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七幕

「今回と同じような…人が殺されてしまうという、厭な事件です」

 

 巻島半兵衛は、滔々(とうとう)と語る。

 それは、首輪のお嬢さまとそのご主人さまが出逢ったという奇矯(ききょう)な物語。

 しかし、その語り部の声には覇気がない。

 …人死にが出たというのなら、無理からぬところだろうけれど。

 そして、語り部は続ける。


「その時にお嬢様をお助けしてくれたのが、ユウ殿でした…いえ、それだけではなく、ユウ殿は事件まで解決してくれたのです」

「ユウ君が…事件を、解決?」


 私の驚きの声に半兵衛は「ええ」と小さな相槌を打ち、続きを語る。


「その時以来…お嬢様はずっと、ユウ殿を慕っておられます」


 それが、あの二人の馴れ初めか。

 確かに、それならあのお嬢さまがご主人さまに懐いていることにも得心がいく。その懐き方に問題は多々あるけれど。


「ユウ殿は大したお方です。私よりも随分と若いのに状況の判断が的確で、大事な局面においても決して己を見失うことはありません。それに、何よりも感服いたしますのが他者に対する『やさしさ』です」


 やさしさ、か。

 …厭な言葉だ。


「世の中にはこの『やさしさ』という言葉が氾濫(はんらん)し過ぎていますので、安上がりな褒め言葉だと思われるかもしれませんが…ユウ殿のやさしさは普通のやさしさとは異なります」

「普通のやさしさと、異なる?」


 砂鳥が、無表情なまま小首を傾げていた。


「ユウ殿のやさしさは、文字通り一味違うのです。なんと言うのでしょうか…そうですな、相手によってその配合をうまく変えることができるのです」


 先刻から、巻島半兵衛は神降悠のことを手放しで褒めている。

 けれど、それはどことなく淡い感傷を伴なっていた。そして、半兵衛から発せられた次の台詞に、私は耳を疑った。


「…ですが、ユウ殿は危険な方でもあります」


 老執事巻島半兵衛から発せられた呟きは、剣呑(けんのん)だった。


「危険…なんですか?」


 私はオウム返しに問い返した。陰険でもなくて、邪険でもなくて、危険?

 だが、この老執事は確かにそう口にした。そしてさらに続ける。

 常軌から外れた言の葉を。


「ユウ殿は…ユウ殿も、大咎人なのですよ」


 大咎人。この国の裏側にいて、この世界には知られていない存在。決して世間には知られてはいけない存在。知られれば、それまでの世界が覆る。古から連綿と続く、超特殊技術者集団。

 神降悠が、その大咎人の一人…?あのご主人さまにも、特殊技術が、あるというのか?


「しかも、酔狂ではなく、真に世界を揺るがすほどの力を持ち、最強などという言葉が安っぽく感じられるほどの大咎人の一族なのです…いえ、それさえも違いますな」


 半兵衛は、次の言葉のためだけに大きく息を吸い、肺に空気を送り込んでいた。

 そして、それらを解放する。


「世界を揺るがす、世界最強、そんな有触(ありふ)れた賛美や、どこかで聞いたような畏怖さえも陳腐に感じてしまうほどの大咎人…『神さえもその座から引き摺り()ろす』と、そう語られる存在なのですよ、神降悠殿は」


 …神さえも、その座から引き摺り堕ろす?

