四幕
「悠君………………あなたが殺したの?」
聞いてはいけないことぐらい、解かっていた。それくらいの分別は持ち合わせている。
それでも、私はそう問いかけていた。
夜の中で舞い散る桜が、私にそうさせたのかもしれない。
「ボクじゃないよ」
悠は気分を害した様子もなく否定した。
ただ、私が意地悪をしたかっただけだ。
…それぐらいしなければ、正気を保てなかった。
「確かにボクの技術を使えば、密室の中の人間だって殺害することはできる。それこそ、赤子の首を捻るよりも簡単だ。だけど、その場合、被害者には外傷はないんだ。神降が殺すのは、肉体ではなく精神なんだ。わざわざ肉体を損傷させる必要なんて、神降にはないんだよ」
神降悠は、そう言った。
だから、だから?
私は、泣いていた。
この場所では、三人もの人間の命が失われた。
…命って、そんな簡単に消えていいものじゃないだろ?
だから、私は泣いてやった。
ざまあみろ。
これで、私が人形ではないことが、立証された。
「私…………死ぬつもり、だったんだ」
私は、口走っていた。
ずっと、心の中で抱えていた十字架を。
「死ぬつもりだった?」
悠は、それでも泰然としていた。
紅井菜穂子、一世一代の告白だったというのに。
「私は、自殺する、つもりだったんだよ…最初に会った時のコト、憶えてるよね?あの山道で出会った時…あの時、私、死に場所を探してたんだ。山奥の奥の方で、誰もいない場所で、首を吊ろうかなって、そのための縄もね、ずっと隠し持ってたんだよ」
「でも、どうして自殺なんて?」
自殺という陰惨な言葉を聞いても、神降悠の声は、それでも変わらない。
…もう少しくらい驚け、腹立つなぁ。
「死にたかったから…ううん、生きているのが、嫌だったから、かな?ううん、それも少し違うのかな」
「死にたいわけじゃなくて、生きてるのが嫌だっていうわけでもないのに、それでも死のうとしたの?」
悠は小首を傾げていた。私の懊悩がまるで理解できないんだ。
というか、本当になぜ、こんな話を始めてしまったのだろうか。コイツに話しても暖簾に腕押しになることは分かっていたはずなのに。
「私は、父一人子一人の家庭で育ったんだ…」
けど、私は、気付いたら語り始めていた。
これまで、誰にも話さなかった胸の内を。
「お母さんは、私が物心つく前に、死んじゃってた…」
神降悠は、黙って聞いていた。私の話に同情するわけでもなく、物笑いの種にでもするでもない。
だから、これは私の独り言だ。箸にも棒にもかからない、ただの与太話だ。そう思えば、少しだけ楽になれた。
「それなりに不自由はあったよ。けど、それでも何不自由なく育った方じゃないかな…お父さんはね、一人でも私を立派に育てるんだって、口癖のように言ってて、そして、私の為にずっとずっと、寝る間も惜しんで働いてくれていたんだ」
「それは、いいお父さんなんじゃないのかな」
悠の言葉に、私は頷いた。いい父親だった。それは間違いない。でなければ、あの父を否定することになる。
「じゃあ、別にナオちゃんが自殺する必要性なんてないんじゃないかな」
悠はそう言ったが、私は悠の言葉を無視するように話し続ける。
「今年、私は大学に受かったんだ。順風満帆とまでは言えないけど、それなりに努力したら、それなりの結果が出たよ…」
一年の浪人期間があったが、それでも、それなりの大学に合格できた。
「それなのに、死のうとしたの?」
悠は尋ねた。こちらの心情になど、まるで頓着していない。
ただ、悠は、自分の知っている『人間』という役柄を演じているだけだ。
けど、私は、答えた。おそらく、沙良羅が相手ではこの話はできなかった。感情がない悠が相手だからこそ、この話ができたんだ。
「お父さんが、自殺したんだ…」
そう、父親が、自殺した。
自ら、自らの命を絶った。
私たちが暮らしたあの家の、二人の思い出が染みついた、あのリビングで。
…床には、たくさんの薬が散らばっていた。
「自殺の理由は?」
悠の声は、本当にブレない。
だからこそ、私は話せる。
「それは…正直なところ、私にも分からない」
「分からない?」
「ただ、原因があるとしたら…お父さんが、欝病になっちゃったんだ」
ずっとずっと、私のために粉骨してくれていた父親は、私の大学合格とともにその緊張の糸が途切れたのか、鬱になってしまった。
「その鬱病のせいで自殺してしまったんだね」
訳知り顔で、神降悠はそう言った。いや、私の勝手な思い込みかもしれない。どちらでもいい。私はただ、それを否定した。
「………違うよ!」
私は、激昂していた。ここで悠を怒鳴る筋合いなど、ない。それでも、私は声を荒げていた。
