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ご主人さま探偵譚  作者: 榊 謳歌


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五幕

「さて、何事もなく着いたね」


 惨劇の舞台を前にして、神降悠が呟く。

 御雅来砂鳥の離れには、すぐに到着した。

 入り口の扉には、もはや、錠はかけられていない。護るべき者がいなくなってしまったからだ。()しくは、閉じ込めておく対象がいなくなり、(もぬけ)の殻となったから、か。


「鬼が出るか蛇が出るか。何かしら出てくれた方が、この場合はありがたいけどね」


 悠は、独り言を呟きながらコンクリート造り建物の扉を開く。

 御雅来砂鳥が寝泊まりしていたこの離れは、二つの部屋を縦につなげただけのシンプルな構造だった。いや、シンプルなのは構造だけではない。二つあるその部屋はどちらも、飾り気など一切なかった。

 飾り気のないその最初の部屋に、足を踏み入れる。神降悠は、これっぽっちも気後れなどしない。

 …私は、なんだか空気が薄いと感じていたのに。

 館の扉は、()びれた音を立てながら、その口を閉じた。

 扉の閉まる音を背中越しに聞きながら、神降悠はまたまた独りごちる。


「ここは、今朝、見たあの時のままみたいだね」

「そのようですわね……」


 沙良羅も、何とか悠に相槌を打っていた。懸命に親猫の後をついて歩く、子猫のようないじましさがあった。

 そんな二人が言うように、この部屋は、砂鳥を埋葬する時に見たあの時から、何も変わっていない。

 変わらないということは、進化も退化もしないこと。

 それは、不変だということ。いつまでも、いつまで経っても同じだということ。

 そして、不変は、世界の枠組みからも、外れるということ。


「ここにさえ、誰も入れなかったはずなのにな」


 悠が、部屋の中を歩き回る。室内は白一色で塗り潰されていて、きわめて味気がない。というか、この白は私の精神を圧迫してくる。

 そして、その白い部屋の壁際には、まだ、砂鳥がいた。

 肉の形を保ったままの、もう一人の御雅来砂鳥が。

 悠は、砂鳥の人形の前で屈み込んだ。沙良羅も悠を真似た。

 私も近くで見ていたが、それはほぼ本物の御雅来砂鳥だった。いや、この人形を前にして、本物だとか贋物だとか論じること自体が、既に的外れなのかもしれない。


「さて、次は…彼女の部屋を調べようか」


 悠は、最初の部屋と砂鳥の部屋をつなぐ扉に手をかけ開いた。

 扉の先に、砂鳥の部屋の現れる。躊躇なく、悠は中に入った。

 本来なら、ここも施錠されているはずだった。あの作務衣の使用人が持つ鍵がなければ、中には入れないはずだった。

 そして、沙良羅が悠に続いて部屋に入る。半兵衛が沙良羅に続き、最後に私が続いた。

 室内は、紅い悪夢のままだった。何の変哲もない、ただの紅い悪夢の。

 砂鳥の部屋も白で塗りたくられていたけれど、一ヶ所だけが赤く染められていた。

 …この部屋の、主の血で。

 背徳の赤が、白い少女の軌跡を、冒涜していた。 

 それでも、部屋の隅々には、今も砂鳥の片鱗のようなものが、瘡蓋(かさぶた)のように張り付いていた。

 私は、そんな砂鳥の残り香を吸い込むように深く息を吸った…。

 今はもう何も、感じられなかった。 

 本当に、御雅来砂鳥はいなくなってしまったのか。いや、私の感情が麻痺していただけかもしれない。


「…………」


 悠は、部屋の中を適当に歩き回ってナニカを探していた。私も、彼の猿真似をして歩いてみたが、ベッドの足につまづいて、もう少しですっ転びそうになってしまった。辛うじて転倒だけは避けられたが、代わりに本棚にぶつかった。しかも、けっこうな勢いのまま。安定感のなさそうな木製の本棚はぐらりと揺れた。