 冗談ならば休み休みに言って欲しかった。

 中二病の中学二年生だって、もう少し捻った設定を思いつくぞ。

 しかし、御雅来夜彦が殺された後、激昂した御雅来順一が砂鳥の首を絞めたあの時、ユウの一言で恐ろしいほどに場が静まり返ったことがあった。

 直接、心臓を掌握されたような、底なしの行き止りを、私は感じた。

 それは、確かにある意味では人形師の比ではなかった。

 世界など、将棋盤のように簡単に引っ繰り返してしまう。あの時の、全てが『薄れていく』感覚を思い出し、誰にも気付かれないようにそっと身震いをした。

 与太話以外のナニモノでもない半兵衛の話だが、確かに、神降悠からそれに近いカタストロフィを受けた。気の所為と呼ぶには、あまりにもそれは生々しいシロモノで…。

 そこに。


「ただいま」

「今、戻りましたわ」


 その、『神さえもその座から引き摺り堕ろす』と噂されていた、無害な少年のような顔面をした神降悠と、ペットなのにペット以上の愛嬌を持った翼王道沙良羅が帰還した。

 …悠を前にすると、とてもこの少年がそんな大それたことができるとは、到底思えなかった。

 それでも、あの時の『薄れていく』感覚が、肌身から離れない。


「どうなされたのですか?」


 沙良羅と悠は、皆の輪の中に自然に溶け込んだ。当たり前のことを当たり前に。当然のことを当然にしているだけなのに。なぜか、そこには違和感が降り注ぐ…。


「にゃおーん…ユウ様ぁ」


 無邪気に悠になつく沙良羅を見ていると、そんな違和感もいつの間にか消失していた。

 いや、私が無意識に忘れようとしていただけかもしれない。


「さて、もう一勝負くらいやりますか?」


 悠が、カードに手を伸ばした。当たり前の平穏が、場当たり的に部屋の中に広がっていく。その感覚に、私は肩まで浸りたくなる。大咎人だの何だのを、なかったことにしたかったから。


「そういえばわたくし、大富豪から大貧民に転落したところでしたわね。ですが、息継ぐ暇もないくらい、またすぐに頂上まで上がってみせますわ。人生の一番いいところは、自力でどこまでも這い上がっていけるというところですわね」


 いかにも沙良羅らしい、谷底から這い上がってきた子ライオンのような台詞だった。

 …私には、口が裂けても言えない台詞でもある。


「砂鳥様…そろそろ就寝のお時間です」


 軽いノックの後、東正門の声が登場した。


「ああ、もうそんな時間ですか」


 悠が、部屋の壁かけ時計を見て独り言のように呟いた。

 確かに、時計はそろそろ十時になるところだった。時計というのはいつも同じ仏頂面をしているが、嘘を教えることは滅多にない。


「申し訳ありませんが、皆さま…」


 東が、退室を促した。


「仕方ないですね…帰ろうか、サラ」


 悠に言われて沙良羅も立ち上がり、私たちも続く。


「砂鳥さん。お時間がありましたら、明日もまたゲームの続きをやりませんか?意外かと思われるかもしれませんが、わたくし、物事を負けたまま引き下がるのってあまり好きではありませんの」


 最後に部屋を出ようとした沙良羅が、チャーミングな宣戦布告を砂鳥に贈り付けた。


「…………」


 けれど、御雅来砂鳥は無言のままだった。無言のままで、微笑みにも見えるような、泣き顔にも見えるような、不透明で曖昧な表情を浮かべていただけだった。そのどっちつかずな表情は、ここの人形たちと、あまりに同質だった。


「では、ご機嫌な夜を…」


 沙良羅は挨拶と笑顔を残して砂鳥の部屋を出る。少しだけ、振り絞ったような微笑みだった。部屋の外では、私や東がサラたちを待っていた。


「きゅうぅん…」


 鎖を握る悠の元に、沙良羅は擦り寄って行った。甘えた鳴き声を上げながら。


「どうしたのサラ、そんなにくっついて」

「なんでもありませんわ…」


 沙良羅はそう言ったが、おそらくそれは、代償行為だ。沙良羅の中にある、払拭できない不安を希釈(きしゃく)するための。

 …そう、それは不安だ。おそらくは。

 そして、私もその不安を感じていた。沙良羅と同様に。

 理由も理屈も、何もなかったけれど。


「それじゃあ、サラ、行こうか」


 それから、悠と沙良羅は前を向いてゆっくりと歩き出した。その後ろ、最後尾では、東正門が砂鳥の部屋の鍵をかけているはずだ。見たくはなかったから、私も見てはいなかったが。

