2.女、退けるべし
講堂での入学式を終えて教室内に足を踏み入れた時、一斉に視線が飛んでくるのが分かった。
義零は190センチを少しばかり超えた巨躯を僅かに屈めて、扉口をくぐった。彼の長身では、そのままでは頭をぶつけてしまうからだ。
「わー……見てみて……チョーカッコいい……」
「え、誰だろう……どこの席かな……」
ひそひそと囁き合いながら、ちらちらと熱い眼差しを送ってくる女子生徒達。
このクラスには比較的顔立ちの整った女子が多いらしいのだが、義零には全くどうでも良かった。
義零はここに、遊びに来た訳ではない。
源次郎に師事した三年間を無駄にしない為にも、しっかり学び、しっかり鍛え、しっかり成長を遂げる腹積もりで入学を果たしたのである。
恋愛や遊びなどにうつつを抜かすつもりは毛頭無かった。
が、そんな彼の意思を無視するかの如く、いきなり横合いから何人かの女子が声をかけてきた。いずれも整った容貌の持ち主で、放っておけば勝手にカレシが出来てしまいそうなレベルの美少女達だった。
「ね、キミさ、どこの中学?」
「あのね、あたしの名前は……」
などなど一方的に声をかけてくるが、義零はまた後でとだけ返して、黒板に貼り出されている座席表の前に立った。
そうして自身の席位置を確認してから教壇を降りると、またもや別の女子が声をかけてきた。
その姿を見た瞬間、義零は腹の底に微かな怒りを覚えた。
「やほー、はじめまして! あたし、宮園魅姫っていいまーす! ね、ね、キミ、名前は?」
やけに嬉しそうに、そして恐ろしく浮かれた笑顔で問いかけてきた魅姫。
義零は余りに調子が良過ぎる魅姫に、渋い表情を返した。
彼女のその鳥頭は、どこまで都合が良いのだろう。
「随分な御挨拶だな……俺のツラァ、もう忘れちまったってか」
ドスを利かせたひと言に、魅姫は明らかに困惑していた。
こんなイケメン、以前に知り合っていたなら忘れる筈も無い、とでもいいたげな表情だった。
「えっと……あたし、前にキミと、どっかで会ったっけ?」
「まだ分からねぇってか……なら、あれ見てよぉーく思い出せ」
義零は黒板に貼り出されている座席表の、窓際の列を指差した。
この時、魅姫は怪訝そうに眉を顰めていたが、義零が指し示したその名前を見た瞬間、愕然とした表情を浮かべてその場に棒立ちになってしまっていた。
彼女はぱくぱくと口を何度も開け閉めした後、信じられないといった様子で改めて面を向けてきた。
「え……う、嘘、だよね……ほ、ほんとに……ほんとに、あの……義零君……?」
漸く声を搾り出した時の魅姫の美貌は、完全に色を失っていた。
周囲のクラスメイトらは、一体何事かと遠巻きに輪を作って、この異様な光景を固唾を呑んで見つめている。しかしそんなギャラリーの存在などまるで無視して、義零はふんと鼻を鳴らした。
「ほんともクソもねぇよ。俺は神岡義零だ。てめぇが一番よく知ってんだろーが……正真正銘、てめぇが誰よりも大嫌いだと罵倒しまくった、あのキモデブだ。思い出したか?」
「あ……え? いや、あの……えっと……えー?」
魅姫はひとりでパニくっていた。
初対面のクールなイケメンだとでも思っていたのだろうか。
しかし義零はそんな魅姫など放置して、さっさと自身の席へと向かおうとした。
ところが魅姫は、尚も食い下がってきた。
「ちょちょちょちょっと待ってってば! ね、義零君ってば! もしかして、あの時のこと、まだ怒ってたりするの?」
「怒ってるだぁ?」
義零は本当に心の底から呆れた。あれ程の罵声を浴びせたことを、もう忘れているのだろうか。
「別にもう、どうでも良いんだがな……」
ぎろりと睨みつけた義零。
魅姫は、尚も引きつった笑いを浮かべたまま愕然と佇んでいる。
「それよりもてめぇ、随分と調子が良過ぎねぇか? てめぇがいったことをてめぇ自身が忘れてんのは、正直いって全く頂けねぇな」
「え? あ、あたし……何かいったっけ?」
尚も青ざめた明星で、辛うじて問い返してきた魅姫。
義零は自席に荷物を置いてから、振り向いた。
「てめぇ、自分でいっただろーが……キモいしウゼェから、もう二度と話しかけてくんなってよ。それをてめぇの方から破るだなんて、どんな了見だ?」
流石にもう、これ以上魅姫を相手にするのは馬鹿馬鹿しい。義零は椅子を引いてどっしりと腰を落ち着けてから、周囲のクラスメイトらにもじろりと視線を廻した。
「何見てんだ? 見世物じゃねーんだがな」
そのひと言に、クラスメイトらは乾いた笑いを浮かべながら散っていった。
(全く、どいつもこいつも……)
尚も呆然としている魅姫などすっかり眼中に無くなった義零は担任教師が足を運んでくるまでの少しの時間、暇つぶしに生徒手帳でも眺めておこうと懐に手を突っ込んだ。
するとその時、いきなり横合いから声がかかった。
「あなた、神岡君っていうのね?」
「んあ? どちらさんで?」
義零が胡乱な視線を向けると、隣の席にこれまた超絶な程に美しい女子が、頬杖をついて可笑しそうに小さく肩を揺すっていた。
「はじめまして、近衛里琴よ。今日から宜しくね」
「おう……まぁ適当に頼むわ」
義零は早々に興味を失って生徒手帳に目を通し始めた。
ところが里琴は尚も意味ありげな笑みを浮かべて、義零の整った顔立ちをじぃっと見つめてくる。
しかし義零は無視した。自分はここに、学びを得に来たのだ。恋愛しか能の無い女子など相手にする価値も無い。
そんな義零に対し、里琴はわざわざ椅子を動かして、すぐ傍らにまで身を寄せてきた。
「……何してやがる」
「えぇっとね……良い筋肉してるなぁって思って」
義零の太い首筋に投げかけられる里琴の視線には、妙に熱っぽいものが感じられた。