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三幕

「簡単な事だよ。実にシンプル、と言ってもいいかな」


 御雅来秀鷹は軽く息を吸う。吐く。語る。

 妹である御雅来砂鳥を殺害したのが、東将門ではないと証明するために。


「砂鳥の部屋まで侵入するためには、先ず最初に、砂鳥がいるあの離れの鍵を外側から忍さんが開けなくてはいけないよね」


 御雅来秀鷹が語るように、砂鳥が寝泊まりしているあの『離れ』は、外側から鍵がかけられている。そして、その鍵を持っているのが使用人の城山忍だ。


「もったいぶるんじゃないよ、さっさと結論を言いな」


 母親である御雅来砂鳥が、息子である御雅来秀鷹を急かす。


「じゃあ結論から言おうか。昨夜、忍さんは砂鳥の館の鍵をかけてからずっと…この僕と一緒にいたんだよ。夜が明けて朝が来るまでずっと、ね」


 秀鷹は事も無げに言ったけれど、それは、おそらく誰も予想もしていなかった台詞だった。


「だから、東さんにも忍さんにも…いや、この中の誰にも、砂鳥いの命を奪うことなんて不可能だったんだ」


 停止した時の中、御雅来秀鷹が悠然と語る。

 それは、御雅来秀鷹と城山忍の二人にとっては、とっておきの真実。

 本来なら、この二人の間でだけ共有され、秘匿(ひとく)されるはずの真実。


「秀鷹たちがそんな関係だったとはね…」

「僕の方も、まさかこんな形で母さんに報告することになるとは思ってもいませんでしたからね」


 頭を抱える母親の御雅来佐知代に対し、あくまでも冷静に、息子である秀鷹は語る。

 けれど、佐知代もそのまま黙ってはいなかった。即座に反論に移る。


「だけどね、秀鷹…あんたが寝た後に、城山はあんたに気付かれずに、こっそりと部屋を抜け出していたかもしれないじゃないか。もしかしたら、アリバイとかいう小細工のために、城山はあんたと一緒に居たのかもしれないよ」

「ご心配なく、それもありません。僕たちは昨夜から一睡もしていないんですからね」


 悪びれることも()びることもなく、秀鷹は淡々と口にした。そして、欠伸(あくび)まじりに続ける。


「おかげで……今日は、寝不足なんですよ」

「なら…誰がやったっていうんだい!」


 佐知代のその問いに対する答えを、誰も。

 悠も沙良羅も半兵衛も鏡花も東も忍も秀鷹も順一も佐知代も私も。

 そして、御雅来砂鳥も…答えては、くれなかった。

 その後、この場は解散となった。


「見れば見るほど、砂鳥さんだよ」


 悠の眼前に今も居るのは、俄然、御雅来砂鳥だった。当然、私にも同じ砂鳥にしか見えない。

 それほどまでに、同じだった。

 ここは砂鳥の離れの、最初の部屋だ。

 間取り的には広間なのかもしれないが、この部屋には一切の装飾がない。ただの伽藍洞だ。 

 そんな空っぽの部屋に残されていた砂鳥を模した人形を前にしながら、悠はさきほどの台詞を呟いていた。

 …そう、これは砂鳥の人形だ。

 私たちが最初に砂鳥の遺体と見間違えてしまった、あの人形だ。

 ホンモノの遺体は、あちらの砂鳥の部屋の中に、いる…。


「砂鳥さん…」


 神降悠の隣りでは、翼王道沙良羅が泣いていた。

 巻島半兵衛も、どこか沈んで見えた。霧雨鏡花も、深刻な面持ちをしている。

 私は、どんな表情をしていたのだろうか。

 …正直、そろそろついていけなくなってきた。

 起きた出来事が、私の許容量を遥かに超えている。

 そろそろ、私を現実に帰してくれないだろうか。いや、私の現実を返してくれ。

 何なんだよ、密室殺人って。

 何なんだよ、大咎人とか。

 私にも理解できる範疇で物語を進めてくれよ。

 自慢じゃないが、びっくりするくらいただの凡人なんだぞ、この私は。


「鏡花さん、遺体って勝手に埋めていいものじゃないですよね?」


 悠が鏡花に問いかけた。

 本館での報告の後、東が砂鳥の亡骸(なきがら)を埋葬してあげたいと言い出したのだ。

 私たちはその手伝いをするために、砂鳥の離れの広間に集まっていた。いや、私はただ惰性でついて来ただけだった。言い出した東は、今は砂鳥を運ぶための道具を取りに行っているところだ。


「ほんとはいけないんだけどねぇ…死体遺棄って、罰金とかとられちゃうし諸々の手続きだってある。ううん、それ以前に、ちゃんと警察やお医者さんが調べないといけないかなぁ」


