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ご主人さま探偵譚  作者: 榊 謳歌


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九幕

「私も、御雅木純一が殺すところは見ていなかった。だけど、あの男が稔彦を埋めるところは見た…あの、桜の木の下に」


 御雅木砂鳥の声は、静かだった。

 静かだったけれど、その声に亀裂が入る。


「だから、私は狂った。狂って、以前の館に火を放った。焔が全てを洗い流してくれるなんて、都合のいい幻想に炙られながら…」


 この事件の加害者であり首謀者であり、被害者であり、時には傍観者だった彼女の言葉に、誰もが耳を傾けていた。


「でも、それすらうまくはいかなかった…」


 今の白装束の彼女にあるのは、憐憫だけだった。

 それ以外は、ただの、空っぽ。

 …なぜか、羨ましいと思ってしまったけれど。


「だけど、砂鳥さん。その織部稔彦さんは、ここの人形の技術を盗むためにあなたに近づいたと聞きましたよ」

「知っていた…」


 悠の言葉に答える砂鳥は、飽くまで単調だった。とても、激情に身を任せることなど、できそうにない。けれど、砂鳥は語る。


「そんなこと、最初から知っていた。あの人が、私ではなく人形作りの技術を欲していたことくらい…あの人の態度を見ていれば、犬でも解かる」


 砂鳥は、知っていた?知っていて、どうして?

 いや、それが『彼女』だから、か。


「だけど、それでもよかった。あの人が欲しているのなら、私はこの技術を、いくらでもくれてやるつもりだった…私には、他にあげられるモノなんて何も、なかったから」

「しかし、ここのお人形さんたちはそう簡単に世間の目に触れさせてはいけないはずでは…」


 ここで、お嬢さまが口を開いた。

 大咎人とは、基本的に世界の裏側に居なければいけない存在だということを、沙良羅も私も身を持って体験した。

 ここの人形たちを使えば、人の死を捏造することすら朝飯前だった。


「そんなことより…私にとってはあの人の方が、大切だった」


 砂鳥の選んだ道は…選びたかった道は、痛いほどに一途で、イバラの一本道だった。

 その一本道すら、叶わなかったけれど。


「でも、その前に織部稔彦は殺された…」


 砂鳥の声は何の抑揚も感じさせない。

 けれど、その声には、小さな亀裂が入っている。


「全てが終わった後でこんなことを言っても、もう少し違う状況だったらと願っても、全ては遅過ぎたし、全ては多分、最初から最期まで間違っていたんだと思うけれど…」


 今とは全く違う状況下で、砂鳥と織部が出逢っていたら。

 その時、砂鳥は救われていたのだろうか?

 …神が、それを許しただろうか?


「ですが、砂鳥さん…なぜ、夜彦さんや東さんたちを、殺してしまったのですか」


 沙良羅の疑問は当然だった。織部俊彦の件で恨みを抱いているのは、御雅来順一ただ一人ではないだろうか。なのに、その張本人には手を下していない。

 そして、今の砂鳥には東正門がいない。

 これまでの犯行だって、あの作務衣の使用人がいなければ行えなかった。


「御雅来夜彦がいたから、私には人形師になるための生しか与えられなかった。そうじゃなかったら、私にも今とは違う世界があった。あなただって、それは同じはず…」


 そこで、砂鳥の視界が悠を捕らえていた。

 白くて脆い視線が、神降悠に注がれる。


「ボクは、そうは思っていませんよ」


 無機質な声だった。

 何もない、虚空から聞こえてきたような声だった。


「それは、本音なの?私たちみたいなイキモノには、通常の感情なんてものは、宿らない。御雅来夜彦だって、ああ見えても、芯にあるのはただの空疎だった…『普通』に振舞っていたけれど、その振る舞いの殆んどが、『人間』のパッチワークの嘘っぱちだった」


 確かに、時折り、御雅来夜彦が虚無に見えた。

 あれが、あの老人の本質だったというわけか。


「それなのに、あなたは今の自分に…過去の自分に、これからの自分に、それでも納得できると言うの…?」


 砂鳥の瞳は、やはりユウを捕らえていた。

 そして、捕え続けたまま、砂鳥は続ける。


「今とは違う自分という存在がいたかもしれない…そのことに気付かせてくれたのが、織部稔彦だった」


 砂鳥は語る。自分が、自分ではなかった未来があった、と。

 それをくれたのが織部稔彦という人物だったかもしれないが、その真実が幸福とは、限らない。


「そういう理由ですか」


 夜彦殺害に関しては、八つ当たりとも言えるかもしれない。

 けれども、それで彼女を責めるということも、私にはできはしない。

 

