、お聞かせいただけますか?」
ルートヴィッヒ:(ふう、と軽く息をつき、窓の外を見るような遠い目をする)「…王、か。生まれた時から定められた、逃れられぬ宿命。だが、私が望んだものでは決してなかった。幼い頃から、宮廷の儀礼や人間関係の駆け引きには心底うんざりしていた。父王の厳格さ、臣下たちの腹の探り合い…真実の心で語り合える者など、どこにもいやしない。」
(彼は指先でテーブルを軽く叩く。)
ルートヴィッヒ:「政治?戦争?プロイセンのビスマルクがどうとか、帝国の統一がどうとか…そんなものは、私にとってはどうでもよいことだった。醜い権力争い、血生臭い騒動…。そんなものに関わるくらいなら、私は一人でいる方がずっとましだ。私の魂が求めるのは、ただ純粋な美、調和、そして夢なのだよ。」
あすか:「現実の政治や人間関係から距離を置かれた、と。」
ルートヴィッヒ:「そうだ。私は逃げたのだ、美の世界へとな!初めてワーグナーの『ローエングリン』を聴いた時の衝撃…あれこそが真実の世界だと確信した。彼の音楽、彼の紡ぐ神話の世界にこそ、私の魂の故郷があった。だから、彼をミュンヘンに呼び寄せ、彼の芸術を支えることに生涯を捧げたのだ。臣下どもは浪費だと騒ぎ立てたが、愚か者どもには分かるまい!」
(語るうちに少し熱がこもり、声が大きくなる。隣の芥川がびくりと肩を揺らす。)
ルートヴィッヒ:「そして城だ!ノイシュヴァンシュタイン、リンダーホーフ、ヘレンキームゼー…あれらは単なる建物ではない。私の夢そのもの、現実から私を守るための砦なのだ。白鳥の騎士の伝説、ヴェルサイユ宮殿への憧憬…それらを形にすることで、私はようやく息ができた。夜ごと、完成したホールで一人、あるいは架空の客人と食卓を囲む…それが私の幸福だった。誰にも邪魔されず、誰の顔色も窺わず、ただ美に浸る…。これ以上の喜びがあるかね?」
あすか:「なるほど…現実世界への強い拒絶感と、美や夢の世界への深い憧れが、陛下を孤独へと導いた…あるいは、陛下ご自身がその孤独を積極的に選び取られた、ということでしょうか。」
ルートヴィッヒ:「選び取った、と言ってもいいだろうな。理解されぬことは、むしろ望むところだったかもしれん。私の世界は、私だけのものであればよかったのだから。」
(ルートヴィッヒが言い終えると、スタジオには一瞬、彼の作り上げた夢の世界の残響のような静寂が訪れる。あすかは、その静寂を破るように、隣の芥川に優しく声をかけた。)
あすか:「陛下、ありがとうございました。…芥川先生、今のお話を聞かれて、いかがでしたか?先ほど、陛下のお気持ちが少し分かるとおっしゃっていましたが。」
芥川:(視線を泳がせながら、ぽつりぽつりと語り始める)「ええ…その、芸術の世界に安らぎを見出す、というお気持ちは…僭越ながら、少しだけ…。私も、現実というものは、どうにも生きづらいと感じてきましたから。ですが…」
(彼は言葉を切り、苦しげに眉を寄せる。)
芥川:「陛下のようには…私は、孤独を『選び取る』ことなどできませんでした。むしろ、それは…望まずとも、じわじわと私を蝕んでくるような…そんな感覚でしたね。」
あすか:「蝕む、ですか…?」
芥川:「はい…。私の場合は、まず生い立ちからして…実の母が、私が生まれて間もなく心を病んでしまいましてね。その記憶はほとんどありませんが、どこか、自分の存在そのものが祝福されていないのではないか、という根源的な不安が、幼い頃からあったように思います。養家には大切に育てられましたが、そこでも常にどこか借りてきた猫のような…。」
(彼の声は次第にか細くなっていく。)
芥川:「そして、物書きになってからは…さらに複雑になりました。有り難いことに、世間からは評価していただきましたが、書けば書くほど、自分の才能の限界を感じる。新しいものを生み出さねばという焦り。一方で、文壇という狭い世界での人間関係…嫉妬や噂話、徒党を組んでの足の引っ張り合い…。そういうものに、私の神経は耐えられなかった。」
(彼は手元の原稿用紙に目を落とす。)
