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ご主人さま探偵譚  作者: 榊 謳歌


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32/34

十幕

 木っ端のように呆気なく、巻島半兵衛が宙を舞っていた。

 鼓膜が破れるほどの轟音に、脳が揺さぶられる。

 それが銃声というヤツだと理解するのに、頓馬(とんま)な私は十数秒を有した。


「話は、聞いたぞ…」


 開け放たれていた扉から、御雅木砂鳥の父親である御雅来順一が入って来る。最も招かれざるお客のご来訪だ。前髪が禿げ上がった額を、汗で湿らせながら。そんな彼の手には、無骨な形状の猟銃が握られていた。


「育ててやった恩を忘れ、オレたちを殺そうなどと…オレを殺そうと考えていただと?人形作りしか能のないヤツは黙って言いなりになってればよかったんだ!」


 既に、御雅来順一の精神の螺子は、根本から狂っていた。

 砂鳥と東が、懇切丁寧に捻じ曲げてしまったから。


「…稔彦を殺した、くせに」


 砂鳥の呼気の中には、多量の怒気が含まれていた。


「うるさぁい!あれは事故だったんだ!オレは、奴をちょっとだけ突き飛ばしただけだ!そしたら、そこに石があって、アイツがそこで…だから、オレは悪くない!悪いのは奴だ!ヤツがすぐに消えていれば、オレが罪の意識を感じることもなかったんだよ!」


 殺したのはこいつだ。なのに、それでも飽きたらず、殺された側を責めていた。こんなヤツに殺されたのでは、件の彼も浮かばれない。


「稔彦が悪いみたいな言い方はするな…」


 砂鳥の瞳が、真っ向から順一を捕らえる。

 それは、意思を持った瞳だった。これまでの空疎な瞳とは、違う。


「殺したんだ…お前が、殺したんだ…お前が…お前が」


 砂鳥は何度も呟いた。

 その声は楚々としていたが、言葉は呪詛だった。


「……ウルサァイ!あいつが悪かったんだ!いや、お前も悪いんだ!お前は人形だけを創っていればよかったんだからな!それがお前のシアワセだったんだよ!」

「ふざけるな…」


 マリオネットだったジュリエット。

 アヤツリ人形だった、御雅来砂鳥。


「オレは、強い…強くなったんだぞ!」


 御雅木順一は、手にした猟銃を砂鳥に向けた。実の娘に対して何の臆面もなく。


「あなたは、強くなんかない…」


 砂鳥は歩く。

 二人の距離が、縮まった。


「う…うるさァイ!近づくな…それ以上は近づくな!オレに殺せないとでも…!」

「危険ですわ!」


 沙良羅は砂鳥を抑止する声を発した。

 今の御雅木順一なら、引き金を引く。


「殺したいのなら、殺せばい…」


 砂鳥が言いかけた、その瞬間。

 再び、順一が銃の引き金を引いた。

 世界が、息を止めた。

 …御雅来砂鳥が、撃たれた。

 だが、その直前、黒い影のようなモノも見えていた。


「ご無事ですか!?」


 影の正体は、翼王道沙良羅だ。彼女が、砂鳥を庇うように二人で床に伏せる。

 …しかし、無事とはいかなかった。

 砂鳥の右肩からは、赤い血が流れ始める。

 完全には避けきれなかった。流れ出した血液は、徐々に砂鳥の白装束に染み込んでいく。白が、赤に塗り変えられていく。

 このままでは、砂鳥の部屋の、あの人形の二の舞になる。

 御雅来砂鳥が、お人形に戻ってしまう。


「サラ、砂鳥さんの容態は?」

「ユウ様…完全には避けきれませんでした」


 屈み込んでいた沙良羅が立ち上がると、沙良羅と入れ代わるように、何かが床に落ちた。乾いた音と共に、それは全員の視線を集める。

 落ちたのは、沙良羅と悠を物理的につないでいた、あの首輪だ。


「これ…ワタクシの、首輪ですよね?」


 沙良羅は、そのコワレモノを両手で静かに掬い上げる。これ以上、どこも壊れてしまわないように、そっと。それでも、手遅れだった。首輪は、金具の部分が完全に破壊されている。銃弾がかすめていたようだ。


「サラ」


 主が呼びかけても、彼女は反応できない。

 ただ、聞こえない小声で呟いていた。


「よくも……よくも…よくもワタクシの首輪を、傷物にしてくださいましたわね」

「そ、そんな…お前が、飛び込んできたりするからいけないんだ…お前が勝手に割り込んだりしてきたから…そうだ!…お前が悪いんだ!お前が来たから、こんなことになってしまったんだあぁ!何が翼王道家だ!とんだ疫病神じゃねえか!」


