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五幕

「これからどういたしましょうか…」


 適当で簡素な昼食を取り合えた後、翼王道沙良羅がぽつりと呟いた。その声を聞いていたのは、神降悠、巻島半兵衛、私の三人だ。


「ちょっと夜彦さんの工房に行ってみたいんだけど」


 そう口にしたのは、悠だった。


「…工房に、ですか?」


 沙良羅がその疑問を口にするのもごもっともだ。私としても、あの場所にはもう関わりたくなかった。

 あそこには、御雅来夜彦の遺体が転がっている。生と死の間隙を縫うように生きている、あの『人形』たちと同じように。いや…御雅来夜彦は既に、立派に『アイツラ』の一員と化している。


「もしかしたら、犯人の手がかりなり痕跡なりが見つけられるかもしれないから」


 …このご主人様は、あろうことか犯人探しを始めるつもりなのか。


「で…ですが、ユウ様」


 怯えた子犬のような、サラの声だった。こんな時だが、その弱った姿がやけにかわいらしく見えてしまった。


「勿論、あの工房の中を調べるのはボク一人だけだよ」


 怯えている沙良羅に、悠は笑みを返す。昨日と同じく、少しだけ頼りのなさそうな微笑みだった。

 …作り物めいて見えるほどに。

 こうして私たちは、再びあの禁忌の場所へと()(この)んで足を踏み入れることになった。

 屋敷の外に出ると、雲一つない青空だった。とても、平和ボケしてそうな大空だった。

 けれど、それとは対照的に、この場の雰囲気はどんよりとしたタールに似たモノに覆われていた。

 これから赴くのは、あの老人形師が息を引き取った人形工房だ。

 そして、その死んだおじいさんが精魂を込めて作った、魂を持つ『生きた人形たち』が今も存在している異空間だ。

 生きている。死んでいる。

 ニセモノ。ホンモノ。

 あの工房では、その境界があまりに希薄だった。


「ユウ様…工房の前に、先客がおられますわ」

「え、本当に?」

「あれは…御雅来秀鷹様と城山忍様ですね」


 沙良羅が言ったように、御雅来夜彦の人形工房の前に陣取っていたのは、その二人だった。秀鷹は相変わらずのラフな服装で、城山も割烹着姿のままだった。


「何をされているんですか?」


 気軽ともいえる声で、悠が彼らの背後から問い掛ける。


「絵を…描いているんだ」


 確かに、御雅来秀鷹は絵を描いていた。そんな秀鷹は背中を向けたまま返事をした。そして、それからゆっくりと振り返った。


「秀鷹さん…?」


 一瞬、私が見間違えそうになってしまうほど、御雅来秀鷹は御雅来秀鷹では、なかった…ほんの一瞬だけ、だが。


「今日は…いいモノが描けそうなんだ」


 秀鷹の顔は、やはり、違って…見違えて、見えた。服装などは、昨日とほぼ同じだったというのに。


「ちょっと、その絵を拝見させてもらってもいいですか?」


 悠が頼んだ。私たちも、全員がその絵を覗き込む。キャンパスに描かれていたのは、目の前の掘っ立て小屋。今、私たちの眼前にある、かつての人形師の根城。その、ようなのだが…。

 それは、昨日、見せてもらった秀鷹の絵とは画風が変わっていた。そのため、一目でこの絵が工房を描いたものだとは理解し難かった。その絵は、以前の作品のように、現実の風景に彼の感性を加味して描かれたモノのようだった。だが、もはやその絵は印象派の枠組みから、一味も二味も逸脱していた。

 なんと言えばいいのか…禍々しい印象さえ、その絵は与えてくる。あまりに荒々しい色彩は、秀鷹が芸術に対して匙を投げてしまったとさえ感じさせる。芸術なんてモノは、所詮は些事だといわんばかりの、お手本を無視したような豪胆で乱暴な色遣いだった。


「随分と、以前の絵から印象がお変わりになられたようですけれど…」


 沙良羅は慎重に言葉をチョイスしているようだった。秀鷹の絵は、これまでと同じ系統のはずなのだが、まるで異なっていた。以前の秀鷹の絵がニセモノだったと感じてしまうほどに、その芯に変化があった。

