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五幕

「で、でも…よく、そんな情報が手に、入りましたね」


 私は、巻島半兵衛にそう言った。

 私は、『ご利益』のことを深く考えるのを止めるために、別の話題を振った。

 あまり深く考えると、これまでのワタシの世界が転覆させられてしまうからだ。


「人形師・御雅来夜彦様のお噂を、偶々ではございますが、私めが聞きつけたのです。恥ずかしながら私めの趣味は人形蒐集なのですが、その仲間たちから御雅来の人形についての噂話…というか都市伝説的な話をお聞きしまして。その話をお嬢様にお話いたしましたところ、お嬢様がそれほどの人形ならばと所望なされまして。その後、翼王道家の情報収集力を結集いたしまして、この場所を突き止めたのでございます」


 沙良羅クラスの家柄でもないと、確かにこんな辺鄙(へんぴ)な場所を探し当てることはできないかもしれない。

 だが、私は少し別のことに興味を引かれていた。というか、ほんのわずかでもいいから、御雅来の人形の話題から背を向けて逃げたかったのかもしれない。自分から首を突っ込んでおきながらぬけぬけと。


「あの…半兵衛さんって人形が好きなんですか?どんな種類のやつですか?」

「美少女フィギュアです」


 喰い気味でそう言った。


「アニメやゲームなどの」


 言うに事欠いて老執事はさらにそう言った。


「最近は、巧緻な人形が数多く出ているのですよ」


 そんなことまで聞いていない…。


「いや、お恥ずかしい話で恐縮なのですが、一昨年辺りから、私めも自分で原型を…フィギュアの原型ですな。それを自分でも作り始めたのです。最初は本当にうまくいかなかったのですが、先日完成した魔法少女などは、会心の出来でした。イベントでも中々好評を得ましたし。現在も肌身放さずに持っております」


 本当にお恥ずかしい話なのですが…。

 と、そんな風に話をしていた私たちの前を歩く悠たちの足が、ふと止まった。


「…どうしたの?」


 後ろから、私が問いかける。これ以上、この老執事とマンツーマンというのも些か切な過ぎて遣り切れない。


「うん、人が歩いて来てたから」


 悠が言ったように、前方から、一組の若い男女がこちらに向かって近づきつつあった。


「こんにちは」


 ブラウスにパンツ姿の、カジュアルな着こなしの青年が声をかけてきた。年齢は、私たちよりも少し上の、二十二、三といったところか。男性にしては少し長めの髪が、さらさらと春の風に馴染むように揺れていた。


「こんにちは」


 沙良羅が率先して挨拶を返した。返礼を受けた青年は微笑む。そして、口を開いた。


「ええと、そちらのお嬢様が、依頼人の翼王道さん…かな?」


 この青年、私と沙良羅を見比べてから沙良羅にそう言った。どうやら私は、首輪を嵌めている沙良羅よりもお嬢様には見えないらしい。


「はい、わたくしが翼王道沙良羅ですわ。こちらが執事の巻島半兵衛に、お友達の紅井ナオコさん。そして、この方がわたくしのご主人様、神降ユウ様ですわ」

「僕は、夜彦の孫の秀鷹(ひでたか)。こっちは僕たちのお世話をしてくれている、城山忍さんです」


 城山忍は割烹着姿の楚々(そそ)とした若い女性だった。こんな山間より料亭などが似合いそうだが、首輪のお嬢様に比べれば違和感はなかった。城山は、「ようこそおいでくださいました」と、礼節のある挨拶をしていた。


