二幕
「お…お待ちしておりました。翼王道様方でございますね」
車から降りた私たちに、長身の青年が声をかけてきた。青年は藍色の作務衣をかっちりと着こなし、髪は短めに刈り込んでいた。一見すると修行僧のような外見だった。いや、修行僧チックなのは外観だけではない。中身も修行僧のような土壌が形成されているのだろう。何しろ、首輪のお嬢様の現物を目の当たりにしても、殆んど取り乱したりはしなかった。もうちょっと驚いてもいいのに。
「私は、この御雅来家で使用人をしている、東正門と申します」
作務衣の青年は名を名乗り、頭を下げた。もう動揺している様子はない。
「こちらが、翼王道沙良羅様です」
東が顔を上げると、今度は半兵衛が沙良羅の紹介をした。そして、続ける。
「私は沙良羅様の執事をしている、巻島半兵衛と申す者です。こちらのお二方は、沙良羅様のご友人の神降悠様と紅井菜穂子様です」
残りの私たちを、半兵衛は一緒くたに紹介した。まあ、私は想定外のオマケだから仕方がない。
「ユウ様はお友達ではなくてご主人様です」
沙良羅は気に入らなかったようだ。
「では…早速ですが、お屋敷の方にご案内させていただきます」
その後、車から荷物を降ろし、私たちは歩き出した。駐車場から少し歩くと坂道に辿り着いた。緩やかではあるが、少しだけ冗長な坂を登ると平地に出た。やや遠目にだが、屋敷のような建物が見え始める。
館は白を基調として、出窓やオープンテラスが至るところに存在していた。ここに住む人間を、勝手に日本人形の製作者だと思い込んでいた私の目に、その洋館は少し意外に映った。けれど、確かに日本家屋とは言い切りにくい建造物だったが、簡単に洋館だとも割り切れない日本的な趣きも、所々ではあるが存在していた。屋敷の周囲に植えられている草花や、鯉の池などがあったからだろうか。
しかし、私は思わず呟いていた。
「なんだか、変わったお屋敷なんですね…」
真正面に現れたその洋館には、左側に渡り廊下が存在していた。その左手の廊下の先にも、目の前の洋館と同じグレードの館がそそり立っている。一言で表現するなら双子だろうか。
「簡略にご説明させていただきますと、目の前の館が本館です。ここは主に皆様がお食事をなされたり、お客様をお持て成しする時などに使用されております。そして左手、渡り廊下の先に見えますあちらが、御雅来家の方々が住まわれている居住用のお屋敷です。私たち使用人の部屋も、あちらにございます」
東は、流暢に説明を並べていく。
「私たちってことは…東さんの他にも、誰かこのお屋敷で働いている使用人さんがいるってことなんですか?」
質問ついでにまた聞いてみることにした。
「私ともう一人…白山忍さんという女性の方がおられます。それと、こちらからはお見えになれませんが、この本館の向うにはお客様が宿泊されるための館、客館がございます」
「用途に応じて適応させているわけですか。それじゃあ、本館の右側にあるあの白い建物は、どういう役割になっているんですか?」
今度は悠が東に質問を投げかけた。
少し離れた場所、本館の右手の方に、本館や居住用の館とは違う建物が見える。
東の瞳が、ほんの一瞬だけ、重くなったように感じられた。ただの気の所為かもしれないが。
「あちらは…」
作務衣の使用人が目を向けた方向に、釣られて私たち全員が視線を向けた。そこには、コンクリートの白い建築物が建っていた。長方形で、こちらから見ると横幅が長い。
ただ、その立方体の人工物にはどことなく…空っぽの箱のような、いや、縁起の悪い言い方をすれば、棺桶のような乾燥した無骨さがあった。
「あちらは、御雅来家の長女、御雅来砂鳥様のお部屋になります」
右手に聳える館は、明らかに他の館とは趣を異にしていた。新しいことは新しいのだろうが、頑ななまでに全身が白いコンクリートで塗り固められていて、クラシックもモダンも論じる隙間がまるでない。それどころか、あの屋敷自体に、赦された隙間が存在しなかった。あそこには、テラスどころか小窓さえも存在していない。
…あくまでもここから見た限りでは、だが。
「その人は、左の居住用のお屋敷には住まれてないんですか?」
神降悠が再び尋ねる。
「ええ、砂鳥様は、その…少しだけ、特別でございますので」
東の言い方には、少しだけ遣る瀬の無いモノが混じっていた…なので、それ以上は何も聞けなかった。
その後、私たちは客館に向かった。取り敢えず、荷物を置きに行かなければならなかったからだ。
「三階建てで、一つのフロアに二部屋ずつ…合計で六部屋ございます」
東の説明を聞いた後、とりあえず、入り口を入った先のロビーのような場所に持って来た荷物を置いた。それから、今度は本館に向かうことになった。
「本館にて、御雅来順一様と佐知代様が、翼王道様にご挨拶をさせていただきたいとお待ちしております」
という理由からだ。
御雅来順一とは、人形師・御雅来夜彦の息子で、佐知代はその妻だということらしい。まあ、私に関係のある話ではない。
