四幕
「随分と早いお帰りだとは思ったけれど…まさか、土砂崩れとはね」
御雅来佐知代の機嫌は最悪だった。
御雅来家の屋敷にとんぼ返りをした私たちは食堂に戻り、土砂によって道が塞がれていたことを佐知代たちに報告した。
「ど…ど、どうするんだ?警察は来れないのか?助けは来てくれないのか?」
先程は警察を呼ぶなと口にした順一だが、絵に描いたように狼狽していた。
「確かに、当てにしていた警察権力に来てもらえないとなると痛手だね」
佐知代は、椅子に座ったまま軽く首を振っていた。
「あの、佐知代さま…救助なら、あるかもしれません」
そう言ったのは、使用人・東正門だった。
「実は、今から四日後に新しいお客様がここを訪れることになっているのです」
「人形作りの、ですか?」
悠の問いに東は「はい」と答えてから続ける。
「ですから、四日後には、あの異変に気付いていただけると思うのです。そうなれば、きっと警察なり消防署なりが動いてくださると思われるのですが…」
「確かに、それなら期待ができそうだ…」
佐知代が頷く。
けれど、御雅来純一はそれでは納得しなかった。
「しかし…四日だぞ!一日が四回もあるんだぞ!その間中、ずっと怯えて暮らさなければならないというのか!」
「うるさいね、助けが来るだけマシだろうが」
佐知代は夫の発言に短い溜め息をついた。そして、ため息の後で佐知代がそのまま口を開いた。周囲を、いや、私たちを値踏みでもするかのように眺めながら。
「じゃあ、救助が来る前にちょっと整理をしようか」
「整理ですか?」
そこで佐知代に問いかけたのは、悠だ。
「いやね、アリバイってやつでも調べてみようかってことだよ。あくまでも、警察の真似事ってだけだが」
「ということは、佐知代さんがこの中に犯人がいる、とお考えですか?」
「八・二ぐらいは…いや、十中八九はそうだろうよ」
食堂全体の気温が、一気に二、三度は下がったような錯覚を、私は覚えた。
「それじゃあ、先ずは私から話そうかね…お義父さんの遺体が発見されたのは十時ごろで、生きているお義父さんが確認されたのが八時頃だった。その時間帯なら、私はこの人とずっと一緒にいたよ。今後の仕事のことで話があったからね」
佐知代は親指で自分の夫を差した。
そして、指を差された夫は言った。
「な、ならば…私にもアリバイが、あるってことだよな?私はやってないって信じてもらえるんだよなあ?」
「さっき言っただろ、あくまでも真似事だ、と…身内同士のアリバイってのは信憑性がないのが当たり前だ。そして、ここにいるのは全員が身内みたいなものだからね、アリバイがあるといっても参考程度、だよ。それでやっていないことにはならないさ」
「そ、そんな…わ、私はやっていないぞ…」
項垂れ何かを呟く順一だったが、誰一人として順一の相手はしなかった。
「じゃあ、次はボクたちですね」
次に口を開いたのは、悠だった。
「ボク、サラ、ナオちゃん、半兵衛さんの四人は、朝食の後、部屋に戻ってずっと一緒でした。特に何をしていたというわけではないですが」
悠のこの話を聞いた後、佐知代がまた口を開いた。
「それじゃ…秀鷹、あんたはどうなんだい」
「な…お前は、お腹を痛めてまで産んだ子供を疑うというのか!?」
夫である順一が叫ぶ。実の息子である秀鷹にまで疑惑の目を向けるのか、と。
しかし、御雅来佐知代はドライに答える。
「私らの分の人形まで無くなってたんだ。これがどういうことか分かるだろう?」
「どういうことかって…」
「お義父さんの人形が殺され、その次にお義父さん本人が殺された。そして、この家の全員分の人形もなくなっていた…なら、同じことがまた繰り返されるかもしれないことくらい、赤子だって分かることじゃないか」
「ぐ…」
そう、人形はなくなっていた。この家の全員分の人形が。
それは、まだ『続く』というコト。
その意志があるというコト。
「で、どうなんだい?秀鷹、あんたは自分の無実を証明できるのかい?」
「朝の食事の後、僕は絵を描くためにあの桜の木の近くにいたよ、一人でね。ただ、九時ぐらいに城山さんが来てずっと一緒に居たから、それ以降のアリバイならあるかな」
秀鷹は、事前に考えをまとめていたのだろうか、丁寧に言葉を組み立てていた。
「私も…秀鷹さまとご一緒してからのアリバイしかございません。それ以前の八時から九時までの間、私は一人でお庭の掃き掃除をしておりました。ですが、そのことを証言してくださる方は誰もおられません」
次に証言台に立ったのは、城山忍だった。
「ということは忍もグレイってわけかい。それじゃあ次はあんただよ、東」
来佐知代はエコ贔屓をすることなく、全員を糾弾する。いや、あくまでもその真似事だけれど。
「…私にもアリバイというものはございません。今朝は一人で仕事をしておりましたので」
「なるほどね。それじゃあ、砂鳥は…あんたは?」
佐知代が砂鳥に尋ねると、空気が張り詰めた。腫れ物にでも、触れたように。
「私も………ない」
白い少女は、簡素な言葉で答えた。
そこで、しばし空白の時間が流れた。
その後、佐知代が小さく呟いた。
「……そうかい」
「ということは…お前たち四人の中に親父を殺した犯人がいるということなのか!どうなんだ!答えてみせろっ!」