「何もないところだけど、ゆっくりしていってね」


 秀鷹は、好青年を絵に描いたような笑みを浮かべていた。


「何もないなどとんでもないですわ。先ほど、おじい様の工房を見学させていただいたのですが…あのお人形さんたちには、本当に感服させられました」


 沙良羅は、率直な感想を実直な笑みで述べていた。


「うん、そうだよね…あんな人形は、他にないよね」


 そう言った秀鷹の声は、ほんの少しだけ沈んでいた。

 …何故だろうか。祖父の人形を手放(てばな)しで褒められているというのに。


「え、あ、その…わたくし、あのクオリティにはとても驚いてしまいました」


 沙良羅も、秀鷹の声から何かを感じ取ったようだ。少しだけ口調がぎこちなくなっていた。


「あ、あの、それは…?」


 と、そこで沙良羅が秀鷹に訊ねた。彼女がそれと言った物は、秀鷹が持っていたキャンパスだ。どうやら、沙良羅は話題を変えることにしたらしい。


「僕は絵を描くのが好きでね。さっきもちょっとこれを描きに行っていたんだ」

「秀鷹様は、美術大学に通われております」


 城山忍がそう補足した。だが、秀鷹は言った。


「いや、下手の横好きなんだけどね」

「そのようなことはございません。秀鷹様は、大学でも高い評価を得ていると聞き及んでおります」

「所詮は…大学レベルでの話だからね」


 秀鷹はそう言って、口を(つぐ)む。しばし、()わりの悪い沈黙が続いた。そんな秀鷹に代わり、沙良羅が口を開いた。


「あの、秀鷹様…その絵を見せていただくわけには、まいりませんか?」

「別にかまわないよ…こんな駄作でよければ、だけどね」


 少し自虐的過ぎる物言いだ。しかし、秀鷹は絵を見せてくれた。


「これは…」


 沙良羅だけでなく、その絵を見た全員が口を閉ざしてしまった。

 それは、駄作などではなかった。芸術というものに目が肥えているであろう沙良羅や半兵衛をもってしても、わずかの間だが目が離せなくなるほどに驚いていた。

 おそらくその絵は、この御雅来の敷地内の風景を描いたものだったのだろうが、風景画という枠に収まる代物でもなかった。大胆な筆遣いや、色遣い。目で見たままの背景をお行儀よく描くのではなく、秀鷹はそこに自分なりの注釈なり解釈、または脚色をふんだんに施し、ただの山間部の情景を、幻覚の世界、又は錯覚の世界にまで仕立て上げている。抽象的な印象が色濃く強いこの絵は、非常に()が強い絵画だった。


「まあ、あまり大したものでもないけどね」


 秀鷹は、尚も自嘲する。


「そのようなことは…決してございません」


 沙良羅は、まだその絵を眺めていた。


「翼王道家のお嬢様にそんな風に評価されたら、お世辞でも嬉しいものだね」

「そんな、決して社交辞令のお世辞などではありませんわ。秀鷹様の絵は、本職の画家の方たちとも肩を並べられるものです。勿論、コンクールなどに応募なさるのでしょう?」

「いや、僕はまだまだだよ。まだまだまだまだ未熟者なんだ。どこかの賞に応募したいなんて、そんな大それたことは口が裂けても言えないよ」


 秀鷹は、自分の絵が駄作なのだと頭ごなしにそう信じ込んでいたようだ。


「そのようなことはけして…」

「それじゃあ、僕たちはこれで」


 そこで、秀鷹と城山はあっさりと行ってしまった。


「少し灰汁(あく)の強い印象でしたけれど、わたくしは、秀鷹様のあの絵は本当に素晴らしい作品だと思いましたのに…」


 沙良羅は秀鷹の背中に小さく呟いていた。

 その後、特にやることもなかったので、また私たちは歩き出した。目的地は客館だったが、ほんの少しだけ、ぶらぶらとしながら。春のきめ細やかな日差しを、ふらふらと浴びながら。首輪から延びる純銀の鎖を、チャラチャラと小刻みに鳴らしながら。

 いい陽気だった。そして、世界は平和だった。空々しいまでに、世界は平和だった。


「あら、ユウ様。あちらをごらんください。綺麗な桜の木がございますわ」


 沙良羅が声を発した。確かに、そこには一本の桜の木が屹立(きつりつ)していた。


「ああ、ほんとだ。綺麗だね」

「ユウ様。そこは、「桜も綺麗だけど、君の方がずっと綺麗だよ」と、口説き文句の一つもかますところですわ。それがご主人様というものです」


 果たしてそうなのだろうか。初めてご主人様なるものを見た私にはとんと分からない。分からないから、この二人のやりとりを黙って眺めていた。


「そうなのかな?」

「そうなのですわ」


 どうやらそうなのらしかった。


「もう少し近くで見てみましょう」


 だが…近づいて行くと分かったのだが、その桜の木は、異様なまでの大きさだった。樹齢は、ザッと見積もっても百年単位で数えられるものだと判断できる。幹の大きさもゆうに十メートルはあると思われるし、上の方はかなり首を傾けなければ拝むことができなかった。周りから浮き上がっているように見えていたのは、近くに他の桜がなかったからではなく、この木自体がかなりの巨木だったからか。春風が吹くたびに、多量の花びらが舞い落ちていた。桜の雨といった風情だ。