芥川:「人付き合いが、怖いのです。期待すれば裏切られる。信じようとすれば、その心の隙を突かれる。妻や子供たちに対しても…愛情がないわけではない。しかし、心のどこかで、彼らすらも私を完全には理解してくれないのではないか、という疑念が消えない。結局、誰も私のこの『ぼんやりとした不安』の正体を分かってはくれない…。」
あすか:「その、『ぼんやりとした不安』というのは…具体的にはどのような…?」
芥川:(力なく首を振る)「…それが、分からないのです。分からないから、不安なのです。健康への不安、生活への不安、将来への不安…そして何より、この得体の知れない、もやもやとした感覚そのものへの不安…。まるで、薄いガラス一枚を隔てて世の中を見ているような…そんな感覚が、常にありました。だから…孤独は、私にとっては、決して『聖なる静寂』などではなく…ただただ、底の知れない沼のようなものでしたな…。」
(芥川が語り終えると、スタジオには重苦しい空気が漂う。彼の告白は、他の対談者たちにも少なからず響いたようだ。ルートヴィッヒは同情とも軽蔑ともつかない表情で芥川を見ている。ナイチンゲールは静かに耳を傾けている。そこに、鋭い声が割り込んだ。)
ニーチェ:(腕を組み、芥川を睨めつけるように)「フンッ!聞いていれば、情けない!芥川君、君の言うことは、ただの自己憐憫に過ぎんではないか!」
芥川:(驚いて顔を上げる)「なっ…!」
ニーチェ:「生い立ちがどうだ、人間関係がどうだ、不安がどうだ…と。そんなものは、程度の差こそあれ、誰しもが抱えているものだ!問題は、それにどう向き合うかだ!君はただ、その『不安』とやらに呑み込まれ、嘆いているだけではないか!それを『孤独』などと呼ぶのは、真の孤独に対する冒涜だ!」
あすか:「まあまあ、ニーチェ先生、少し落ち着いて…」
ニーチェ:(あすかの制止を無視して続ける)「真の孤独とは、弱い魂が感傷に浸るための逃げ場所ではない!それは、強き魂が自らを鍛え上げ、新たな価値を創造するための戦場なのだ!私を見ろ!私は、キリスト教という二千年間ヨーロッパを支配してきた欺瞞に満ちた道徳に、敢然と『否』を突きつけた!『神は死んだ』と宣言し、憐れみや同情ではなく、力への意志こそが生命の本質だと喝破した!当然、世間からは理解されず、罵倒され、孤立した!」
(彼は立ち上がりそうな勢いで身を乗り出す。)
ニーチェ:「友人だと思っていたワーグナーとも、彼の俗物根性に愛想を尽かし決別した!大学の職も辞し、病と闘いながら、スイスの山々を一人彷徨い、思索を続けた!世間の誰もが背を向ける中で、私はただ一人、来るべき『超人』の思想を、永劫回帰の真理を紡ぎ出したのだ!これこそが『選び取る孤独』!創造のための、偉大なる孤独だ!君の言うような、じめじめとした孤独とは次元が違うのだよ、芥川君!」
芥川:(青ざめ、言葉を失っている)「……」
ニーチェ:「不安だと?ならばその不安を乗り越え、自らの意志で人生の意味を打ち立てるがいい!それができないというなら、君は永遠に『弱者』のままだ!」
(ニーチェが激しい口調で言い放ち、席にどさりと座り直す。スタジオは水を打ったように静まり返る。芥川は俯き、小さく震えているように見える。あすかが、なんとか場を収めようと口を開いた。)
あすか:「…ニーチェ先生、その圧倒的な意志の力、まさに先生ならではですね。ですが、誰もが先生のように強くあれるわけでは…」
(その時、それまで静かに聞いていたナイチンゲールが、落ち着いた、しかしはっきりとした口調で話し始めた。)
ナイチンゲール:「ニーチェ先生。あなたのその強靭な精神力には敬服いたします。ですが、あなたの言う『選び取る孤独』だけが、価値ある孤独なのでしょうか。」
ニーチェ:(ナイチンゲールを睨み)「ほう?何か言いたいことがあるかね、看護婦殿。」
ナイチンゲール:「ええ。先ほど芥川先生は『選び取れなかった』とおっしゃり、あなたはそれを『弱さ』だと断じられました。しかし、世の中には、選びたくなくとも、孤独な状況に『置かれてしまう』人間もいるのです。」
