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9.駄菓子、味わうべし

 ゴールデンウィークの合間の平日。

 ダイトー金属加工株式会社の営業担当社員である坂井由梨(さかいゆり)は疲れ切った表情のまま、取引先部品メーカーからの帰路でひとり、とぼとぼと歩を刻んでいた。

 以前から受注競争が激しくなってきているのを感じていた由梨だったが、この日はとうとう、今まで安定して契約が取れていた相手先から受注案件をひとつ、削られてしまった。

 どうやら他に良い条件、良い価格で仕事を任せられる会社が現れたらしく、そちらにシェアを奪われた格好だった。


(はぁ~……何やってんだろ、私)


 もう何もかもが嫌になり始めていた。

 半月前には、大学の頃から付き合っていたカレシと別れた。理由は、他に好きなオンナが出来たからということらしいが、これもいってしまえば、他にカノジョという商品枠のシェアを盗み取られた様なものである。

 男と仕事で二連敗を喫し、流石に気分の落ち込みが激しくなってきた。


(もう、嫌になってきたなぁ)


 同期の営業社員らは少しずつではあるが、着実に成績を伸ばし続けている。

 それなのに自分は良くて平行線、酷い時には今回の様に安定して取ることが出来ていた受注を失うということも珍しくなくなってきた。

 一体何が拙かったのだろう、一体どこで間違えたのだろう。

 そんなことを悶々と考えているうちに、いつの間にか知らない生活道路へと足を踏み入れてしまっていた。

 てっきり最寄りの駅へ向かっていたとばかり思っていたのだが、何も考えずにぼーっと歩いているうちに道を誤ってしまった様だ。


(もう、良っか……今日は直帰するって連絡入れてあるし……)


 陽射しは既に西の方角へと大きく傾いており、明日からの連休後半に向けての夜へと突入しつつある。

 休日前の宵だというのに、男も居ない、一緒に飲み歩く友達も居ないとなれば、もうやけっぱちになっても良いだろう。

 そうやって何の気なしに歩いていると、ふと目の前に、昔ながらの面影を残す駄菓子屋が姿を現した。

 年代物の看板には駄菓子屋『わかざき』と味のある書体で記されている。

 その店先には、子供相手の商売には到底似つかわしくない巨漢が前掛けを腰から垂らしたまま、静かに佇んでいた。

 由梨はこの時、不思議な感覚に囚われた。

 ちょっとこの店に立ち寄ってみようという妙な好奇心が湧いてきたのである。


「あ、いらっしゃい」


 店員は190cm前後の長身の若者だった。その顔立ちからして、まだ二十歳前後だろうか。

 かなりのイケメンで、身なりを整えればホストクラブでマッチョ系イケメンとして十分に客が取れそうな気がした。


「ねぇお兄さん……ここって、お店の中で食べても良いところ?」

「はい、勿論。そこの、畳敷きの小上がりで食って貰って結構です」


 敬語の使い方がいまいちなっていないが、普段から子供を相手にしている下町の店舗なら、基本は顔なじみが顧客なのだから然程問題にはならないのだろう。


「じゃあ、これとこれ……あと、これも」

「はい、毎度」


 驚く程、安く済んだ。こんな価格で原価割れしないのだろうか。

 内心でびっくりしながらも、由梨は小上がりにそっと腰を下ろして懐かしい味をひと口、ルージュが艶めかしく輝く唇の間に放り込んだ。


「お疲れの御様子ですね」

「あら、分かる?」


 こんな若い店員にまで心配されるとは、どれ程憔悴しているのだろう。そんなことを考えると、つい苦笑が滲んでしまった。


「もしお暇なら、私の愚痴に付き合ってくれる?」

「えぇ勿論。お聞きしますよ」


 どうしてそんな風に思ったのか、分からない。しかし由梨は、この名前も素性も知らぬ青年に何もかも吐き出してしまえば、気分が楽になる様に思えた。

 実際この若者は嫌な顔ひとつ見せず、由梨が吐き出す仕事の愚痴や別れた男への恨み言などを、じっと黙って聞いてくれていた。

 やがて、ひと通り吐き出し終えた由梨は自分でも驚く程に胸の奥がすっきりするのを感じた。


「ありがとうね。こんなどこの誰だか分かんないおばさんの愚痴を最後まで聞いてくれて」

「ただ話すだけで楽になるというなら、いつでも聞きますよ。俺で良ければ、ですが」


 その青年はにこりともせず、真剣な表情で真正面から向き合ってくれた。

 大体どんな男も、同僚も、由梨の言葉を真面目に聞いてくれたことなんてほとんど無かった。なのに、この青年は違った。

 相手が何者かも分からないのに、事実を語っているかどうかすら怪しいのに、それでもひたすら耳を傾けてくれた。ただ黙って聞いてくれていただけだというのに、この安心感は一体どこから出てくるのだろう。

 それでも、またこの青年と話が出来るというのなら、次も足を運んでみたい。そう思わせる何かが、この青年の精悍な面の中に横たわっていた。


「ね、お兄さん、歳幾つ?」

「15です」


 その瞬間、由梨は口の中の物を危うく噴き出しそうになった。自分より十歳も年が下だとは、流石に想定外だった。


「え、何? ってことは、高校一年生?」

「はい。桃円の一年坊主です」


 思わず声が裏返ってしまった由梨に対し、その精悍な顔立ちの男子高校生はにこりともせず静かに応じた。

 由梨にとっては凄まじく衝撃だった。

 仕事や男の愚痴を、まだ子供だといって良い年齢の相手に、あんなにも明け透けに語ってしまったというのか――何だか急に恥ずかしくなってきた。穴があったら今すぐにでも飛び込みたい気分だった。

 しかしこの青年は、馬鹿にするでもなく、また蔑む訳でもなく、ただ真剣な面持ちで由梨の面をじぃっと見つめた。


「理解出来るとはいいません。俺には仕事も恋愛も経験値が圧倒的に不足していますから」


 それでも構わないというのであれば、いつでも話に来てくれと、その青年は真摯な口調で淡々と告げた。

 その堂々とした潔い態度に、由梨は我知らず好感を抱いた。


「うん、そうする……ね、貴方はいつ、シフトに入ってるの?」

「基本は不定期ですが、土日祝ならほぼ全日、平日なら夕方五時以降に居ることが多いとお考え下さい」


 それだけ聞ければ、十分だ。

 由梨は青年が差し出したくず入れに食べ終えた駄菓子の包み紙などを放り込み、ゆっくり立ち上がった。


「駄菓子屋さんで自己紹介っていうのも変だけど……私は、坂井由梨。宜しくね」

「神岡義零です。今後とも、どうぞ御贔屓に」


 その応えに、由梨はほっとした笑みを返した。

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