七幕
「何か………用?」
「用というほどのものではございませんが…もしよろしければ、わたくしたちと少し遊んでいただけませんか?」
沙良羅がお願いをした相手は…あの白い少女、御雅来砂鳥だった。
ここは、御雅来砂鳥の部屋。あの、白で塗り固められていた砂鳥の城。そこに乗り込んで、沙良羅は砂鳥と遊びたいと頼んだ。せっかくなのだから砂鳥とも友達になりたい、と。なので、私たちが雁首を揃えてここを訪れた、という展開だ。
「駄目…でしょうか?」
沙良羅が恐る恐る問い掛けていた。これは断りづらいはずだ。
「…いいけど、何をするの?」
この白い少女にもお嬢さまスマイルが効いたのだろうか。無表情ではあるが、拒絶はされなかった。
「トランプなど、いかがでしょう?」
沙良羅は目に見えて微笑んでいた。しかし、トランプって意外と庶民的だな、このお嬢さま。
しかし、白の少女も言った。
「トランプ…けっこう強いよ」
「あら、奇遇ですわね。わたくしのカードゲームの腕も、ちょっとしたものですの」
沙良羅は、猫的な愛らしい笑みを浮かべている。
そして、その猫的な微笑みは私にも向けられた。
「ナオコさんもご一緒してくださいますよね?」
「え…うん、そうだね」
ここで断れるはずがない。
「ナオコさんなら、そう言っていただけると思っておりましたわ」
沙良羅はまた笑む。けれど、微笑みのまま言った。
「ただ…ナオコさんが負けてしまわれた場合は、罰ゲームとして、ナオコさんのご実家の蛇口からは、コーヒー牛乳しか出て来ないようにリフォームさせていただきますけれど」
「そんなリフォームされたら一目散で一家離散だよ…」
どんな悪辣なリフォーム会社でも、そこまで溌剌とした悪事は働かない。
「…というか、冗談だよね?」
と、私は問いかけたけれどお嬢さまは薄く微笑むだけだ。
…いや、ホントに冗談だよね?
そんなこんなで、藪から棒に第一回大トランプ大会が始まった。ゲームの種目は大富豪だ。参加者が、沙良羅、砂鳥、悠、私の四人だったから(半兵衛は見学に回った)だ。
この中でピカ一の強さを見せつけたのは、言い出しっぺの沙良羅だった。
次に富豪のポジションにつけていたのは砂鳥で、この地位が定位置と化していた。常にポーカーフェイス故に、誰も砂鳥の手の内を読むことができなかった。貧民は悠で、そして大貧民はずっと私だった。このままでは、私の家の水回りからは、コーヒー牛乳しか出て来ないという惨事になるのだろうか?
「でも、意外だよね。サラさんみたいないいところのお嬢様がトランプとかやるなんて」
カードとにらめっこをしながら、私は言った。やばい、今回もいいカードが来ていない。どうしてこんなに引きが悪いんだ。
「わたくしもユウ様に教えていただいて最近憶えたのですけれど、大勢でやるととても楽しいものですわ。ついつい、時間を忘れてのめり込んでしまいます」
「確かに、一度でもサラとトランプや花札をやり始めると中々やめないんだよ。この間なんて、それで徹夜だったんだ」
「ペットを遊ばせることも、ご主人様の大切なお仕事ですわ…あ、今のもご主人様お約束条項に付け加えておきましょうか」
言うが早いか、サラはポケットからかわいい子猫のキャラクターのシールが貼られた手帳を取り出していた。ちょっと中身を拝見したかった。
「これ以上、妙な制約が増えるのは勘弁だよ」
悠の気だるそうな呟きに、私は軽く吹きだしてしまった。それを契機にしたように、沙良羅も慎ましい微笑を浮かべていた。
楽しい。楽しいと、不意に私は思ってしまった。
…それは、無為だというのに。
そして、今回の勝負が終わった。大貧民は…またしても私だった。
「もう一勝負…いい?」
砂鳥がそう口にした。本当は負けん気の強い子なのかもしれない。
「だけど砂鳥さん。そろそろ十時ですよ。この辺でお開きにしませんか?」
悠は壁にかけてあった時計を見ていた。私もつられてそちらを見た。そして、そのままくるりと一周、この部屋を眺めてみた。砂鳥の部屋は、ただただ普通だった。部屋の隅にはベッドがあり、角には薄型のテレビがあった。一人暮らしのOLよりはいい暮らしだっただろうか。しかし…この部屋には、窓がなかったが。
