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ご主人さま探偵譚  作者: 榊 謳歌


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三幕

 まどろむように、散る。

 溺れるように、散る。

 新雪に近い色をした桜の花びらが、漆黒に近い夜の中、春の夜風に吹かれて散っていた。

 人の命と同じように。

 喰い散らかされるように。

 それらは、無造作に散って逝った。


「また…散った」


 散るは消える。

 消えるは命。

 この場所で命が消えるのは、当然のことなのかも、しれなかった。

 桜が舞い散る、この時期は、特に。


「私、も…」


 ここまで、多量の死を目の当たりにした。

 今度こそは、自分の番ではないだろうか。

 私もそろそろ、ねむりたく、なってきた。

 …この桜の下で、『彼女』も眠っているのだから。


「砂鳥さんに言い忘れたことでもあるの?」


 微かな月光しかない黒い世界の中、私に声をかけてくる物好きがいた。


「ユウ…君」


 振り向いた先では、神降悠が靴音を鳴らしながら私に近づいて来た。月の灯りは、恐る恐るといった遠慮がちに、悠の顔を細々と照らしていた。


「ただ…なんとなく、此処に来たかったの」


 私は、単調な符丁を適当に並べた。

 …『彼女』に会いに来たというのは、内緒だ。


「だけど、危ないんじゃないかな」


 時間はもうすぐ夜の九時になろうとしていた。悠が注意をするのも当然だ。


「そうだね…」


 ほとんど無声音でそう言った私の隣りに、神降悠も立った。そこは多分、この桜が一番キレイに見える立ち位置だ。


「ユウ君…サラさんは、一緒じゃないの?」

「サラは今、お風呂に入ってるよ」

「やっぱり、そういう時は一緒じゃないんだね」

「でも、『ペットの背中を流すのもご主人様のお仕事ですわ』なんて強請(ねだ)られたけどね。宥めるのに少し時間がかかったよ」


 悠の横顔は、いつものような小さな微笑みを浮かべていた。

 だけど、いつも通り過ぎて、それがツクリモノのようにしか見えない。


「…どっちがご主人様か、分からないよね」

「そうだよ。けっこうわがままを言うんだ、サラは」

「それじゃあ、ユウ君としては、サラさんのことはあまり好きではない、と?」


 私にしては珍しい、ちょっと意地の悪い質問をした。それは桜の所為かもしれない。いや、桜の所為にしておこう。多分、その方がキレイだ。


「勿論そんなことはないよ」

「あはは…」


 私は、笑った。いつもならここで笑うはずだ。だから、ここで笑っておいた。

 そして、続きは悠が口にした。


「確かにサラは非常識なんだけど、一緒にいると退屈しないっていうか、退屈なんて常識的なものを知らないっていうか。自分が地球を回してるって思ってるくらい強引なところもあるけど、嫌いっていうわけじゃあ、ないよ」

「ふーん…」


 私が相槌を打つと。また風が流れた。

 だから、私はその風に言葉を乗せた。


「ユウ君、この事件に、犯人なんているのかな?もしかしたら、ホラー映画みたいに、あの人形たちが夜彦さんたちを襲ったんじゃあ…ないのかな?」


 風が流れたから、そんな妄想を口にしてみた。

 けど、悠はそれを否定する。


「犯人が人間なのは、間違いないよ。僕には幽霊や悪魔がいないとは断言できないけど、それでもあのやり口にはどこか人間くささみたいなものが感じられた」

「でも…あんなことが、普通の人間にできるの?」

「できると思うよ、やったのが普通の人間かどうかは分からないけど」


 神降悠は、軽く言ってのけた。

 人が殺されていたというのに、そこになんの誇張も怒張も加えていない。ただ、必要な言葉を繋げていただけだ。


「ごめん、面白い話じゃなかったかな」

「ううん…ユウ君が謝ることじゃないよ」

「でも、もう少し話の内容に配慮が必要だったんじゃないかな」

「…ユウ君って、やさしいよね」


 私は、神降悠にそう言った。

 そう言っておかなければ、いけないような気がしたから。


「本当にやさしいのは、ボクじゃなくてサラだよ」


 神降悠の口調が、ほんの僅かに変わった。ように、感じられた。


「サラは他人の痛みに対して敏感で、赤の他人に対しても躊躇せずに手を差し伸べられるんだ」


 確かに、あのお嬢様はやさしい。

 異常とも、言えるほど。

 そして、悠は語る。あのお嬢さまが、異端である所以(ゆえん)を。


「人の痛みを知るって、口で言うのは簡単なことなんだけど、そこになんの私情も損得勘定も挟まないでできる人間っていうのは、そういるものじゃないよ」


 悠は沙良羅を称えていた。

 沙良羅のその姿を、私も確認している。

 砂鳥が死んでしまった時も、自分の恐怖心を抑えて砂鳥の死を嘆いていた。本来なら、怖さで頭がおかしくなりそうな場面なのに、沙良羅は、泣いていた。恐怖よりも、砂鳥を悼む感情を優先していた。