 そんな秀鷹が口を開いた。


「うん。ここにいるとね、新しいインスピレーションが湧いて来るんだ…」

「ですが、ここはあなた様のおじい様が殺害されてしまった場所なのでは…」


 半兵衛の声が、静かに発せられた。言外に、不謹慎というニュアンスを微かに含ませながら。


「確かに、ここは祖父の人生が終わった場所です…でも、だからこそ僕に天啓を授けてくれる。きっと、人の死が持つ負のエナジーが、ここでシナジーを起こしているんだ。それが、振動波のように今の僕にはなみなみと伝わってくるんだ」


 そう言った秀鷹の横顔には、自信が溢れていた。

 そして、彼はまた絵と向き合い、筆を走らせる。しかし、今の秀鷹の発言は、死者に対する配慮に欠けるものだ。しかも、その死者は、他ならぬこの青年の祖父だ。だが、そんな祖父に対する遠回しな遠慮さえも、秀鷹は見せようとしなかった。ただ、今の彼は恍惚としていた。もはや、彼の視界に私たちはいない。そしておそらく、彼の祖父の姿さえも、既にそこにはいない。


「あの、秀鷹さん」


 神降悠が声をかけようとするが、そんな声では今の彼には届かない。もう一度、悠が呼びかけようとしたところで、城山忍に遮られた。


「あちらでお話しをしましょう」


 城山さんに連れられ、私たちは工房から少し離れた木陰に赴いた。


「お願いがあります。もうしばらく、秀鷹様に静かな状態で絵を描かせてあげて下さい」


 城山の瞳は、悠を捕らえていた。外敵にでも向ける、鋭利な視線で。


「え、ああ、別に秀鷹さんの邪魔をするつもりはありませんよ。ですが」

「そんなことは百も承知です!」


 楚々(そそ)としていたはずの城山が、ここで、大声で叫んだ。彼女の声が、木々の静けさの合間を抜けて行く。


「申し訳ありません、取り乱してしまいました…ですが、お願いします。秀鷹が、ようやく自信を掴めそうなんです」


 彼女は気が付いていなかったようだ。秀鷹のことを呼び捨てにしていたことに。


「自信…?」


 だが、私は自信という言葉が気になった。

 確かに、あの軽装の青年は自分の絵の価値を随分と過小評価していた。そしてそれは、自分自身の価値を低くみていることの証左だ。


「…なぜ、秀鷹が自信を持てないか分かりますか?」


 城山忍は、瞳に涙をため込んでいた。これは、堪え切れなくなった彼女の感情の発露そのもの。


「それは全部…あの、気色の悪い人間モドキたちの所為ですよ!」


 またも、城山の声調が跳ね上がった。自分でも、感情のつまみを(しぼ)れきれていない。彼女の中でも、『ナニカ』が狂い始めているとしか思えなかった。


「あんな化物たちと幼い頃から直面し続ければ、秀鷹だって自分の持っている真価にも気が付かないですよ!自信なんて付くはずないじゃないですか!」


 それが、御雅来秀鷹が、自身の作品に対して微塵も自信を持っていなかった理由か。大きな光の傍にある小さな光は、大きな光によって掻き消され、誰にも気付かれることはない。それは、小さな光は世界には存在していないのと同じこと。


