1.男、鍛えるべし
小学校の卒業式当日。
体育館裏のやや狭い一角で、神岡義零は幼馴染みの宮園魅姫から、まるで汚物でも見るかの様な嫌悪感たっぷりの眼差しを突きつけられていた。
この直前、義零は魅姫に、好きだと伝えた。
彼女は小学生ながら目を見張る程の美少女で、その大人びた所作は中学生だといっても十分に通用する程の色気を具えていた。
魅姫とは家が近いものの、中学校の学区が異なる為、彼女と学校内で顔を合わせることが出来るのは、この日が最後だった。
だから義零も、思い切って自らの思いの丈をぶつけることにしたのである。
その義零の勇気ある告白に対し、魅姫は、
「は? あんた馬鹿じゃないの?」
と辛辣なひと言を返してきた。
「あんたさぁ、鏡見てんの? 何であたしが、あんたみたいなキモデブと付き合わなきゃなんない訳?」
魅姫はまるで吐き捨てる様に、義零の超肥満体型を罵倒した。
確かに義零は、デブだ。
小学六年なのに三桁に迫ろうかという体重は、その外見に相応しい重量を示している。
太り始めたのは小学校三年生辺りからだったが、それから今まで、魅姫は特に嫌な顔もせずに幼馴染みとして接してくれていた。
だから彼女は、例え太ってはいても自分のことを嫌ってはいない――義零はそう信じていた。
ところがこの日、小学校最後の日を迎えたところで、彼のそんな淡い想いは粉々に打ち砕かれた。
「まぁー、顔だけはね、もうちょっと痩せてたらイケメンっていえなくもないけど、問題は体の方だよね。マジで信じらんない。何をどうしたら、そんなにぶくぶく太る訳?」
魅姫は腕を組んで仁王立ち。
その視線には徹底的に義零の心を打ち砕いてしまおうという攻撃的な悪意に満ちていた。
「ってかさ、マジでキモいんだけど……今まではまぁ、幼馴染みだから普通に友達してあげてたけど、コクってくるんなら話は別ね。もう二度と、あたしに話しかけないで。ホント、チョーうざいから」
それだけいい残して、魅姫は去っていった。
その場に残された義零はしばし呆然としていたが、やがて涙が滝の様に溢れてきた。
(俺……もう、良いや……もう二度と、女子なんて好きにはならない……)
こうして義零は、己の中に僅かに残されていた異性への想いを一切合切、捨てることにした。
そして同日、夕刻。
義零は行きつけの駄菓子屋に顔を出した。
悲しい時は、好きなお菓子でも食べて元気になるしかない。この発想そのものが彼の肥満の一因ではあるのだが、今の義零にはそんなことを考える余裕も無かった。
「よぉ~、義零君かぁ、いらっしゃい……って、何や、エラい元気あらへんな」
応対に現れたのは駄菓子屋『わかざき』の店主、若崎源次郎だった。
彼は2メートル近い巨躯の持ち主で、衣服の下からは筋肉の峰が盛り上がっている。
以前ちらっと聞いたことがあったのだが、源次郎は元アメリカ海兵隊員で、現役時は二等軍曹として戦地に赴いたこともあったらしい。
米軍所属時はアメリカ国籍を持っていたが、日本に帰って来てからは帰化という形で再度日本国籍を取得したとの由。そして現在は、祖父から受け継いだ駄菓子屋を経営する傍ら、即応予備自衛官として近くの陸上自衛隊駐屯地で時折、訓練に参加しているのだという。
まさに鋼の肉体の持ち主であり、義零とは真逆の超人といって良いだろう。
その源次郎が、すっかりしょぼくれている義零の顔を優しく覗き込んできた。彼は頑健な体格ながら、その表情は実に穏やかで、子供達と接する時には本当に優しい笑顔を見せる人物だった。
「どないしたんや? 俺で良かったら、ナンぼでも聞いたるで?」
そのひと言に、義零は再び涙が溢れてきた。