 それができる人間が、この世界にどれだけいるだろうか。

 …少なくとも、私にはできなかった。


「でも…サラさんがやさしいのは、ユウ君の影響もあるんじゃないかな」

「ボクが、原因?」

「ユウ君がやさしいから、サラさんだってやさしい気持ちでいられたんじゃないかな」


 沙良羅が悠と一緒にいる時のあの笑顔を見れば、理解できる。

 …そういった相手がいない私だからこそ、逆説的に理解できてしまう。

 悠は何も言わなかった。言えなかったのかもしれないが、何も言わなかった。だが、しばらく桜が散ってから、口を開いた。彼の唇は、桜よりも血液に近い色をしていた。


「ボクは、卑怯者なんだよ」

「…卑怯者?」

「ボクは、『演技』をしているんだ」


 今度は、私が押し黙る順番だった。


「ボクは、演じてるんだよ。人間らしさっていうヤツを」

「で、でも…私、見たよ。ユウ君の、人間らしいところ」

「だから、それが演技なんだよ。ボクは、知識として知っているやさしさを、やさしさってヤツを、演じているだけに過ぎないんだ」

「やさしさを…演じている?」

「ボクには、感情がない。だから、他人の痛みなんて分からない。やさしさだって、本当はよく分かっていないんだ」

「そんなこと、あるはずが…」


 ない…よね?

 不意に、遠く感じた。神降悠という人間が。


「でも、それがボクの演技なんだよ。さっきも言ったけど、ボクには感情というモノがない。笑っていたボクも困っていたボクも、それは全部、嘘っぱちで誰かの借り物だ。そういうつもりになって演技をしていただけなんだよ。それは単なる、人間の猿真似に過ぎないんだ」


 悠の瞳は透明だった。

 それは、桜と同じで。この夜と、同じで。

 私を、戸惑わせた。


「ユウ君は…感情が、欠けているの?」

「欠けているんじゃなくて、無い状態で完結しているんだ、ボクは。完結してしまっているからこそ、それ以上は進化も退化も変化もしようがない。変わる余地がないんだよ」


 そんなことは…ありえない、はずだろ。

 しかし、悠は語る。平然と、鼻につくほどフラットに。


「ボクはずっとサラを騙し続けているんだ。いや、サラだけじゃない。全てをまやかしているんだよ。やさしさなんて最初からないのに、知識でそれを補ってやさしい演技をしているだけだ。だから、ボクはただの卑怯者なんだ。その卑怯という感情も、持ち合わせてはいないんだけどね」


 それは、神降悠の持っているやさしさが、培養された(まが)い物のやさしさだということか。

 そして、翼王道沙良羅お嬢様が持っているやさしさは天与の産物で、本物だということだ。

 この両者は隣り合わせで、尚且つ背中合わせだ。


「ボクには、何の感情も、本当にないんだ」

「それは…大咎人だから?」


 黙祷を捧げるように沈黙していた夜に代わり、私が尋ねた。

 しかし…今夜の私は本当に、深追いし過ぎだ。


「知ってたんだね」

「…ちょっと、小耳に挟んだの」


 私がそう言っても、悠は動じない。感情がないというのも、嘘だと断言できないほどに悠は無感情だった。私は、夜空を見上げた。そこに広がっていたのは、気が遠くなるほどの虚空だ。押しても引いても、まるでびくともしやしない。


「確かに、ボクは大咎人だよ。夜彦さんたちと同じ、ね」

「だから…感情がないの?」


 私は、囁くように問いかけた。

 大咎人…人智の輪から大きく外れた、超特殊技術者集団。一つの技術だけを、長い年月をかけて追いかけている人間ども。彼らの前では、私たちの常識なんてちっぽけで、何の物差しにもならない。


「そうだよ」


 悠が口を開く。風も桜も夜も、今は止んでいる。

 死んでいるように、止んでいた。


「ボクは、『神降し』の技術だけをずっと叩き込まれてきた。へその緒が繋がった状態の時から、いや、母胎にいる時からかな」


 それは、産湯に浸かる前から、ということか。


「その技術って…お母さんやお父さんから、教わったの?」


 一体、そのご両親は何を考えてそんなバケモノをお造りになられたというのだ。


「いや、ボクに『神降し』の業を教え込むための専任の人たちがいたんだよ。その辺は、御雅来家とは大分違うね。ここの人たちは、直系の子孫に指導者が直々に人形作りの技術を教えていたみたいだから、マトモといえばまだマトモだと言えるのかもしれない。ボクみたいに、完全に感情が無いってこともなさそうだったしね」


 カレは、少し、笑っていた。

 …ここって、笑う場面だったか?