「大咎人なんて卑怯なんです…」


 城山はうつむき、小声で言った。

 よりによって、あの人形師を卑怯と言い切った。


「…卑怯、なんですか?」


 私は率先して問いかけていた。少し、あの青年に深入りしたくなったのかもしれない。


「天才と呼ばれている人たちが、どういう人たちなのか…また、どうして彼らが天才なのか、あなたは分かりますか?」


 脈絡も前振りもない城山の問いに、私は首を左右に振ることしかできなかった。


「天才と呼ばれている人たちは、人生の大半を、湯水のように惜しまず一つの物事に集約して過ごすのです。だからこそ、天才は常人離れした功績を残せるのです」

「あの…でも、それと大咎人って呼ばれている人たちと、どんな関連があるんですか?」


 私は、元々のその大咎人の部分が分かっていない。部外者といえば、私もあの迷子のお姉さんに負けず劣らずの部外者だ。


「大咎人も…人生の大半を、その技術の習得に注ぎ込むのです。それこそ、湯水より惜しげもなく」

「じゃあ、今言ったみたいな天才たちと同じということ…なんですか?」


 世界さえ変えてしまう、大咎人の技巧。

 その技巧は、人の歴史の針を進める。

 それは、天才たちとの共通項。


「同じなのですけれど…それは、全く同じではないんです。天才というモノはその本人一世代だけで終わりですけれど、大咎人は、親から子へ、そしてまたその子供へと、何世代にも渡って、その人生の殆んどの部分をたった一つの技術に注ぎ込むのです…つまり、技術が断絶せずに地続きなんです。そうして世紀を積み重ね、熟成に熟成を重ねた後、絶世の技術を人知れず確立したのですよ」


 城山は、両手で割烹着の裾を掴んでいた。


「生物だって、何百年、何千年という年月を重ねて、その環境に適応できる姿になったわけですよね?彼ら大咎人は、それと同じコトをしているのですよ、極めて人為的に。だとしたら…個人なんかで、一世代なんかで打ち勝てるはずが、ないのです。いいえ、太刀打ちすることさえ、できないはずなのです。それなのに、秀鷹はあんな化物と肩を並べて張り合えるぐらいにならないと、自分を認められないと言っているのですよ」


 傍目に見ても、私には分かった。このヒトの愛は、痛みだ。


「何度も秀鷹に言いました、あなたには絵の才能があると。その上これだけ努力もしているのだから、十分に画家としての器は完成されつつあると…けれど、聞き入れては、もらえませんでした。私では、あの人に自信をつけさせることが、できなかったのです」


 大切な人なのに、何もしてあげられなかったのです…城山さんは、最後にそう付け加えた。

 静けさがあたりに散らばった。

 散らばり、弾けて、拡散した。

 拡散して、幾つかは失われ。

 拡散して、幾つかは残った。

 残ったモノが善か悪かは、神のみぞ知るというヤツだ。当然、私などには分からない。

 しかし、一つだけ分かったコトがあった。御雅来秀鷹が、自分の『殻』を手に入れつつあるということだ。


「忍さーん!」


 静寂が徘徊(はいかい)していた空気の中、秀鷹の城山を求める声が大気を媒介にして伝達された。


「…はい!」


 城山はすぐに秀鷹の元に駆け戻って行った。割烹着なので大きな動作はできないが、小刻みに両手足を動かし、現行としては最速の動きを実現していた。


「そろそろ戻ろうと思うんだけど…」


 そう言った秀鷹の顔つきは、やはり変化していた。その変化は明白で、昨日の秀鷹と今日の秀鷹が地続きだとは思えなかった。


「お供いたします、秀鷹さま」

「それじゃあ、君たちも…また、後で」


 秀鷹が、私たちに向かって言った。だが、ただの別れの挨拶のはずなのだが、秀鷹の言葉はやけに縁起が悪く聞こえた。そして、二人は連れ添って歩いて行く。人死にが出た後とは思えない、軽快な歩行だった。


「ボクたちも、工房の方に行って来ようか」


 悠も人死になどなかったような口振りだ。そこには、気負いも気合いもない。そんな悠を、私は見た。そして、思う。

 …ここにきて、コイツの異質さが浮き彫りになってきた、と。


「サラ?」


 翼王道沙良羅のきめ細やかな手が、工房の中に入ろうとしていた神降悠の動きを止めていた。


「わたくしも…ご一緒しますわ」

「え、でも」

「ご主人様の行く場所になら、どこにでもついて行くのがペットの本懐というものです」


 そんなモノは聞いたことがなかったが、それでも、翼王道沙良羅が何の覚悟もなしにこんな御託を並べているのではないということは、私にも分かった。おそらくそれが、彼女の『殻』だ。


「いや、でもサラ」

「『ご主人様お約束条項第五条・ご主人様はペットの言うことを聞くこと!』ですわ」


 …それだと真逆なのだが。


「分かったよ、サラ」

「それでよろしいのですわ」


 サラの表情は少し引き攣っていたが、それでも気丈に微笑んでいた。


「では、私めもお供いたしませんといけませんな」


 巻島半兵衛も同行を願い出たので、「じゃあ、私も…行くよ」と最後に私が言った。

 けど、本気で工房の中に入りたいと思っていたわけではない。あんな血塗られたモノを二度もチェックしたいなどと、奇人や変人や名探偵の類ではない私は思わない。だから、これは殆んど惰性のような主体性のない気持ちだった。しかし、それでも行くことを決意していた。私に何の役割りもないことは知っていたが、いや、知っていたからこそ、無責任に付いていけたのか。


