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四幕

「………きゃああああああああああああっ!」

「………いああああああああああああぁっ!」


 悲鳴は二つとも女性陣のものだ。どちらがどちらの悲鳴だったのかは、この際、捨て置いてかまわない。問題は、私たちに悲鳴を上げさせた、あの人間たちだ。

 そいつは、いや、そいつらは、この小屋の天井付近の壁に、皆でこぞって連れ立って首を吊っていた。

 乾き損ねた洗濯物のように後味の悪い姿で。

 するめのように、味気のないお姿で。

 そいつらは、軒並(のきな)み首を吊るされていた。

 大人もいて。年寄もいて。子供もいた。普段着の男もいた。スーツ姿の女もいた。

 彼方此方に、其処彼処(そこかしこ)に、人間たちが、吊るされていた。

 そして、彼ら、彼女らの瞳は、(にら)みつけるように、私たちを捕らえていた。

 ひどくがらんどうの瞳で。生きているような死んでいるような、その場しのぎの瞳で。


「中々のモノだろう?」


 凪いだ声が聞こえて来た。

 恰幅のいい老人だった。黒い着流しに野太いその身を包み、座布団の上でせせこましく胡座をかいていた。だが、確かに太ってはいるのだが、ふんわりと幅の広い顔は七福神の恵比寿さまや布袋さまを連想させてくれていた。


「ワシの作ったかわいいかわいい人形たちはお気に入ってくれたかな?」


 恰幅のいい老人は言った。

 だが、アレが、人形だというのか。人形だとでもいうのか。本当は人間じゃないのか。そうした疑惑が、心中で鎌首を(もた)げる。


「東、鍵をかけてくれ。そいつを閉めていないと落ち着かんのでな」

「はい、夜彦様」


 若き使用人は小屋の扉を閉めた。老人は鍵といったが、この小屋を外部から護っていたのは、閂だった。


「噂にはお聞きしておりましたが、まさかここまで精巧なお人形さんでしたとは…驚きが鳴り止みませんわ」


 沙良羅が話しかけながら老人に近づいて行った。物怖(ものお)じとかしないのか、この子は。


「人形作りの依頼主はあんたか、首輪のお嬢さん。わしがこの御雅来家の人形師・御雅来夜彦だよ」


 依頼主が首輪をしていても、老人の様相は変わらなかった。それだけで、このご老人も只者ではないことが分かる。


「そうですわ、人形師のおじい様。わたくしが、かわいいかわいい翼王道沙良羅です」


 対抗…していたのだろうか。抵抗や拮抗ではないから、おそらくそうだろう。


「そして、こちらが神降ユウ様で、あちらは執事の巻島半兵衛です。それと、あちらがお友達の紅井ナオコさんですわ」


 沙良羅が一同を紹介していくと、夜彦は、私、半兵衛、悠という沙良羅の紹介とは反対のカメラワークでメンバーたちを眺めていった。ただ、夜彦老人が神降悠を眺めている時の瞳は、やけに空疎だった…気がした。