順一が、突発的に叫び出した。
「待ちな、今のはただの参考だよ…私だって、こんなおままごとで犯人が見つけられるとは思っちゃいないよ」
意外に冷静な佐知代の発言だった。
「だが、佐知代…お前だって」
「言ったろ、ただのおままごとだって」
佐知代はぴしゃりと言い切った。それ以上は、有無を言わせない。純一もそれ以上は何も言えなくなっていた。
そして、沈黙が訪れる。
その沈黙の中、私は、自然と考えていた。
死ぬのは、嫌だ、と。
あんな死に方だけは嫌だ、と。
薄汚れたままうらぶれて、少しずつ萎んでいく。
そんな、イメージ。
それが、『死』…殺される、ということ。
「ふぅあああぁ…」
そんな厳粛な空気の中、間の抜けた欠伸が聞こえて来た。
「おはようございまぁす…皆さんお揃いなんですね」
最後の登場人物…あの、雨に打たれていたお姉さんがのこのこと姿を現した。
正直、私は彼女のことを忘れていた。あまりにも、それどころではなかったから。
「…どこの誰なんだい、あんたは?」
相手を萎縮させるような瞳で、御雅来佐知代がお姉さんに問いかけた。
だが、当のお姉さんは蛙の面に水だ。
「あたし、ですかぁ?あたしは、霧雨鏡花っていいますぅ。以後、よろしくおねが…ふぁあああぁぁ」
手短な自己紹介さえも、己の欠伸で掻き消してしまっていた。
「あんたの名前なんて聞いてないんだよ、私は…あんたがナニモノかってことだけ聞いてるんだよ」
「え、ええと、あたしは…………」
その後の台詞を考えていなかったのか、お姉さんは…霧雨鏡花は二の句を継ぐことができていなかった。右手の人差し指を唇の下に軽く当てたまま、「うーんと…」などと呟きながら固まっていた。
そこに助け舟を出したのは、作務衣の使用人の東だ。
「その方は、この近辺で遭難されていたということです…そして昨夜、お屋敷の方に助けを求めに来られました。昨夜はひどい大雨でしたので、霧雨様にはそのまま客館の空き部屋にお泊りいただいたのです。夜彦様の許可もいただいておりました」
「そんな話、私は聞いてないけどね?あんたはどうなんだい?」
佐知代に話を振られた順一も、呆けた顔を左右に振るだけだった。
「申し訳ございません、佐知代様…霧雨様のことをお話するのを、失念しておりました」
「随分とお役に立ってくれる使用人だね。しかし、あんた…遭難だって?」
「そうなんですぅー」
佐知代という女傑を前に、霧雨鏡花というこのお姉さんも、とことん空気が読めていなかった。そんなお姉さんに、佐知代もただ白けるだけだ。それでも、霧雨鏡花はきちんとお礼を口にしていた。
「昨日はありがとうございました。あ、そうです。あのおじいさんはどこですか?昨日、泊めていただいたお礼を言わないとぉ」
お姉さん…霧雨鏡花はきょろきょろと辺りをうかがった。
「あんたを泊めてくれた親切なおじいさんなら…今朝、殺されてたよ」
佐知代は、事実を事実として口にした。
「へ…?」
鏡花は、小首を傾けたまま、まだ笑みを浮かべたままで固まっていた。無理もないが。佐知代の言葉が理解できていない様子だ。
佐知代は、追い打ちのように続ける。
「だから、殺されたって言ったんだよ。あんたを助けてくれた親切でやさしいおじいさんがね」
「本当…なんですか?」
そこで、ようやく鏡花の顔から笑みが消えた。
「信じられないと思いますが、事実ですよ」
そこで、悠が鏡花に今朝のことを簡潔に説明した。
話を聞いていた鏡花の表情は、徐々に暗くなっていく。
「あたしが寝てる間に、そんなことがあったんですか…」
「あんたね…寝てたって言うけど、もう昼だよ?人の家に泊めてもらったって割に、随分と惰眠を貪ってくれるじゃないか」
御雅来佐知代は、鏡花に対するは冷たいを崩さない。
「すいませぇん…あたし、完全に疲労モードでしてぇ」
「しかし、あんたが今までずっと眠っていたことを証言できる者はいないだろ?ということは、晴れてあんたも容疑者の仲間入りというわけだ。よかったなあ、東。お仲間が増えて。これで、確率が四分の一から五分の一になったぞ」
「え…………あの、もしかして、あたしが疑われてるんですか?」
唐突に容疑者入りさせられた鏡花は、無理もないが驚きを隠せない。
「まあ、あたしだってそこまで分別のない女じゃない。あんたがもう少し『マトモ』だったら、名指しで犯人にしてあげるところだけどね」
佐知代としても、この変人が犯人だとは思っていないようだ。
「とりあえず、ここには『ヒトゴロシ』がいる可能性があるってことさ。精々、あんたも気をつけるんだね」
御雅来佐知代は、鏡花に忠告を残して食堂を去って行った。
その後ろを、純一が慌てて追っていく。
「おい!ちょっと待て、一人で歩くのは危険だって!おぉーい!」
佐知代たちが消え、しばしの静寂に包まれる。
だが、私には聞こえた…気がした。
開幕のファンファーレは、遅蒔きながら、今になってようやくここで奏でられた。
無関係であるはずの私を、巻き込んだままに。
いい加減、私を解放して欲しかった。私にだって、やる事があるのだ。だが、この状況が私を解放してくれない。
けれど、私は私の意思で、私の足をこの場所に縫い付けているようでもあった。