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三幕

 本館を出てからは無言だった。

 先頭を歩いていたのは東正門で、その少し離れた後ろを沙良羅と悠が歩いている。そのさらに後ろを、半兵衛と私が歩を進めていた。

 最後尾にいた私は、前を歩くご主人様とペットを眺める。さっきまでなら、沙良羅はコロコロと面相を変えていたのだが、今は笑っている様子がまるでない。ただの模造品のようだった。

 そんな時、いきなり、悠が沙良羅の頬を()ねた。軽く指先で沙良羅の頬をつまむようにしてから、パン生地でも捏ねるかのように、くりくりと手玉にとって捏ね回していた。

 …え、何が始まったの、これ?


「…なにふぉなさるふぉでふか、ゆふはま」


 お嬢様にあるまじき声だった。


「いや、なんだかサラの笑顔が凝ってるって感じだったから」

「えふぁおがほるなんて、ほんらほほ…」


 そこまで言いかけて(何を言ったのかは藪の中だが)、沙良羅はいつもの邪気の無い微笑みに戻っていた。


「にゃぁおおーん、ユウ様ぁ!」


 そして、ご主人様に飛びかかる。だけでは飽きたらず、悠の肩に頬をすり寄せていた。猫のマーキングのようだが、彼女の表情は、元に戻っていた。

 そこで、老執事が小声で話しかけてきた。


「お嬢様は幼少の頃より、名前で呼ばれることよりも、『翼王道家のお嬢様』と身分で呼ばれることの方が遥かに多いお方でした…」


 そういえば、先ほどの御雅来順一は沙良羅という固有名詞は一度も使わなかったか。


「沙良羅お嬢様は、これまで翼王道家という翼の中に押し込められて生きてこられました。逃げるどころか身動(みじろ)き一つできない大きな翼の中で…その中でのお嬢様は、自分自身という存在ではなく、翼王道家の令嬢としての、歯車としての存在でしかなかったのです」


 私は黙って半兵衛の声に耳を傾けていた。というか、何も言えなかっただけだが。


「お嬢様はずっと自分という分身を殺して、翼王道家の娘というもう一つの存在で生きてこなければならなかったのです。そんなお嬢様は、常日頃から笑顔の灯を絶やしてはならない存在でした。例えば翼王道家主催のパーティで、秀才たちが集まる学び舎で、生みの親であらせられるご両親の目の前で…お嬢様は翼王道家の一翼を担う為に、常に微笑んでいなければならなかったのです。それが、翼王道家の娘としてお生まれになられた、お嬢様のお役目だったのです」


 淡々とした、けれど微かな苦味のある巻島半兵衛の声だった。


「そこで、ほんの少しだけでもお嬢様が不真面目であらせられれば、適当に手を抜くことも、息を抜くこともできたことでしょう。少しだけでもお嬢様が生真面目であれば、翼王道家の娘という役柄を演じることに喜びをもおぼえたかもしれません…ですが、お嬢様はそのどちらでもない、率直なお子様でした。素直で、普通の子供と何ら変わらぬお子様でした。木洩れ日や万華鏡のように、幾重にも表情の変わる、普通の女の子だったのです」