 鏡花は、警察官らしい意見を述べていた。

 悠も、その意見に頷く。


「確かにそうですね」

「でも、ここって治外法権みたいな場所なんだね…」


 そう言った鏡花の瞳は、暗く沈む。

 その瞳の奥にあるものを、この時の私は見落としていた。

 今の私たちは、何が正しくて何が間違っているのかが分からなくなっていた。

 悲しくて泣くことが正しいのかもしれないが、実際に沙良羅は泣いていたが、私の感情は無機質だった。

 砂鳥を悲しまなければならず、砂鳥を(とむら)わなければならないはずなのに…。

 私たちの目の前には、今も砂鳥そっくりの人形がここで生きていたからだろうか。

 …コイツが死ねばよかったのに。

 砂鳥の人形を目の前に、私は自然とそう思っていた。


「すみません、お待たせしました…」


 涙で磨耗(まもう)した声で、東が到着を知らせた。東は右脇に大きな青のビニールシートを抱えている。左手にはこれまた大きな二本のスコップを持っていた。


「それでは、参りましょうか…」


 東は、不定な足取りで砂鳥の離れの中に足を踏み入れる。

 そして、その覚束(おぼつか)ない歩行のまま広間を進み、その先にある砂鳥の自室へ向かう。


「荷物、ボクも持ちますよ」


 悠が、東を見かねたように声をかけた。東は力のない声で礼を言い、悠にもスコップを手渡した。

 そして、私たちは進む。今も壁に横たわる砂鳥の人形を横目に眺めながら。

 砂鳥の部屋の前に到達したところで東が立ち止まり、言った。


「すみませんが…やはりここから先は、私一人で行ってもよろしいでしょうか?できれば、砂鳥様のあのようなお姿を、皆様にはお見せできないと、いいますか」

「分かりました」


 悠が頷き、他に反対する面子もいなかった。

 それに、東の気持ちも理解できた。

 御雅来砂鳥は、その首を切断されていた。

 その首を、どこかに持ち去られていた。

 そんな姿を、私たちのような部外者に晒したくないんだ。

 …その姿を見る資格が、私にあるとも思えなかった。


「ありがとう……ございます」


 東は一礼し、たった独りで砂鳥の部屋の扉を開けて中に入った。

 扉は、いやに軋んだ音を立てながら閉じた。

 悲鳴にも聞こえた。断末魔にも聞こえた。


「もしかしたら、東さんは二人きりのお別れがしたかったのかもしれないね」


 悠が、訳知り顔で呟いた。

 お別れ、か。

 私も、お別れしたくなってきた。この現実から。 

 しばらくした後、再び、扉が苦渋に似た声で鳴いた。


「…お待たせいたしました」


 扉の向こう側から、東が帰って来た。

 お姫さまを、その腕に抱いたまま。

 …そのお姫さまは、ブルーシートに(くる)まれていたけれど。


「どこに埋葬するんですか?」


 悠が東に尋ねる。

 というか、悠ぐらいしか口をきけなかった。今の東将門を相手に。

 東は蒼いシートを抱えていた。そのシートは、砂鳥の全てをぎゅっとその身に内包していて、もうその姿を垣間見ることすらできなかった。

 だから、もう、私たちは彼女とは逢えなかった。

 …向こうも、私なんかには会いたくないだろうけれど。


「桜の木の近くに、埋めようと思っております。以前…いえ、生前、砂鳥様は、自分がもし死ぬようなことがあれば、あの場所に埋めて欲しいと、申されたことがありましたから」


 だから、東は埋葬させてくれと言っていたのか。それが、想い人の最後の願いだから。

 そういえば、私たちが初めて砂鳥と出会ったのも、あの桜の木の下だった。

 あそこでは、白い運命が、待っていた。

 あそこでは、白い運命が、舞っていた。

 私たちは、桜に向かった。自分たちの意志というより、桜の意思に引き寄せられるように。

 私たちが到着すると、東正門がスコップを動かし始めた。

 …穴を、掘り始めた。

 砂鳥が埋まる穴が、砂鳥が眠る穴が、少しずつ大きく、少しずつ深く、少しずつ黒く、なっていく。

 神降悠も、そんな東に引き摺られるように、無言で手を動かし始めた。ざくざくと、二人が土を掘り返す音だけが歪なリズムで繰り返される。ひどく気の滅入るセッションだった。


「こんなもの、でしょうか…」


 東の呟きと共に、砂鳥を埋葬するために穴が、完成した。

 完成して、しまった。これでオシマイだ。

 だが、こんなモノがお終いでいいのだろうか。

 こんな呆気のない終わりで、いいのだろうか。

 …この白い少女の、最後が本当に、これで。


「では、最後のお別れを、お願いします…」


 大きな桜の木の下、大きな穴に砂鳥の亡骸を包んだビニールシートを横たえた後、東が声をかけてきた。その横では、やはり、今日も桜が散っていた。何食わぬ顔で、いくつもいくつも散っていた。

