八幕
「東さんは急遽、ロープで首を吊ることを思い付き、それを実行した。生きたまま東さんが発見されてしまえば、あれは密室殺人でも何でもなくなる。砂鳥さんにとっても都合の悪い展開になったはずだ」
昏い地下室の中、神降悠の言葉は、揺蕩うように浸透する。
しかし、私たちは誰一人として彼の言葉を受け入れることができない。
砂鳥のために、東は自分で首を吊った?
それって、あまりに哀しくないか?
…だって、砂鳥は、何も言わなかったぞ?
「ですが、ユウ様…先ほどから砂鳥さんが犯人だとおっしゃられていますが、夜彦様が殺されていたあの時も、砂鳥さんの犯行だったというのですか?」
翼王堂沙良羅が、問いかける。
その言葉は健気で、拙くて儚い。
本来なら、鈴の鳴るようなその声で楽しそうに笑っているのが彼女だ。
それなのに、なぜ、こうも血生臭い話題にばかり触れなければならないのか…。
「一番最初の、御雅木夜彦さんが工房で殺害されていた件だね」
悠の言葉と共に、ここからは最初の異変…御雅木夜彦の事件へと遡る。
御雅来夜彦が殺害されていたあの時も、密室内での犯行だった。人が這い出る隙間など、どこにもなかった。
つまりは、密室。この件は全て、密室。
最初から最期まで。揺り籠から墓場まで。
お人形はずっと、箱の中。
「ユウ様…一体どうして、あの密室の中で砂鳥さんは夜彦様を殺害することができたのですか?いえ、どうやって砂鳥さんは、閉ざされたあの工房の中から外に出たというのですか?」
翼王堂沙良羅は、なぞる。
この御雅木の地で最初に引き起こされた惨劇を。
自身の工房の中、人形師の御雅木夜彦は背中に刺され絶命していた。
人形たちが重ねられた小山の中、ひっそりと埋められていた。
そして、工房は内側から施錠された密室状態だった。
あの惨劇を引き起こした張本人は、工房のどこから消えたというのか。
…しかし、何というか。
殺すだの。殺害だの。お嬢様が口にするには、あまりにも低俗な言葉だった。その必要があったからだけれど、ただただ気が滅入る。
「出てなんかいないよ」
悠の言葉は、淀みなかった。地下室の中は、空気がこれだけ滞留していたというのに。
そして、流暢に続ける。
「砂鳥さんは、あの部屋から一歩も出ていなかった」
「………それは、どういった意味なのですか?」
「そのままの意味だよ。砂鳥さんは、ずっとあの夜彦さんの人形工房の中にいたんだ」
悠の言葉は、私たちを止める。私たちの思考そのものまで、止める。
この世界そのものも、半分ほどは止まっていたのではないだろうか。
「ボクたちが工房に踏み込んだあの時まで、いや、ボクたちが工房を後にするまでずっと、砂鳥さんは工房の中にいたんだ」
「しかし、砂鳥さんが工房の中にいたのなら、ワタクシたちが気付かないはずがないのでは…?」
沙良羅が問う。確かに、あのシンプルな造りの工房の中には、人が隠れられるスペースはなかった。
けれど、悠は口を開く。
「砂鳥さんはいたよ、正々堂々ずっとね」
「…………正々堂々?」
「砂鳥さんは、あの時、あの部屋の中で、逃げも隠れもしてはいなかった」
「ユウ様…それは、もしや」
お嬢様の表情が薄く変わる。悠の言葉を受け、自ら答えを導き出した。
けれど、正解が幸福とは、限らない。
だからだろうか。沙良羅の代わりに、悠が口にした。
「砂鳥さんは、あの人形たちの中に紛れて隠れていたんだ」
御雅来の人形は、生き人形。
生きている人間と、寸分も違わない。
「砂鳥さんは、積み重ねられた人形たちの小山の中に身を潜めていたんだ。いや、そこに紛れるために、あの人形の山を作ったんだ」
御雅来の人形は、生きている人間と区別などつかない。だから、砂鳥はそこに紛れ込むことができた。服装を変え、素知らぬ顔をして。
沙良羅は、かすれた声で口にする。
「あのお人形さんたちの中に、砂鳥さんもいたの…ですか」
人形たちの瓦礫の中、軋轢を生むこともなく、御雅来砂鳥は…人形姫は、その中に埋没し混在していた。
