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六幕

「簡単に言うと…御雅来の人形と他の人形とは、根本から違うということなんだ」


 夕食の後、本館にある食堂にて、夜彦老人による御雅来の人形の講義が始まっていた。冷酒が程よく回っているのだろうか、夜彦は赤ら顔をしていた。


「根本から違う…それは、人形に使う材料などが、他の方たちがお使いになられているものとは全く違うということですの?」


 沙良羅の問いかけに、夜彦はにやりと表情を歪める。


「最良の材料は、人間の生皮だよ」


 時が止まった。呼気も止まった。


「ジョークだけどね」


 夜彦老人は、したり顔でさらりと言いやがった。


「…モノがモノですから、一瞬だけ冷やりといたしましたわ」


 ありえなくはないと、私も思った。

 沙良羅と夜彦はテーブルを挟み、向き合った姿勢で熱心に話をしていた。今この大きなテーブルについているのは、沙良羅、夜彦、悠、半兵衛、そして私の五人だった。東と城山はキッチンで食事の後片付けをしていて、その他の面子は既に自室に戻っていた。


「すまないね、首輪のお嬢様。材料や製作過程などの、人形作りに関する詳しいことは他人には話してはいけない決まりなんでね。代わりと言っちゃあなんだが、さっきの違いについての話を少しだけしようか」

「ここのお人形さんたちと、他所のお人形さんが基本的に違うというお話ですか?」

「ああ、そうだ。なんというのかな、根元から違うのは違うんだが、それはあまり技術的な部分にだけ偏ったものではなくて…そもそもの概念が違うということか。人形というのは、結局なんだと思うね?」


 夜彦老人はお猪口(ちょこ)を片手で持ち上げながら問う。随分とさまになる仕草だった。老人が握る小さな池の中には、恰幅のいい老人の姿がまことしやかに映し出されていた。


「それは難しいご質問ですけれど…人体を簡易的に再現したもの、でしょうか?」

「それは…程よく不正解じゃな」

「違い…ますの?」


 小首を傾ける沙良羅。やはり、その仕草は子猫を連想させる。


「ああ。確かに人形は人と同じ形をしている。お嬢様が言うたとおりにな。だが、人形というものは、人間を模して作られているわけでは、ない」

「では…人形とは、何を模して作られているものなのですか?」


 この沙良羅の疑問は、私の疑問でもあった。


「人形じゃよ」


 夜彦は、そこでお猪口の中身を一滴も残さずに飲み干した。


「人形とは、結局のところは人形を模して作られているものなんだよ、お嬢さま」

「人形は、人形を模して作られている…?」


 沙良羅は、言葉を教えられたインコのように、四角四面に反芻していた。

 そんな沙良羅に老人は語る。


「例えば、新しく市松人形を作ろうとしている職人がいると仮定しようか…だが、その職人は別に人間を見本にして人形を作ることはない。結局は、市松人形を手本にして市松人形を作るものだ。人間に似せて作ろうなどとは、微塵も考えちゃあいない。他の人形を作る人形師たちも同じなんだよ。自分が作ろうとしている人形の(わだち)から、大きく外れたりすることはない」


 夜彦がそこまで話した時、東が新しいお銚子を持って来た。新しいお銚子からお猪口へと、冷酒が注がれる。

 そんな人形師に、お嬢さまは問いかける。


「では、お人形をお作りになられている人形師の方々は、人形をお作りになられる際に『人間に似せる』という点にはあまり留意しない…ということですか?」

「その通りだよ。普通の人形師たちは、いかに人形を人間に近づけるか、ということに腐心したりはしない。例えばさっきも例に出した市松人形だが、その市松人形を市松人形として完全なものに仕上げることに全ての意識を集約させるんだ。そして、人間に似せた人形を作ろうとしている人形師たちも、結局は『人間に似た人形』を作ろうとしておるということだ。人間をそのまま人形で創ろうとしているわけじゃない。人間と人形は全くの別種だと、知っているからだ」

「御雅来の人形師を除いては、ですか」


 そこに、神降悠の声が投げかけられた。悠は、さらに続ける。


「それが、さっき言っていた、他の人形師たちと御雅来の人形師との『違い』ですか。確かに、それなら根元から違う…というか、根っ子が全く違うのでしょうね」

「その通りだ…御雅来と他の人形師たちは、開始線と目的地がまるで違う。そもそも、ワシらは競争するような位置を並走などしてはおらん。いや、ワシらの間には、交差点すら存在せんよ」


 夜彦は悠に酒を差し出したが、悠は「未成年ですので」と辞去した。

 夜彦老人は、もう一口お猪口の中の酒を呷ってから、悠を見据えた。


「つまり人間に似せた人形…いや、人間と寸分違わぬ人形を作るなどという酔狂なことに没頭する変質者は、ワシらぐらいのものだということだ。もし、人間に似た人形を作りたいのならば、人間そのものを作ればいい。わざわざ人形で人間を再現をする必要など、ない」