 御雅来順一が、恥も外聞もなく喚く。


「ろくでなしのうちならば、ワタクシはあなたに対して容赦もしたでしょうが、あなたはろくでなしではなくて、人でなしだったようですね…それでは、お死にあそばせ」


 翼王道沙良羅は漆黒の長髪を棚引かせながら、順一に向かう。


「う…うああ…うああああああっ!?」


 順一は、目に見えて狼狽していた。

 解き放たれた沙良羅の俊敏さは、獣と同等だった。彼女を繋ぎ止める鎖は、もうこの世に存在しない。


「来るな…来るなああああっ!」


 順一は銃の切っ先を沙良羅に合わせようとしたが、翼王道沙良羅は一瞬で照準を振り切っていた。跡には、黒く長い髪の残像だけが、影法師のように場に居残る。

 そして、一度は消えた筈の沙良羅が突如、順一の前に出た。驚愕に歪む順一の顎を、沙良羅は真下から掌でかち上げる。肥満体型の順一が、お手玉のように浮揚する。

 さらに、浮いた順一の腹部に、沙良羅は右の拳を突き立てた…いや、それは左手だった?

 いや、右手であっていた?

 私の目では捕捉できなかった。

 お嬢様は、贔屓することなく、両手の拳を凄まじい速さで打ち込む。沙良羅の右手が当たったと思った次の瞬間には、もう左手が順一の体にめり込んでいる。

 釣る瓶打ちというか、蜂の巣だった。このままだとこいつは死ぬ。そう思われた刹那に。


「鎮まれ」


 神降悠の声が、押し通った。

 全てのものを押しのけて、(まか)り、通る。

 カビとホコリと血煙と塗れていた地下室内が、既知の暗闇に閉ざされていく。

 視界が黒く染まり、平衡感覚を失い、呼吸すらままならなくなった。

 しかし、怖いとは思わない。いや、怖いとも思えなくなる。恐怖や苦痛ごと、根こそぎ刈り取られていく。

 全てが希薄に、全てが虚無へと導かれる。拒否権は、ない。

 この絶対感覚は、アレだ。

 世界でたったの一人、神降悠だけに許された、神さえもその座から引き摺り堕ろすという『神堕ろし』の技法だ。

 ただ、自分が無に浸食されていく。それだけが、理解できた。


「…………」


 ………長い、長い静寂が寂々と続いていた。

 いつの間にか、世界が元の色を取り戻していた。薄暗くて陰気くさかったはずのこの地下室が、やけに明るく見えた。世界って、こんなにも明るかったんだ。

 沙良羅の方に目をやると、翼王道沙良羅の動きも止まっていた。その表情からは完全に感情が消えている。


「サラ、少し(たが)が外れてるよ」


 少年はいつもの声でお嬢様に声をかけた。

 コイツだけは、何があっても変わらない。


「きゅうぅん。そ、そんなにやりすぎてはいませんわ、ワタクシはまだ、魂絶(こんぜつ)奥義も使っておりませんでしたし…」


 沙良羅お嬢さまは、かわいらしい声で鳴いた後に何やら物騒な言葉を口にしていた。

 しかし、御雅木順一は既においたわしい姿だ。初めて見たよ、虫の息というやつを。まあ、同情はしない。酌量の余地はないからね。


「だってこの方、ワタクシの首輪を壊してしまったのですよ。いえ、それより何より…砂鳥さんを、殺そうとなさいました」

「そういえば、砂鳥さんは?」


 神降悠は、横たわる砂鳥に目を向けた。


「致命傷ではありませんが…出血がひどいですな」


 あの『神堕ろし』から立ち直りつつあった巻島半兵衛が、砂鳥の止血に取り掛かっていた。どこから取り出したのかは知らないが、砂鳥の撃たれた肩口に包帯を巻いている。

 …いや、ちょっと待てよ。


「半兵衛さんはご無事だったんですか?」


 そのことに気付いた悠も、老執事に訊ねた。

 そう、この老人も撃たれていたはずだ。


「ええ、それよりも砂鳥様です…ワタクシめが行える応急処置では、気休め程度にしかなりません」

「では、すぐにでも病院に運ばないといけませんね」


 悠はそう言ったが、自分でも分かっていたはずだ。

 この場所に救助は来ない、と。


「半兵衛さん、なんとかあの土砂崩れを突破する方法はありませんか?」


 悠は、半兵衛に尋ねた。

 それに答えたのは、砂鳥だった。


「無理…あれは、ここから誰も出られないように、東が引き起こしてくれたモノだから」

「砂鳥さん、大丈夫なんですか?」


 悠が問う。だが、大丈夫なわけはなかった。息が絶え絶えの砂鳥の肩口からは、真っ赤な血液が途絶えることなく流れ続けていた。半兵衛の包帯では、砂鳥の出血を抑えられない。砂鳥の赤いはずの唇が、赤ではなくなっていく。


「今更…助かろうなんて、思ってないよ」

「砂鳥さんに助かりたいという意志がなかったとしても、ボクたちはあなたを助けますよ」


 悠はそう言ったが、しかし、事態は完全に手詰まりだ。

 その間にも、時は過ぎ去っていく。 


「ユウ様!砂鳥さんの体温が、どんどん下がっています!」


 砂鳥の体から、徐々に失われていく。

 御雅来砂鳥が生きていたという、赤い証が。


「本当に、もう、いいのに…私にはもう、何もなくなったから」


 砂鳥は、瞳を閉じた。

 幕を、閉じるように。


「いけません!それでもいけません!何もないのならこれから作ればよろしいではありませんか!いえ、ワタクシが差し上げますわ!ありがた迷惑だと言われても知ったことではありません!」