「でも…まだサラさんに一回も勝ってない」
やはり、負けん気はあるのかもしれない。
「それじゃあ、もう少しだけ続けようか」
ご主人様は継続の意思があるようだ。
「わたくしと遊んでくださる時は、ユウ様、そんなに乗り気なことをおっしゃってくださいませんのに…」
「別にそんなことは…」
悠が言いかけたところで、突如、部屋の扉が開かれた。
「砂鳥様…そろそろ就寝のお時間です」
作務衣姿の東と、割烹着姿の城山の二人が入って来た。いや、割って入って来た。
「もう就寝って…まだよろしいのでは?」
沙良羅が言った。どこかしら、遊び足りない子犬のような雰囲気で。
「すみません、翼王道様。これはここの規則でして…」
だが、東は有無は言わせない雰囲気だ。
「分かりましたわ……」
沙良羅がそう言って、不承不承といった体で帰り支度を始めた。なので、私たちもそれに倣う。といっても、片付けるほどの物は持ち込んでいなかったが。
「砂鳥様、続きは明日いたしましょうね」
部屋を出る直前に沙良羅がそう言ったのだが、砂鳥は何も言わなかった。けれど、拒絶はしていないとは思われる。なんというか、これがこの少女のデフォルトなのだろう。それから、ぞろぞろと彼女の部屋を出た。一番最後の沙良羅たちが砂鳥の部屋を出ると。
「…!」
無機質な音が、盛大になった。
それは、東がかけた南京錠の音だった。
最初にこの部屋に入って来た時から気がついてはいたが、この部屋の扉は通常のそれとは懸離れていた。何しろ、この部屋のドアにはドアノブがない。その代わりに、閂のような施錠用の棒がドアの外側に備え付けられていて、今、東の手によってそこに南京錠がしっかりとかけられた。
つまり、この部屋は外側から施錠されたことになる。
「あの…なぜ、扉の外から鍵をおかけになるのですか?」
質問したのは、沙良羅だった。
何しろ、これでは中にいる御雅来砂鳥が、自身の意思で外に出ることは、できない。
「…これも、規則なのです」
東は、沙良羅の目は見ずに返答していた。沙良羅も、それ以上は何も言えなかったようだ。私も東を見ていたが、そこから視線を外し、周囲を見渡した。
外から見た砂鳥の館は、長方形だった。
その長方形の館の内側には、三つの部屋が連なっていた。先ほどまで私たちがいた砂鳥の部屋は、一番奥の部屋だ。そして今、砂鳥の部屋を出た私たちは真ん中の部屋にいる。けれど、ここも、四方を真っ白い壁に呑み込まれていた。
いや、白以外に何もないというべきだろうか。この部屋には、一つとして家具が存在していない。何もない。ただの伽藍洞だった。
私たちは、その真ん中の部屋を真直ぐに歩いた。突き当りには次の部屋の扉があり、そこを抜けると、入り口のある最初の部屋に出る。
だが、この部屋にも、何もない。ただ、館の入り口があるだけだ。そして、私たちはそのまま外に出た。そして、館を出たところで、また。
「…!」
さきほどと同じ、重く、乾いた音が、少々高らかに鳴り響いた。
響いた音と同じく、錠は先程と全く同じタイプの南京錠だ。
それが、扉の外側からかけられる。
だが、この扉を施錠したのは、東ではなく城山だった。分担が決まっているのだろうか。
「では、お休みなさいませ」
東たちは簡素な別れの挨拶の後、そそくさと暗闇へ消えて行った。
「なんだか、まるで…」
言いかけて、そこで私は言葉を止めた。
砂鳥の部屋には窓が無かった。真ん中の部屋にも窓は無かった。入り口の部屋にも、窓は一つとして無かった。あるのは、外側からかけられた、二つの無情なる南京錠のみ。
だから、私も考えた。沙良羅や半兵衛たちも、同じことを考えていたのではないだろうか。
これではまるで、体のいい牢獄だ、と。
…さて。
ここでこのお話が終わっていれば、私という少女(まだ少女でいいはずだ)にとって多少は奇矯ではあっても、それなりに愛嬌のある楽しい記憶となっていたかもしれない。
だが、まだ、終わらない。
まだ、終わらせてなんか、くれなかった。