「人形に驚くのはその辺にしておいて、適当なところに座りなさい、お嬢様方。薄汚い工房で申し訳ないが」

「いえ、汚いなどということはございませんが…幾分、お年寄りな建物ですね」


 沙良羅が、丁寧に座り込みながらもう一度小屋の中を見渡していた。私もつられて同じように目線を巡らせる。そこでまた、人形の『彼ら彼女ら』と目が合った。

 濃厚な視線を感じ、息がつまりそうになった。

 そこに、夜彦の声が聞こえてきて、現実に引き戻された。


「まあ、百年以上前からある小屋じゃからなぁ。そりゃあ、古いのは当たり前か。このワシ以上に、あちこちガタがきておるよ。だが、少しは新しい物もあるんだ」


 夜彦は、自分の正面の壁を指差した。確かに、最新式の大型液晶テレビだ。全てが古びた小屋の中で、あのテレビだけがやけに浮き足立って見えてしまうほどに。


「ワシが今座っているこの位置が、一番あのテレビがよく見える位置でな」


 異質な人形師のくせにテレビっ子なのか、この人は。


「ところで…首輪のお嬢様は、どうしてその若さで、ここの人形をその小さなお手てに欲するんだい?」


 そこで、老人の声が、(にわ)かに変わった。いや、曇ったとういべきだろうか。


「…若いから、お人形を欲しがると思うのですが」


 老人の、気圧(きあつ)の低そうな声にかすかに気圧(けお)されながらも、沙良羅はそう返答していた。


「若いから、か……ここに来る他の連中とは器の中身が少し違うようだな。お嬢様には権力くさいところがあまりない」


 夜彦老人は独善的に独り言を呟いていた。声音は、また変質していた。先ほどの曇った声ではなく、最初の、悪戯っ子のように軽い声。七福神のようだとさっきは表現したが、そう口を開いた今の夜彦は、どことなくサンタクロースのようでもあった。


「権力なんて物足りないモノに興味はございませんわ」


 翼王道沙良羅は神降悠の腕を取り、またすりすりとしていた。本当に、筋金入りのお嬢様なのかと訝る光景だ。


「なるほど」


 老人は、微笑んだ。これは、馴染みやすい笑みだった。そして、続ける。


「さて、お嬢様ソックリの人形を作って欲しいという話だったようじゃが…」

「お待ちください、おじい様。わたくしは、一言も自分の姿をしたお人形が欲しいなどとは申しておりませんわ」

「…自分の人形じゃない?ここに来る連中は、『ご利益』が目的だといのに」


 …『ご利益』?

 意味が分からなかったが、沙良羅はそんな言葉には頓着せずに言った。


「わたくしが欲しいのは、こちらのユウ様そっくりのお人形さんですわ」


 沙良羅はしっかりと悠に抱きついていた。というかちょっと角度を変えて見てみると、それはどことなく、肉食の獣が草食の獣を捕獲している時の体勢にも似ていた。


「本当に、ここに来る下卑た連中とは違うということか」


 先ほどから、夜彦老人は人形の依頼人たちのことをよく言っていない。少なくとも、顧客に対して使う単語ではない。だが、老人はそんなことはどうでもよさそうに、お嬢様に問いかけていた。


「だが、どうしてそっちのご主人様の人形が欲しいんだ?」

「もちろん、ユウ様を抱っこして寝るためですわ」


 たぶん、そう言うと思った。出逢ってから小一時間もしていないが、彼女の行動原理がどういうものかは少しだけ理解できた。


「なるほど…よし、分かった。なら、そっちのご主人様の人形を作ろう。普段よりも、あからさまに腕によりをかけてな」

「ありがとうございます、おじい様」


 沙良羅は、屈託なく微笑んでいた。その笑みは、どこも屈折などしていない。そんな屈折率皆無の沙良羅に、老人が言う。


「人形作りは明日からだ。今夜は泊まっていくんだろう?」

「はい、そういうお話のようですわ。お世話になります」


 沙良羅は言ってからぺこりと頭を下げる。良家の子女なのに、そういうかわいらしい仕草が異様に似合っていた。

 けど、彼女たちは泊まりなのか。あれだけ精巧な人形を作るためには時間もかかるのだろう。だから、客のための館が存在していたのか。


「さて、では人形作りなのだが…」


 老人の声とともに人形制作の打ち合わせが始まった。主に、どういう予定でどれくらいの日程がかかるのか、という話し合いだ。具体的な制作方法はまだ謎のままだった。


「それじゃあ、また明日…そうだな、大体、十時頃にでもここに来てくれるかな」


 軽い打ち合わせが済んだ後、老人は約束の時間を指定した。


「はい、分かりましたわ。では、お邪魔いたしました、凄まじい人形師のおじい様」

「ああ、また後でな」


 夜彦とお嬢さまが別れの挨拶を交わし、私たちは外に出た。

 体が、軽くなった気がした。

 夜彦だけを残して、全員が小屋を出た後、後方から閂をかける音が耳に入って来た。私は大きく息を吸った。山間部特有の、混じり気のない冷えた風が私たちのもとに届けられる。