 そして、その拍子に私の頭の上から『ナニカ』が降って来る。その『ナニカ』は、私の頭で跳ねた後、素っ気のない音を立て床の上を二度、三度と転がってからその動き止めた。


「これは?」


 悠が、私そっちのけでナニカを手にとっていた。少しは私を(いた)われ。

 悠が手に取ったそれは、写真立てだった。

 私が本棚にぶつかった時、本棚の上から落下して来たものだ。本棚の一番上は目線が届かないぐらい高かったので、そこに伏せて置いてあったこの写真立てには、誰も気が付かなかったんだ。

 …いや、おそらく、砂鳥はこの写真をそこに隠していたのではないだろうか。


「怪我の功名というところなのかな」


 悠はそう口にしていたが、怪我をしたのは私だけどな。

 簡素な写真立ての中のは、一人の青年がいた。

 御雅来砂鳥は無表情だった。生きることにすら無頓着に見えた。

 …けど、彼女も、一人の女の子だったということなのだろうか。

 写真の中の青年はさっぱりとした短髪で、紺色のパーカーを着込んでいた。年齢はおそらく二十歳前後といったところだろうか。その表情は比較的にお気楽そうな雰囲気を醸し出していた。どこにでもいる、大学生といったところだ。

 ただ、何となく、その瞳には影が差しているようにも見えてしまったが。


「砂鳥さんにも、お好きな方がおられたのですよね…」


 写真を覗き込みながら、沙良羅が呟く。

 私たちは、使用人の東将門から聞いている。

 御雅来砂鳥にも想い人がいた、と。


「たぶん、そうなんだろうね」


 簡素な言葉で、悠はそう言った。

 人目を(はばか)るように保管されていたのだ。おそらく間違いない。


「兎に角、砂鳥さんに好きな人がいたってことはこれで証明されたわけかな」


 悠が、写真を眺めていた。あまり、興味がなさそうに。

 いや、興味がないというよりは、よく分からないという表情に見えた。

 …神降悠は、驚かないのだろうか。

 あの白い少女が、本当に恋をしていたということに。

 ただ白く、ただただひたすらあの白い少女は白かった。

 世俗の色には一切、染まっていなかった。

 少なくとも、私にはそう感じられた。正直、思慕(しぼ)の念など彼女には不釣り合いにしか思えなかったけれど。

 その後、しばらく砂鳥の部屋を捜索していた私たちだったが、それ以上は何も出て来なかったので(きびす)を返し、砂鳥の部屋を後にする。

 砂鳥の部屋のドアを閉めた時が、一番、軽い音を立てていた。


「…本当に心に秘めた方がおられたのですね」


 部屋の扉が閉まるのを眺めながら。沙良羅が暗く呟いた。

 …けど、これで、彼女の仇討ちの大義名分はできた。


「眩しい…」


 それほど眩しくはなかったのだが、なぜか私はそう言ってしまった。

 この建物から、外に出たからだろうか。

 中にいる間は、妙な圧迫感に包囲されているようだった。

 …昨夜は、そんなものは感じなかったのに。


「進展と呼べるものはなかったかな」


 神降悠が、また独りごちた。

 しかし、あの写真を差し置いてそう言うのか。

 だが、確かに犯人の目星につながるようなものはなかった。結局、砂鳥の部屋の密室の謎も解けてはいない。どうやって、殺人者は館の二重の鍵を素通りしたのだろうか。それに、夜彦の時の密室すら謎のままではないか。


「やっぱり、砂鳥さんのあの部屋まで辿り着くためには、扉の鍵を二つとも開けないといけないみたいだったしね。砂鳥さんの離れには、窓さえなかったんだから」

「しかし、ユウ殿…あの錠は鍵もなしに開けられるものではないと将門殿が言っていたではないですか」


 半兵衛の口調は重かった。この老執事も、あの建物の中で随分と疲弊させられていたようだ。

 …というか、平然としていたのは神降悠だけだった。


「でも、半兵衛さん。まさにそこにこそ、事件の鍵となるものがあるんじゃないでしょうか」

「ユウ様、何か手がかりがお分かりになられたのですか?」


 沙良羅は悠の腕に自分の腕を絡ませ、問いかける。


「サラに期待させるようなことを言っておいて悪いんだけど、まだ何にも分かっていないのと同じなんだ。白紙もいいところだよ」


 悠の言葉通り、状況は殆んど変わっていない。あの部屋に死体があったかなかったかという、些細な差異しかなかった。


「では、これからどういたしましょうか」


 半兵衛が全員を見渡しながら発言した。


「ぼくたちの部屋に戻りましょうか。ちょっと、考えたいこともありますしね」


 私たちは、悠の提案通り、部屋に向かって歩き出した。

 歩きながら、私は犯人という人間について思考してみた。

 いや、私のような人間には、大したことは何も言えない。ただ、私は、以前読んだとある本について思い返していた。それには、子供の精神的、身体的な病気の多くが、両親の態度や躾の仕方が原因になる…という趣旨のことが書いてあった。

