4.女、退かぬ媚びぬ省みぬを尊ぶべし
高校に進学すれば、きっと自分も変われる筈。
たくさんの友達が出来て、放課後に皆と遊びに行ったり恋バナで盛り上がったりして、楽しい高校生活を過ごすことが出来る様になるだろう。
そんな希望を抱いていた刈倉紗璃菜だが、しかし現実は違った。
入学式の時から誰かに声をかけるという勇気が湧かず、通常の授業日程が始まった後も教室内の自席でひとりもじもじと俯いていることがほとんどだった。
何が悪かったのだろう。
パッとしない外観の所為だろうか。おさげの黒髪や黒縁眼鏡という地味過ぎる格好が拙かったのか。
それとも、笑うのが得意ではない表情の暗さが原因だろうか。
紗璃菜には、よく分からなかった。
昼休みにはひとりだけで弁当を広げ、休み時間も誰と言葉を交わすとも無く静かに本を広げるのみ。授業中もただ前だけを向いて、誰かとひそひそ話に興じることも無い。
こんな筈ではなかったのに――そんな悔恨が一体何度、胸の奥に去来しただろう。
たまに声をかけられることがあっても、陽キャな女子グループから掃除当番を押し付けられたり、宿題のノートを貸せといわれて強引に取り上げられたりと、ただ一方的に被害を被るばかりだった。
誰も自分のことをひとりの友人、ひとりのクラスメイトとして必要とはしていない。
ただそこに在るだけの置物と変わらず、時折何かの利用価値を見出して搾取するだけの存在としてしか見ていない。
こんなことなら、わざわざ必死に時間を割いて受験勉強などしなくても良かった。
そもそも高校進学などせず、家に籠もってニートにでもなっていれば、こんな思いをせずとも済んだ筈だ。
それなのに自分は一体何を勘違いして、桃円高校に入学するなどという馬鹿なことに挑んだのだろう。
しかし、今更中退など出来ない。頑張って入学金や授業料を工面してくれた両親の期待に応える為にも、ちゃんと卒業して結果を残さなければならない。
でなければ、自分は本当にただの親不孝な馬鹿者に堕落してしまう。
もう、青春など何もかも諦めて、周りからの搾取にもひたすら耐え続けて、孤独に歯を食いしばってゆくしか無いだろう。
そしてこの日も、何人かのギャル系女子のクラスメイトらが紗璃菜の席を取り囲み、宿題のノートを貸せと迫ってきていた。
「あ……えぇ、宿題ね……うん、それなら……」
「あのさー、ちんたらやってないでさー、さっさと出しなよー。そういうのさー、マジでくそウゼーし、ムカつくんだよねー」
目の前の派手な茶髪のギャルが心底馬鹿にした様子で、嘲笑を浴びせかけてきた。
更に横から別の女子が、紗璃菜の机を大きな音が鳴る程に強く叩いた。暴力的な所作で恫喝しようという訳であろう。
紗璃菜は一瞬、ビクっと体を竦ませてしまった。
「だーかーらー、さっさと出しなっつってんだよー。あんた耳ついてんの? 日本語分かんねーの?」
「ホント、だらだらしやがってさー。大体ナニ? そのきったねぇ眼鏡。チョーキモいんですけどー?」
哄笑が湧き起こった。
が、その汚らしい笑い後はすぐに止まった。いつの間にか、妙な緊張感が辺りを包み込んでいた。
一体何が起きたのかと視線を上げると、そのギャル系女子らの背後に、強面の巨漢が佇んでいた。
義零だった。
「耳障りだ。失せろ」
「は……はぁ? あ、あんたにかんけー……」
そこまでいいかけたギャル女子の口が突然、義零の大きな掌に覆われた。
「臭ぇー息吹きかけてきてんじゃねーぞ。何ならここでその汚ねぇ口を本当に塞いでやっても良いんだぜ」
「な、何だよあんた……女子に向かって手ぇ出すなんてサイテー……」
別のギャル女子が抗議の声を上げかけたが、義零の射抜く様な眼光にたじろぎ、それ以上の声が出ない様子だった。
「女子だと? てめーら、自分が人間様の女子だと本気で思ってんのか? 違げぇーよ。てめーらは、ただのクソビッチだ。女子なんて高等な生き物じゃねーよ。クソビッチが嫌なら、盛りのついたヤリマン猿だ。猿が人間様に偉そうに楯突くってんなら、教育してやらねぇとな」
その直後、義零に口元を大きな掌で覆われているギャル女子がくぐもった声で悲鳴とも唸りともつかぬ声を漏らし始めた。
体力測定の際、計測不能という結果を叩き出した握力が襲い掛かっているのだろう、そのギャル女子は唸り声だけで必死に何かを訴えながら、大粒の涙を流し始めた。
「何いってんのか聞こえねーな」
「ちょ、ちょっとマジでやめてってば! わ、分かったから、もうあっち行くから!」
そこで義零は漸く、手を放した。
解放されたギャル女子はひぃひぃと泣き喚きながら教室の隅の方へと逃げてゆく。
周囲からは恐怖と非難の眼差しが一斉に義零へと浴びせかけられたが、義零は全く気にする素振りも無く、逆に魔獣の如き鋭い眼差しで睨み返した。
クラスメイトらはその威圧感に満ちた眼光に怯え、目を逸らせるばかりだった。
そして紗璃菜はただ茫然と、義零の巨躯を見上げていた。
義零は相手が女子だろうが何だろうが、性根を叩き直す必要があると判断すれば、平気で鉄槌を下す人物らしい。だが紗璃菜はそこに、奇妙な憧れの様な思いを抱いた。
このひとは、何かが違う。例え孤独であろうが、周囲が全て敵であろうが、自分というものを持ち、圧倒的な自信で他からのあらゆる感情を跳ね返す強さを持っている。
そう思った瞬間、このひとに少しでも近づきたいと思った。
「あ、あの……」
紗璃菜は思わず立ち上がった。
「貴方は、どうして、そんなに強いんですか……?」
「俺が強いだと?」
義零は馬鹿なことをいうなとばかりに、フンと鼻を鳴らした。
「俺は強いんじゃねぇよ。強くなったんだ」
それはつまり――彼もまた以前は、弱かったということなのか。本当にそんな時期が、彼にもあったのか。
「だったら……私も、強く、なれますか?」
「なれるかどうかじゃねぇ。強くなる意志を持って、強くなる努力をしな。そうすりゃ恋だの友情だのなんてものは後から勝手についてくる」
それは決して後ろを向かず、ひたすら前に進むだけの鋼の意志のあらわれだった。
こんなひとみたいになりたいと、紗璃菜は心の底から思った。
「私も……強く、なりたいです。どうしたら、貴方みたいに強くなれますか?」
その紗璃菜の問いかけに、義零は強面をゆっくり返した。
「どうやら目が覚めたみてぇだな。良い面構えしてるぜ」
この時、紗璃菜はついクスっと笑ってしまった。女性の顔を褒める時は大体、綺麗とか可愛いとかいうものだろう。面構えの良さを褒めるなど、聞いたことが無い。
しかし、悪い気はしなかった。
このひとと一緒に強くなりたいと、本気で思う様になった。