私の脳裏に、リビングでうつ伏せになっていた父の姿がフラッシュバックした。
伏せた父の傍には、私に宛てた手紙が、残されていた。
所謂、遺書だ。
…けど、私はその遺書を、読むことができなかった。
未だに、その封は切られて、いない。
「ナオちゃんのお父さんは、鬱病の所為で死んだわけじゃないの?」
「違う…違うんだよ」
私は、うわ言のように繰り返した。
何が違うのか、口にできないまま。
「それじゃあ、どういうことなの?」
「それ、は………………………………………………………………………………」
私にも、分からない。
わたしにだって、これっぽっちもわからない。
だって、わたしはあのてがみを、よんでいないから。こわくてこわくて、よむことが、できなかったから。
だから、わからない。
どうして、ちちおやがしんだのか。どうして、しにたかったのか。
…どうして、おとうさんが、わたしをおいて、いってしまったのか。
わからないままだ。わたしがそこから、にげたから。
「けど、兎に角……違うんだよ」
私は、父の死の理由を、説明できなかった。歯痒かった。
自分の父親だったのに。あれだけ、私のためによくしてくれた父親だったのに。遠足の日は早起きをして、お弁当を作ってくれた父だったのに。風邪の時は、寝ずの番をしてくれた父だったのに。それなのに、私は、父の自殺の理由を、説明できない。
…今はそれが、口惜しくてしかたなかった。
「それじゃあ、やっぱり欝病が原因だったんじゃあ」
確かに、悠が言うように、鬱が原因の一端だったのかもしれない。けれど、きっとそれだけではない。なぜか、そう確信していた。いや、盲信だったのかもしれない。負け惜しみだったのかもしれない。
それでも、父親の死の原因は、それだけではなかったはずだ。人が死ぬということは、しかも、自ら死ぬということは、きっと、そんな一元的なモノではない。
だからこそ、私も、それを知るために…。
「…………♪」
突然、場違いに軽快な音楽が悠の胸元から聞こえてくる。悠は、上着の胸ポケットからスマホを取り出した。
「ああ、ケータイのアラームだよ。十時になったら鳴るようにしていたんだ。部屋に戻らないといけない時間だから」
割と几帳面だ。いや、これも人間を演じるための擬態だろうか。
悠はスマホを操作してその音を止めた。彼の電話には、小さな人形のストラップが二つも付けられていた。首輪を嵌めた少女と、その首輪から伸びる銀色の鎖を握った少年という、とんでもない絵面の二人組みの人形たちがそこにいた。
悠が、手に持ったまま、その人形を眺めたまま、動きを止めた。
…壊れてしまったようにしか、見えなかった。
「ああ、そうか」
しばらく止まっていた悠の時間が、動き出した。
そして、言った。
「事件が解けたよ」
さらりと、悠は言ってくれた。
茶漬けのように、さらさらと。
「え……………?」
私は、その言葉の意味が分からなかった。
…じけんが、とけた?
事件って、溶けるものだったか?
いや、違う…解けた、のか?
ようやくその言葉の意味が理解できた私に、神降悠は薄く微笑む。そして、月光で白く染められた桜に踵を返した。
桜と悠の距離が広がり、私と悠の距離も広がった。
「待って…ユウ君」
私は慌てて悠の後を追う。
それはどこかしら、人形めいたぎこちのない動きだった。
人形。
始まりは、人形だった。
人形が続き。否応なしに続き。飽きることなく続き。万遍なく続いた。
人里を離れた異世界を舞台にした、虚構よりも悪辣で、虚仮にされたように辛辣で、滑稽なほどに調子っぱずれの、人殺し付きのお人形劇。脚本を書いたのが生来の傀儡なら、その舞台で踊るのもまた、操られる為に生まれた、傀儡。
傀儡ばかりだ。傀儡まみれだ。
できそこないばかりだ。人間ぞこないばかりだ。
だが、まだ、この傀儡人形劇は終わりを告げては、いない。
終わることを躊躇うように。始まることを忘却したように。
咎人は裁き続け、人形は踊り続けて。
人形は裁き続け、咎人は踊り続けた。
そして、人形は…散り続けた。
「始まりは人形、だったんだ」
悠が、平坦な声で独りごちた。
「夜彦さんの時も、砂鳥さんの時も、東さんの時にも、人形はいた」
さらに、悠の独白。
「そして、二人だった」
悠は、悠と沙良羅の人形を、その指で突付いた。
「なら、簡単じゃないか」
神降悠は、桜の渦の中、気まぐれのように立ち止まった。
いつの間にか、風も立ち止まっていた。私も歩を止めた。悠は桜を振り返っていた。
桜は、やはり、散っていた。
桜も、もしや、知っていた。
…あの桜の下にいる『彼女』も、もしかすると知っていたのか。