 それが、今の沙良羅ではないのか。

 そして、半兵衛はさらに語る。


「そのようなお嬢様には、翼王道家の重圧は重過ぎました。いつしか、お嬢様の笑顔は蝋ででも塗り固められたような笑顔になってしまっていたのです…」


 老執事の独白めいた言葉は、尚も続く。


「ですが…ある時、お嬢様のそんな無味無臭とした笑顔を、多少強引にですが引っぺがした者が現われました」

「…………ユウ君、ですか?」


 該当者は他にいないだろう。


「ユウ殿とお嬢様が出会ったことによって、お嬢様は以前の笑顔を取り戻すことができたのです。翼王道家の令嬢という役柄から解放されたのです」

「そう…だったんですか」


 私は、そう呟いた。だが、思う。けれど、思う。

 役柄があったのならばいいではないか、と。それが、自身の意にそぐわぬものだったとしても。


「ですが、なぜ、お嬢様を昔のお嬢様に戻してくださったのがユウ殿だったのでしょうか…いえ、どうして神降だったのでしょうか」


 巻島半兵衛の話には、続きがあった。それも、想定外の。


「え、それは…」


 思わず問いかけそうになった私だったが。


「こちらが工房になります」


 その声を、御雅来家使用人が意図せずに遮断する形となった。

 東がそう紹介した建物は、二階建てぐらいの高さを有している木造の…というか、材木がそのまま組み合わされて作られたような、あり合わせの建物だった。それは、ログハウスという横文字よりも、ただの掘っ立て小屋という印象が遥かに強い。なんというか、山に生きるマタギの、朽ちかけた(つい)棲家(すみか)、といった風貌だ。


「きっと皆様、驚かれると思いますよ、御雅来の人形をご覧になられたら」

「それほどすごいのですか?」


 沙良羅が淡い角度で小首を傾げた。彼女からは、嫌味のない愛嬌が自然に滲み出る。


「そうですね…では、少しだけ昔話をいたしましょうか」


 東は間をとってから、やや芝居がかった声で話し始める。


「昔々、とある峠に蜂の妖怪が住んでおりました。妖怪は体が大きく、峠を通る人を手当たり次第に襲って血を吸っていました。この妖怪に襲われてしまったら生きては帰れません。ですが、ある日、一人のお坊さんがこの峠に通り、蜂の妖怪のことを村人たちから聞きました。村人たちの話を聞き終えたお坊さんは、村人たちにこう言いました」


 誰も、口を挟むこともなく聞いていた。

 東の語り口が意外と上手かったからだろうか。


「「それではこうしなさい。できるだけ本物の人間に見えるような人形を作って、峠に立てて置くのです」と。村人たちは、お坊さんに言われたようにしました。そして人形を置いてから三日後、村人たちが峠に向かうと、蜂の妖怪は死んでいました。妖怪は三日三晩その人形を人間だと信じて襲い続け、最後には力尽きて死んでしまったのです。以来、その峠は人形峠と呼ばれるようになりました」


 そこで、東は語り終えた。

 どんとはらい、といったところだろうか。


「もしかして、その時に使われたのが、ここの人形なのですか?」


 沙良羅が東に尋ねる。


「いいえ、そんな記述も証明も、何一つ残ってはおりません」


 いけしゃあしゃあと、東は答えた。


「ですが、それと同じレベルの…いえ、それ以上に人間に似た人形を、ここで皆様はご覧になられると思いますよ」


 作務衣の青年は、軽く微笑んだ。

 けれど、いくらソックリだといっても、人形と人間が同じなわけはない。ただ似ているというだけだろう。もう少し突っ込んだ話をするなら、人間は生きていて、人形は生きていない。だから、その見分けが容易につくのだ。いくら似ているといっても、有機物と無機物の分別くらいは有象無象でもつく。

 生きているから人間で。

 人間だから、死にもする。


「では、参りましょうか」


 東は、扉…殆んど立て板のような扉と向き合い、声を発した。


「夜彦様、ご依頼主様をお連れしました。鍵を開けていただけますか?」


 夜彦が扉の中に声をかける。しばらくしてから、東が扉を外側に向かって開いた。


「どうぞ、お入りください」


 東の指示に従い、中に入った。

 その際、私は扉を見たのだが、内側には鍵ではなく(かんぬき)が備え付けられていた。なるほど、この掘っ立て小屋には鍵よりもそちらの方が相応しいかもしれない。そして、部屋の中も外から見た心象と同様…いや、それ以上に風化してしまっているようだった。

 私たちは、首を左右に振りながら、この木箱の中をちらほらと観察していた。元の色が完全に失われ、老いた色に変色してしまっている柱や壁。透明度を喪いつつあるガラスの窓。天井は吹き抜けというか、ただ単に突き抜けているだけといった感じだったが。

 …そこでは、何人もの人間が(こぞ)って首を吊っていた。

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