「ボクたちが人形を掻き分けて夜彦さんを探していたあの時、東さんが大事そうに一体の人形を抱きかかえて部屋の隅に寄せていた。それが、人形に紛れていた御雅来砂鳥さんだったんだ」
「ユウ様…」
翼王道沙良羅は、弱々しく呟く。けれど、呟いただけだった。その後は、何も言えない。だから、悠が口にした。全てを閉ざす言葉を。
「後は、ボクたちが工房からいなくなってから砂鳥さんはゆっくりとあの場所から立ち去ればいい。それで、偽装密室は完成だ。これが、この御雅来家で起こったケースの全ての顛末だよ」
神降悠の口が閉じた。
隠されていたモノが解明され、この御雅木家を蝕んでいたモノが明るみに出た。
最初の御雅木夜彦は、コトを成した後、砂鳥があの工房の中に隠れていただけだった。
次の御雅木砂鳥の件では、自分の代わりに人形を死体役に偽装しただけだった。
最後の東正門の殺害は、死にぞこなった東が自分で首を吊っただけだった。
言葉にしてしまえば、この地で起こった悲劇なんて、この程度のものだった。
その全てが密室だったけれど、ご大層なカラクリだったわけでもない。
だから、そこからは何も生まれない。ただ、虚しく終わるだけだ。
…結局、その場所には、残滓すら存在しない。
「砂鳥さん」
神降悠は、御雅来砂鳥に声をかけていた。
他には、誰も口を開く者なんていなかったから。
「砂鳥さんは、どうしてこんなことをしたんですか?」
悠の問いかけに、御雅来砂鳥は答えなかった。
沈黙のまま、白い瞳で悠を眺めていただけだ。
「無理矢理、織部という人と別れさせられたから、ですか?」
神降悠は、さらに尋ねる。
御雅来砂鳥の瞳が、ほんの一瞬だけ見開かれた。いや、私がそう錯覚しただけかもしれない。
「三年前に砂鳥さんが起こした火事というのも、その織部さんという人と別れさせられたから起こした事件だったんですよね?」
「………違う」
御雅来砂鳥は、静かな声でそれを否定した。
…彼女が人形ではなかったことが、ようやく確認された。
「誰から聞いたのかは知らないけれど…それは、違う」
人形姫は、さらに否定した。
「違うんですか?」
「別れさせられたんじゃない……殺されたんだ」
御雅来砂鳥は、そう口にした。
…というか、殺された?
それはさすがに、話が違うのではないか?
織部稔彦という人物が命を落としていたことを知らされ、私たちは二の句が継げなくなる。
それでも、神降悠だけは違った。
「誰に、殺されたのですか?」
織部稔彦が殺害されたとすれば、そこには対になる犯人がいる。
けど、そんなスムーズに問いかけることができるか?
それでも、御雅木砂鳥は口を開いた。
「…………御雅来順一」
殺したのは、御雅来順一…?
砂鳥は、自らの父である俗物の名を口にした。
「それは本当なのですか?」
悠の問いかけに、砂鳥は白く首肯する。砂鳥の肯定に、悠がまた問いかける。
循環の輪が、ようやく確立された。
「純一さんは、織部さんを力ずくで追い出しただけだと聞きましたけれど」
「違う…あの男が、殺した。その時、誰も目撃者がいなかったから、なんとでも言えただけ」
砂鳥は、淡々とした口調だった。哀しくもなく、辛そうでもなく、幸せそうでもない。だが、どこか美しさすら感じて、私まで悲しくなった。
「私も、御雅木順一が殺すところは見ていなかった。だけど、あの男が稔彦を埋めるところは見た…あの、桜の木の下に」
砂鳥のその言葉は、静かに響いた。
御雅来順一は、霧雨鏡花が刑事だと聞いた時、ひどく狼狽していた。それは、彼が脛に疵のある身だったからか。
そして、東正門が言っていた。砂鳥は、自分が死んだら、あの桜の下に埋めてくれと願っていた、と。それは、あそこには織部俊彦なる人物が眠っていたからか。
そこまでしなければ、この二人は、一緒には居られなかった。
…この世界には、砂鳥たちが二人でいられる居場所が、なかったから。




