六幕
「勝った…」
「ああ、負けてしまいましたわ」
「すごいね、砂鳥さん。サラに勝つなんて」
「私、やっと大貧民から脱出できる…」
何事かというと、別に大事ではなかった。夕食の後、また砂鳥の部屋でトランプの大富豪で遊んでいた、というだけの話だ。特筆すべき描写も蘊蓄も、そこには何もない。何もないから、落ち着くのだけれど。
「初めて、サラさんに勝った…」
薄紅色の唇で、砂鳥が呟く。普段と同じく無表情なままだったが、砂鳥はカードを出し切った右手を軽く握り拳にしたままプルプルと細かく震えていた。微塵も顔には出していないが感動しているのかもしれない。
「バリバリの連戦連勝でミスター大富豪でしたもんねぇ、沙良羅さんは」
いや、昨夜と全く同じというわけでもなかった。新しい面子がここにいた。のほほんとした声で話すのは、あの迷子のお姉さんである霧雨鏡花だ。
「鏡花さん…わたくしは乙女ですわ」
沙良羅が小さく頬を膨らませながら反論していた。けど、自分で乙女と言うのもいかがなものだろうか。いや、このお嬢さまならばそれもありか。
「そおですねぇ…」
あくまでも霧雨鏡花は『のほほん』だった。このお姉さんを仲間に入れて、私たちは五人で大富豪を楽しんでいた。五人なので、富豪と貧民の間に平民という役柄を作った。プラスもマイナスもない、影の薄い役どころだ。その薄味のポジションは私の席だろうと思っていたが、私はずっと大貧民だったので大富豪の沙良羅から搾取され続けていた。
「これでやっと…私も大貧民から脱け出せます」
だから、私の口からはこんな安堵の台詞も出る。
「あら、そういえば、そうでしたわね。もしも、あのままずっとナオコさんが最下位のままでしたら、罰ゲームとして、ナオコさんのご実家だけを取り囲むように一大テーマパークを建設させていただくつもりでしたのに」
「実家と夢の国が地続きなのは逆に夢がないんだよ…」
夢の国の中にいる時に実家がチラついたりして安心して浸れないんだよ。
というかそもそも実家には手を出すな。
「楽しい…のかな」
無感情な口調で、白い少女はその口から零れた。いや、言っただけではない。砂鳥はほんの少しだけ、微笑んだような表情を作っていた。それに引っ張られるように、沙良羅や鏡花も笑っていた。
今朝、御雅来夜彦が殺されるという最悪のシナリオが起こった。
それは、ひどく不出来な人形劇。
さらに、密室などという不毛なオマケまで付け加えられた人殺し。
恐怖を感じていた。その恐怖に怯えていた。
けど、ここにいる者たちはそれぞれがそれぞれに気配りや思いやりなどを持ち寄っていた。
そんな継ぎ接ぎだらけの馴れ合いだったけれど、最悪の現実から遠ざかるには、それで十分だった。
部屋の隅では、中型の薄型テレビの中で、純愛ドラマが繰り広げられていた。半兵衛が見たいと言って点けていたのだ。何やら、お気に入りのグラビアアイドルが出ているとかなんとか言っていた。守備範囲の広い執事である。そんな時。
「ぴー…がー…がーぴー…」
何処からともなく…というか、霧雨鏡花から、奇抜な声が聞こえて来た。
「がー…がーがーぴー…」
無機質な音声を剥き出しで発していた。彼女は頭を揺ら揺らと左右に揺らしながら、酷く虚ろな瞳だった。鏡花の壊れ具合は、ファックスやプリンタのようなデジタル機器が稼動しているところを連想させた。
…というか、ホントになんなの、これ?
「ぴー…ぴー…大きな翼を持ったモノ…その強欲なる翼を失い、大いなる地に跪く…数多のモノが、ともに手と手を取り合って第七の煉獄へと運ばれる」
…意味不明の極致だった。
ここまで展開を無視してくれた展開も珍しい。どこに焦点を合わせているのか分からない瞳で、鏡花はそんなわけの分からない世迷言を口走っていた。
「…はれ?皆さん、どうかしましたかぁ?」
頭の揺れの治まった鏡花はキョトンとしたかわいげのある間抜け面だったが、どうかしていたのは間違いなくこのお姉さんだ。
「あ…もしかして、あたし、またやってしまいましたかぁ?」
…また?
あんなヤバい絵面を、これまでにも晒していたのか?
「実はあたし…」
鏡花が言いかけた刹那。
部屋の中から電子的な音声が聞こえて来た。けれど、今度は本物の家電製品であるテレビからだった。
「臨時ニュースのようですな」
巻島半兵衛が言うように、それはテレビ画面の上部に映し出された臨時の報道だった。
しかし、その内容は。
ヨーロッパの某国で、離陸したばかりの旅客機の翼が炎上し、空港の滑走路上に墜落した、というものだった。はっきりとした数字はまだだが、おそらくは百人単位の死者が出るのは間違いないとのことだ。
「…………」
全員が、無言だった。
先刻の壊れた鏡花の壊れた台詞と、内容が似通っていたように感じられていたから。そんな中、霧雨鏡花本人が口を開いた。
「いやー…あたしね、なんかどこかから『電波』を受信しちゃうらしいんですよ。その所為で時々、遠くで起こった事件とか、近い将来に起こることを垂れ流しで口にしちゃうらしいんですよねえ。あたし自身は、その内容なんかは全く憶えてないんですけれど」
…まさか、本当に、そんなことが?