 …だってそれは、砂鳥をこの檻に閉じ込めるための儀式だったから。

 少しだけ先行していた沙良羅たちに、私が追い付いて、隣りに並んだ。

 沙良羅の部屋の外は、何もない伽藍堂だった。

 一応、部屋としての体裁はとっているが、そこはほぼ空洞で、外界と砂鳥の部屋をつなぐためだけに存在している中継地点だ。

 その空洞は、私に御雅来砂鳥という一人の少女を連想させた。

 …あの少女にも、何もないから。

 私がそんな空想に浸っている間に、神降悠が反対側の扉に手をかけてそれを開いた。

 扉が開かれると同時に、室内に夜がなだれ込んでくる。 


「あの、ユウ様…もしかしたら、次に狙われるのは、もしかして砂鳥さんなのでは、ないでしょうか?」


 扉から外に出たところで、翼王堂沙良羅がご主人さまに呟いた。

 だが、その声にご主人さまよりも先に反応した声があった。


「それは本当ですか、翼王道様!」


 東が、いつの間にかすぐ後ろまで追いついてきていた。


「え、その、絶対ではありませんけれど、もし、犯人の方がここの人形たちに恨みを持っているとすれば…次の標的は、夜彦様の後継者である砂鳥さんではないかと思いまして」


 東の逼迫(ひっぱく)した表情に気圧(けお)されたのか、低音の声でサラは説明した。


「で、では…私は、どうしたらよろしいのでしょうか!どうすれば、私は砂鳥様をお守りできるのでしょうか!?」


 狼狽する東に対し、答えたのは悠だった。


「でも、夜のうちは大丈夫だと思いますよ。少なくとも、このカゴの中にいる限りは犯人にだって簡単に手が出せないはずです。外から鍵を、それも二重にかけているんですから」


 悠のその言葉を聞き、東は少しうつむいた。

 二重にかけられた鍵のうちのその一つは、この作務衣の使用人が持っている。


「確かに、砂鳥様のお部屋の扉の鍵は私が一つ…そして、建物の外側の鍵は城山さんが一つ持っているだけで、他にスペアのキーは存在しておりません。キーは複製も不可能ですし、ピッキングなどで開けられるような物ではございません。なので、部屋の中から外には出られませんが、外から中に入ることも、不可能なはずです」


 東は自分の言葉に安心したのか、放心したようなため息を放出していた。

 …二重の鍵、か。

 つまり、砂鳥の部屋に辿り着くには、二種の鍵を開けなくてはならないということだ。しかも、この館には窓も存在してはいなかった。


「なら、そう簡単に砂鳥さんには手出しなんかできないはずです。砂鳥さんに対して本当に気を配るべきは、ここの鍵が開いている時間帯ではないでしょうか」


 悠が整然と理屈と御託を並べ立てた。


「分かりました…私は、何があっても砂鳥様をお護する所存です。仮令(たとえ)、どんな汚い手段を用いましても」


 東には、ただの使用人以上の熱がこもっていた。その態度は、あまりにも露骨だった。隠し事の下手な人だ。

 そして、私たちは全員が砂鳥の館の外へ出た。夜空では、何食わぬ顔で星々が煌いていた。

 そこに、重厚で野暮ったい金属音が響く。

 全員が館の外に出たので、城山が扉の外側から鍵をかけたんだ。

 …これで、誰もこの館には手出しはできなくなった。


「もしかして…東さんは砂鳥さんのことを、お好きでいらっしゃるのでは?」


 星空を見上げていた沙良羅が、唐突に口にした。ただ、それは言ってはいけないことではないだろうか。


「そ、そ、そのような…わ、私はこの御雅来家にお仕えする…その…し、ししし…使用人でごじゃいますよ?」


 別に陽動されたわけでもないのに、東は動揺しまくっていた。やはり隠し事が下手だ。


「そ、それに、私は…」

「コェケコッコォ―!」


 まだ何かを言おうとしていた東を遮って、ニワトリの鳴き声が聞こえて来た。


「ああ、あそこにあのニワトリの小屋があるんだね。砂鳥さんの部屋の中に居なかったから、何処に居るのかと思ってたんだよ」


 館のすぐ脇に、トタン板を貼り付けて作った簡易のニワトリ小屋があった。


「では…翼王道様たちも客館の方にお戻りください。それと一応、気をつけておいてください」


 東が私たちに別れの挨拶を述べた後、城山と共に歩き出した。


「東さんも気をつけてください」


 悠も、東の背中に忠告を返した。

 けれど、誰もが安全を信じていたようだった。

 これ以上、誰一人として欠けることなどないと、信じていたようだった。

 そうは、ならなかったというのに。

 今まさにこの瞬間も。

 神は静観、悪魔は爪を()いでいた、というのに。

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