 沙良羅は吠える。

 砂鳥は殺人者だとしても、砂鳥は咎人だとしても。

 それでも、こんな薄暗い場所で死んでしまうのは、物悲しい。


「それができないんだよ、私は…」

「それでも…それでもぉ!」


 沙良羅の瞳から涙が零れた。それは砂鳥の頬に落ちる。

 砂鳥が、また瞳を開いた。


「本当に…ありがた迷惑だよ」


 砂鳥の頬に落ちた沙良羅の涙は、砂鳥の涙のように伝い、床に落ちた。涙のバトンリレーが、そこでつながる。

 その瞬間、御雅来砂鳥はゆっくりと、自然に、生まれて初めて、微笑んだ。


「ボクは、こんな結末を望んでいたわけじゃない」


 砂鳥と同じ、感情のない少年が呟いた。

 …ただ、それは、感情というやつではないだろうか。


「あの、音は…」


 そんな時、開け放たれたままの扉の向こう側から聞こえてきた大きな音に私は気付いた。それは、聞き覚えのある羽音だった。

 というかこれ、ヘリコプター…?


「こっちに向かってる?」


 悠も、その音に気付いていた。


「丁度よいタイミングでしたな…いえ、僅かに遅かったでしょうか」


 巻島半兵衛の口が動いた。

 そんな半兵衛に、悠が呼応する。


「まさか、半兵衛さんがあのヘリを呼んだんですか?でも、どうやって?電話も通じないはずだったんじゃあ?」

「実は今夜、翼王道家の方に定時連絡を入れる手筈になっていたのです。ですが、この有り様でしたので、連絡などできませんでした。なので、本家の方々が何事かあったのかと調べに来てくれたのでしょう」

「それじゃあ、半兵衛さん。砂鳥さんを外に運びましょう」


 悠は必要な言葉は最小限にして、即座に動き始める。


「ユウ君…私にも手伝わせて」


 私も、手を差し出していた。自然と体が動いていた。

 この中では、私が最も役に立たない。それでも、何かをしないわけにはいかなかった。


「ユウ様、ワタクシにも!」


 悠が砂鳥を背負い、その悠を私たちでサポートしながら地下室の階段を上がる。階段の傾斜はきつかったが、全員で力を合わせて上っていく。


「なんとか出られたね」


 地下室から外に出た後、悠が呟いた。

 外に出ると同時に大きく深呼吸をしていた。無意識だった。隣りを見ると、沙良羅も同様に大きな呼吸を繰り返している。多分、沙良羅も無意識だ。

 あそこは、通常とは異なる異常に支配されていた。正真正銘の、嘘偽りのない異世界で、空気の流れが異なっていた。普通なことなど、何一つ無かった。

 何かが酷く捻くれて、何かが酷く壊れていて、何かが酷く狂っていた。世界の果ての…世界のなれの果ての、世界だ。

 それが、あの地下室だった。

 けれど、そこで産まれたモノもあった。

 あそこでしか産まれないモノも、確かにあった。

 空白だった私を変えたモノが、あの場所にはあった。

 ゼロを変えることができるのは、プラスではなくマイナスだけだったということか。

 しかし、そのなけなしの余韻も、景気よく回るヘリの羽音と、急迫した現状によって遠ざけられた。もう一つの現実なら、ここにもある。


「お願いします、この方を近くの病院まで運んでください!最優先で!」


 沙良羅が、着陸してきた操縦士に叫んだ。

 操縦士と、隣りにいた搭乗者はきょとんとしていた。さすがに、いきなりこの状況を呑み込めといっても無理がある。


「時間がありません!大急ぎで!」


 沙良羅の必死の形相に、操縦士もただごとではないと認識した。そして、全員で砂鳥たちを運び出す準備を整えた。けれど、怪我人二人を運ぶのが関の山だった。


「よろしく…お願いしますわ」


 沙良羅が、操縦士たちに頭を下げて頼む。


「お任せください、お嬢様。既にここから一番近い病院に連絡はついています!」


 操縦士の言葉通りに、翼王道家御用達のヘリは、夜の闇に吸い込まれていくように高く舞い上がっていった。


「砂鳥さん…助かる、かな」


 私は、胸の内の不安を吐露していた。

 確かに、人形姫は人を殺した。何人も殺し、何人も欺いた。

 けれど、それでも彼女は助からなければ、ならないはずだ。


「なんとかなると思うよ、沙良羅が助けたいと願ったんだから」


 神降悠は、慰めを(うそぶ)いていた。

 それは、欺瞞のように空っぽだったかもしれないが、満開の桜のように満たされてもいた。

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