源次郎は軒先にある畳敷きの小上がりスペースに義零を座らせ、奢りだといってラムネを一本、差し出してきてくれた。
「俺……みっちゃんにフラれた……デブは嫌いだっていわれて……」
「あー、そっかー、みっちゃんになぁ……あの子、面食いやからなぁ」
義零の肩をぽんぽんと軽く叩きながら、苦笑を滲ませる源次郎。
魅姫もまたこの駄菓子屋の大切なお客さんだから、彼女を悪くいう訳にもいかないのだろう。
この時、義零の中で或る決意が湧いた。
魅姫にフラれた時、彼は既に女性への想いを全て断ち切ると心に決めたが、ただ覚悟するだけでは何かが足りないと思ったのである。
ならば、今目の前に居るこの超人に、お願いするしかない――義零は涙を拭い、背筋を伸ばして源次郎と向き合った。
「ねぇ源さん……お願いあるんだけど……俺を、鍛えてくれない?」
「ん? 急にどないしたんや、藪から棒に」
源次郎は不思議そうな面持ちで小首を傾げた。
義零は過去に、アメリカ海兵隊にはブートキャンプという恐ろしくキツい訓練プログラムがあるという話を源次郎から聞いたことがあった。
それを自分に、課して欲しいと頼み込んだ。
「俺、強くなりたい。女なんかに媚びなくたって良いぐらい強くなって、皆を見返してやりたい」
「ほー、そっかー。義零君、強くなりたいんかー」
しかし実際の米軍式ブートキャンプは大人でも音を上げてしまう程の辛さだから、義零に課すとなれば子供向けにアレンジしたものから始めて、徐々にペースアップしていくしかないということらしい。
それでも構わないから、是非自分を鍛えて欲しいと義零は必死の思いで頼み込んだ。
「ん~……まぁ、義零君がそこまでいうんやったら……」
そんな訳で義零は、これから先の中学三年間を源次郎に師事し、徹底的に鍛えて貰うことになった。
そうしてそれから三年余りが過ぎ、義零は15歳の誕生日を迎えた。そして彼は、私立桃円高等学校への入学を果たした。
◆ ◇ ◆
桜吹雪が舞う、桃円高校の正門前。
この日、入学式を迎えた新入生達は真新しい制服に身を包んで、意気揚々と足を運んでくる。
その中に、魅姫の姿もあった。
彼女は中学時代からその美貌で多くの男子らを虜にしてきたが、高校に進学した今、その美しさは更に際立ってひとの目を引く様になっていた。
(今日からあたしも、JKか~……どんなイケメンが居るかなぁ?)
浮き浮きした気分を隠そうともせず、満面の笑みで正門をくぐった魅姫。
その時、前方にちょっとしたひとの壁が出来ていることに気付いた。
結構な人数に上る新入生の女子らが、或る一点に対して遠巻きに視線を送っている。一体何事かと魅姫もその人垣に紛れて目を向けると、そこにびっくりする程のマッチョなイケメンが佇んでいた。
彼は校舎玄関横のクラス割り一覧表をじっと眺めており、自身の向かうべき教室を調べている様子だった。
それにしても何という見事な体格だろう。
制服の黒い学ランの上からでもひと目で分かる程に、その分厚い胸板が下から押し上げる様に張っている。
やや長めの黒髪は春風に吹かれてワイルドに揺れ、整った顔立ちはにこりともせず、実にクールだった。
(わっ、誰だろう……うちの中学じゃないよね?)
魅姫が通っていた中学校には、あれ程に目立つ長身のマッチョなイケメンは居なかった。
ということは、きっと別の学区から進学してきたに違いない。
(絶対……ぜーったい、友達になろ! でもって、出来たらカレピに……なぁんて!)
先程以上に、気分がうっきうきに舞い上がってきた。
だがこの時、彼女はまだ知らなかった。
あの超絶イケメンの正体が、かつて自身がキモデブと罵ってこっ酷くフってやった幼馴染みだったということを――。