「ボクは、その技術だけを与えられ続けてきた。愛情もなかったし、友情だってどこにもなかった。その他諸々、一切合財をボクは与えられなかった。そんなボクに感情なんてモノが宿るはずがない。代わりに、あの人たちはボクの中に『神降し』の業だけを詰め込んだ。そうしないと、こんなばかげたものを、普通の人間がその身に飼えるはずがないからね」


 本来なら、そこまでしたとしても、そんな馬鹿げたモノを手中にも胸中にも収めることはできない。だけど。


「ユウ君のその神降の技術って、神様さえもその座から引き摺り堕ろすことが…できるんだよね?」


 できるはずが、ない。

 普通ならば、眉唾にすらならない。笑い話にすらならない。

 けれど、ご主人様は首肯した。


「具体的には…どういうモノなの?」


 私は、再び問う。

 今夜は、本当に関わり過ぎていた。

 行きはよいよい、で。

 帰りは、怖いのに。


「あまり具体的なことは言えないけど、人間の全ては、脳が支配しているっていう話を聞いたことがあるかな?まあ、ちょっと極論だけど」

「う、うん…」


 痛いのも嬉しいのも哀しいのも楽しいのも、暑いのも寒いのも、涼しいのも気持ちいいのも、寂しいのも、愛しいのも…全て、脳内から分泌される薬物の産物だ。


「その全てを、根こそぎ断ち切るんだ」


 神降悠が言った。

 急に、怖く、なった。

 脳髄とは、脂肪の集まりなのだそうだ。そのブニブニとした感触ゆえに、脳髄はブラマンジェという西洋菓子に比喩されることがあるらしい。

 そいつを、握り潰された気になった。

 …片手で、『ぬにゅり』と。


「もしかして、ユウ君のその技術って…」

「人を殺せるよ。造作もなく、ね」


 私が訊ねた直後から、神降悠は少年のようなその口を動かし始めていた。


「この技能は、相手の脳に『死』の錯覚を起こさせるんだ。そういう雰囲気を作り上げるんだよ。だけど、それはただの脆い幻覚じゃない。脳がそう認識してしまえば、脳に支配されている肉体は、その全ての流れを遮断されてしまう。一度この力を発動させれば、周りにいる人間の全てを、ボクは分け隔てなく全滅させられる。間接的だけど、直接的なんだ」


 悠の言葉は、私の胸に刺さる。

 刺さって、抜けない楔となる。


「仮に相手が密室の中にいたとしても、それは壁どころか足止めにさえならない。相手の脳に土足で上がり込むわけだから、防御法なんてものは存在しない。確実に相手の感覚を狂わせて、現実を失わせ、最後には、息の根を止めることができる。最初から最後まで、絶対に引っくり返ることのない、イカサマオンリーのワンサイドゲーム。それが、神さえも引き摺り堕ろすというこの技能なんだよ」


 神降悠は、長々と延々と語った。その内容は真っ向から現実性に知らん顔をしている。

 けれど、前に喰らった…いや、喰らわされたあの感覚は、まさに、そんな途方もない感覚だった。体力、知力、気力、武力といった有益な力だけじゃなくて、無気力などの、力という力は全て無力と化すような、あの無法なチカラ。


「あの時は…手加減、してたんだよね?」


 していなければ、あの時に私たちは全滅していたことだろう。


「あの時?ああ、順一さんを止める時に使った時のことだね。あれは手加減というより、小指をほんの少し動かした程度の力しか入れてなかったって言った方が適切かな」

「…………小指」


 あれで、小指を動かしたぐらい?

 小指一本をちょろっと動かしたぐらいで、コイツは私を殺せたというのか?

 じゃあ、本気になったら、どれほどの人間が死ぬというのだ?こんなヤツを野放しにしておいていいというのか?

 やっとこさ、私にも『神さえも引き摺り堕ろせる』という言葉の真意が、本腰を入れて理解できるようになってきた。

 圧倒的強者。否。絶対的真理。

 抗うことも逆らうことも、コイツの前ではできはしない。

 絶望よりも手心がなく、運命よりも規則がなくて、終焉よりも救いがなくて。

 だから、私は問いかけた。


「ユウ君………………あなたが殺したの?」

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