 皆、其々(それぞれ)に黙祷(もくとう)を捧げる。

 私も、同様に黙祷を行う。

 それは形だけを模倣した空疎な黙祷だったけれど。

 …いや、ほんの少しくらいは、砂鳥に対する鎮魂の想いはあったはずだ。


「砂鳥さん…あれが、最後だったなんて」


 沙良羅が砂鳥に語りかけていた。

 私には、真似のできないことだった。私は今、本当にこの場所にいるのだろうか。その実感さえ、薄れ始めている。

 神降悠が、そっと翼王道沙良羅の肩に手を乗せていた。

 人の仕草だった。人形では、なかった。

 もしかすると、この場では私だけが人形だったかもしれない。


「ユウ様…」


 沙良羅は、ユウの胸に顔を埋めていた。強く。強く。弱く。弱く。

 こちらも、当然のことだが人形ではない。

 それが、彼女の生存の証明。


「…後は、私一人にやらせてください」


 東は、涙でかすれる声で礼を言った後、スコップで土をかけていく。

 ゆっくりと、ゆっくりと。時間を惜しみなく使って。

 砂鳥との別れが名残惜しいのが、見え見えだった。

 けれど、それでも徐々に青いシートが土に隠れていく。砂鳥が、見えなくなっていく。

 …砂鳥が、なくなっていく。

 彼女がこの世界で生きていた痕跡が、なくなっていく。


「おやすみなさいませ…砂鳥様」


 悪足掻きにも等しい呟きを、最後の土とともに、東は投げかけた。

 これで、本当のさようなら。

 これで、終わりだった。

 こんな呆気のないもので、終わりだった。


「皆様…ありがとうございました」


 東は深く、あの穴と同じぐらいには深く、頭を下げた。


「それでは…私はこれで」


 スコップを脇に抱え、東が場を離れようとした。

 どこかしら、逃げ出すように。


「あの、ほんの少しだけ…お待ちください」


 声の発信者は、沙良羅だった。


「何かご用でしょうか、翼王堂さま…」

「いえ、用というほどのものではないのですが…」


 沙良羅は俯いていた。だが、顔を上げた。


「あの…東様は、砂鳥さんに、お気持ちをお伝えしたりは、しなかったのですか?」


 翼王道沙良羅がその質問をするよりも一瞬だけ早く、桜の花びらが幾らかまとまって風の中に散っていった。

 その花びらが地に落ちた後で、東は答えた。


「…………いたしませんでした」

「なぜ…ですか?」


 告白など、無理ではないだろうか。彼の役割りは使用人で、彼女の役割りは人形師だ。

 この縦割りの世界の中、この二人が真っ当に吊り合うはずも、あるまい。


「私がこの家の使用人だったから…いいえ、違います。そんなモノはただの言い訳にさえなりえませんね。そんなモノをどれだけ振り翳したところで、自分が惨めになるだけです。私が砂鳥様に自分の気持ちを伝えられなかったのは…砂鳥様には、お好きな方が、おられたからです」


 …東が想いを告げられなかった理由が、思いもよらないところから浮上してきた。

 意外としか、言いようがなかった。

 あの、白い少女が、恋を、していたというのか…?


「あ、その…その方は、どのような、方なのですか?」

「それは…私などの口からは、とても」


 東は、口を割らなかった。確かに、彼から言わせるのは酷というものだ。恋敵にすらなれなかった、この人からそれを聞くのは。

 だが、あの白い少女は、どんな想いをその胸の内に秘めていたのだろうか。ありきたりで、けれど、何物にも代えがたい無垢な想いを。


「ただ、その方は…砂鳥様の前からいなくなってしまいました」


 東は、それだけを教えてくれた。

 そして、すぐに背を向けた。背中越しに、これ以上の追求を拒否していた。


「それでは、失礼いたします…」


 そう言い残し、東は私たちに背を向けて歩き出した。足音はせず、陽炎のように揺らめいた歩き方だった。


「砂鳥さんにも…お好きな方が、おられたのですね。それなのに、こんなところで、こんなことで、命を奪われてしまうなんて」


 沙良羅の瞳はまた、ひっそりと涙に滲む。

 それは、この世界で最も美しい水滴だった。

 …私には、無縁の美しさだった。


「サラ」

「なんですか、ユウ様…」


 声をかけられた沙良羅は、顔を悠に向ける。

 泣き続けていた沙良羅に、悠は言った。言ってのけた。


「この事件の終止符は、ボクが打つよ。こんな(たが)の外れた悲劇は、もう、いいよね」


 悠は、宣言した。

 この件は、自分が片付ける、と。

 この、紆余曲折(うよきょくせつ)のあった桜の渦の只中で。

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