エピローグ
「世界は…多分あなたたち二人のものだよ」
私が御雅来家での事件の回想を終えたのと同時に、鳳凰院大学の入学式も閉幕した。
一生に一度しかない大学の入学式だというのに、私はずっと上の空だった。
他の新入生たちは個々に椅子から立ち上がり、講堂から出るために歩き出す。餌を探してほっつき歩く野ネズミのように、野放図に散らばって行く。けど、私はまだこの場に居座ったまま講堂の高い天井を眺めていた。
「あの場所で起こった出来事は…正直、思い出したくもない」
御雅木家での惨劇は、一つの因子によるモノではなかった。串に刺さった団子と同じく、いくつもの歪が数珠つなぎになって引き起こされた。にもかかわらず、それらはさも一枚岩であるかのように、強固だった。
出来合いの悲劇。
お約束を守らない喜劇。
神の名を借りた傷痕。
そして、免罪符が必須の恋慕。
全てが、思い出したくもない大切な記憶で、抱えきれないほど大きくて素敵なお荷物だった。
一つ、溜め息をついてみた。何も、変わらなかった。笑ってしまうほど…笑えないほど、何も、変わり映えしなかった。自ら命を絶とうとしていた、あの夜と。
「会いに行ってもいいのかな…あの二人に」
自分に問い掛けた。
その資格が自分にあるのだろうか、と。
…本来なら、あるはずもない。
あのご主人様は、気が付いていた。
この私がしでかした、最悪の罪悪を。
東正門は、自室で首を吊っていた。
ただ、当初の彼の計画に、それは組み込まれてはいなかった。
元々の東の計画では、御雅木砂鳥に背中を刺され、そのまま失血死をする算段だった。
「…でも、死にきれなかった」
思ったよりも傷が浅かったからだ。
だから、東正門は首を吊り、死ぬことにした。他の誰かに、生きている自分を発見されることを恐れて。
しかし、そのための縄が、彼の自室にはなかった。
ただ、別の場所にはあった。
御雅木家の物置小屋に、ロープは常備されているはずだった。有能な使用人である東なら、そのことに気付かないはずはなかった。取りに行くこともできた。彼の体力も、それぐらいならば持続するはずだった。傷は浅かったのだから。
「…………」
けれど、東は行けなかった。
物置には、先客がいたからだ。
霧雨鏡花…刑事であるあのお姉さんが、物置小屋の中に囚われたままだった。
だから、東はロープを取りに行くことができなかった。
鏡花がいるあの場所に、傷を負ったまま顔を出すわけにはいかない。
刑事である鏡花の嗅覚は鋭い。東の異変などすぐに気取られる。
だから、首を吊って自死するという東の計画は頓挫するはずだった。
計画の全てを投げ捨てて、生き残るという選択肢もそこにはあった。
なのに、空気も読まないとある間抜けが、そこに現れた。
運命の歯車は、そこで掛け違えた。取り返しがつかないほどに。
…そして、掛け違えたまま、歯車は回り続けた。
東正門は窓越しに、その間抜けに問いかけた。
ロープなどは持っていないか、と。あれば貸して欲しい、と。
背中の傷を、隠しながら。
「…………」
そして、その間抜けは東の願いに応えてしまった。
自分が持っていたロープを、そのまま東に手渡してしまった。大した理由も聞かないままに。
東正門の様子がおかしいことくらいは、分かっていたのに。
…それなのに、私は東にロープを手渡した。
本来、そのロープは、私が首を縊るためのものだったのに。
私の代わりに、東の人生を終わらせてしまった。
要するに、私の罪だ。
贖罪の方法は、存在しない。
「あそこで、ロープを渡していなかったら…」
…あの縄で首を吊っていたのは、私だ。
だから、東は私の代わりに首を吊った…砂鳥のために。
「いや、あの人が首を吊ったのは…砂鳥さんのためじゃないか」
神降悠もおかしいと言っていたが、東があそこで首を吊って死んだのは、やはり不自然だった。それが砂鳥のためだというのなら尚更だ。