本館には、ほどなく到着した。先頭を歩いていた東が扉を開き、来客者たち(正確には私は違うのだが)を招き入れてくれた。館の中は高い天井、若草のようにふさふさとした絨毯、廊下に居並ぶ自尊心の高そうな調度品や絵画…まるで、映画のワンシーンのようだった。虚構じみていたところもひっくるめて。
「どうぞ、こちらです」
東は、とある部屋の前で足を止めた。そして、おもむろに木製の扉を開く。
「順一様、佐知代様。翼王道様方をお連れいたしました」
「これはこれは、翼王道様。ようこそおいでくださいました。いやぁ、噂に違わぬ天女の如きお美しさで…」
部屋の中央にはソファが三つ、コの字型に並べられていた。その一つに座っていた中年男性が、腰を浮かせながら歯の浮くような台詞を沙良羅に言った。お嬢様が綺麗なのは議論も異論も挟む余地のないところなのだが、この男は、彼女をその目で確認する前から浮ついた褒め言葉を発していた。
「ど、どうぞ……お座りください」
この男性がどもったのは、沙良羅の首輪を目の当たりにしてギョッと目を剥いたからだ。けれど、それでもその部分に対する深い追求はないままに、私たちに(いや、主に沙良羅に)着席を促がした。どうやら首輪は見なかったことにするつもりらしい。
「はい、ありがとうございますわ」
沙良羅が座ったので、私たちもそれぞれに腰を落ち着かせた。
だが、私は微塵も気が落ち着かない。
自分はここで何をしているのだろうか、完全な部外者だというのに。遅蒔きながらそんな思考が脳裏をよぎる。いや、わざと考えないようにしていただけだろうか。
「いやー、あの天下の翼王道家のお嬢様に、わざわざこんな遠いところまでご足労いただいて、すみませんでした」
中年男性が無駄に大きな声を張り上げる。順一は、油がノリきった渋い中年…という感じのいい表現ではなく、脂ぎったという表現がしっくりとくる肥満気味の体型をしていた。おそらく、彼が着ているのは随分と金のかかった服だったのだろうが、順一の膨れた体型の所為で、その良さは台無しにされていた。服が泣いてもおかしくない。
「東、お嬢様にお茶を煎れて差し上げてろ」
順一に命令された東は、「かしこまりました」と部屋から出て行った。
「いや、それにしましても、翼王道家のお嬢様が、我が御雅来の人形をお求めになられて下さるとは…まことに光栄でありますなぁ」
順一は粘ついた視線を沙良羅だけに向けていた。この応接室に入ってきた時も他の面々のことなどは一瞥しただけで、それ以来、片時も彼女以外の誰のことを見ようとしていない。現在も、順一は沙良羅にだけ照準を合わせている。彼は両手を体の前で組み合わせていたのだが、その指が異様に太かった。どことなく、芋虫を連想させる。かといって、その芋虫が美しい蝶になることはけっしてないのだろうが。
そこに、紅茶の準備の為に部屋を出ていた東が、一式の道具を揃えて戻って来た。その瞬間から、テキパキと準備に取り掛かる。
「お待たせいたしました」
東正門は、全員に紅茶を配る。
「いやー、まさか翼王道家のお嬢様から人形制作のご依頼を承るとは…まことに、まことに栄誉なことです。きっと、末代まで語り継がれることでしょうなぁ」
ビデオテープでも巻き戻したかのように、またまた同じような台詞を順一が飽きもせず口にし始めた。しかも、媚び諂う態度を隠そうともしないままに。
「私は常々、翼王道家のような一流の方々にこの御雅来の人形を知っていただきたかったのですが、カビの生えた古いしきたりのお陰で、中々そういった機会にも恵まれることはなくて…」
御雅来順一は、先刻からずっと喋り続けている。未だに、自分や妻の名前すら口にしていないというのに。
対する沙良羅はどうかというと、ずっと無言で話を聞いているだけだった。微かに微笑みは浮かべているようなのだが、なんだかその笑顔は、さっきまでのそれとは幾分違う気がした。なんというか…義務的というか、業務的な印象だ。先程までの溌剌さは、そこには見る影すらない。
「あの、その人形はどこにあるんですか?」
雑じりっ気のない雑音を飛ばし続けていた順一に、悠が初めて声を発した。
「え、あ、ああ…人形ですか。人形は…ここにはありません。こちらではなく、工房の方にまとめて置いてあります」
会話…(といっても、一方的に順一が捲くし立てていただけだが)を邪魔された結果になった順一は悠を一睨みした。しかし、悠が沙良羅の鎖を握っていることを思い出したのか、急にしおしおと押し黙りながら答えた。
「…東、翼王道様を工房にご案内さしあげろ」
「かしこまりました」
東正門は一礼してから、再び私たちの案内役の座に収まった。
部屋を出て行こうとしていた時、私は、御雅来佐知代と目が合った。
これまでは一言も声を発していなかったので、彼女を注視することはなかった。だが、彼女も随分と人の目を引く容姿をしていた。やや化粧がキツく、沙良羅のような瑞々しさは薄れてしまっていたようだが、まだまだ女性としての強い立場は失ってはいなかった。というか、沙良羅にはない(もちろん私などにもない)熟成された年代物の薫りを漂わせていた。
…だが、なんだか、『コワイ』気もした。