あすか:「ナイチンゲールさんご自身が、そうだったと?」
ナイチンゲール:「はい。私は裕福な家庭に生まれ、何不自由なく育ちました。当時の上流階級の女性として、社交界にデビューし、良家に嫁ぎ、家庭を守ることが当然の道とされていました。しかし、私はどうしても、その人生に意味を見出せなかったのです。」
(彼女は手元の資料に目を落とす。)
ナイチンゲール:「16歳の時、神の声を聞きました。『汝、我に仕えよ』と。それが具体的に何を意味するのか、すぐには分かりませんでした。しかし、次第に、貧しい人々や病に苦しむ人々を助けることこそが、私の使命だと確信するようになったのです。そして、看護の道に進みたいと願うようになりました。」
ニーチェ:「神の声、だと?フン、また古臭いものを持ち出してきたな。」
ナイチンゲール:(ニーチェの言葉を意に介さず)「ですが、私の家族は猛反対しました。当時の看護婦の社会的地位は非常に低く、むしろ不道徳な仕事とさえ見なされていたのです。母は嘆き、姉は軽蔑し、父も理解してはくれませんでした。社交界からも奇異の目で見られました。結婚の縁談も全て断り、私は家族や社会から孤立していきました。それは、私が『選び取った』というより、使命に従おうとした結果として『強いられた』孤独でした。」
あすか:「周りのすべてが敵、というような状況だったのですね…。」
ナイチンゲール:「ええ。しかし、私は諦めませんでした。ドイツのカイゼルスベルト学園で看護を学び、ロンドンの病院で監督として働き、そしてクリミア戦争が勃発すると、反対を押し切って看護団を組織し、現地へ赴きました。そこでの状況は…筆舌に尽くしがたいものでした。不衛生な環境、医薬品の不足、官僚的な妨害…。兵士たちは戦闘よりも、劣悪な環境による感染症で次々と命を落としていました。」
(彼女の声に、当時の厳しい状況を思い出させるような力がこもる。)
ナイチンゲール:「私は、ただ目の前の命を救うために、そしてこの惨状を改善するために、昼夜を問わず働き続けました。軍医や役人たちからは邪魔者扱いされ、時には敵意さえ向けられました。本国からの支援も十分ではなく、まさに孤軍奮闘でした。しかし、私には『これを為さねばならない』という強い思いがあった。この孤独な戦いの中で、私は統計という武器を見つけ、現状をデータで示し、本国の政府や世論を動かそうとしたのです。この孤独は、苦痛ではありましたが、同時に私を突き動かす原動力にもなりました。」
(ナイチンゲールは、静かにニーチェを見据える。)
ナイチンゲール:「ですから、ニーチェ先生。孤独には、あなたが言うような『強者の選び取る孤独』もあれば、私や、もしかしたら芥川先生が経験したような、状況によって『強いられる孤独』、あるいは『使命感ゆえの孤独』もあるのではないでしょうか。そして、そのどちらが価値があり、どちらが劣っていると、一概に断じることはできないように思いますが、いかがでしょう?」
(ナイチンゲールの理路整然とした、しかし確固たる意志のこもった発言に、ニーチェは少し面食らったように黙り込む。ルートヴィッヒは興味深そうに二人を見比べ、芥川は少しだけ顔を上げている。スタジオには、再び緊張感と、新たな議論の予感が満ちる。)
あすか:(状況を見守り、一呼吸置いて)「…ナイチンゲールさん、力強いお言葉、ありがとうございます。ニーチェ先生の『選び取る孤独』、それに対するナイチンゲールさんの『強いられた孤独』、あるいは『使命ゆえの孤独』…。そして、そのどちらとも違う、芥川先生の『不安に根差す孤独』、陛下の『美を求める孤独』…。一口に『孤独』と言っても、その源泉も形も、そしてそこから生まれるものも、全く違うようですね。」
あすか:「これは、非常に興味深い論点が出てきました。『選び取る』のか、『強いられる』のか。そして、その孤独は、私たちに何をもたらすのか…。次のラウンドでは、このあたりをさらに深く掘り下げていきたいと思います!」
(あすかが締めくくり、ラウンド1が終了。モニターには次のラウンドのタイトルが表示される準備がされる。)