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ご主人さま探偵譚  作者: 榊 謳歌


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24/34

二幕

 私たちは、動けなかった。

 呼吸が制限され、地面に足が縫い付けられたように重い。

 

 東正門が、部屋の中央で首を吊られていた。


 その光景は、私たちに呪いをかける。

 私たちの中から、『生』という衝動を奪った。

 だから、誰も、その虚構めいた光景を前にして動けない。

 いや、一人だけ動いていた。

 神降悠は、東正門の部屋に足を踏み入れた。尻込みすることもなく、二の足も踏まずに。

 飛び散った扉の木片が所々に飛散していて、悠が踏みつけた破片が小気味のいい悲鳴を上げていた。そんな悠が、小さな金属片を蹴ってしまった。

 それは、ドアの鍵の金具だ。鍵が閉まっていたところを無理矢理に蹴り開けたからか、中の心棒が完全に(ひしゃ)げている。今のこの部屋の雰囲気と同じくらいに、金具は湾曲していた。


「これは?」


 無遠慮に部屋の中を歩き回る悠が、東の背面でナニカを見つけた。

 …私たちは、まだ誰もこの部屋の中には入れなかった。


「刺し傷の痕?」


 独り言を呟く悠の背後に隠れるように、沙良羅と私もようやく部屋の中に入った。

 悠が口にしたように、東の背中には、黒く変色した赤い血がこびり付いていた。

 …ホンモノの、遺体だった。

 これは、東正門の亡骸にして抜け殻だ。

 胃の腑からせり上がって来る吐瀉物(としゃぶつ)を、辛うじて押しとどめる。代わりに、涙が溢れそうになり目頭が熱くなる。

 そんな私になど目もくれず、悠は東の遺体を眺めていた。


「犯人は、東さんを刺し殺したのか。けど、その後でわざわざ東さんを首吊り状態にしたのか。でも、失血死にしては血の量が少ないような」

「あの…ユウ殿、先ずは、東様を下ろしてさしあげませんか?」


 異質で無機質な部屋の中、有機的な発言をしたのは老執事・巻島半兵衛だった。


「そうですね」


 悠と半兵衛の二人で、東の遺体を下ろした。成人男性が二人がかりでも、それは重労働に見えた。床に降ろされた東を、私は見下ろした。

 東の首元には、くっきりと縄目の烙印が刻み込まれていた。

 …私も、こうなっていたかも、しれないのか。


「城山さん、この部屋の鍵って、どんなものなんですか?」


 悠は、東と同じ使用人である城山忍に問いかけた。

 …死者に対して出てくる言葉が、それなのか?


「ええと、外から開けるための鍵などは、ございません…ノブのつまみを回すと中の心棒がスライドして施錠されますので、部屋の中からしかかけられないタイプのものです」

「となると、また密室ですか」


 部屋の中からしかかけられないはずの鍵が、施錠されていた。

 部屋の中で施錠できる唯一の人間は、生きてはいなかった、というのに。


「今回も理屈に合わないね」


 悠の言葉は間違ってはいなかった。

 人としては、ただただ間違っていたけれど。


「どうして首吊りなんだろう」

「どうしてって…どういう意味なんだい?」


 またも呟いていた悠に、御雅木佐知代が尋ねた。佐知代の声も、かなりかすれている。無理もない。これで三人目だ。十分の三は、既に消費されたことになる。


「人を殺した後で、わざわざ手間をかけて首を吊るす必要はないじゃないですか」


 確かに、それは、『手間』だ。


「…頭のおかしいヤツがやってることなんだから、どこかがおかしくたっておかしくはないだろうよ」


 そう言っている佐知代の声自体、少しおかしくなってきていた。音程が普段の声より何段階か外れている。いや、これでもまだマシな方なのかもしれない。順一など、頭を抱えガタガタと震えている。

 けど、もしかすると、順一の態度が最も人間らしいのかもしれない。おかしくなることが、最もおかしくないのではないだろうか。


「このままじゃあ、この面子は本当に『ゼンメツ』かもしれないねえ…そうなったらどうしようか?私は、来週エステの予約を入れちまってるってのにさ」


 佐知代は洒落にもならない冗談を飛ばしていたが、誰も付き合わなかった。

 悠は東正門の遺体の傍に屈み込んでいた。

 東からは、微かにだが血の芳香が漂っている。それは、東が生きていたことを証明する残り香で、それは、東が生きてきたことを示す最後の残光だった。東の死に顔は、穏やかと呼べるものではなかった。けれど、東の表情は、ただの苦悶だけで構成されているようにも見えなかった。