 …この小屋は、私が知っている空間ではなかった。

 この小屋の中は、異世界だった。

 あれほど生きた人間をそのまま再現した人形に、私はお目にかかったことがない。

 どころか、小耳にさえ挟んだことさえない。

 だが、あの人形たちが生きているのではないかと疑い始めると、今度は逆に「私は本当に生きているのだろうか」という疑惑が湧いてくる。


「…………」


 あの場所にいた人形たちは、人形として完全だった。

 …完全だったからこそ、あの人形たちは、ただの人間だった。

 私の常識を打ち壊すには、それらは十分過ぎた。

 これまで私が生きてきた世界なんて、本当は世界の上っ面でしかなかったのかもしれない。


「先程は本当に驚きましたわ…さすがに、人形作りの大咎人(おおとがびと)様ですわね」


 沙良羅の一言の中に、私に馴染みのない単語がしれっと出てきた。


「あれほど驚いたのは、半兵衛が実はカツラだったと知った時以来ですわ」

「そんなまさか…」


 言いかけた私だったが、傍にいた巻島半兵衛の頭部は、いつの間にかツルツルだった。

 唐突な驚きに包まれる私だった。


「いや、ひどい緊張のあまり、頭が蒸れてしまいましたな」


 老執事・巻島半兵衛は、ハンカチを持った右手で頭頂部の汗を拭っていた。

 私は、何も言えずにそれこそ人形のように固まっていた。


「ナオコさん。半兵衛のことを、従順な執事だと見誤っていますと、とんでもない竹箆返(しっぺがえ)しを喰いますわよ。わたくしの場合も、目の前でいきなりあのカツラを取って驚かしてきたのです」

「そ、そうなんだ…」


 この老執事にそんなお茶目な一面があったとは…。


「ええ…しかも、わたくしがコーヒーを口に含んだ瞬間を狙って、です」

「それが許されるのって、小学生ぐらいまでだと思うけど…」

「…では、私は仕事が残っておりますので、これで失礼させていただきます。お夕食は七時からとなっておりますので、その時間に本館の方にお集まりください」


 作務衣の使用人、東はそう言い残して私たちの前から姿を消した。そういえば、この人もいたんだった。完全に気配を消していたから気付かなかった。


「私たちも一度、客館の方に戻りましょう。皆様方の部屋割りなどもございますし」


 半兵衛は、私たちに四つの鍵を示した。それらは全て同じ種類の鍵だ。キーホルダー代わりに小さな丸いプレートがついていて、それに一から四までの数字が書かれていた。


「客館の鍵だそうです。先刻、お預かりいたしました」

「そんな素振りはなかったのに、いつの間に…」


 言ってから、私は気付いた。四つある。


「四つ、なんですか?…部屋の、鍵が?」

「ええ、菜穂子様のお部屋も、あちらは用意してくださったご様子ですな」

「え、でも、私、そんなつもりじゃ…」


 私は、そろそろこの場所から辞去するつもりだった。


「ナオコさん…もう、帰られてしまうのですか?どうせならば、もう少しわたくしたちと一緒にいることはできませんか?せっかくお友達になれたのですから、もう少しだけでも。ああ、そうですわ。キャンプに来ていらしたということは、少なくとも一泊はなされるおつもりだったのでしょう?」


 首輪のお嬢様がうるうるの瞳で眺めてくる。だが、私にもやることがあった。

 …あった、はずなのだが。


「私も一緒にいていいんだったら…ちょっとぐらい、泊まっていってもいいかな…もし、お邪魔じゃないんだったら、だけど」


 そう、もうちょっとぐらいならば。極めて未練がましいけれど、それぐらいならば。


「ナオコさぁん」


 矢庭(やにわ)に、沙良羅お嬢様が私に抱きついてきた。


「あ、あの…」


 私は、彼女の芳香に軽く気を失いそうになった。どうして、このお嬢さまはこんなに香しいのだろうか。


「ほら、サラ…ナオコさんも困ってるみたいだよ。いきなり飛びかかったりしたら」

「はぁい、ごめんなさいですわ。ですが、あまりにも嬉しかったものでしたから、ついついつい…ですわ」


 沙良羅は、そう言ってまたまた舌をぺロッと小さく出した。愛嬌というカテゴリにおいて、このお嬢様は最強だ。だからだろうか、もう少しだけ居残ろうと、私は考えた。まあいい…別に急ぐわけでもない。