砂鳥は、東が死ぬことによって、順一の精神は破壊されると語っていた。
砂鳥にそう吹き込んだのは、東正門だ。
確かに、三人目の被害者である東が…厳密には二人目だが、その東が命を落としたことで、御雅木順一の心は折れた。
「けど、あそこで御雅木順一の心が壊れる保証なんて、どこにもなかった…」
それなのに、東は、自分が死ぬことに拘泥していた。執拗なまでに。
「東さんが本当に拘ったのは、砂鳥さんのために死ぬことじゃない…砂鳥さんに殺されることだったんだ」
東正門がどれだけ砂鳥のことを想っていても、その想いは届かない。
東のための場所が、砂鳥の心には残されていなかった。なら、せめて砂鳥の手で人生の幕を下ろすことを、東正門は願った。
あの白い手を赤く汚させることで、御雅木砂鳥の心に東正門という人間をほんの少しでも刻み込むために。
「結局、二人とも、失恋の痛みと折り合いをつけることができなかったんだ」
御雅木砂鳥にしろ、東正門にしろ。
だから、あの結果となってしまった。
「…ただ、東正門の傷は、浅かった」
砂鳥が刺した東の傷は、思いの外、浅かった。だから、当初の計画通り、東は失血死することができなかった。私からロープを受け取り、首を吊るという舵取りの変更を余儀なくされた。
けど、傷が浅かったのは、砂鳥が浅く刺したからだ。おそらくは、無意識のままに。
砂鳥さん自身が気付いていなかっただけで、もしかしたら、砂鳥さんの心の中にも東正門という人間がいたのではないだろうか。
だから、深く刺すことができなかった。
「…けれど、その芽を摘んだのは、私だ」
私が東正門にロープを渡したことで、全てはあの終焉に向かった。
引き返せるだけの余白がまだあったかもしれないのに、その余白を、私が塗り潰した。
「その罪に、あのご主人様も気が付いている…」
私が自殺用に自前のロープを持っていたことも、彼には話した。
東が物置にロープを取りに行けなかったことも、分かっていたはずだ。
けれど、何も言わなかった。
私の罪を咎めることもせず、別れの時まで、神降悠は何食わぬ顔をしていた。
「…でも、それは彼が私を赦したからじゃない」
そもそも、そんな真っ当な感性を神降悠は持ち合わせてはいない。
だから、私は迷っていた。あの二人に、会いに行っていいものかどうか。
悠に咎められるのなら、いっそ逢いに行く方が気楽だった。
それなら、自分が犯した罪を、罪として認識できる。
しかし、悠が私を責める可能性は、おそらく低い。彼は、私の罪になど見向きもしない。このまま宙吊りにされるのがオチだ。
「…あの二人に、会いに行こう」
それでいいのかどうかは、分からない。
私にその資格があるのかどうかも、分からない。
これから先もあの二人に関わっていいのかどうかなんて、私は考えたくもない。
しかし、悠と沙良羅がいたから、少なくとも、あの事件は凄惨なままでは終わらなかった。
…あの二人がいたから、楽しかった。
そう、楽しかった。ような、気がする。
だから、いつの間にか、私は堪え切れなくなって走り出していた。
できるだけ、おすまし顔で会うことを心がけながら。
講堂を出たところで、私はあの二人の姿を見つけた。
群衆の中にいても、あの二人ならすぐに見つけられる。
「…物理的につながってるからね、あの二人は」
一生に一度しかない大学の入学式だというのに、あの二人は今日も首輪と鎖でつながっている。他人の目など、まるで気にしていない。
…だから、私も少しだけ気にしないことにした。
「ユウくーん!サラさーん!」
神降悠と翼王堂沙良羅の名を叫びながら、あの二人の元に駆け寄る。
彼と彼女に私を交えた、知ったこっちゃない第二楽章がすんでのところで始まろうとしていた。
(了)