 しかし、彼の死の間際に何があったのか、それを東本人から知ることは、もうできない。


「ユウ様…何かお分かりになりましたか?」


 東の体を調べ終え、部屋の真ん中で考えごとをしていた悠に、沙良羅が声をかけた。カルガモの子供のように、ひっそりと悠に寄り添いながら。


「幾つか気になるところは、あったかな」


 悠は、一つ呼気を整えてから続ける。


「どうして、犯人はこの部屋を密室にできたのか。それが、最初の一点」


 この部屋は、中に生きている人間がいる状態でしか、施錠することはできない。なのに、部屋の中には東の亡骸しかいなかった。


「そして次の点は、なぜ、東さんは首吊り状態だったのか。東さんの背中には、刺し傷があった。わざわざ東さんを吊るす必要はなかったんじゃないかな」


 濃淡もなく、ただただ淡々と悠は語る。

 …東正門の死は、コイツには何の影響も与えなかった。


「ああ、そうだ。このロープは、このお屋敷に元々あったものなんですか?」


 悠の視線が、城山に移る。


「それは、分かりません…物置になら、ロープもあったと思われますが」


 城山はそれだけを搾り出した。その声は枯れていて、今にも途絶えてしまいそうだった。

 そんな彼女の言葉を受け、悠は続きを語る。


「あとは、東さんを刺した凶器はどこに消えたのか」


 東の背に喰い込んだであろう凶器は、現場から持ち去られていた。ならば、それを持ち去った人間がいるはずだ。

 …そして、持ち去った凶器を、この後でどう再利用するつもりなのか。


「そんなことは…もうどうでもいぃ!誰だ?誰がやったんだ?あの娘は閉じ込めたままだったんだぞ?」


 御雅木純一が、狼狽と共に叫ぶ。

 ただ、その言葉自体は的外れではなかった。

 これまでの容疑者とされていた霧雨鏡花は、現在は物置の中に幽閉されている。

 …なのに、どうして次の犠牲者が生まれる?


「どうして、だ…どうしてまた人が死ななければならないんだ!秀鷹、お前なのか?それとも城山か?まさか、翼王道家のお嬢様なのかぁ!?」


 ついに、順一が騒ぎ出した。

 そんな純一を、妻である佐知代が咎める。


「落ち着きな。いくら騒いだって、犯人が自分から名乗り出てくるはずはないだろう?」


 佐知代が、威圧的に順一を宥めようとする。

 ただ、今回ばかりはさすがに逆効果だったようだ。


「五月蝿い…いつもいつも夫であるはずのオレを蔑ろにしやがって…嫁の分際でオレをぞんざいに扱いやがって…オレだってできるんだぞ…人殺しぐらいできるんだぞ!」

「ちょっとあんた…」


 佐知代は、順一に近づこうとした。

 だが、それは拒絶された。


「近づくなって言ってんだろうがぁ!」


 佐知代の頬を、順一は張った。平手を受けた御雅来佐知代が、踏鞴(たたら)を踏む。

 順一は自分でも自分の行動に驚いたのか、佐知代を引っ叩いた右手を少しの間、黙ったまましげしげと眺めていた。だが、しばらくすると(いびつ)な笑みを浮かべたまま、無言で部屋から出て行った。

 あれは、暴力の味を()めた顔付きだった。

 自分の力が他者を圧倒できると知れば、人間はその力に酔う。ありったけ酔い痴れる。その酔いは、小物であればあるほどよく回り、最後は中毒症状を引き起こしてしまう。

 錆びれた静寂の中、次に口を開いたのは、御雅来秀鷹だった。


「じゃあ、僕たちも行こうか、忍さん。なんだか創作意欲が…いや、創作の情欲が湧いてきて止まらないんだ。今なら、『ケッサク』ってヤツだって描ける気がしてきた」


 御雅来秀鷹は笑っていた。コイツの瞳も、酔っていた。

 …ドイツもコイツも、狂ってんのか?


「はい…秀鷹様」


 今の城山にとって、最も命令を聞かなくてはならない相手は御雅来秀鷹だった。暴力を覚えた小物でもなく、尻餅をついている女帝の言うことなど、もはやそれは戯言以外の何事でもない。


「ちょ、ちょっと待ちな、秀鷹…」


 佐知代が秀鷹の背中に声をかけた。

 だが、秀鷹は振り向きすらしない。返答だけは、していたけれど。


「それじゃあ、母さん…生きていたら、またお目にでもかかりましょう」


 縁起でもない言葉だけを残し、秀鷹たちはそそくさと立ち去った。人口密度が、どんどん減っていく。


「…………ざまあないねぇ」


 御雅来佐知代は誰の手も借りず、己の足で立ち上がった。けれど、足元は頼りない。そして、千鳥足のまま、覚束ない速度で消え入りそうに出ていった。彼女の根幹が、根元から軋んで折れてしまった。もう、強いあの人は死んでしまった。

 そして、(あと)に残ったのは、翼王道様ご一行のみ。それ以外の人間は、軒並み消えてしまった。

 御雅来夜彦。御雅来砂鳥。東正門。

 彼らは、この世界そのものから、消えてしまった。消したのは当然、犯人という名の人非人(にんぴにん)

 御雅来夜彦は密室の中で。

 御雅来砂鳥もまた密室の中で。

 東正門も、また密室の中で。

 彼らは抹消された。三者三様に、世界から『さようなら』も無しに消えてしまった。

 懲りもせずに馬鹿の一つ憶えのように密室で、手加減も手抜かりもなく、密室だった。

 最初から終わりまで。

 死が二人を別つまで。

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