「じゃあ、皆で行ってみようか」


 悠が音頭をとった。どうせなら、突撃ラッパでも鳴らして欲しいところだ。

 私たちは、御雅来夜彦の人形工房に足を向けた。工房からは、異様な圧迫感が漂って来る。秀鷹が言っていたように、何らかの念のような、概念的なモノが彷徨(さまよ)っているのかもしれない。悠が、扉の位置に…扉があった位置で一度、足を止めて立ち止まった。けど、それは一瞬だけだ。悠は工房の中に足を踏み入れた。

 小屋の中は、あのままだった。夜彦の遺体が発見されたあの時と、寸分も変わっていない。上げ下げ窓から差し入れられていた春の陽光が、この部屋の中で舞っている多量の埃を過剰にライトアップしていた。迂闊にも、それらがキラキラと輝く星のようにも見えてしまった。


「ですが、ユウ様…一体、何をお調べになられるのですか?」


 部屋の中央には、今も夜彦がいた。春だというのに、もがき苦しみ抜いた表情のままで。

 そして、その周りに散らばる、死にながら生きている人形たち。

 何もかもが、嫌というほどにあの時と変わっていない。いや、一つだけあの時とは違っていた。東が消したのだろうが、テレビの電源が落とされていた。

 悠が先頭に立って部屋の中を歩く。


「最初に調べるのは、本当に入り口があの扉だけだったのか、ということかな。あの時、現場は完全に密室だった。閉ざされた空間だったんだ。鍵のかかったこの部屋から、夜彦さんを殺害した犯人は、一体どうやって部屋から脱出したのか」


 悠は独り言に近い声で話した。


「ユウ様…窓から、ではないのですよね?」

「そうだね、あの窓は殆んどはめ殺しだから」


 少年は、窓の前にまで歩いた。


「やっぱり、ほんの少ししか開かないね」


 二枚のガラスが連なる上げ下げ窓は、下方の窓が少し上部にスライドしただけだった。


「この程度の隙間では、とても人間には通れませんわね」


 沙良羅が後ろから覗き込む。


「そうだね。けど、あの時、扉に(かんぬき)がかけられていたのはボク自身が確認していた」

「ユウ殿…やはり、隠し扉のようなものは見当たりませんでした」


 悠たちが窓を調べている間、半兵衛は部屋の壁を調べて回っていた。


「いきなり本格的に困りましたね。抜け道もなしで、工房には閂もかけられていた。そして、窓も開かない。これで、この現場が完全に密室状態だったことが証明されたんですから」


 悠は腕組みをしながら部屋の中をぐるぐると歩き回る。


「ユウ様…どうしてあの時、犯人の方はお人形さんたちを積み上げていたのでしょうか?」


 沙良羅が問いかけた。きちんとこの件について思考しているようだ。私と違って。


「それはボクも考えていたよ。ここの天井から吊るされてた人形は、どうして下に降ろされていたんだろうって」


 悠は、言いながら天井を見上げた。昨日は、そこから人形たちが悠たちを見下ろしていた。今、そこはガランとしていた。人形たちはいないはずなのに、なぜか、逆に不気味な気がした。


「犯人は夜彦さんの遺体の上に人形を重ねていた。どういった意図があったのかな。犯人にしか分からないことかもしれないけど」


 見上げていた視線を、悠は下ろした。下ろした先では、人形たちが今も其処彼処で、足の踏み場もないほどに横臥(おうが)していた。


「それは…余程、夜彦様がその犯人の方に恨まれていらした、ということなのではないでしょうか?」

「でも、犯人にそれほどの怨嗟(えんさ)があったのだとしても、あんな風に人形で小山を作ったりするのかな。犯人の心理としては、さっさと現場から離れたいと思うものじゃないのかな」

「そう…ですわね」


 沙良羅と悠はディスカッションを続けていく。色気には欠けるが、それは、ご主人様とペットの二人だけの世界だった。

 この二人には、セカイがあるのだ。

 …私とは、違って。

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