16.絵師、希望を抱くべし
桃円高校一年A組の瀬島幹都は、いつも自分の席から、ひとりのクラスメイト女子の姿を目線で追っていた。
彼女の名は、国吉紗和。
小学生からの幼馴染みで、昔はよく一緒に遊んでいた。しかし最近は、見向きもされない。それどころか、彼女は他の陽キャ男子らと一緒になって幹都を揶揄することが多くなった。
「なーなー、瀬島ってさー、国吉のこと好きなんじゃね?」
「はー? 冗談キツいって。あいつ幼馴染みだけどさー、ただのキモオタ君だよー?」
そんな会話を、まるで聞こえよがしの如く幹都のすぐ近くの席で交わす紗和。
更にここ最近は、クラスの別の男子とやたらべたべたするところを、幹都に見せつけようとしている。
昔はあんなに優しく、いつも仲良くしていたのに、どうして今はこんなにも敵意に満ちた行動を取るのだろう――幹都には全く、分からなかった。
特段、彼女に対して嫌な態度を取った覚えも無く、彼女を傷つける様な真似をした訳でもない。
それなのにどうして、こんなにも幹都を攻撃してくる様になったのか。
何故ここまで傷つけられなければならないのか。
幹都には、何も分からない。
そして、遠足の班分けを決めるホームルームの直前、その休み時間中に事件は起きた。
幹都はこの時、SNSにアップするイラストの構図が何となく頭に浮かんだ為、そのアイデアを忘れないうちに描き留めておこうと考えた。自由帳を取り出し、白地のページにささっとシャーペンの先を走らせる。
その時、いきなり紗和と、彼女が最近親しくしているクラスの陽キャ男子ふたりが近づいてきて、幹都が描きかけていた自由帳を強引に取り上げてしまった。
「うっへぇ、見ろよコレ。瀬島のやつ、まーたこんなオタクみてーなことしてるぜー」
「みてーじゃなくて、マジのオタクじゃんよコイツ」
男子ふたりは、必死に自由帳を取り返そうとする幹都を嘲笑いながら、大声で他のクラスメイトにも聞こえる様に騒いだ。
その傍らで紗和が、ざまぁみろといわんばかりの笑みを浮かべて満足そうに佇んでいる。
ところがその直後、彼女の顔が恐怖に引きつった。
「……ほぅ、悪くねぇな」
いつの間にか、義零が幹都を嘲笑っていたふたりの男子の真後ろに立ち、彼らの手から幹都の自由帳を奪い去っていた。
「げ……か、神岡……」
今の今まで幹都を嘲笑していた男子ふたりは、明らかに動揺し、恐怖していた。
まさかこんなところで義零に絡まれるとは、思っても見なかったのだろう。
しかし義零は紗和やふたりの男子など全く無視して、幹都の自由帳をぱらぱらとめくりながら、そこに描かれている数々のイラストを真剣に眺めていた。
「おめー、SNSにアップしてんのか?」
義零の問いかけに、幹都は呆然としていた。まさか、クラスでも最凶最悪と呼ばれ恐れられている義零に、そんなことを訊かれるとは思っても見なかった。
が、幹都は我知らず、頷き返していた。義零の声には幹都を揶揄する響きや、馬鹿にしたり嘲ったりする様な色が微塵にも感じられなかったからだ。
すると義零は自身のスマートフォンを取り出し、幹都の目の前に差し出してきた。
「アカウント教えろ。今日からフォローする」
信じられない様な出来事が、今、目の前で起きていた。
神岡党と呼ばれる美少女集団を率い、学年どころか校内でも無敵の強さを誇るとさえいわれている怪物が、自分のフォロワーになると申し入れてきているのだ。
一体これは、夢なのか現実なのか。
そんな幹都に、義零は小首を捻って問いかけてくる。
「どうした? 今日はスマホ忘れちまったのか?」
「あ……うぅん、そんなこと、ないよ……ちょっと待ってて」
幹都は慌てて通学鞄の中をまさぐり、自身の幾分古い機種のスマートフォンを取り出して、簡易通信によるID交換を果たした。
「ひとつ訊くが、おめーがSNSにアップしたイラストを、このクラスの連中は知ってんのか?」
「それは、ないと思う。僕のID教えたの、神岡君が初めてだから……」
すると義零は自由帳を閉じて幹都に返しながら、そうかと低く頷いた。
「なら、このクラスじゃあ俺がおめーのファン第一号って訳だな」
「……え?」
幹都は信じられない思いで、目の前の精悍な顔を呆然と見上げた。
「繊細ながら大胆な色の置き方、力強いが丁寧な主線、正確なパースの取り方……どれも俺好みだ。こいつぁ期待しかねーぜ」
義零の声には何の澱みも迷いも無かった。彼は間違い無く、イラストの何たるかを知っている。でなければ、自らの好みのポイントをここまですらすらと言葉に出せる筈が無い。
そして義零は幹都を嘲っていたふたりのクラスメイト男子と、そして紗和に射抜く様な眼光を叩きつけた。
「分かってんだろーな? 今後、俺の推しに舐めた真似しやがったら……てめーら、骨の一本や二本じゃ済まさねーぜ」
すると紗和とふたりの男子は、すっかり青ざめた表情で何度も頷きながら、そそくさと幹都の席の前から去っていた。
逆に幹都は、未だ呆然と義零の精悍な面に視線が釘付けとなっている。
ラノベやアニメ、或いは漫画などでは、オタクに優しいギャルという話はよく目にするが、オタクに優しいイケメンマッチョというのは、ただの一度も聞いたことが無かった。
しかし今、目の前に居る。
この人物は間違い無く、幹都に優しい男だった。
そしてその後、遠足の班分けが実施されたが、幹都は迷うことなく、義零と一緒になる班を希望した。
義零も、じゃあ一緒に行こうと気さくに応じてくれた。
「わー、義零君が他の男子とつるむなんて、珍しいねー」
クラスでも屈指の美少女の魅姫が、宜しくねと幹都に手を差し出してきた。
更に渚沙、里琴、紗璃菜といった面々が次々と歩を寄せてきて、幹都と挨拶を交わしてくれた。
「男ふたりに女四人か……ちょっと歪だけど、まぁ既定の六人だから、問題無しかな」
里琴が穏やかに笑った。
更に紗璃菜や渚沙も、幹都に積極的に声をかけてきてくれた。
今日、この日――幹都にとっては辛く険しくなるだろうと思われていた高校生活に、ひと筋の光が差し込んだ記念となる日であった。