「では、どうして東さんまで殺害したのですか?」


 悠が、さらに問う。

 そこは、悠と砂鳥の二人にしか踏み込めない領域だった。他の者たちでは、精神がトチ狂う。通常でない世界で平常でいられるのは、世の理から外れた咎人だけだ。


「東さんは、砂鳥さんのことが好きでしたよ」


 神降悠が口にすると、好きという言葉が、やけに薄っぺらく感じられた。


「東の気持ちは、知っていた…けど、私の中には今も『あの人』が残っている」


 残っている。それは過去形ではなく、現在の形。砂鳥の中では、彼の存在は、色褪せてはいないということだ。そして、さらに語る。


「元々、私の中にある感情はその絶対値が低い…あなたも分かると思うけど、私たちは、そういった枝葉を切り捨てて、技術だけを培うように育てられたから」


 理外の技術を習得するためだけに育てられた子供たちは、どういった世界で生きることになるのか。

 それが、この神降悠と御雅来砂鳥の二人だ。


「だから、私の中には、東にあげられる場所がなかった…」


 砂鳥は、語る。ただ、それは、本当だろうか。

 本人だけが知らない真実というものも、あるのではないだろうか。

 東と一緒なら、違う自分になれた砂鳥の未来もあったのではないだろうか。それが、蜘蛛の糸ほどか細いものだったとしても。


「だからといって、東さんまで殺さなくてもよかったのではないですか?」


 悠は、そう尋ねた。

 殺すのなら、仇であるあの男だけでよかったはずではないか。悠は、言外にその意味合いを込めていた。


「勿論…私は、あの男を殺したかった。だけど、普通に殺そうとは、考えていなかった。殺しても殺し足りないぐらいに、殺して殺し尽くしたかった」


 砂鳥の声には、微熱ほどの温度すらなかった。それでも、放たれた言葉は殺意に塗れていた。

 御雅木砂鳥が大事に抱え込んでいたたった一つの想いを、踏み躙られたからだ。


「そんな時、東が言ったの…ただ殺し足りないのなら、壊してしまえばいい、と」

「今回の計画を立てたのは、東さんだったのですか?」


 悠の問いかけに、砂鳥は頷く。

 それは、砂鳥が責任逃れをしている様子ではなかった。


「東が、全部、考えてくれた…私みたいなお人形には、こんなこと、思いもつかないから」

「それで、壊すというのは具体的にどういうことだったんですか?」

「夜彦や私を殺せば…時間と手間暇をかけて念入りに壊せば、心の脆い順一は簡単に追いつめられるって、東は言った」


 順一でなくとも、動揺した。私だって、心が壊れそうだった。凄惨な場面を、何度も目撃してしまった。それだけ、あの『お人形』は効果的だった。


「そして、最後に自分を殺せば順一の精神は瓦解する、と…東が、言った」


 御雅来砂鳥は、それが計画の全容だったと語る。その目論見は間違っていなかったのかもしれない。御雅木順一の精神は、極限まで追い詰められていた。

 …けれどそれ、少し、おかしくないか?


「それはおかしいですね」


 神降悠は、その疑問を言葉にした。

 私は、何も言えなかったのに。


「おか…しい?」


 砂鳥自身は、自分で語ったその不自然さに気付いていなかった。


「砂鳥さんは、順一さんに復讐をしたかった。それは間違いないですよね」


 悠の問いかけに、砂鳥は頷く。

 それを受け、悠は続けた。


「けれど、東さんにはそんなこと断言できなかったはずですよ」

「………断言できなかった?」

「確かに、夜彦さんや砂鳥さんたちが殺害されたとなれば、純一さんは精神的に追い詰められるはずです。実際、純一さんは限界まで追い詰められています。けど、心が完全に壊れたかどうかは、今でも分かりません」


 悠は語る。

 自分には人の心などないと語った、その口で。


「それなのに、計画を立てた時点では分かるはずがないんですよ、純一さんの心が壊れるかどうか、なんて」


 その通り、だ。

 東正門にも、順一が壊れる保証などできるはずがない。

 そして、壊れなかった場合、砂鳥はどうすればいい?

 三人目の被害者は、計画を立てた東正門本人だった。

 その東がいなくなって後で、砂鳥はどうすればいい?

 どうしてこんな、途中でほったらかしにするような計画を、東正門は立てた?

 あの使用人は、心の底から御雅木砂鳥に恋慕していたというのに。

 …恋慕していたから、か?


「東さんは、報われたのかな…」


 私は、呟いていた。

 彼は、使用人だった。この世界の主役になれる器ではなかった。惚れた相手と自分を比べれば、分不相応だということは、分かりきっていた。

 だからこその、捨て身の献身だった。

 彼女のために、たった一つしかない命を、それこそ浪費した。報われないと、分かった上で。

 …それが、東正門の本望だったのか?


「東は…私の願いのために、自分の命を捨てて、自分の手だって、汚してくれた」


 人形姫の言葉は、白い。

 悲しいほどに、白い。


「けれど、私にはもう…東にあげられる心なんて、残ってなかった」


 白いからこそ、彼女の言葉は純白で、残酷だった。

 自分と東の間には、何も、残らないのだと、彼女は暗にそう言っている。

 …しかし、私はそこで、ふと気付いた。


「砂鳥さん」


 私が、そう言いかけた刹那。

 巻島半兵衛の体が、宙に舞っていた。

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