それは、予知とか予言とかいう常識の埒外のモノではないか?
「…………あの、霧雨様は…ご職業は何をされているんですか?」
さしもの巻島半兵衛も混乱していたのか、鏡花の職種のことなどを尋ねていた。鏡花が語った電波云々について尋ねるのではなく。
「鏡花って呼んでねぇ、もしくはフロワーズでもいいけどぉ」
…フロワーズでもいいらしい。
「鏡花様はどのようなご職業につかれているのですか…?」
「イナゴのトップブリーダーだよぉ」
イナゴ…の、トップブリーダー?
予言より意味が分からない発言はやめて欲しかった。
「それは…何をされるお仕事なんですか?」
律儀にも訊ねてしまったのは、他ならぬ私だった。
「イナゴを大量発生させて田んぼを襲わせるのぉ」
「全国の農家さんに平謝ってください!」
ご飯党の私としては聞き捨てならない。
「冗談だよぉ」
もし本当だったら石抱の上で打ち首だ。
そんな彼女はのほほんと続ける。
「本当は、刑事なのぉ」
「また冗談ですか?」
悠は思わずそう言ってしまったようだ。けど、私もボケだとしか思えなかった。
「ううん、残念なコトに今度は本当だよぉ」
多少の自覚はあるらしい。
「同僚さんたちからはぁ、デンパ刑事っていう愛称で根こそぎ親しまれてるわぁ」
そりゃ、他に呼び方もないだろうし…。
「あたしの髪の毛、ツルツルのストレートなのにねぇ」
どうやら、電波と天然パーマ(天パ)を履き違えていたようだ。どこまで天然なんだ、このヒト。
「あの、サラさんに聞きたいことがあるんだけど…」
そこで、ふと砂鳥がサラに声をかけてきた。
「はい、なんでしょうか?」
「あの…サラさんとユウさんは、どこでどうやって知り合ったの?」
砂鳥がそう尋ねた。だが、それは私も興味があった。
そして、沙良羅は語り始めた。一つ、かわいらしい咳払いをしてから。
「それでは語りましょう…ユウ様とわたくしの出逢いの物語を」
沙良羅は無駄に気合を入れていた。この子が弁士なら脇から三味線の音が『べべん♪』と聞こえてくるところだ。
「わたくしとユウ様の出逢い、それはダイナミックかつドラマチックな奇跡に彩られた運命…いえ、赤く輝く星たちの宿命が呼んだ、二つとない出逢いでした!そして、そこに涙と愛をカクテルしたような一期一会の物語でしたわ」
…なんだかよく分からなかった。
だが、サラ本人は納得がいっているのか、陶然とした超然な笑顔で、どこかしら遠くを眺めている。もしかすると、沙良羅も聞いて欲しくて仕方がなかったことなのかもしれない。
けれど、そこで悠が割って入った。
「全然違うじゃないか。ボクとサラが会ったのは、本当にただの偶然だったんだから」
どうやら、真実と現実は違うところにあったようだ。
「ボクとサラが出会ったのは、とあるパーティ会場だったんだ。ボクはその時、バイトとしてそのパーティの手伝いに行っててね。それだけだよ」
「それじゃあ…どうして、サラさんのご主人様になったの?」
砂鳥の質問に、沙良羅の双眸が暴走気味の光を宿した。
「それはですわね…」
言いかけていた沙良羅を、また悠が遮る。
「聞くも涙、語るも涙の話で、とにかく涙の物語なんだ」
「どうして涙しかないのですか!」
「半ば冗談だよ」
半ば本気の沙良羅に、飄々と悠がそう言っていた。
「大体、ユウ様はもう少しご主人様としての自覚を…」
沙良羅が小言らしきものを言いかけたところで、悠が口を開いた。
「ああ、そうだ。ちょっと夜風にでも当たってこようかな」
悠がふらっと立ち上がる。逃げる気だろうか。だが、沙良羅は逃がさなかった。
「では、ユウ様にお供いたしますわ」
「ええと、夜は危ないと思うよ、サラ」
「ええ、ですから、ペットのわたくしがご主人様をお守りいたしますわ」
確かに、あれだけの蹴りが放てるのなら問題はないのかもしれない。
だが、とことんちぐはぐなご主人様とペットだ。そんな二人は、部屋から一時の間、姿を消した。おそらく外では、ご主人様のなんたるかについて(あくまでも沙良羅なりの、だが)の講義が行われていると思われる。
二人が抜け、大富豪も一時的に中断されたところで、砂鳥が口を開いた。
「聞きそびれた…どうしてユウさんがご主人様になったのか」
砂鳥はどうしても聞きたかったようだ。まあ、私としても気になる部分ではあったが(自分では聞けないが)。
「そうですなぁ…先程もユウ殿が申しましたように、お二人の出会いはとあるパーティでした」
沙良羅の後を受け継ぐ形で話し始めたのは、巻島半兵衛だった。考えてみれば、この執事が二人の馴れ初めを知らないはずがない。
「そのパーティの時に…とある事件が起こってしまったのです」
「事件…?」
砂鳥の呟きに、「ええ」と答えてから、半兵衛は続きを話した。
「今回と同じように…人が殺されてしまうという、ひどく陰鬱な事件です」
そう語る老執事巻島半兵衛の声は、ひどく乾いていた。