 …そして、怖気づいているわけでもない。

 私たちは一度、客館に戻ることとなった。沙良羅ペットと悠(ご主人様)が前を歩き、後ろを私と半兵衛カツラがついて歩くという、先刻と変わり映えのない構図だ。


「半兵衛さん…大咎人って何ですか?」


 私は、先程の単語について問いかけた。不意に、この言葉を思い出したからだ。お嬢様が言っていた言葉を反芻(はんすう)すると、どうやらあの老人のことのようだったが。


「大咎人というのは…あまり、お話していい話では、ないのです」


 そう語った老執事の声は、それまでのものよりも、いくらかその質量が増加していた。


「内緒にしないと駄目なことなんですか?」

「…ええ」


 口外しないでくれと、この老人は最初に釘を刺していたではないか。だが、私はしつこく問いかけてしまった。


「…さわりぐらいでも、駄目ですか?」


 自分でも気付かないうちに、必死になっていたのかもしれなかった。あれだけの人形を目の当たりにしてしまったのだから、それも(いた)し方ないか。


「確かに、気にならないはずはないでしょうが…分かりました。お話いたしましょう。ですが、他言無用ですよ」


 巻島半兵衛は、語り始めた。騙り始めるように、語り始めた。


「大咎人とは…御雅来夜彦様お一人を指す言葉では、ないのです」

「そうなんですか…?」

「…大咎人とは、通常では考えられないような超常的な特殊技術を持っておられる方々の総称のことなのです」

「特殊…技術?」


 耳慣れたようで、耳慣れない言葉だ。


「超特殊技術者集団…それが、大咎人なのですよ。御雅来家は人形作りの大咎人というわけですな。ご覧になられたでしょう?常識や定理を根底から引っくり返すようなあの神業を」


 見た。見て、しまった。だからこそ、私はここまであの人形たちのことが気になった。誘蛾灯に誘われる羽虫のように。


「でも、確かにあの人形制作の技術はすごいと思うんですけど…どうして、そこまで秘密裏にしておかないといけないんですか?なんだか勿体無いですよ」

「前提として…大咎人の技術は、人前に出してはいけないから、でございますかな」

「そこまで…ですか?」

「ええ、世界が変わってしまいますから」


 老執事が語った。

 けど、そんな荒唐無稽な、そんな驚天動地な、そんな半信半疑な話が…あるのかもしれない。あの、生きた人形たちならば。


「けど、さすがにそれは大袈裟なのでは…」


 私のこの台詞は、嘆願だったのかもしれない。世界が変わるなど、ただの冗談であってくれ、と。

 けれど、老執事は告げる。


「いえ、大袈裟でもなんでもございません。大咎人の技術が歴史の表舞台に出てくれば、世界は一変します」


 一拍置いた後、老執事はまた語った。


「御雅来の人形には、ご利益があると言われております」


 …『ご利益』。

 それは、先ほども聞いた言葉だ。

 そして、老執事は語る。


「自身に瓜二つである御雅来の人形を手元に置いておけば、自身の身代わりに、その人形が不幸を肩代わりしてくれる、というご利益が」

「み…皆さん、そんな与太話を信じて、ここの人形を欲されているんですか?」


 与太だと、私は言い切ってしまった。しかし、自分でも薄っすらと考えていた。

 あの人形たちならば、そうした『ご利益』もありえるかもしれない、と。

 さらに、老執事は続ける。


「私も…『ソチラ』のご利益には少し懐疑的なのですよ」

「…そちらの?」

「ご利益はもう一つある、ということです。というか、こちらの方が信憑性があるかもしれませんな…もう一つのご利益というのは、御雅来の生き人形を、ご自身の身代わりに殺してしまう方々が、おられるのですよ」

「あの人形を影武者に仕立てて…自分が死んだことにしてしまうんですか?」


 老執事・巻島半兵衛は張りつめた表情で首肯した。

 そこで、幾つかの名が、同時多発的に私の脳裏に浮かんだ。

 たとえば、実の兄に討伐されたはずのあの人物…その殺されたはずの人物は、実は大陸に逃げ渡り、そのまま大陸の覇者に居着いてしまったとかなんとか。

 たとえば、京の都で主君を裏切ったその人物は、その後、命を落としているはずなのだけれど、後の時代で『黒衣の宰相』などと呼ばれていたとかなんとかかんとか…。

 確かに、それが真実ならば、この世界は覆る。完膚なきまでに、徹底的に。

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