 桜の木の下には、死体が埋まっているという話は有名だけれど。

 …ならば、この巨木の根元には、どれだけの死体が埋められているのだろうか。


「なんだろ…?」


 そこで、私の足を懸命に突付くナニカがいた。


「ニワ…トリ?」


 白いボディに赤いトサカ。それは、一羽だけどニワトリだった。


「どうして、ニワトリが…?」


 私が呟いた瞬間。私たちの視界に、いつの間にか一人の少女らしき人影が、桜の向こうから現われていた。

 少女は、白装束を身に纏っていた。

 白い装束を纏いながら、桜の風に身を委ねていた。沙良羅とは、違った意味で不思議な少女だ。その外見からは、年齢さえ窺い知ることができない。


「駄目だよ…悪戯したら」


 白装束の少女がそう言ったからだろうか、私の足を突付いていたニワトリが、少女の下にチョコチョコと歩いて行った。そして、白い少女はこちらを見る。


「あなたたち…人形が、欲しいの?」


 白い少女の声は、極めて白かった。そして、瞳は透明だった。だが、その瞳の奥からは温度が感じられなかった。


「え、ええ…そう、ですわ」


 白い少女に呑まれているのか、沙良羅はつまり気味に返答した。


「そう…」


 白装束の少女は、極めて無表情。

 もしかすると、彼女は桜の精なのかもしれない。彼女の肌もその衣装に負けていない、無表情な白色だった。彼女の髪は、サラと同じく漆黒だ。だが、白い装束を着ていた分だけ、彼女の髪の方が黒く映えて見えた。


「あの、あなたも、御雅来家の方…なのですよね?」


 お嬢様が問い掛ける。


「…私は、御雅来砂鳥」


 御雅来砂鳥。その名は、あの、真っ白なコンクリートの館の主の名だ。

 …そうか、アレと同じ、白か。


「とても綺麗な…桜ですわね」


 沙良羅が、白い少女に話しかけた。沙良羅なりに、この少女とコミュニケーションを取ろうとしているようだ。


「綺麗…かどうかは、私には分からない」

「…分からない?」


 白い少女の返答に、沙良羅はやんわりと小首を傾げていた。無垢な子猫の仕草に、それはよく似ていた。


「ええ、私には…分からない」


 もう一度、少女は言った。そんな少女に、沙良羅が問いかける。


「あの桜が…お嫌いですか?」

「嫌い…かどうかも、分からない」


 白い少女の言葉には、何も含まれていなかった。少女の言葉はただの文字の羅列、記号の塊でしかなく、だからこそ、そこには不純物が入り込む余地はない。


「でも、この場所には、たまに、来る」


 白い少女、御雅来砂鳥はそう言った。そして、桜を見上げる。けれど、ただ、見上げているだけだった。だが、その視線を下ろし、砂鳥は言った。


「じゃあ、私、行くわ…おいで、トリ男」

「トリ男…?」


 沙良羅が、お嬢様には似つかわしくない少し抜けたオウム返しで問いかけた。


「鳥だから、トリ男…美味しそうでしょ?」


 ペットとはそういう対象ではない。けれど、そのまま御雅来砂鳥行ってしまった。砂鳥の背中が小さくなったところで、沙良羅が悠に言った。


「ユウ様…鎖はどうなされたのですか」


 私が悠を見ると、悠はいつの間にか鎖を落としてしまっていたようだ。その手には何も握られてはいない。そして、沙良羅が悠に歩み寄った。


「ユウ様…『ご主人様お約束条項第二条・いついかなる時も、ご主人様はペットの鎖を放してはいけない!』ですわ!それに、『ご主人様お約束条項第四条・ご主人様はペット以外の女性に目を奪われてはいけない!』です!先程の方に見惚れていたりしていたからそのような不手際をしてしまうのです!」


 …また出た。ご主人様お約束条項だ。

 このご主人様は、意外に自由度が低い。というか、これ本当にご主人様なのか?

 ふと気付くと、小さくではあるが、私は笑っていた。この二人を見ていて、笑っていたようだ。いや、笑っていたというより、安堵が表情に出たのかもしれない。

 さっきまでの私は、まるで、現実感をどこかに置き忘れてきていたようだった。おそらく、あの工房で人形たちを見て、そして、あの少女と出逢ったからだ。

 けれど、あの二人を見ていると、掻き消えそうになっていた現実感が戻ってきた。あんな突拍子(とっぴょうし)もない二人だというのに。それがまた、可笑しかった。

 けれど、そんなペット様やご主人様たちの周りでは。

 桜が、散り続けていた。

 櫻は、死につつあった。

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