 なるほど、そういうことか。

 しかし、逆に言えば、それだけの偉業をこの老人たちは日常的に成し遂げている、ということでもある。


「あ、そうですわ…では、おじい様、御雅来の人形作りのこの技術は、一体どなたがお継ぎになられるのですか?」


 沙良羅が立ち入った質問をした。

 だが、確かに気にはなる。一体、誰があの人形を受け継ぐのだろう。息子の順一は、金に固執するタイプの俗物な小物。孫の秀鷹は絵画に無我になっているご様子…ならば。


「ん、後継ぎか…後継ぎは砂鳥じゃよ。まだ少し、心許(こころもと)なくはあるがね」

「砂鳥さん…ですか?」


 白い衣装と白い肌に包まれた黒い髪の少女…確かに、彼女が一番、この不可思議な技術を受け継ぐのに相応しいかもしれない。


「…おじい様、なぜ、砂鳥さんが後継者なのですか?」


 私はあの少女こそが跡取りにふさわしいと思ったが、沙良羅はそこで疑問に思ったようだった。


「何もないから、砂鳥なんじゃよ」


 夜彦はまた酒を(あお)った。

 そして、年老いた人形師はその先を語ることはなかった。


「おや…?雨が降って来たご様子ですね」


 夜彦に冷酒のおかわりを運んで来ていた東が、窓の外に目をやってからそう口にした。そして、その次の瞬間には、滝のような雨が降り始めていた。


「すごい雨…」


 思わず、私は呟いていた。昼間はあれだけ晴れていたというのに。


「バンバン!」


 大きな音を立てながら雨の飛礫(つぶて)が窓を叩く音は、ちょっとした騒音だ。


「雨脚がすごいですわね…」


 沙良羅も、(つぶ)らな瞳をさらに丸くさせながら窓を眺めていた。


「ちょっと待って、何か聞こえるんだけど」


 ご主人様がそんなことを言い出した。私も、つられて耳を澄ました。確かに、雨音に交じって何かが聞こえてくる。


「助けて、くださぁい…」


 助けを求める声が、虚ろに聞こえてくる。


「どこからでしょうか…あ、窓の外ですわ」


 沙良羅が気付いたように、窓の外に薄っすらとした人影が映っていた。先程から闇夜の中で懸命に窓を叩いていたのは、どうやらあの雨だけではなかったらしい。


「いやー、助かりました。あんな土砂降りの雨に打たれて、死ぬかと思ってましたよぉ」


 東に手渡されたバスタオルで濡れた頭をぐしぐしと拭きながら、『死』というネガティブな言葉を口にした割に、その女性はのんびりと間延びした声を出していた。

 しかし、おっとりとしているのは口調だけでなく、やや細めがちの目元もどことなくはんなりとしていた。年の頃は二十代の四、五といったところだろうか。


「あの、どうしてあのようなところに居られたのですか?」


 東が、陶然の疑問をその女性に投げかける。


「道に迷ってたんですよぉ」


 お姉さんは、やはりはんなりと答え、説明していく。


「森の中を、一人で彷徨(さまよ)ってたんですけどぉ…周りは何にも見えない真っ暗な夜だし、いきなり大雨は降ってくるしでぇ」


 そこまで言った彼女に、東はコーヒーカップを差し出した。カップからは、白い湯気が立ち上っていた。


「すいませぇん、一から十まで」


 彼女は東からカップを受け取った後、ビールのCMをさらに早回ししたような勢いで、カップの中の熱いはずの液体を飲みだした。

 そして、ぶっ倒れた。


「え…あ、あの、どうなされたのですか!?」


 これには、さすがの東も狼狽していた。


「私、ココアを飲むと…眠くなる、んですぅ…多分、ココアのポリフェノールがぁ……」


 ポリフェノールにそんな効能は無い。けれど、その言葉を最後に瞳を閉じ、お姉さんはのっけから(いびき)をかき始めた。どうやら眠くなるというのは本当だったらしい。しかも、そこに追い討ちをかけるように口の端から(よだれ)雪崩(なだ)れ始めていた。随分とあられもない姿が。写真に収めておけば、脅迫の材料にもなるかもしれない。


「…………どういたしましょうか、夜彦様」


 本当にどういたしましょう、だ。


「客館にはまだ空き部屋があっただろう。あそこにでも放り込んでおけばいいだろう」


 殆んど荷物のような扱いだ。しかも、生ものだから余計に性質(たち)が悪い。


「かしこまりました。では、さっそく持って行ってまいります」


 東は主である夜彦の言い付けを守り、ココア一杯で眠りこけているお姉さんを背負って部屋から出て行った。まだ、名前さえ明かされていないあの登場人物は、こうしてこの場面から消えた。重要度が高いのか低いのかすら分からない。


「さて、ワシも部屋に戻るとするか。お嬢様方も、そろそろ戻った方がいいじゃろ」


 夜彦の言葉に、場は解散の空気になった。

 そして、私たちはこの本館を後にする。その途中で、悠が言った。


「サラ、ボクたちも部屋に帰ろうか」

「ユウ様、わたくし、少し行ってみたいところがあるのですが」

「行きたいところ?」

「はい」


 元気に返事をするサラの瞳は、花丸をあげたくなるような、満点の笑みだった。

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