 もしも、自分の子供を犯罪者に仕立て上げたいのならば、脳に影響がでるような虐待を日常的に行えばいい、と。パートナーをコロコロ変えて精神的な緊張感を与え続ければいい、と。そして、愛情などは一切、与えなければいいらしい。

 この理論がどこまで真実になのかは分からないが、現実の連続殺人鬼には、こうした心無い親に育てられた子供たちも数多くいるらしい。


「…………」


 だが、そこまで考えた私はこの思考を否定した。

 これはあくまでも、普通の殺人鬼の話ではないか、と。

 この謎めいた事件の首謀者は、そういう既存のカテゴリにはおそらく入らない。

 何しろ、本人だけでは飽き足らず、本人と同じ姿の人形まで始末しているくらいだ。


「夜彦様を殺害することができたのは…この敷地内の人間だと、御雅来砂鳥様、御雅来秀鷹様、城山忍様、東正門様だけでしたな」


 唐突に巻島半兵衛が物騒なことを言い出した。


「そうですね。あの人たちには、アリバイがありませんでしたから」


 悠が応じた。

 けれど、「ユウ様、それは違いますわ」と、ご主人様の言葉をペットお嬢様の翼王道沙良羅が否定した。


「霧雨鏡花様にも、あの時のアリバイはなかったはずですわ。お部屋でお休みしておられたそうですが、それを保証できる方はおられないわけですし」

「ああ、そうか。そういえばそうだったね。ん、そういえば」

「どうなされたのですか、ユウ様?」

「いや、そういえばさ、鏡花さんは道に迷ってここに来たって言ってたよね」


 あの晩、彼女は確かにそう言っていた。


「ええ、そうおっしゃられていました」


 沙良羅が言い終えるか終えないかというすれ違い様のタイミングで、悠は言った。


「どこをどう迷子になって、この場所に迷い込んだんだろうね」

「それは、どういうことでしょうか…ユウ様」


 沙良羅の瞳が、(にわ)かに曇った。

 そんな沙良羅に悠が語る。


「ここは、外界から隔絶された異界だ。その溝は、とても深いよ。そんな外界から断絶されたこの場所に、そう簡単に迷い込めるはずはないんじゃないかな」

「そういえば、そうかもしれませんが…」


 沙良羅が、小さく呑む。


「なのに、あの人はそんなありえない場所で、ふらふらと迷子になっていた。しかも、あの大雨が降ってたのに、だよ」


 神降悠は、そう語る。

 このご主人さまにしては、珍しく『ありえない』という言葉を使って。

 そして、そう話し合っている間に、私たちはゲストハウスのすぐ前にまで到着していた。

 そこに、何の前触れもないままに声が響く。

 いや、この場所に来てから、ずっと前触れなどないか。


「神降様!翼王道様!」


 作務衣の使用人・東正門が駆けて来た。彼は、全力でここまで疾走していたのだろう。その疲労は、浪々(ろうろう)と大きく波打つ彼の双肩が物語っていた。

 …というか、また、ナニカ、あったのか。

 そろそろ、パターンだって読めてくるぞ。


「どうしたんですか、東さん?」


 悠が、疲弊した東を気遣いながら問いかける。

 東は息も絶え絶えという感じだった。しかし、息を切らしながら報告するべきことを報告した。


「ええ、実は…犯人が、捕まったのです」


 東は、確かにそう言った。

 一字一句として言い間違えることなく。


「犯人が…捕まった?」


 私は、半開きにした口でそう呟いた。

 それは、私が予期していたものとは、まるで違う展開だった。

 …だって、こんなところで、犯人が捕まった?

 何なんだ、この手抜きな展開は。

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